ターゲット14/お嬢様と護衛の『ブリの塩焼き』②



「それじゃあ貴咲、今日は何を作るの? やっぱりご馳走かい?」


「それも考えたのだけれど、普通の夕食を作るわ。――あの子に初めて食べさせた物を」


「食べさせた? ……ああ、そういえば君って料理研究部の所属だったっけ」


「ええ、家庭的な方が男受けが良いって強制的に。ふふっ、旦那様は嬉しいかしら? 妻が家庭的な存在で」


 棘の残る言葉に、夫としてどう答えたものか。

 仮に嬉しいと答えたら「男なんてそんなものね」と失望の台詞が出てくる気がする。

 しかし、悲しんだらそれはそれで「安い同情ね気が引けると思ったの?」と言われてしまう気がする。


(かなり僕らの仲は深まった気がするけどね、うん、それでもまだ色々あるからなぁ……)


 雷蔵は少しばかり考えた挙げ句、困った顔をして貴咲の手を両手で包み込む。

 何を言うべきかは決まっている、こういう時は己の心に素直になるべきだ。


「理由や過程がどうあろうと、僕の為に腕を磨いていてくれたって思っていいかい? 男として、そして夫として、健気に尽くし愛してくれる妻を持ったと自惚れても?」


「…………ゼロ点よ旦那様、台詞がクサすぎ」


「ええッ!? 採点厳しくない!?」


「妻の口説き方もなっていないなんて、不甲斐ない旦那様ですわ。寝物語に教えて差し上げますから、今は料理を始めましょう」


 話題を振ってきたのはそっちなのに、という言葉を飲み込んで雷蔵は頷いた。

 世の中には亭主関白という古い言葉があり、不破という家はその古さの見本のようなものであったが。

 己達はむしろ逆らしいと、苦笑を一つだけこぼして。


「ああ、あ゛あ゛~~……、ううッ、お姉様ぁ゛~~なんで、なんでそんな幸せそうにぃ~~~~」


「え、幸せそうなんスかアレ?? 怒っているワケじゃなくて?」


「は? そんなコトも分からないんですの野咲?? 貴方、お姉様と出会ってから何年たってるんですの??」


「無茶言わんでくださいっスお嬢……、俺は護衛なんスからむしろお嬢の周囲に目を向けてるんですよ??」


 野咲は一刻も早く逃げ出したい一心を、必死に隠し通しながら主人にヘーコラした。

 不破貴咲が主人の敬愛する先輩であれ、夫が裏でも名高い殺し屋な上に、そも貴咲ですら『不破』なのだ。

 これが人生最後の晩餐である可能性も考慮して、護衛は青い顔をいっそう青くする。


「――あら、体調でも悪いの野咲? 先に帰ってる?」


「ま、まさかァ!! 元気溌剌ですよ!! むしろ元気すぎてお腹減ってるからそう見えるんスよ!! あー、お二人の作る夕食楽しみだなぁ……、何を作るんスかね?」


「ふふん! 教えて欲しい? 聞きたい? いえ、みなまで言う必要はありませんコトよ! おほほッ、このわたくしは材料を見ただけで理解できるのですッ! 貴咲お姉様と泥棒オス猫が作ろうとしているのは――ぶりの塩焼き!!」


「え? 照り焼きではなく?」


 野咲は護衛という立場を忘れ、思わず優香に問い返した。

 普通、ぶりならば照り焼きが定番ではないのだろうか。

 それを塩焼き、確かにそれも美味しいだろうが何故そのチョイスなのか。


「これはね、わたくしとお姉様の思い出の料理なの。友達を求めて料理研究部に所属したはいいものの……」


「成金の娘だからってハブられてたんスよね」


「まったく度し難いですわ、我が母校の風潮も……それは置いておいて。そんな中、唯一わたくしに優しく接し、本当の妹に様に可愛がってくれたのが貴咲お姉様なんですの……!!」


「何回言ったか覚えてませんけどね、俺、それを何度聞かさせるんス??」


 もはや野咲にとっては、そらんじられるぐらい繰り返し聞かされた話だ。

 当時もあの不破と関わってるなんて、と冷や冷やしながら聞いていたが。

 今となっては、主人の不興を買っても縁切りさせておくべきだったと後悔しかない。


「今でもはっきり思い出せますわ……、不破というお家柄、それに加えて誰よりも美しかったが故に孤高であったお姉様……、成績も優秀で、芸事にも秀でて、運動神経抜群で、全生徒の憧れだったお姉様……」


「それが何で、ぶりの塩焼きに繋がるんです?」


「料理研究部で貴咲お姉様は、孤立していたわたくしに手を差し伸べパートナーにしてくださいましたの……、そして当時のわたくしは料理などしたことがなく」


「なるほど、その時のメニューがぶりの塩焼きだったっスね?」


 優香はこくんと頷き、台所に立つ貴咲の背中に遠い眼差しを向ける。


「あの時のお姉様は、時間が少ない時は照り焼きよりも軽く塩をふって焼いた方が美味しいと微笑んでいらっしゃったわ」


 その笑みは美しく、しかしてどこか寂しげで。


(だから、お姉様の側にいたくなったんですの)


 優香とて不破の家の事は知っていた、美しい彼女が将来どんな目にあうかも予想していた。

 故に、少しでも良い思い出が残せればと。

 いつか、その運命から助け出せればと。


(――でも、助けられたのはわたくしだったわ)


 親しくし始めてすぐ、優香は孤立しなくなった。

 度胸があると、何より遠巻きにされながらも人気のあった貴咲と周囲の生徒だって親しくしたかったのだろう。

 目的はどうであれ声をかけてくれる人々が増え、中には今でも親しくする友人もいる。


「苦手だった勉強も何度も何度も教えて貰いましたし、本当に、お姉様には感謝しかありませんわ」


「…………やっぱり、結婚を知らさせなかったのはショックだったスか?」


「実は……少しだけですのよ。もしあのままだったら、お姉様とは一生会えない覚悟もしてましたから」


「お嬢……」


 寂しいような、嬉しいような、複雑な顔をする主人に野咲はそれ以上なにも言えなかった。


(知ってたんスねお嬢……、全部承知の上でお父上の反対を振り切って貴咲さんと仲良くして)


 きっと、だから不破貴咲も結婚の事を告げなかったし。

 不破という家が滅亡しても、優香に頼らなかったのだろう。

 二人は確かに、親友とも姉妹とも呼べる間柄だったのだ。


「悔しいですけれど……お姉様が幸せそうでよかった」


「雷蔵さんを認めるっスか?」


「お姉様が選んだヒトですし……、多分、お姉様を救ったのもあのヒトなのでしょう」


「それは……たぶん」


 野咲にとっては、貴咲が雷蔵に殺させず妻となっている事が不可解ではあった。

 彼とて耳にしている、不破がどんな事をしていたのか。

 歴史あるが故に、その権力が故に、誰もが黙認していたのだから。


「久しぶりだわ、お姉様の料理……。ぶりの塩焼きという事は玉葱の味噌汁と、付け合わせはほうれん草のゴマ和えでしょう。今から楽しみですわぁ……!!」


「…………まぁ、お嬢がそれで良いなら――――ッ!?」


「うん? あら? 今……、もしかして雷蔵さんって、護衛が本業ではなく料理人でしたの? ――ッ!? もしやッ、窮地に陥ったお姉様を料理人のあの方が救い出して駆け落ち結婚みたいな!? わたくしの知らないところで育まれていたラブがあるとッ!?」


(はぁ!? ――――嘘っスよね今の!?)


 妙な誤解を始めた優香とは違い、野咲は目を見開いて驚いた。

 驚きすぎて、顎が外れそうである。

 だってそうだろう、雷蔵が包丁を一度振り下ろしただけで玉葱が一つ丸ごと綺麗に切り裂かれたのだから。


(いやいやいやいやっ!? あり得ないっスよ!? 何で一回切っただけで全部切れてるス!? これが不破の最終兵器、殺戮人形の実力!? 腕の動きが全然見えなかったっスよ!?)


 何という所で、殺しの腕を見せつけているのだろうか。

 料理にそんな物が応用できるのか、仮に出来たとしてもどれぐらいの研鑽が必要なのか。

 裏に身を置く者として、欠片でも理解してしまった野咲の背筋は恐怖に震え。


「あ、またやったわね旦那様……普通に切れないのかしら? お客様の前なのよ?」


「え? 普通に斬るより早いならいいじゃん」


(こ、これはまさか――俺らなんて何時でも殺せるってメッセージっスか!? 死ぬ!? 貴咲さんが生きてるって知った俺らは生きて出られない!?)


(なんで野咲は白目むいてるのかしら??)


 雷蔵としては言葉のままの意味合いで、しかして野咲は先程の優香のように誤解を始め。

 そうとは露とも思っていない雷蔵は、豆腐を手に取り。


「――よっと、じゃあこれも小皿に分けておくね」


「…………旦那様と一緒に料理すると、包丁の腕が鈍りそうだわ」


(今度は豆腐を!? 何で投げて斬ったっスか!? 結構高くなげたのに崩れてないし、一度しか斬ってないように見えるのに均一な賽の目になってるっスよ!?)


「もしやお姉様、この方に料理を習っていたのかしら。……そうした時間が二人を結びつけて、でも周囲の反対が……っと、ダメよわたくし。勝手な想像をしてはダメ、お姉様に失礼……でも妄想止まりませんわぁッ!!」


 敬愛する貴咲と本当の家族になれなかったのは残念だが、もしや最良とも言える結果になっているのでは。

 夫婦の背中に、優香がそう思っている一方。


(よし!! ご飯食べたら全力で媚び売ってせめてお嬢様だけでも逃がすっス!!)


 誤解の解けない野咲は、固く決意を固めるのであった。


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