ターゲット12/敗北者達の『スモア』③



「そういえば、さっきマシュマロがどうとか言ってなかったかしら?」


 貴咲のその言葉で、二人の行動が決まった。

 まだ何も食べてないのにデザートとは、と思わない事もなかったが。

 雷蔵としては好奇心に勝てず、貴咲としてもそれを作るのは初体験なので浮かれ気味である。


「実はマシュマロって初めて食べるんだよ、生でも美味しいって聞くけど焼いても美味しいものなの?」


「こういう時のデザートとして定番らしいわ、味に期待してもいいんじゃない? ――ふふっ、ちょっとワクワクするわね」


 貴咲はバーベキューコンロ脇の食材置き場を、ざっと見渡して数秒思案する。


「マシュマロにクラッカー、チョコ、……ああ、スネアにするのねコレ」


「スネア?」


「バーベキューで定番のお菓子って所よ、じゃあ作りましょうか。コンロの網を退けてくれる?」


「オッケー、……うーん、隣の網に乗せておけばいいか」


 わざわざ網を外して、何をするのだろうか。

 興味津々といった雷蔵の前に、貴咲は串を差し出して。


「はい、マシュマロ刺して」


「なるほど、直火で炙るんだね!」


「そうよ、でも一つだけ。おかわりはまた焼きましょう」


「出来立てを食べたいもんね、いやー、どんな味になるのかなぁ……!!」


 妻がやっているのと同じく、雷蔵は串の先端にマシュマロを一つ刺す。

 炎に近づけて炙り始めると、途端、香ばしい匂いが漂ってきて。

 そのままでも美味しいのではないか、否、絶対に美味しいのであろう。


「確か、火が強すぎると中が溶けないって話だったわ。それでいて外はこんがり焼かないといけない……」


「となると、炭火の赤くなってる付近で焼くんだね」


「弱火でじっくりと、くるくる回しながら。というのがコツらしいわ」


 二人は目を輝かしながら、マシュマロを焼いていく。

 同僚と奥様方の談笑が少し遠く、波の音と共に潮風が。

 その中で、炭火のパチパチという音が耳に残って。


(……こういう時間が来るって、思いもしなかったなぁ)


(いいわね、こういうのも――)


(不思議だな、ワクワクした気分とゆったりとした気持ちが両立するなんて)


(きっとそう思えるのは、多分)


 貴咲は少し視線をずらして隣の雷蔵をみた、彼はとても穏やかな顔で笑みを浮かべている。

 きっと己もそうなのだろうと、そしてそれが心地よくて。

 くる、くる、くる、くる、マシュマロが火の上で回る。


「いつか……、いえ、何でもないわ」


「ええ~、気になるんだけど?」


「大したことじゃないわ、ただ少し、…………いつか、いつか私達に子供が出来たとき、家族でこうする事が出来たら幸せだろうなって」


「…………うん、そうだね」


 そんな普通の幸せが、自分達にも訪れるのだろうか。

 貴咲はそう思ってしまって、口に出さないことも出来た。

 けれど、言葉にしたい、そう思ってしまって。


(惚れた弱みって言うけれど、――負けてしまったのね私は……)


 くすりと口元が緩んだ、なんて心地よい敗北だろうか。

 最初は絶対に惚れることなんてない、そう思っていた。

 心からの笑顔なんて絶対みせないと、一生恨み続けると。


(我ながら簡単ね、ふふっ、権力者の妻だなんて最初から向いていなかったのだわ)


 道具として作られたのに、それすら失格で。

 今は何より、それが嬉しい。

 きっと全ての恨みを忘れることは出来ない、許すことは出来ない。


(でも……、憎悪を燃やし続けることは別ってなんで気がつかなかったのかしら)


 絆されたと言えばそうなのかもしれない、でも、それでもいいと思ってしまったのだ。

 一緒に食事をする度に、空腹が満たされる度に、心も満たされていって。

 こんなに幸せでいいのだろうか、二人の今は夥しい血と犠牲の上に成り立っている。


(殺して、殺して、ずっと殺してきてさ、僕はてっきり何も手に出来ずに、一人孤独に死ぬものかと思っていたけど)


 惚れた弱み、と言うべきだろう。

 彼女を妻にできた事が、今こうして寄り添って過ごせることが何より嬉しくて。


(人殺しだけしか出来ない僕も……誰かを愛せるんだなぁ)


 命を奪うことへ後悔も憂いもない、そんなの今更だ。

 けれど、不安でもあったのだ。

 奪うだけの自分が衝動にまかせて貴咲に愛していると言っても、本当に愛しているのか愛せているのか。


(そんなこと、気にしなくても良かったんだね)


 不破という一族に人生を奪われ敗北の道を歩いていた、復讐の先に取り返せた物は何もなかった。

 あったのは、夫婦とも呼べない冷たい何かで。

 でも、それは当然だったのだ。


(一緒に何かをして、一緒に過ごして、僕と貴咲で。きっとこれまでは一方的過ぎたんだ)


 料理を作り始めても、作るのは主に雷蔵。

 先日、貴咲もおにぎりと作ってくれたが代わりに己は何もしていなくて。

 今、初めて、二人で料理をしてる二人っきりで過ごしている気すらする。


「――――結婚しよ?」


「ふふっ、バカね。もう結婚してるわよ」


「そっか……ああ、そうだったね。きっと普通の人は結婚前にこういう気分になるんだろうなぁ」


「いいじゃない、普通の人じゃないもの私達。――これから幾らでも普通の人になれるわ」


 事も無げにそういった妻を、雷蔵は強く抱きしめたくなって。


「…………あ゛ーー、今すぐ君を抱きしめたいよ」


「へぁっ!? い、今料理中なんだから後でっ、――――ほ、ほら、きつね色に焼けてきたんだからそろそろよ」


「え? あ、ホントだ。次はどうするの?」


「次は、……あっ」


 しまった、と貴咲は呟いた。

 クラッカーにチョコを乗せて、マシュマロを挟まなければいけないのに片手が塞がっている。

 でも悩むことは無い、一人じゃない、今の二人は夫婦なのだから。


「クラッカーを用意するから、チョコを乗せて」


「そういえばソッチの用意してなかったね、オッケー。この板チョコを……ヨシッ」


「じゃあその上にマシュマロを置いて――」


「――そしてその上からクラッカーでサンドして、串を抜いたら…………完成! へぇ~~、これがスモアかぁ」


 匂いを嗅いでみると、こんがり焼けたマシュマロの甘く香ばしいと、その熱で溶け出すチョコの甘い匂いがした。

 二人の口の中に、涎が溜まる。

 今すぐ食べなければ美味しさを逃がす、雷蔵と貴咲はニマっと笑い合うと。


「「いただきます」」


 スモアに思いっきりかぶりついた、すると。


「ん~~~~っ!! んまっ!!」


「いいわね、うん、――美味しいっ!」


「クラッカーの塩気がチョコとマシュマロの甘さを引き出してるって言うのかな。くぅ~~、もう一個食べたいっ!」


「サクサクとしたクラッカーの食感に、どろりと溶けたチョコ、そしてマシュマロのカリふわでトロっとした感じが……――――よし、もう一個たべましょう」


 夫婦は頷きあうと、今度は二つずつスモアを作り始める。

 今度は、事前にクラッカーとチョコの準備を忘れない。

 思わず童心に帰る夫婦を、見つめていた芽依子は。


(あんなの反則でしょお~~~~~~!?)


 あんなに幸せそうに寄り添って、片時も離れたくないという雰囲気が出ている。

 二人の姿を微笑ましく思い、他の者達はそっと別のバーベキューコンロを使い。

 パートナーを連れてきている者は、当てられたようにイチャイチャし始めている。


(うわぁ、うっわぁ…………、何よ、何なのよ、本当に新婚夫婦じゃない、付け入る隙……何処??)


 敗北だ、戦う前から負けている。

 二人がこの場に現れた時に悟るべきだった、その時点で媚薬入りの痺れ薬の入った酒を回収すべきだった。

 何より、芽依子が負けているのは。


(………………美味しそう)


 見ていると食べたくなっている、きっと美味しいだろう。

 だが理解してしまう、一人で同じ物を食べても単に甘いだけだ。

 仮に首尾良く雷蔵を奪えたとしても、同じ美味しさにはならないだろう。


(きっと……あの二人だから)


 芽依子は知らない、殺戮人形と呼ばれた雷蔵がどの様に育ったかを。

 その妻である貴咲にことだって同じだ、彼女が不破の長女であった事だけしかしらない。

 不破が今、壊滅状態にある事しかしらない。


(わたしは、子供だったんだわ)


 いい歳した大人であるのに、恋に恋して盲目で、行動が幼かった。

 それが今、はっきりと分かる。

 己が彼の妻になっても、同じ顔をさせられないだろうと。


(…………謝らないと)


 きっと二人は己の所行を知っているだろう、でなければ兄と別荘の中で話さない。

 謝って許されるかなんて分からない、でも謝らなければいけないのだ。

 そうでなければ、彼へを愛していた日々を汚す事になってしまうのだから。


「――――ごめんなさい!!」


 三個目は流石に多いか、と考えていた矢先。

 いきなりの謝罪に、雷蔵はまばたきを一つ。

 貴咲と言えば、ふんわりと笑って。


「お一ついかが?」


「え……、そ、そんな私は――」


「いいのよ別に、何もなかったし気持ちは理解できるもの」


(そういうモノなの??)


 即座に許した妻に、夫は首を傾げたくなったが我慢する。

 芽依子は差し出されたスモアを前に逡巡し、おずおすと受け取って。

 気まずそうに口に運ぶ様子を、貴咲は微笑ましく見守った。


(ま、ある程度の毒なら私達には効かないし。そもそも今回みたいに事前に察知できるし)


 正直な話、奪われたって奪い返せる自信はあるし。

 それ以前に、雷蔵という男が彼女以外に靡かない自信がある。

 とはいえ、芽依子の行動には同調してしまう事もあって。


「…………美味しい?」


「もぐもぐ…………――っ!! はいっ!! 美味しいです!!」


「そう、よかったわ」


 でも貴咲は何も問わなかった、きっと己が同じ立場なら同じように形振り構わず雷蔵を求める。

 今なら、それが確信できる。

 でも譲ることなんて出来ない、彼からの愛を、己の愛を自覚してしまったから。


「あ、あの……わたし……」


「絶対に譲ってあげないわ、でも逃げも隠れもしない。――愛に命を賭けるならば、向かってきなさい」


「ッ!? き、貴咲ッ!?」


「貴咲さん――――!!」


 愛の言葉も同然の台詞に、雷蔵は目を丸くして驚き。

 芽依子は嗚呼と、感嘆を漏らした。

 格が違う、女としての格が違いすぎる。


(きっと、もしわたしが先に結婚していても……)


 この女性に雷蔵は心を奪われていただろう、そんな考えすら浮かぶ。

 勝てない、美貌も、スタイルも、心も、何もかも勝てない。

 爽快な敗北感と共に、新たな感情が沸き上がって。


「……師匠と呼ばせてください貴咲さんっ!! 雷蔵クンの事は諦めます。気づいたんです、貴咲さんじゃないとダメなんだって、それに気づいたんですわたしに足りないものは――――」


「へぁっ?? ちょっ、芽依子さん!?」


「まだ雷蔵くんの事は諦めきれないけど、でもそれ以上に貴咲さんを尊敬しますっ!! 師匠っ、わたしを女として上に導いてください!!」


「うーん? 一見落着なのかなぁ??」


 貴咲にキラキラした目を向ける芽依子と、そんな彼女の姿に戦意を挫かれて困惑する妻。

 雷蔵とて当事者の一人で、何かを言う権利があるだろうが。

 何故か、口出ししてはいけない気がして。


「――――スマン、全てを任せてしまって」


「あ、恭二朗」「居たの兄さん?」


「居たの? じゃないっ!! 散々迷惑かけて、これで一件落着だと思うなよバカ妹よ!! お前はこれから一ヶ月海外で無給で過酷な現場に放り込むからな!!」


「う゛う゛っ!? ぐぅ、つ、謹んで受け入れるわよ!! わたしは目標が出来たんだからね!! 二人のような夫婦になるって、雷蔵クンより愛せる男を見つけるって!!」


 目標を高らかに叫ぶ芽依子に、恭二朗は頭を抱え。


「それはそれ、これはこれだ!! さぁ来い、今からじっくりお説教だ!!」


「ぐぇっ、襟、襟伸びちゃうから自分で歩けるから!!」


「迷惑かけたな、今日はまだまだ楽しんで行ってくれマイフレンド!! そして奥方よ!! ――とっとと歩け!!」


「あー、程々にね恭二朗?」「ふふっ、たっぷり絞られていらっしゃい」


 夫婦それぞれの言葉で騒がしい兄妹を見送って、再び彼らは二人っきりになった。


「――――どうする? まだスモア食べる?」


「そうね……、もう何個か焼いたらアッチのヨシダご夫婦の所に混ざらない?」


「いいねそれ、ヨシダさんには特にお世話になってるからなぁ。僕の口からしっかり紹介したいんだ、自慢の妻ですって」


「ふふん、人前で妻をどれだけ誉めても何も出ないわよ」


 そう言いながらも貴咲の表情は明るく、まんざらでもないと雷蔵には思えた。

 二人はそれから、皆とバーベキューを楽しんで。

 その帰り道、自宅へと後数分の距離にさしかかった時であった。


「――――ああああああああああああっ!! 先輩!? 先輩ですわよね!! お久しぶりですわ先輩!! 最近、連絡がつかなくて――――」


「ちょっとお嬢!? いきなり走らないでくださいよ、それに叫ぶなんて……」


「あれ? 知り合いかい貴咲?」


「…………もしかして、優香? どうしてこんな所に」


 そこには、大学生ぐらいの年齢の女性とスーツを来た男性が。

 貴咲の中学からの後輩、八条グループのお嬢様である優香とその護衛の姿があったのだった。


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