第5話 美琴パパ

「好きだ……大好きだよ、美琴さん……許嫁なんかに君を渡してたまるか……!」

「あっ……あっ……アッ……ァッ……」

 俺は一体何を見せられているのだ……。

 真っ平日の午前中。自宅のリビングにて。父親である私と向き合う娘・美琴は、隣に座る『彼氏』に肩を抱かれて涎を垂らしていた。目の焦点をあらぬ方向にズラしまくっている。端的に言うと実の親にイキ顔を晒していた。

 何なのだ、これは……。

「あ、あのぉ、美琴?」

「あぅ……あぅ……」

「……は、イッちゃってるからアレとして。幸人君、だっけ。これは一体何のつもりで……俺、急に娘に呼び出されて仕事放っぽり出してきたんだが……」

「何のつもりって、決まっているじゃないですか、お義父さん! 昨晩もお電話でお伝えした通り、美琴さんとお付き合いしているのは僕です! 彼女の許嫁は取り消してもらいます!」

 その細身で誠実そうな青年は、一切臆することなくハキハキと主張してきた。そんなに詰め寄られても、こっちはドン引きすることしかできないのだが。

「いや、うん……だから前向きに検討すると昨日も伝えたじゃないか」

 本当は検討なんてすっ飛ばして今すぐにでも許嫁なんてなかったことにしたいのだが、美琴がそれではダメだと言うのだ。完全解消までしてしまっては『偽装カップル』も解消されてしまうからと。困難がなければ偽装カップルイベントが生まれないからと。

 いや偽装カップルって何だよぉおおおおおおおおおおお!! 許嫁なんていないだろお前えええええええええええええええ!!

 ちくしょう、あんなに甘やかされてきた娘が何故か誕生日&クリスマスプレゼントを十年分も保留していると思ったら……全てはこの日のためだったのか。十年分を一気に解放して、私と妻に無茶な要求を呑ませるつもりだったのだ。

 すなわち、許嫁を強要する親を演じてくれ、と。偽装彼氏の幸人君だけ騙せればいいから、と。

 いや何なんだそれは……。お前めちゃくちゃ可愛いんだから好きな男くらいストレートで打ち取れよ……。ボールに傷つけて反則魔球投げてるようなもんだぞ……。最終的な試合の勝利よりも目の前の三振とる快感に酔いしれてるだけのやつだ、それは。

「検討だって!? ふざけないでください! そもそもこの時代に許嫁なんて……確かに僕にはお金持ちのしきたりなんてわかりません。でも美琴さんの気持ちはわかります! それはお義父さんも同じはずです! 理不尽な因習に、大切な娘さんを縛り付けるおつもりですか!」

 因習って何だ! 娘から何聞いたのか知らんけど、たぶん君がイメージしてるの旧家的なやつのそれだろ! 俺は高卒からスタートアップ起業で成り上がったタイプの成金だよ! 俺自身が六本木のラウンジ嬢とデキ婚なんだ! そんなしきたり知らん!

 そんな私の心の声を無視して、幸人君とやらはヒートアップしてくる。娘はイっちゃったままである。

「それに、僕が美琴さんの彼氏だということを疑っているみたいじゃないですか! 僕は正真正銘、美琴さんの恋人なのに! こんなにイチャイチャしているというのに! ほら、どうですか!? 信じられないというなら、今ここで口づけでもしてみせましょうか!?」

 あ、やばいこいつ。クーデター主導した青年将校と同じ目してる。自分の中の正義を絶対曲げない奴だ。そのためには手段選ばない男だ。こわい。そして娘はそんなヤバ男にキスされそうになって「ふぇ……!?」とか漏らしてやがる。

「いやいや疑ってなんかいないよ……」

「じゃあ何で僕たちのことを認めてくれないんですか!?」

「ひぃ……!」

 と、私が呻き声を漏らしてしまったのは、幸人君がテーブルに拳を叩きつけたから、ではなく。娘がめっちゃ怖い目で睨みつけてきたからだ。

 あ、そうか……疑い持ってることにしないとダメという話だったんだっけ。周りからの疑いを晴らすためにイチャイチャしまくるという状況を作りたいらしい。何だそれ意味わからん。

「ま、まぁつまり疑ってないというか疑ってるというか……そ、そうだ、そもそも相手方のこともあるからね……どちらにせよ今すぐどうのってことには出来ないわけだよ、うん。だから今日のところは一旦帰ってくれる? あ、いや、俺が出てっていい? あとは二人でご自由にどうぞ」

 とりあえず尤もそうな言い訳を残して、この場から逃げ出すことにした。ていうかもう、これしかないだろ。娘の要望を最大限に叶えるためには、とにかくこの問題を先延ばしにし続けるのが最適なわけで。俺の方も深くは関わりたくないわけで。「相手方が~」という曖昧な理由で話をなぁなぁにしていくのが一番いいと思う。

「…………っ、そうか、なるほど、そういうことか……!」

「は?」

 私の適当な言い訳に、何故か青年はハッとした顔を作り出す。青年将校が世の真理に気付いてしまった時の顔だ。やばい、そろそろ何かしでかすぞ、こいつ。

「この話のイニシアチブを握っているのは相手方ということですね! 妙だと思ったんだ、家にもお義父さんにも旧家っぽさがなかったから! 力を持った相手に実質的に強要されているというわけだ!」

「……うん、まぁ、それでいいや」

 娘もその方向でオーケーだと頷いているのでそういうことにしておいた。まぁそっちの方が俺が演じなきゃいけない場面も減りそうだしいっか。黒幕を架空の旧家に押し付けておけば済むってことだもんな。

「許せない……! ここまで美琴さんの意思を蔑ろにした契約だったとは……! そんな結婚はこの僕が絶対潰してみせる! 会わせてください、その許嫁の男に!!」

「「は……?」」

 娘と仲良く声を合わせてしまった。いやお前も想定してなかったのかよ、この展開。どうすんだ、これ……。パパ、知らないからな。

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