ターゲット6/運び屋の『カルボナーラ』③
パスタを茹で始めた後、貴咲は用意された他の食材に視線をやった。
「では旦那様、材料の確認ですが……」
「卵四個、ブロックベーコン、粉チーズ、スパゲッティの麺、ニンニク一個!!」
「え、ニンニク一個丸ごと使うのですか?」
「ははは、まさか。その中でひと欠片さ」
成程と思いつつ、しかして貴咲はそれでも多いのでは、と思ったが口には出さず。
それより先に、言うことがあるからだ。
麺を茹でるための鍋は何も問題はない、むしろ買って帰ってきた事を褒めるべきだろう。
「…………その、旦那様?」
「え、何その目。間違ってた?」
「間違ってるというか……、菜箸をナイフの様に持って何をしてるのですか??」
「いやベーコン斬るんだけど? だって少し厚めにしたいし」
「ああ、そういう…………ってぇ!! どこの世界に箸でベーコン切る人がいるのですかっ!?」
余りに普通に言うので流しそうになったが、とてつもない非常識さに貴咲は思わず大声をあげた。
いくら彼が斬ることに長けていると言っても、出来ることと出来ない事があるだろう。
それとも本当に可能なのだろうか、或いは彼なりのツッコミ待ちなのか。
「この前さ、初めて包丁使ったじゃない? ちょっと食材切るには斬れすぎるかなぁって」
「普通に包丁使って??」
「まぁ見ててよ、良い感じに斬るからさ……」
「えぇ…………??」
夫の奇行に遠い目をする妻であったが、当の本人は至極まじめな顔で。
(僕なら出来る、――やってみせる)
斬る、というのはコツがある。
どんな物体にも、果ては水や空気でも、斬り裂くのに丁度良い角度とスピードがあるのだ。
(その日の湿度とか温度も関係してくるけど、こうやって軽く叩いて感触を確かめて……)
菜箸でブロックベーコンを叩く、先日の玉葱のように投げる事はしない。
万が一にも過つことは無いが、貴咲にも刃があたる可能性は少しでも減らす為だ。
雷蔵は菜箸の強度も計算に入れて、一気に振り下ろすと――。
「――ッ?? は?? 何でそれで切れるんですか!? 物理法則に喧嘩売ってるんですか旦那様??」
「いやいや、物理法則の範疇だよ。流石に法則そのものは斬れないって、まぁもし見えたら斬れるかもしれないけどさ」
「言葉の意味が分からないわよっ!? 何で!! 何で本当に切れてるのよ!!」
これが才能、本物の才能かと貴咲は戦慄する。
どうして料理の場で、人類最高峰の殺しの技の一端を見せられなくてはならないのか。
理不尽すぎる目の前の光景に、頭痛さえしてきそうだ。
「いやー、やれば出来るもんだねぇ。でもこれで包丁を洗う手間が省けたってもんだし。うん、これからも菜箸でいいかな?」
「そういう問題じゃありません!! お願いですから!! 普通に包丁使ってよ!!」
「あれ不評? あるぇ?? カッコいい技を見せたらちょっとは惚れてくれるって甘い考えはあったけどさ、そこまで不評なの??」
「――――こんど菜箸でそれをしたら、食事は作らせません」
「目が座ってるッ!? そこまで嫌だったの!?」
がーんと落ち込みながら、少し厚めに切ったベーコンを雷蔵は小皿に移す。
何がいけなかったのだろうか、洗い物はひとつ減り、才能を有効に使っただけなのに。
女心は誰かを殺すより難しい、そう痛感しながら次の行程に取りかかり。
「はぁ……どうしてこう、雷蔵は……、いえ、落ち着くのよ私、ここから先は切る必要なんて無いんだからっ」
「よーし、じゃあ次は卵液ってのを作ろうと思うんだ」
「…………はい? 卵液? ソースではなく?」
「ソースを作る手順の一つだってさ」
どれどれと、貴咲は彼が横に置いていたレシピをまじまじと見る。
実の所、彼女とてカルボナーラを作るのは初めてであり。
二人して、新たな知識に目を輝かせていた。
「へぇ~~、二段階に分けてソースを作ってるのね」
「四つの内、二つをそのまま、残りは卵黄のみってコトだけど。卵白の部分は捨てるしかないし勿体ない気がするね」
「でも今の私たちでは、残して置いていてもも腐らせるだけだけでしょうね」
「ここに粉チーズを入れて、塩と胡椒も忘れないようにっと……」
卵液、と呼ばれるそれを雷蔵がかき混ぜ、貴咲が残りの材料を入れる。
(――――あれ? もしかしてこれって共同作業じゃないかしら? い、いえ、別にそんな気で手伝ってる訳じゃ……っ!!)
(しっかり混ぜろってジェイムズは言ってたけど、うーん、具体的にはどれぐらいなんだろうか……?)
ともあれ数分後、それっぽく混ざった卵液を横に置いて。
今度は、ベーコンを炒め始める。
「いやぁ、良い匂いだねぇ……、このベーコンの炒めたのだけでご飯が進みそうだ」
「実際に作ってみると、食べる時より色々と匂いが違うのね」
「――っと、ニンニクの色が変わったね。ベーコンはこのままで良いのかな??」
「手順を見るに、問題なさそうね。ふふっ、どんな風に仕上がるのかしらっ」
食生活が悲惨だった雷蔵とは違い、貴咲はカルボナーラは何度も食している。
しかし、それは外でだったり家の料理人の手によるものであったり。
自分達で作るの初めて故に、自然と浮かれ始める。
「あ、パスタも茹であがったみたいですね旦那様!」
「よぅし、麺を引き上げて水切りしてよ貴咲、僕はソースの続きに入るよッ!!」
「茹で汁を120cc程入れるのをお忘れ無くっ」
「――問題ない、今投入した!!」
雷蔵は火を消して、ベーコンを炒めていたフライパンの中に茹で汁を即投入。
運び屋曰く、冷まさずに高熱が残った状態でかき混ぜるのがコツだとか。
それを意識しながら、卵液を投入して。
(……ここで失敗するとソースがダメになるって言ってたッ、慎重に、でも速度を落とさずかき混ぜる、唸れゴムベラとかいう道具!!)
刃物を振るうより、なんと難しい事か。
新米夫は、ごくりと唾を飲み込んで額に汗をかきながら手を動かす。
(固まらない様に……固まらない様に丁寧に……!)
時折、冷めないように再び火を入れては一定時間の後に消し、付けては消し、を繰り返して。
(思ったより難易度高くないこれェッ!?)
(が、頑張るのよ雷蔵!! 絶対に口に出して言ってあげないけど、頑張って!! 今日の夕御飯は旦那様にかかってるのっ!!)
(ふわぁああああ、緊張して手が震えて来たぁ!?)
(レシピによると、もうそろそろ出来る筈よ……!)
貴咲は茹であがったパスタが入ったザルを持って待機、お皿は準備している。
後は、混ぜてから盛りつけるだけ。
そう、それだけなのだ。
「――――今だッ、入れてくれ!!」
「はいっ!!」
「混ぜるッ、フライパンの中で混ぜる!!」
「……ソースは固まってません、成功よ旦那様っ!!」
「なら後は、お皿に盛るだけ――――ッ!!」
そして、フライパンを持って皿がある食卓へ。
彼にしては非常にゆっくりと移動し、続いて震える手でそれぞれの皿に乗せ。
「…………か、完成したッ」
「ええ、ええ、上出来よ雷蔵。……さ、フライパンを置いたら食べましょう」
やりきった、その満足感と達成感が二人に屈託のない笑顔を浮かべさせる。
高揚感に包まれた夫婦は、お互いが笑顔なのに気づかず席につき。
「「――いただきます!!」」
ならば、思うがままに食すのみ。
食欲をソソる匂いが、目の前のカルボナーラから漂って来て涎が垂れてしまいそう。
ごくりと唾を飲み込むと、雷蔵はくるくるとフォークで麺を絡め取りまずは一口。
(おお、なんか濃厚な感じがして美味しい!!)
本当に、自分がこれを作ったのか。
信じられない気持ちと、しかしてレシピが良かったのだろうという感謝の念が湧き出る。
そして。
「――ありがとう、今回も貴咲のお陰で美味しく出来たみたいだ」
「どういたしまして、貴方はもっと私の存在に感謝すべきね……うん、美味しいっ」
彼女はまんざらでもない顔をして、もぐもぐと幸せそうに頬張る。
これがもし実家ならば、はしたないと怒られたかもしれないが。
生憎と、この場は貴咲と雷蔵の二人だけだ。
(ベーコンの塩気がソースの濃厚さを引き立てている……、あー、これが食べたかったのって感じねぇ~~)
肉の旨味と卵とチーズのソース、この組み合わせは神ではなかろうか。
彼女はそんな事すら考えながら、おもむろに胡椒の瓶を手に取る。
考えが正しければ、きっとこれで。
「――うん、追加で胡椒をかけたら更に美味しいわね」
「えッ、ホント!? どれどれ…………美味い!!」
「ね、ね、今度作る時は最後に卵黄を乗せてみましょうか」
「見たことあるヤツだッ、うーんでそうすると卵多くなりすぎない?」
「馬鹿ね、美味しさの前では些細なことよっ!」
それもそうか、と雷蔵は頷きながら舌鼓を打った。
幸せとは食卓にあった、もはやそれは確信である。
今後もこうして二人で食卓を囲めると良い、そう考えた時。
(――あ、そういえば他にも教えてくれたっけ)
ジェイムズはこれをメアリィに作り、プロポーズしたという。
それはもう幸せそうに、運び屋の二人は惚気ていて。
だから雷蔵は。
「『このカルボナーラの様に、君の人生の全てにオレを美味しく捧げたい』」
「……はい? いきなり何を言い出すの? とうとう言語まで壊れたのかしら?」
「そんなキョトンとした目で見ないで……、これはね、ジェイムズがメアリィにプロポーズした時の台詞なんだって」
「え、それで結婚したの?」
それはロマンチックとは程遠く、むしろ残念極まりない言葉。
これで結婚を決意する女性がいるのか、不思議でしかたがない。
(――――ああ、逆なのね)
きっとこの言葉は、相手の事が愛おしすぎて出てしまった言葉であり。
メアリィは言葉の前に結婚を決意しており、つまりは。
「だからこそ、結婚したのね。……ふふっ、男の人って本当に馬鹿なんだから」
「どういう事?」
「言葉は何でも良かったのよ、そこに愛という気持ちがあれば、愛が伝わっているなら」
「…………」
少し羨ましそうな顔をした貴咲に、雷蔵はフォークを置いてまっすぐ見る。
運び屋の二人に影響されたのか、それとも。
今の彼は、衝動に突き動かされていて。
「――ねぇ貴咲、聞いてくれるかな」
「美味しいから、聞いてあげるわ」
「僕は君の意志を無視して無理矢理に結婚した、悪いと思ってる」
「…………それで?」
今更、あらためて謝罪をする訳でもないだろう。
貴咲は興味を引かれて、続きの言葉を待つ。
彼の些細な変化を見逃さないよう、目を細めて見つめる。
「何もかも間違っててさ、ちゃんと愛してるかすら分からない。――でも、僕と一緒に幸せになって欲しい」
「幸せにする、じゃないのね」
「僕だけ幸せになってもね、貴咲は僕の生きる理由で、きっと……君が幸せじゃないと僕も幸せじゃないから」
「断ると言ったら?」
穏やかであるが挑発的な言葉に、雷蔵は笑みを浮かべて答えた。
「それでも、君と一緒に幸せになりたいんだ。だからさ……もっと美味しい物を沢山作って、貴咲と一緒に食べようと思う。――――付き合ってくれるかな?」
「私の愛を手に入れる前に、胃袋を掴もうと?」
貴咲はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、緊張した顔をする夫を見た。
彼は加害者であり、己は被害者だ。
しかし同時に、彼こそが救いの主でもあって。
(実際の所、……±0どころか、+1なのよね、ええ、心情的に納得いかないだけで、恩義より恨みが先に来るだけで)
彼が貴咲に罪悪感を得ているように、彼女もまた雷蔵に罪悪感がある。
(――私に罪があるのならば、一族に殉じて死ななかったコト、雷蔵を殺そうとしていないコト、……憎みきれないコト)
そして。
(結婚出来て、嬉しいって思ってるのよ。貴方に愛を与えてないのに、貴方が愛してくれて優越感すらあるの)
だから。
「…………好きにすればいいわ、精々ありもしない希望に縋ればいい。私は旦那様が死ぬまで側にいて、絶望して死ぬのを待っているわ」
「うん……うん! ありがとう貴咲!!」
「嗚呼……本当にバカよね貴方、まぁ、美味しい食事を作ってくれたら好きな服ぐらいは着てあげるわよ」
「マジでッ!? うおおおおおおおおおおッ!! 漲ってきた!! これからもっと色んな美味しいの作るよ!!」
俄然、張り切り出す夫に妻は苦笑して。
今夜ぐらいは、色気のある下着をつけてもいいかもしれないと思ったのだった。
――――そして、三日後の夜である。
(そろそろ、あの服も処分しなくちゃね……)
就寝前、雷蔵が入浴している間に貴咲はふと思い至って。
あの服とは、さの惨劇の日に着ていた着物である。
その日は、一週間後に迫るお見合いの為の衣装会わせをしており。
「クローゼットの中とはいえ、いつか邪魔になるだろうし……余計な未練は残したくないもの」
あの家に居た頃は、決して幸せとは言えなかった。
だがそれを着た時は、母も妹も、厳格な父でさえ笑って誉めてくれて。
でも、もうボロボロだ。
(結構破れてるし、所々燃えてるし、当てつけで残してた様なものだもの)
苦笑をひとつ、貴咲は用意したゴミ袋に入れようとし。
「――――ぁ」
ころん、と小さな指輪が床に落ちた。
それはプラスチックの粗末な、どうみても玩具としか言いようのない物で。
彼女はのろのろと拾うと、大事そうに両手で包み込む。
「こんな所にあったのね、ええ、てっきりあの家と共に燃えてしまったものだと……」
静かに目を伏せる、子供の頃の想い出、今となってはたった一つの。
「――――ばか、思い出しちゃったじゃない。忘れてたのに、今まで、忘れたフリをしてたのに……皮肉なものね、嗚呼……バカなのは私もよ、今更…………だなんて」
少し悲しそうに、切なそうに、震える声で、けれど嬉しさが。
否、嬉しさではない。
慕情といえる何かを感じさせる顔で、彼女は祈るように指輪を大切に握りしめ。
(貴咲…………ッ??)
見てしまった、雷蔵はそれをトランクス一丁の姿で。
見てしまった、妻が指輪を大事そうにしているのを。
見てしまった、彼女が誰かを想っている姿を。
夫は彼女に指輪など送っていないのに、指輪を握りしめる妻の姿を見てしまったのだ。
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