サイカイシンドローム

西野ゆう

第1話

 モーターの補助があっても、この上り坂はきつい。

 中学の時も自転車で通っていたが、当時は自転車を降りて押すしかった。

 僕はふと当時の通りに行動したくなり、自転車を降りて押した。押すにはバッテリーが付いている分重い。ようやく小高い丘の頂上に着き、足を止めた。大きく息を吸い込む。

 肺一杯に貯めた冷たい空気を一気に吐くと、背中から射している朝日に反射して、白い息が一粒一粒輝いて見えた。

 周囲は畑に囲まれ、風をさえぎるものは何もない。

 北西から冷たい風が吹きつける。

 潮風が丘を登り、茹で干し大根の香りを乗せて僕の周りを踊った。

 吹き続ける風が、上り坂で熱を持った身体を一気に冷却する。


 数ヶ月前、フェイスブックを開いた時、彼女の名前が画面に現れた。彼女とは中学卒業以来会っていない。

 彼女の名前を見た瞬間、僕は中学卒業間際に彼女と交わした他愛もない話を思い出した。

「隣のお爺さんがさ、あの子は最近遊びに来んな、とか、いつ遊びに来るんだ、とか、私の顔見るたびに言ってくるんだよね」

「それって僕のことなの?」

「じゃなかったら、君に話さないって」

 そりゃあそうか。

 でも、彼女の家に遊びに行っていたのは、中一の秋ぐらいまでだ。

「それがね、どうも君に言いたいことがあるみたいでさ。その言いたい事っていうのが……」

 そこでチャイムが鳴って、隣のクラスだった彼女は退散。

 話の続きを聞き損ねて十五年。

 なぜ今頃思い出したのか。

 思い出したらどうにも気になって、実際にこの町に帰ってきたくなった。

 僕はすぐさま彼女に「久しぶり」とメッセージを送り、あの時の話を覚えているか聞いてみた。その彼女からの返信はテキストメッセージではなく、音声通話だった。

「再開するにあたって、西海中で再会してからってのはどう?」

その言葉を口頭で聞いていても、不思議と僕の頭の中で誤変換は起きなかった。

 再開するのは、中断したトコから始めないと再開にならない。

 だったら、再会するのも、別れた場所からじゃないと再会にならないのかも知れない。


 そして僕は次の正月休みで実家に帰り、当時通った道を当時と同じように自転車に乗って学校へ向かっている。

 休ませていた両足を再びペダルにかけ、風に向かって漕ぎ出した。


 学校に着き職員室を覗くと、仕事納めで机上の整理をしている先生たちが、わいわいしゃべりながら作業をしている。

 その中の一人が、「ヤッホー」と右手を振った。

「西海中で再会中だね」

 僕の呆れた顔を無視して、彼女は僕を教室に案内した。

 教室の扉を開けて中に入ると、一瞬で当時のいろいろな記憶がなだれ込んできた。

 腹を立てたこと。

 馬鹿笑いしたこと。

 羞恥に顔が燃え上ったこと。

 切なかったこと。

 そんな僕の状態を見透かしているのか、彼女は先に椅子に座って、じっと待っていた。

「懐かしいよね、そりゃ。私も初任で来た時は緊張より懐かしさが勝っていたよ」

 彼女は教員になって、まずこの学校に来て、そのあと二つの学校を経て、またここに戻ってきたらしい。

 仕事中の彼女の時間を多く奪ってしまうわけにもいかないので、僕は早速本題に入った。

「で、例の話の続きなんだけど……。いや、その前に、その爺さんってまだ……」

 どう聞いていいのか躊躇っていると、すぐに察した彼女は答えてくれた。

「元気でまだ畑いじってるよ。まぁ、まだ八十前だし」

 そうか。

 年寄りだと思っていたけど、当時まだ六十歳程度だったんだな。

 中学生からしてみたら、六十歳も八十歳もあまり変わらなかったのかもな。

 だったら……。

「それだったら、会いに行った方が手っ取り早いんじゃないの?」

 僕の言葉に彼女は何やら大げさにがっかりした仕草をして見せた。

「それじゃあ面白くないし」

 あまりにも予想通りの答えに、一番変わってないのはコイツなんじゃないかと思った。

「わかったよ。それじゃあ、続き。話してくださいな」

 その必要はないだろうに、彼女は背筋を正し、拳を口の前にやって、一つ二つ咳ばらいをした。

「えっとですねえ。隣のお爺さんは、畑の石垣の間に埋まっていた……」

 彼女が話し出してすぐに教室を覗き込んだ若い男性の教員が彼女に呼びかけた。

「先生、すいませんお電話なんですが。例の生徒が見つかったみたいで」

「はい、すぐ行きます。……昨日ね、私のクラスのバカが一人家出してさ。ゴメン、すぐ戻るから」

 そう言って立ち上がった彼女を僕は呼び止めた。

「いやいいよ。これ以上仕事の邪魔しちゃ悪いし。それに、なんかわかったから」

 僕の言葉に何か言いかけた彼女だったが、「そう」と一言笑って答えた。

「今晩また『サイカイ』しようね」

 そう言って彼女は職員室へ戻っていった。


 校舎を出て、自転車にまたがると『卒業記念樹』の立札が目に留まった。

 僕たちの年度だ。

 自分たちが「これがいい」と選んだ記憶も、ここに卒業生が植えたという話も聞いたことはないが、今では見上げる大きさに育っている記念樹を見て、誇らしく思えた。

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