ターゲット7/夫へ贈る『おにぎり』①



『ひぃっ!? な、なんだコイツありえねぇ!?』


『ぎゃああああああ! オレの足が!? 兄貴は首がねぇ!?』


(くッ、――あんなモノを見せられて僕はどうすれば良いんだよッ!! 脳が破壊されるぅ!!)


『くそッ、黄色い猿共のの田舎町じゃねぇのかよ!! はるばるイタリアから来たってのに――あぎゃあああああああああ!!』


 阿鼻叫喚、獅子累々、そんな言葉がぴったりくるとある埠頭の古く大きな倉庫であった。

 イタリアから日本の裏社会に侵攻をかけたギャングの尖兵は、次々に見るも無惨な姿へなっていく。


(くそッ、僕は問いただすべきなのか? それとも体で――い、いやダメだ、最近は良い感じなんだよ壊したくないんだ……、でも、僕が、僕を……)


 考え事に夢中になっている雷蔵は、手加減やら自重やら、節度やら限度やら、様々な単語を忘れて斬り刻む。


(そもそも無理矢理襲ったし、無理矢理結婚させたし、…………考えてみれば――――好かれる要素ないよねッ!? いや分かってたけども!!)


「ねぇヨシダさん、今日の不破さんは妙にハッスルしてません? 何かいいことあったんすかね?」


「こりゃ寧ろ逆だな、嫁さんと上手くいってないのかもなぁ……、見ろよ、人間って刀持ったまま壁を走った挙げ句に天井使って三角跳びしてさ、それでいてキレーに首を斬れるもんなんだなぁ……」


「あ、今オレ見えましたよ、不破さん飛んできた銃弾を足場にジャンプしましたよ?? オレら今、ハリウッド映画でも見てんすかね?」


 倉庫に集まっていたギャングと、彼らと契約していた傭兵達は三十人をゆうに越えていて。

 だからこそ、ヨシダ達も雷蔵と共に殺す筈だったのだが。

 流れ弾に注意しながら、証拠隠滅班と共に傍観するばかりである。


「いやー、アイツが味方で良かったよ。今日もコッチの被害ナシで帰れるってもんだ」


「ですねヨシダさん、オレらも楽出来るってもんです。ま、後片づけが面倒そうですが」


「それは仕方ない、でもま、今回は煙草の不始末で火事が発生するシナリオだ。それにすぐそこは海だ」


「ああ、それは楽ですね。――いつもこんな現場ならなぁ」


 雷蔵に頼りすぎるのも善し悪しだよ分かってはいるが、しかして楽に稼げるならある程度は許容範囲だろう。

 ヨシダはそう考え、同時に。


「しかしアレだな、アイツの悩みを聞いてやった方がよさそうだな」


「ですね、この後何人かで呑みに行きます?」


「……妻帯者、恋人持ちで何人か。代金は楽させて貰った分コッチが出すって事で」


「ええ、皆に伝えておきます」


 ヨシダは雷蔵が最後の一人を唐竹割りにしたのを見届けると、苦笑をひとつ煙草を取り出し吸い始めた。

 それから二時間後、雷蔵とヨシダ達は会社近くの居酒屋の個室に居て。

 更に三時間後、家で彼の帰りを待つ貴咲といえば。


「あの人は……覚えてないでしょうね」


 例の指輪を左手で摘み、いつものソファーで物思いに耽っていた。

 子供のサイズに作られたソレは、大人である彼女の指には入らず。

 その事が残念であるような、どこかホッとしている様な。


(アレって、どれくらい昔だったかしら。私が五歳かその前か、それで三歳差ぐらいだったからアッチの歳は……)


 子供の頃、一度だけ家を抜け出して行った地元のお祭り。

 その頃から頭角を表していた彼が、こっそりと追いかけていて。


(帰りたくないって駄々をこねて、一緒に回ったのよね)


 当時はお小遣いなどなく、金銭を持ってなかった貴咲は屋台で遊び回る子供達を羨ましそうに眺めるだけで。

 哀れに思ったのだろうか、それとも上の指示でもあったのだろうか。


(買ってくれたのよね、綿飴やリンゴ飴、射的や金魚救い……嗚呼、今なら自由に行けるわね)


 花火を見て帰る前に、彼は何も言わず。

 そっと指輪を握らせて、ただ一言。


「――頑張れって」


 多分きっと、それが幼い初恋だったのだろう。

 その日から彼女にとって指輪は宝物になり、次の日から姿を探したけれど。


(会えなかった、見つからなかった。今考えれば、その時もう色々と忙しかったのでしょうね)


 大人に混じって彼が仕事を、誰かを殺している姿を想像し貴咲はくすりと自嘲した。

 羨ましい気持ちはまだある、けれどそれが彼にとって悪い事である事も今なら理解できる。


「……何時からだったかしら」


 初恋を、想い出に変えてしまったのは。

 意図してそうした訳じゃない、余りにも、そう、不破が彼女に施した女としての英才教育は余りに過酷で。

 端的に言えば、彼女の体に他人が触らなかった場所はなく。


(少し、違うわ……。諦めていたのね、私は、自分の幸福を)


 幼い頃から体に教え込まれた、女性としてのありとあらゆる快楽。

 男に対する淫蕩で淫靡で、言葉に出せない手練手管の数々。

 男に消費させられる物だと、道具でしかないと。


(バカなのよ、こんな汚れた道具を妻にするなんてね)


 彼は知っているだろうか、処女膜なんて手術で再生出来るという事を。

 彼は覚えているのだろうか、初めて一緒に食事をした時の事を。

 彼は想像した事があるだろうか、幼い初恋だけで全てに耐えていた事を。


「もう……いいのかしら」


 淡い初恋だった、忘れようとして、でも諦めて。

 恨んだ、誰も助けれくれない、彼が助けてくれなかった事を。

 羨んだ、彼の境遇も知らずに、家の役に立つ、力を持つ彼を。


「――会いたい」


 一人でいるからだろうか、思わず心の欠片がこぼれた。

 ぎゅっと強く抱きしめて貰いたい、執着でも、偽りでもいい、愛してると囁いて欲しい。

 彼のした事は許せない、でも破滅して当然の家だったのだ。


「会いたいだなんて、私は言える立場なのかしらね?」


 酷い、とても酷い家だった、権力に媚びへつらい、利用し、弱者を血に染める家だった。

 身寄りのない子供を殺し屋に育てて、そうでない子供も素質があると見れば親を殺して浚って。

 知らなかった、知った後でも何も出来ず、否、何もしなかった。


(どうして)


 あんな家に、美しい女として産まれてしまったのだろう。

 何故、妹の様に殺しの素質が無かったのだろう。

 でも。


(そうでないと、出会えなかった。私はあの家の運命から解放されなかった)


 貴咲があの家に産まれなければ、幼子だった雷蔵が両親を殺された上に浚われて育てられなければ。

 そうでなければ、出会えなかったのだ。

 恨みがある、怒りはある、感謝もある、再び燃え始めようとしてる初恋だってある。


「違うわ、……きっと新しい恋なのね」


 そっと首輪をなぞる、鎖の重さを確かめる。

 これこそが彼との何よりの繋がりで、絆で、確かな何か。

 結婚指輪よりもきっと、今の二人にはお似合いで。


「でも、まだ――笑顔をみせてなんてあげないわ。ふふっ、もっと美味しいものを作って、私をときめかせて」


 それから。


「愛してるって、心から言えるようになりたい」


 言ってしまった、口にしてしまった、言葉にしてしまった。

 今の貴咲を変えてしまう想いを、自ら出してしまった。

 でも、全ては終わったのだ。


(人形は壊れて人になった、なら道具だった私も……人になれるのかしらね)


 誰かに、好きでもない男に抱かれる為の人生から。


(妻、……奥さんになってしまったのだもの)


 逢いたい、そんな気持ちが強くなっていく。

 飲み会に誘われて遅くなる、そう連絡があったのは大分前だ。

 そろそろ帰ってくるのではないか、彼女はそわそわとし始めて。


「髪の毛よし、メイクよし、服……、はこのままでいいかしら?」


 着飾って出迎えるには、まだ気持ちが追いついていない気がする。

 しかし、先日買って貰った服に変えても。

 貴咲が逡巡したその時だった、ガチャリと鍵の開く音が玄関からして。

 ――気づけば、早足で歩き出す。


「おかえりなさ――――きゃっ!?」


「……貴咲」


「ふぇっ!? ちょ、ちょっと旦那様? どどど、どうして壁にっ!?」


 扉が開いた直後、彼女はドンという壁を叩く音と共に迫られて。

 ぐいと雷蔵の顔が近づく、酒の臭いに顔をしかめる。

 貴咲が押し返そうとした瞬間、彼から想像すらしなかったありえない言葉が飛び出し。


「今までゴメン、別れよう貴咲。……君を解放するよ」


「――――――――ぇ」


 突然の離婚宣言に、貴咲は目を丸くしたのであった。


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