ドッペルゲンガー
芹沢カモノハシ
ドッペルゲンガー
「あの、先輩!昨日はありがとうございました!」
朝、いつものように学校へ行くと、そんな風に声を掛けられた。振り向くと、そこには後輩であろう女子生徒が立っていた。
「え、あ、ああ」
俺は戸惑いながらそう返事した。その女子生徒が俺に礼を言う、心当たりはなかった。昨日は帰ってから一度も家を出ていないから、知らず知らずのうちに何かしていた、という事もない。
「昨日は先輩のおかげで助かりました!傘が無くて困っていたので…あっこれ、お返しします」
女子生徒は鞄から折り畳み傘を取り出すと、俺に手渡してきた。その傘にも見覚えはなかった。
「あの…誰かと間違えてない?」
「えっ……」
女子生徒は驚いた様子で俺の顔を見る。そのまま何度か違う角度から観察して、
「間違ってないじゃないですか~!もう、冗談はやめてくださいよ!とにかく、ありがとうございました。傘もお返ししましたし、私はこれで!」
と、俺に傘を無理やり手渡して風のように去ってしまった。俺は何が何だかわからず、ポカンと口を開けてその背中を見送ったのだった。
◆◆◆
やはりおかしい。
何がおかしいか。そんなの決まっている。あまりにも、身に覚えのない出来事が起こりすぎている。
まず教室に着くや否や、大して話もしたことのない学級委員長から礼を言われた。なんでも、昨日俺が作業を手伝ったおかげで昨日中にやらなければならない仕事が片付いたらしく、改めて礼をいいたい、と言われた。当然俺にそんな記憶はないし、そもそも俺がコイツの作業を手伝うなんてことはないだろうが、先ほどの女子生徒の件もあるし、どうせ否定しても意味はないだろうと思ったのでそのまま受け取っておいた。身に覚えのない礼を受け取るというのは、不思議な感覚だが意外と心地は悪くなかった。
それからも、担任の教師や隣のクラスの生徒に先輩や後輩、果ては用務員にまで。至る所で礼を言われ、漸く落ち着いたころにはもう放課後になっていた。
何となく教室に残って、窓の外を眺める。グラウンドでは、部活にいそしむ生徒がわらわらと走り回っていた。
今日の出来事は、いわゆるドッペルゲンガーという奴だろうか。と、そんな考えがふわりと浮かんだ。ドッペルゲンガー。自分と同じ姿をしたやつがいて、ソイツと出会ったらどちらかは死ぬ、という都市伝説の類だ。ばかばかしいとは思うが、こうまで似たようなことが続くなら、そういった超常的な事が起きている可能性も視野に入れなくてはなるまい。
と、そんなくだらないことを考えていると、後ろの方からガラガラ、と扉が開く音がした。教師だろうか、と振り向くと、そこには一人の男子生徒が立っていた。
「君、△○くんだろ」
ソイツは俺の名前を呼ぶと、すたすたと近寄ってきた。俺はソイツの顔に、何となく見覚えがある気がした。
「…お前、誰だ?」
そう問うと、ソイツはぴたりとその場に止まって、にこり、とほほ笑んだ。
「………」
何も言わない。不気味な奴だ、と思った。無視してもう帰ろうか、と思ったところで、
「今日、随分お礼を言われてたみたいだね」
「え」
「どうだった?礼を言われる気持ちはさ」
にこにこと笑ったまま、ソイツはそう聞いてきた。なぜコイツがそんなことを知っているんだろうか。コイツは、今日のことについて、何か知ってるのかもしれない。そう思った。
「…どうって、言われてもな。別に、嫌ではなかった…かもな」
「へえ。そりゃよかった。嫌だった、なんて言われたらどうしてやろうかと思ったよ」
「……お前、何だ?」
俺は、ヤツと会話をしたのを後悔した。背筋がぞくぞくする感覚。気持ちが悪い。吐き気すらしてくる。きっと、これ以上ヤツの言葉を聞いていてはダメだ。
「こっちからすれば、君の方が何なんだって言いたいよ。急に現れて、僕の居場所を奪ってさ!なんなんだよ、お前は!なんだっていうんだよ!」
突然声を荒らげ、こちらに向かって叫び散らしてくるヤツ。顔からは笑みが消え、歯をむき出しにしてこっちに憎悪を向けている。…意味が、わからない。何を言っているんだ、コイツは?
「お前はいい日だっただろうよ…お前が今日受けた感謝の数々、覚えがなかっただろ?当然だよ。だってそれは、本来僕が受け取るべきものだったんだから!」
「後輩に傘を貸したのも!委員長の作業を手伝ったのも!先生の手伝いをしたのも!全部全部僕だったんだ!なのに今日僕は、誰にも気づかれなかった!誰にもだ!」
「…全部お前のせいだ。お前さえ現れなければ、いつも通りの日常だったのに!」
そう叫ぶとヤツは急に黙って俯いたかと思うと、再び不気味な笑みを浮かべる。
「なあ、ドッペルゲンガー、って知ってるか?……お前がもしドッペルゲンガーならさあ、僕が今ここでお前を殺せば、僕は元の生活に戻れるよなあ…なあ!」
そう言って右手に隠し持っていたハサミをこちらに向け、そのまま俺に向かって走って来る。そうして、ハサミの刃が俺の首に到達する───────
「ガ…ぁ……」
「お前が死ね」
───────その前に、ナイフをヤツの喉に突き刺した。
溢れ出る血液と、急速に温度を失う、ヤツの身体。俺は刺さったままのナイフを抜いて、そのまま立ち去った。血がついて水音の鳴る自分の足音が、どこか遠く聞こえた。
◆◆◆
翌日、教室に行ってみると、そこには普段通りの日常があった。騒がしい生徒、眠そうに入ってくる担任、陽の光、窓から吹いてくる風。全てがいつも通りだった。昨日血の海があった場所には、どこにも痕跡などありはしなかった。
ドッペルゲンガーにであった人間は、死ぬ。そうならば、そいつが死んだ後、ドッペルゲンガーはどうするのだろうか。
ふっ、と笑って、窓の外を眺める。今日は、まだ始まったばかりだ。
ドッペルゲンガー 芹沢カモノハシ @snow_rabbit
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