第6話 大城大介

「華乃、これから、ばあちゃんの見舞いだろ? これ、お袋が持ってけって。お前が食うもんとかも入ってっから」

 六限目終了、放課後の始まり。それは野球部の俺にとって地獄の始まりでもあるわけだが、精神的な面では、幼なじみのこいつの方が俺なんかよりもよっぽど辛い時間のはずだ。

「……いつも悪いね。まぁ、もうそう長くは続かないと思うから」

「……そんなん言うなよ」

 俺から巾着を受け取り、その金髪ギャルは「そういや大介の顔も久しぶりに見たいって言ってたっけ。ま、無理しないでいいけど」と微苦笑する。

 そんなの毎日だって見せに行きたいに決まってる。一か月も会わなければ、男子高校生はこんなにデカくなれるんだぜ? ばあちゃんのあの、驚いて笑う顔が見たい。

 それに、もっとこいつの傍にいてやりたい気持ちだってある。たった一人の家族であるばあちゃんの先が長くないと言うのだ。いつ潰れたっておかしくない。

 周りはこいつのことを気の強くて一匹狼のギャルみたいに見てるけど、俺は知ってる。こいつの繊細さを。優しさ故の弱さを。俺だけはわかってやれるんだ。

「やっぱ行くわ、俺も。十一月に野球部が張り切ったってしょうがねぇ」

「何言ってんだか。あたしらなんかより、ずっとあんたを必要としてる人たちがいるっしょ。エースで四番でキャプテンさん」

 そう言い残して、華乃は一人、教室から去っていく。

 ……最近は二番打者最強論ってのが一般的なんだぜ?



「大介君。ちょっといいですか」

 その女に話しかけられたのは、人気のない昇降口。

 華乃のことばかり考えていたせいか机に置き忘れてしまったプロテインシェイカーを、練習の合い間を見計らって取りに戻るところだった。

「あ、美野原……お、お疲れさまです……」

「は? 何ですか、それ。別に疲れてなんてないんですけど。ていうか何で同い年に敬語なんですか?」

 お前だって敬語だろーが。

 (たぶん)市内で一番可愛いと評判らしい、この美野原美琴という女と俺に、特別な関わり合いはない。それなのに、こちらは頭が上がらない。こいつの父親にはお世話になりまくっているからだ。主に金銭面で。

 美野原先輩(本人がこう呼ばれたがる)は、うちの野球部OBであり、一番の支援者だ。歴史の浅いうちにとって、大口支援者一人の価値はあまりにも大きい。甲子園を目指すためにも、家族含めてペコペコしておくに限る。

「あ、すみませんでした。では、俺はこれで」

「待ちなさい。この私が用もなく棒振りゴリラに話しかけるとでも思ったのですか」

「え、でも飲みかけのプロテインが……秋とはいえあまり衛生上よくないと……」

「プロテインぐらい新しいものをいくらでもパパが寄付します。まぁ、あなたが私の言うことを聞けば、ですけど」

「は……?」

 美野原は心底不快そうに顔をしかめながら、俺にその白い人差し指をビシッと向けて、

「大城大介君。あなたを、私の偽装許嫁に任命します。拒否権はありません」

「…………ぎ、ぎそう? いいなづけ? 木草ぎそう飯菜漬いいなづけ? ……漬物か何かだっけ、それ」

 一つ一つの単語の意味はわかるのに二つ合わさるとまるで意味がわからない。

「違います。偽装許嫁です。これからしばらくの間、あなたに私の許嫁役を演じてもらうということです。もちろん偽ですよ? ただの演技です。実際のあなたはパパの下僕でしかない、ほぼほぼ赤の他人だということをお忘れなく。許嫁を演じている内に私を好きになってしまうとかいう展開は本当に迷惑なのでやめてくださいね」

 何言ってんだこいつ。いやマジで。

「……とりあえず言葉の意味はわかったけど意味以外は全部わからん。まず何が目的でそんなことする必要があるのか不明すぎるし、何で俺がやらなきゃいけないのか……」

「先に後者の質問にお答えしますと、あなたが一番従えやすそうだったからです。調べました。親しい知人が少ないというのも偽装工作には都合が良いんです。あと、変な勘違いもしなそうですし。……分かりますよね? この命令に背いたら野球部への支援を即刻打ち切るということです。パパに確認してもらって構いません。ていうかしてください」

「マジかよ……」

 いや、そこは何となく察してはいたが。でも先輩だって元々、純粋に野球部を愛しているからこそ支援してくれているはずなのだ。にもかかわらず、それを取引条件にまで持ち出してしまうなんて、つまりは、

「それほど重大な目的があるってことなのか……? その偽装許嫁とやらに……」

「うーん、目的に関しては……そうですね、本当は私と彼だけが共有する秘密に留めておきたかったのですが、作戦上、あなたに知られてしまうのも時間の問題です。教えて差し上げましょう。私と幸平ゆきひら幸人ゆきと君がお付き合いし始めたのはもちろん知っていますよね?」

「え? あーそういえばそんなこと聞いた気がする……」

 何か隣の席の海野が一日中呻いてた。

「あれは実は偽装なのです。偽装カップルなのです、私と幸人君は本当は付き合っておりません。付き合っているふりをしているだけです」

「目的を聞いたのにさらに目的が不明な目的を出すな……!」

 もはや意味不明のマトリョーシカだ。

「は? もしかして偽装カップルをする目的を聞いているのですか、あなたは。そんなの決まっているじゃないですか。偽装カップルは最高だからですよ。それこそが青春の、そして恋愛のあるべき姿だからです。人はなぜ人を愛するのかと聞いているようなものですよ、あなたの疑問は。生きているから。生きているから最高の幸せを目指す、それだけです」

「やばい。ガチで頭おかしい女に目ぇつけられた。逃げなきゃ」

 支援については絶対打ち切られるわけにいかないが、とりあえずそれは後回しだ。何よりもまず身の安全を確保しないと……!

「ちょっと待ってください」

「ひっ」

 走り去ろうとするも、肩を掴まれ阻まれる。とんでもなく強力な力で。は? 俺は185センチ90キロだぞ? 何で動けない? その細腕のどこにそんな力が……

「大介君。あなたもしかして、偽装カップルのことを、馬鹿にしている? 胸の内で嘲り笑ってる? それとも、私のことを馬鹿にしているのかしら」

「い、いやいやいやいや! 美野原のことは馬鹿になんてしてないぞ!? ヤバいと思っただけで……むしろ頭が良すぎるんじゃないか? だって偽装カップルとかマジで意味わからんし、何か考えすぎてイカレた思想に行きついちゃってるんだって! だって常識的に考えて偽装カップルなんか――」

「ぶっっっ殺すぞテメぇえええええええええ!!」

「ええー……」

 瞳孔をギンッギンにまっ開いて詰め寄ってくる美野原。本気だ。本気で人を殺せる奴の目だ……あまりの迫力に膝がガクガク震えてくる。

「分かりましたか? 私のことは馬鹿にしてもいいですが偽装カップルを少しでも見下したら命はないと思ってください」

「は、はい」

 コホンと咳ばらいを一つ挟んで、やにわに清楚な笑顔になる美野原様。逆にこわい。

「敬語はいりません。あなたには私より上の立場の人間を演じてもらいますので」

「う、うん」

 あ、何か勢いでつい了承しちまった……。まぁどちらにせよ、支援を人質に取られた時点で、時間の問題だったか……。

「それでですね、幸人君と偽装カップルになるための偽装目的というのが、『親に決められた許嫁を解消するため』というものだったわけです。分かるでしょう? 定番ですもんね」

「あ、うん」

 やべぇ、一ミリもわかんねぇ。どんだけ偽装に偽装を重ねるんだよ、こいつは。

「というわけで大介君は今日から、栃木県北部のとある地主で旧家の次男ということになりますので」

「は?」

「私に許嫁を強要する側ということになりますから。そうですね、この町には、私との交流兼、野球留学のため来ているということにしましょう。みすぼらしい家を見られたりしたら言い訳が面倒くさいので、あなたも野球部の寮に入ってください。諸々の費用はこちらが持ちますので」

 前半は何言ってんのかわからなかったが、後半の要求内容についてはさすがに理解した。理解した上で無理だ。

「普通にバレるだろ、それ……確かに同じ中学出身は華乃だけだが、野球部にはリトルシニア時代からチームメイトだったり対戦相手だった奴もいるわけで……」

「なら何も問題ないじゃないですか。野球部なら黙らせられます。あの白ギャル幼なじみと野球部関係以外で、あなたに興味を持つ人間なんていないですよね」

「……確かに」

「まぁ至高の偽装カップルとは違って偽装許嫁の方はただの手段ですからね。最悪、幸人君さえ騙せていればいいんです。ただ、その役割を成り立たせるためには、周りも騙せていないと齟齬が生まれてしまったりしそうなので。と言ってもせいぜい校内だけで充分ですよ、今のところは」

「…………はい、いや、うん……」

 むちゃくちゃだ。この町にこんな頭のおかしい女がいたなんて……。

 まぁでも考えてもしょうがねーか……考えてもほとんど意味わからんし……事故にあったと思うしかねぇ。それに、許嫁って親が勝手に決めたもんなんだろ? 別に俺が学校でこの女と関わらなきゃいけない場面とか特に起こりえないよな。こいつがその幸人って男に「彼が許嫁です。直接的な関わりは結婚するまで持たないつもりですけれど」とか言っておいてくれりゃあ、それで済む話だ。

 よし、忘れよう。とりあえず寮に入るだけで俺の役目は終わり。極力この件には関わらない。

 これまで通り、華乃と野球のことだけに集中していこう。

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