ターゲット3/妻に捧げる初めての『キーマカレー』③
白米を炊飯器で炊き始めた後、あらためて貴咲は問いかけた。
「それで? カレーと言っても何を作るのかしら?」
「キーマカレーに挑戦しようと思うんだ、そこまで時間がかからず難しくないとか何とか」
「分かったわ、材料はちゃんと買って来たのね?」
並べてある材料を見ると、挽き肉、玉葱、トマト、茄子、卵、カレールゥ、冷凍のほうれん草、そしてサラダ油。
その隣には、封を切ってないセラミックの包丁と、薄いシートタイプのまな板が。
小さなフライパンの様な物は、何に使うのか彼女には分からなかったが一応、必要な物は揃っている様だ。
「包丁あるなら使いなさいよ……ッ!」
「使い慣れた獲物の方が良いと思ってさ」
「旦那様なら何使っても同じでしょうに……」
貴咲は思わず頭を抱えたくなった、これが義務教育をまともに受けてない哀れな男の姿か。
彼が得意とする分野は、刃物による切断。
その気になればナイフで鉄パイプを切り落とすような、人外の才能を持っている。
「とにかく、料理には料理のルールがあるのだから。大人しく包丁使いなさい。それとも――刃物は刃物でも包丁は使いこなせないのかしら?」
「そんな事あるもんか! よーしやるぜ僕はやってみせるぜぇ!!」
「はいはい、なら調理開始。ルゥの箱の後ろに書いてある通りに作るの」
「分かった任せてくれ、先ずは……玉葱のみじん切りからだね」
「皮は茶色の部分だけよ、忘れないで」
雷蔵は頷くと、真剣な顔で玉葱の皮を剥き始める。
みじん切り、歯抜けの知識だが聞いたことがある。
確か、小石より小さく切ればいいとかなんとか。
(玉葱は球体なのに、どうやって普通の人は切ってるんだ? 半分に切って、そのまた半分に切って? うーん、まどろっこしい。きっと正しいやり方があるんだろうけど)
包丁の背で玉葱をコンコンと叩き、感触を確かめる。
彼のそんな姿に、貴咲は首を傾げて。
「ちょっと雷蔵、本当に包丁の使い方が分からないとか言わないわよね??」
「どうやったら楽に切れるか考えてたんだ、うん、でもこれなら楽に切れそうだ。危ないから一メートルぐらい離れててよ」
「なんで??」
嫌な予感がする、しかし雷蔵の真剣な顔に思わず彼女は言うとおりに距離を取る。
何をやらかすのか、不安げに見守っていると。
(切った材料を小さなボールに入れるとして、玉葱は確か……切ると涙が出てくるらしいから素早さが重要で)
玉葱の堅さは理解した、セラミックの包丁の刃は獲物として問題ない切れ味がありそうだ。
ならば、不安になる事はない。
切る事だけは、何万回、何億回もやってきた。
(回しながら玉葱を軽く上に投げて、――今)
彼の手から玉葱が上へ離れた瞬間、雷蔵は包丁を動かした。
先ず、頂点に達した時に縦横斜めに分割する。
だが余りにも早すぎて玉葱は己が切れた事に気づかない。
(――ちょっと雷蔵ッ!? 貴方何を――!?)
落下し始めた時、もう一度縦横斜めに分割。
それを繰り返す事、十回。
着地した玉葱はその衝撃で、見事なみじん切りになり。
「はい、最後にヘタをキャッチ。どれどれ……? うん、この細かさで良いのかな? どう思う貴咲?」
「………………大丈夫だけどッ、大丈夫だけども!! なんでそんな切り方してるのよッ!?」
「え? 何か変だった? あー、使い慣れない獲物だから、やっぱバレるよね。あと三回は細かく切れたよね。うーん、僕もまだまだ未熟だなぁ」
「何処がよッ!? 機械を使わず落下までの一秒未満でみじん切りをするんじゃないッ!! しかもヘタはちゃんと分けてるし!! というか何で遅れて落ちてくるのよ!!」
「え? ヘタだけ少し上に飛ばしただけど?」
キョトンとする雷蔵に、貴咲は思わず地団駄を踏んで叫んだ。
「そういう所!! そういう所が好感度下がるのよ雷蔵!! 嫌味? 嫌味なの? ええ、ええ、どうせ私はロクに剣も使えなくて美貌だけが取り柄の道具よ!!」
「切るだけしか能が無い僕とお似合いだね!」
「喜ばないでバカ! バカバカバカ!! ああもうッ、次よ次! ナスとトマトも切っちゃいなさいよ!!」
本当は一族を継ぎたかった、どうしようもなく外道で、悪い所しかない古びた家ではあるが。
貴咲は、長女として跡継ぎになりたかったのだ。
だが美貌故に、殺し屋としての素質不足故にそれは叶わず。
(ホントもう……、私が何度も嫉妬してたの、貴方は気づいているの?)
今のも雷蔵は悪意など無かったのだろう、ただ手早く済ませる為に、持ちうる力で全力を尽くしただけだ。
だからこそ、癪に障る。
これだけの力を持ちながら、彼女が望む全てを台無しにした彼が腹立たしい。
「――――はぁ、全部切れたわね? じゃあ手順通りに炒めなさいな」
「玉葱を強火で三分、その後に挽き肉とナスを二分、トマトが三分だったね」
「ルゥを加えるのはその後、ほうれん草はルゥの後よ間違えないでね」
「心配性だなぁ、書いてあるなら間違えないって」
「お米を洗う時に石鹸使おうとした人は誰でしたか?」
にっこりと問いかけると、雷蔵はうぐと唸ってすごすごと大人しく炒め始める。
手順通りに進める中、貴咲はそういえばと思いだし。
「この小さなフライパンみたいのは、何に使うかしら?」
「ああそれ? 目玉焼き専用のフライパンだって、トースターで予熱せず四分がオススメって聞いたよ」
「わざわざ目玉焼きだけの為に? ……でも便利そうね、そんな物があるなんて知らなかったわ」
「僕も初めて知ったよ、僕らは一般人の情報に疎いよねぇ……テレビとかパソコンってやっぱ必要なのかな?」
現在の不破家にはテレビもパソコンも無い、ついでに言えばスマホは雷蔵が会社から持たされている物のみだ。
「正直に言えば欲しいわ、旦那様が居ない間は暇ですから」
「じゃあさ、今度の休みにでも揃えに行こうよ!」
「その前に、外出用の服が欲しいわ雷蔵。今日じゃなくて良いから連れて行きなさい」
「なら明日、晩ご飯を外で食べる事にして出かけようか」
その言葉を聞いて、貴咲の目は輝いた。
外出が嬉しかったのではない、彼女には行ってみたい所があって。
しかし、それを言うのは躊躇われた。
(うう、言い出すなら今の内よね。雷蔵のコトだからディナーの予約とかしかねないし)
貴咲は雷蔵の愛を、執着を、その重さを理解している。
それが故に、放置していたら彼は際限なく彼女に贅沢を押しつけようとするだろう。
現に、彼女がいつも座るソファーは一千万する代物だ。
(断らないと思うけども、……ちょっとはしたないわよね、夕食には似つかわしくないと思うし、でもあの家に居たら絶対に出来ないコトだし)
そわそわとしながら目玉焼きをセッティングする彼女に、雷蔵は素直に問いかけた。
「どこか行きたい所があるのかい? 遠慮せずに行ってくれると嬉しいな」
「えっと……その、少しね、明日の夕食を外で食べるなら行きたいところがあって」
「ああ、そういえば君ってジャンクフード好きだったっけ?」
「ッ!? なんで知っているのッ!?」
「あはは、だって貴咲が高校生の頃さ、学校の行き帰りにいつも通り道にあるマックを食べたそうに見てたじゃん」
「――――ぁ」
貴咲は思わず赤面した、そういえば彼は彼女の護衛役をしていた事があった。
まさか気づかれているとは、と恨めしい目で貴咲は雷蔵を睨む。
「…………悪い、お嬢様育ちですけどジャンクフード好きで」
「いいや、何か嬉しくなってくるね。それに僕も実は行ってみたかったんだ。ほら、仕事中は用意されたゼリー飲料を飲むか、そもそも食べないし。そういう所に行く機会も無かったから」
「ほう! それは人生損してるわね旦那様? ええ、ええ、ならば私が明日の外食も指導してあげましょう!」
「それは楽しみだなぁ……っと、そろそろ出来上がるね。お皿を用意してくれるかい?」
「ふふッ、旦那様の初めての料理。しっかりと味わってあげますわ。不味かったら金輪際、台所は使わせません」
そう釘を差しながら、機嫌良く彼女は用意した。
この家に来てから初めて使う皿は、雷蔵が百円ショップで買ってきた安物であったが。
不思議と、きらきらと輝いて見えて。
「「いただきます」」
出前かスーパーの総菜しか乗らない食卓に、今日、初めて手作りの料理が乗った。
ほうれん草のドライカレー、半熟目玉焼き乗せ。
(おお……これが僕が初めて作った――、匂いヨシ! 先ずはカレーとご飯だけを)
スプーンで一口、途端、彼の頬は緩んで。
「んぐんぐ……美味しい、上手くいえないけど美味しい!!」
「辛くは無いけど、うん、ちゃんと出来てるわ。――嗚呼、美味しい」
彼女もまた、一口、一口とスプーンを運ぶ。
野菜の甘いが程良い辛みで引き出されて、とても白米と合う。
高級な物など食べ飽きるほど与えられて、舌が肥えてると思っていたのに、どうしてか普通のドライカレーが何よりも美味しく思える。
(多分……、貴方と一緒に食べてるからだわ)
美味しさに、ほう、と幸せな溜息をつきながら貴咲は雷蔵を見た。
本当は、恨みだけじゃない、怒りだけじゃない。
愛してはいないけれど、好きではないけれど、他にもあって。
(少し、ね、実は少し嬉しかったの)
女という道具として育てられ、太って脂ぎった父よりも年上の男に、薄汚い権力者に嫁ぐ運命だと諦めていた。
愛のない結婚をし、笑顔を張り付けて生きるのだと思っていた。
(――生まれて初めて、暖かい食事をしている気がすするわ)
今初めて、あの惨劇の夜から三ヶ月たった今初めて。
貴咲は全てから解放された気がした、一族の頂点に立つという叶わぬ夢から、道具として人生を消費させられる運命から。
引き替えに、妄執じみた愛に囚われてしまったけれど。
「…………悪くないわね」
「でしょ? いやー、チャレンジしてみるものだね! これからはもっと作るよ!!」
「ふふッ、バカねぇ旦那様は。ま、期待しないで待ってるわ」
「ふふん、もっと美味しいって言わせてみせるからね」
いそいそとお代わりに台所へ向かう夫の背中に、貴咲は微笑んだ。
まだ正面からの笑顔は見せない、けど、悪くないと思ってしまったのだ。
(たかが手作りの食事ひとつで……、我ながら簡単な性格してるわね)
「あ、貴咲のお皿も空だね。お代わりいる?」
「私はいいわ、残ってるなら明日の朝食べる」
「あ、それも良いねぇ。食パン買ってきてあるから……ドライカレーって乗っけて焼いても良いのかな?」
「そういうのって、普通の家庭では当たり前らしいわよ」
なるほど、と炊飯器を前に考え込む雷蔵。
そんな姿に苦笑しながら、貴咲は告げた。
「美味しかったから、今日は特別に添い寝してあげるわ。無理矢理抱いたらダメよ」
「っ!? うぇっ!? い、今なんて言ったの!? 添い寝!? 添い寝って言った!? 強引にベッドに連れ込まないと一緒に眠りもしない貴咲が!? 一緒に寝てくれるの!!」
「拒絶すると旦那様はむしろ燃え上がるでしょう、迷惑なのよ次の日に腰がダルくて。今夜は添い寝だけで我慢しなさい」
「いやっほう!! 喜んで!!」
小躍りする夫に、胸の中で甘い何かを感じながら貴咲は呆れた視線をプレゼントしたのだった。
――それから次の次の日。
つまり、マックを堪能した次の日の事である。
職場にて雷蔵がトイレからデスクに戻ると、見慣れぬ茶封筒が置かれており。
(差出人は不明、封を開けられた様子は無い。――右下にM&Jのサイン、ああ、よく潜入できたな)
ゴトー・クリーニング株式会社は、表向きは普通の清掃会社だ。
しかし雷蔵らが居るオフィスは、裏向けの人材が詰める警備も厚い部屋。
間違っても、部外者が侵入出来る場所ではなく。
(……一応、警備の見直しを言っておくかなぁ)
彼は口元をうっすらと歪めながら、中身を読むことにした。
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