第7話 大城大介 その2
しかし余計な時間を食っちまった。お見舞いを我慢してまで練習出てるってのに、これじゃサボりと変わらん。
美野原との密談を打ち切った俺はプロテインシェイカーをとるために教室へと戻り、
「ん……?」
プロテインが、ない。いや、あるっちゃあるのだが。
俺の席に置いてあるはずの飲みかけプロテインは、何故か飲み干された状態で前の席、つまり華乃の机に置いてあった。
「…………」
つまり、そういうことか。華乃が飲んだってことか。あいつも何か忘れ物をして戻ってきたら、俺の机に飲みかけのプロテインがあったからそれで喉の渇きを潤していったわけだ。うん、普通にあり得るな。俺たちは互いのものを勝手に貸し借りくらいするし、あいつのもったいない精神からすれば、いつまで常温で放置され続けるかもわからないプロテインを無駄にしないため、自分が消費してやろうと考えたとしてもおかしくない。
「なるほど、華乃が……」
え、いいよな、別に。だって元はと言えば向こうが先に間接キスしてきたわけだし。俺がこれを洗わずに再利用することに何の問題が?
「華乃……」
――ずっと好きだった、あいつのことが。家族思いでひたむきで、どんな境遇にいたって言い訳をしない、真っすぐな奴。だからこそ心配だ。あいつがどんなに家族を大切にしても、それに応えてくれる人は、ばあちゃんしかいない。そして、そんなばあちゃんも……。
一人で頑張り続けられる奴なんていないんだ。人間はそんなに強くねぇ。誰かが支えてやらなきゃいけない。俺が、支えたい。
あいつの傍に、居てやりてぇ。
「華乃……っ」
シェイカーにそっと口をつける。傾ければ、つーっと奥の方から水滴が流れてきて、乾いた口内に到達する。ほんの一滴の水分で、一気に全身が充たされてしまう。
「……ノンフレーバーのはずなのに……甘酸っぱいぜ……」
「見ーっちゃったぁ、見ーっちゃったぁ……華ー乃ちゃんにぃ言っちゃぁおー……」
「…………っ!?」
病院のある方角を眺めていた、その時だった。呪詛めいた童歌が聞こえてきた方を振り返ると、教卓の下から黒髪の女が這い出てきていた。
「ひぃ……!? おばけ……!」
「いーっけないんだぁ、いけないんだぁ……変態行為は通報だぁ……」
「…………っ」
瞬きゼロの両目、唇から垂れる血液、フラフラとした足取り、ねっとりとした歌声――全てが怖すぎるが、それ以上に引っかかった点がある。
「へ、変態……? 何のことだ……?」
「大城君はー、ストーカー……♪ 華ー乃ちゃんのぉ、ストーカー……♪」
「は……はぁ!? てかお前、よく見たら……海野じゃねーか! 何してんだ、こんな時間に一人でそんなとこ!? 帰宅部だったろ、確か!」
聞き捨てならない言葉で我に返ってみれば、そのお化けの正体は、隣の席のクラスメイト海野海那だった。
「……いや、何で一目で気づかないのよ、クラスメイトに……」
「あまりに怖すぎるからだろ! 極限状態に陥った人間の顔してんだもん!」
「こっちの方が怖いわよ。ただでさえ人見知りなのに、こんな筋肉ゴリラ相手に……しかもデカいだけじゃなく変態さんだったなんて……」
「そ、そうだっ、何だよそれ、さっきから、変態とかストーカーとか……俺のことを言ってんのか!?」
この俺が、変態? ストーカー? 何言ってんだ、そんなわけねーだろ。俺はストーカーみてぇな陰湿野郎が一番許せねーんだ。俺の対極にいる存在だとも言える。
「ちょ、怖い顔で大きい声出さないでよ、ビクッてなっちゃうじゃない……まぁ、いいわ。これを見て」
海野はおどおどしながらも、こちらにスマホを差し出してくる。その画面に映し出された動画内容は――
『華乃……』
夕日の差し込む教室で、図体の大きな坊主頭が華乃の机をねっとりと撫でる。
『華乃……っ』
そして、華乃が使ったであろうシェイカーを舐め回すように咥え込み、必死の形相で喉をゴクゴクと鳴らし、
『……ノンフレーバーのはずなのに……甘酸っぱいぜ……げへへへ……』
頬を染め、ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべていた。舌舐めずりしながら遠い目をしていた。
うん。
「――なんっっっだ、このド変態坊主はああああっ!? 華乃のストーカーじゃねぇかあああああああぁっ!? ぶっっっ殺してやるっっっ!!」
「あなたよ」
「え」
「どう見てもあなたじゃない。この動画に映っているド変態は」
そうだった。どう見ても俺だった。だって久々に見たから自分の姿……どんどん大きくなってるから……いや、うん。違う。自分がこんな変態行為を働いていたなんて思わなかった。脳内で勝手に美化してた。俺、華乃のド変態ストーカーだった。
「そん、な……」
「しかも華乃ちゃんはあなたのプロテインなんて飲んでいないからね。衛生上問題があると思ってわたしが処分してあげたのだけれど、間違えて彼女の机の上に戻してしまったみたいね」
膝から崩れ落ちた俺を見下ろして、淡々と。絶対嘘だ。わざとだ。
「じゃあ何で教卓の下に隠れて動画撮ってんだよ……」
「いや、うん。そうね、賭けに勝ってしまったわ……普段からあなたが前の席の華乃ちゃんをいやらしい目で見ているのに気づいていたから……あれもしかしてブラ紐とか見ようとしてる?」
「やめてくれ! 俺はその、あれなんだ、『またこいつ疲れてやがるな……俺しか気づいてやれないだろうけど、背中が助けを求めてるぜ……俺が支えてやらなきゃ……』って決意してるだけなんだ……!」
「あなたの一人称視点が信用できないことはよく分かったわ。でも、良いわね。わたしが見込んだ通り。やっぱり大城くんには才能があるわ」
「才、能……? 何のだ……?」
「その前に、大城くん、わたしのお願いを断れない状況にあることは理解しているわよね? 逆らったら、大好きな白ギャル幼なじみちゃんのこと支えられなくなっちゃうわよ?」
スマホを掲げ見せてくる海野。こうなっては、どんな要求にも従うしかない。
「って言っても、俺が海野にしてやれることなんて何もねぇと思うが……」
金か? いや俺金なんてもってねーし……あ、でも今日から実家金持ち設定で学校生活送んなきゃいけないんだったっけ……うーん、ならもういっそ美野原に土下座でもして工面してもらうかな……言ってみればあいつは、俺が許嫁を演じていくためなら金は出してくれるってことだもんな……華乃に嫌われたら俺学校来られなくなっちゃうし……うん、これは命令遂行のための必要経費だ。
よし、金なら何とかなる! さっさと要求して終わりにしてくれ! 速やかに払うから早く動画消してくれ!
「じゃあ、お願いね。大城くん、今日からわたしの、偽装ストーカーになってください」
「……………………頭が……………………」
「は? 頭?」
「頭が……おかしい女しかいないのか、この町には……!」
「あなたには言われたくないんだけれど」
何なんだマジで……偽装ストーカーって何だそれ!? そんな言葉ある!?
「まぁとにかく大城くんにはわたしのストーカーのフリをしてもらうわ。これ以上ない適役だと思うのよね。だって、わたし、実際にあなたのこと怖いんだもの。こうやって話しているだけでもビクビクを抑えるの大変なんだから。きっとお互い、リアルな演技ができると思うのよね」
「いや……まずは、目的を説明してくれ……」
「目的? そうね、知ってもらっていた方が、ストーカー演技中にも、いろいろ機転を利かせやすくなりそうだものね。実は、わたしと幸人は偽装カップルなの」
「帰っていいか? 練習があるんだ」
「ダメよ。……いや、わたしだって偽装カップルとか相当変なことしている自覚はあるからね……? でもまぁ、とりあえずは偽装カップルとして何とかやっていけそうだったの。それなのに、ついさっき、ある問題に突き当たってしまって……」
そうして海野は一時間ほど前の出来事を語り始めるのだった。いや偽装カップルって何なんだよマジでええええええええええ!! この町の風土病か何かなの!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます