野良猫 キョウジは街を闊歩する

 今日も漁港を闊歩かっぽしていると、数人の釣り人が魚をくれた。生まれての方、食料に困った事はない。本当は飼い猫としてぬくぬくと過ごしたかったが、気ままな野良猫暮らしも悪くない。


 人間だった頃は、人生に疲れきっていた。大学進学を機に田舎から出てきた俺にとって、あの街は異世界そのもの。初めの頃は毎日が驚きの連続だった。


 けれど、数年もして慣れてしまえば、正にコンクリートジャングル。なんとか就職した会社は所謂いわゆるブラック企業で、毎日が地獄の日々。自殺しようという気力も起きない。段々と思考能力が失われていく。そんな真夏のある日、俺は道路で倒れた。過労だ。そしてそのまま、死んでしまった。享年28歳。


 ……気付くと、この島で野良猫として転生していた。


 猫かよ!と神様を恨んだが、しばらくすると感謝することになる。


 俺が住んでいるのは、どうやら有人離島のようで「あだん島」というらしかった。のんびりとした雰囲気が島中に流れていて、気候も良い。食料に困ることもなければ、天敵なども居ない。えて一つ、文句を言うなら……


「あーーーー!!キョウジ!!」

 この女。


「キョウジ!今日こそは捕まえてみせるんだからね!」

 女はもう直ぐ中学校に上がる子で、名前はサイトウミヨコというらしい。何故か俺を捕まえたいらしくて、毎回、俺を見つける度に追ってくる。鬱陶しい。


 ドタドタと足音をさせて近寄ってくるサイトウミヨコを背に、俺は家と家の間の狭い路地に体を差し込んだ。このスペースに入ってこれる人間など居ない。


「また逃げられた……」

 チラリ、とサイトウミヨコの方を振り返ると、うつむいて落ち込んでいる。なんでこの女は、そんなに俺を捕まえたいんだろうか?と思って、暫くサイトウミヨコの方を向いて観察した。赤いランドセルは年季が入っていてボロボロ。ところどころ、爪痕のような傷も見える。


 まあ、なんでもいい。俺には関係ない。

 俺は軽く欠伸あくびをして、歩き始めた。





 次の日、俺は島中にピリピリとした雰囲気が流れているのを感じた。何かあったのかと思って、街を歩きながら耳を傾ける。


「おい、お前リゾートホテルの件、聞いたか?」

「ああ、遂にこの島も開発されてしまうんだな……」

「反対の署名をつのってるらしいぞ」

「俺も署名するよ」

 どうやらリゾート開発の会社が島にやってくるようだ。島中の人々が動揺している。中には賛成だと言う人も居るようで、混乱を極めていた。


 俺には関係ない。そんな口癖を心の中で呟いて、いつもの様に漁港に向かう。腹が減った。


 数分ほど歩くと、いつも魚をくれる釣り人達の居る漁港に着く。ニャーと声を出すと、釣り人の何人かが小魚をくれた。それをガツガツと口にしていると、釣り人の一人がタバコに火を点けながらぼやき始めた。


「リゾートホテルねえ」

 もう一人の釣り人も、タバコに火を点けながら話し始める。


「お前んとこの釣り船屋は儲かるんじゃないか?」

「まあな。でも田中さんとこの宿は被害甚大だろうな」

「なんて会社だっけ?トラブル?」

「トライアだよ。有名企業だぞ」

 トライア!?このおっさん、今、トライアって言ったか?


 トライアは俺が勤めていた会社だ。悪い印象しかない。強引な経営や非合法スレスレの営業。働いている人の笑顔を、俺は見たことがない。俺は、トライアに殺されたと言っても過言ではないのだ。


 なんとかして、トライアのリゾート開発を邪魔したい。


 しかし、一人の人間としても難しいのに、今はただの野良猫。どう考えても、そんなことは不可能だ。俺は落胆しながら、その場を後にした。


「あ!キョウジ!」

 トボトボと漁港から、いつもの寝床の神社まで歩いていると、サイトウミヨコに会った。笑顔で駆け寄ってくる。それをひょいとかわして、俺は道路の反対側まで移動した。サイトウミヨコは構わず、俺を追ってくる。


 振り返って、サイトウミヨコの様子を見ながら、少しスピードを上げた。


「キョウジ!危ない!」

 突然、サイトウミヨコが叫ぶ。前を向くと白い乗用車が目の前に迫っていた。このままだとぶつかる。また死ぬのか、と思って思いっきり目をつむった。キーッとブレーキの音がする。


 ……数秒して目を開けると、サイトウミヨコが俺を抱きかかえて、道路の脇に倒れこんでいた。思わず、ニャー!と何度も鳴き声を上げる。大丈夫か?どうか死なないでくれ。


 そんな俺の願いが届いたのか、サイトウミヨコは俺を抱きかかえたまま立ち上がった。ほっとして、全身の力が抜ける。慌てて車から一人の男が出てきて、お嬢ちゃん大丈夫かい?と声を掛けてきた。


 トライア営業部長の渡辺だ。何度も見た顔。


 思わず、威嚇してウーっと鳴き声を上げた。渡辺は、そんな俺には目もくれずに、サイトウミヨコに駆け寄る。


「怪我はないかい?」

「うん」

「よかった。念の為に救急車を呼ぼう」

 渡辺は携帯で緊急車両を呼んでいるようだ。


「キョウジ……キョウジは大丈夫?」

「にゃー」

 俺は大丈夫だ、とサイトウミヨコにアピールした。


「そう……よかった」

 安堵からか、サイトウミヨコはヘタヘタと座り込んでしまう。俺は感謝の念を込めて、サイトウミヨコの頬を何度か舐めた。





 それから俺はサイトウミヨコに飼われる事になった。どうやらサイトウミヨコは、数か月前に飼っていた猫を亡くしたらしく、背格好の似ている俺をどうしても飼いたくなったんだそうだ。それであんなに俺の事を捕まえようとしてきたのか。


 ランドセルにある傷は、前に飼われていた猫の引っ掻き傷らしい。キョウジというのは、その前に飼っていた猫……キョウイチの弟だからだそうだ。俺のきままな野良猫生活は終わりを告げた。トライアの件は気になるが、どうしようもないというのが、今の気持ちだ。


「じゃあ、キョウジ、私、学校に行ってくるね!」

 玄関でサイトウミヨコを見送って、俺は縁側に移動した。日向ぼっこでもして、ゆっくり休もう。うつらうつらと船を漕いでいると、インターフォンの音が鳴った。


 サイトウミヨコの母が来客の対応をしているようだ。気になって、玄関の方に向かうと、渡辺が手土産をサイトウミヨコの母親に渡しているところだった。


「この度は本当に申し訳ございませんでした」

「いえ、ウチの子が飛び出したのが悪いですし」

 渡辺は何度か頭を下げて、その場を去った。


 あんな真摯な姿勢を、少しでも社員に見せていれば、俺の人生も変わってたかもしれないのにな。


「まあ、いいや。俺にはもう関係ない」

 俺はボソっといつもの口癖を呟いて、サイトウミヨコの母親に背を向けた。すると、サイトウミヨコの母親は少しトーンを下げて言った。








 俺は驚いて、思わずニャーっと鳴いた。

 まさか、俺の言葉が分かるのか?


「うふふ。実は、私、猫から生まれ変わって人間になったの。あなたの言葉がわかるのは、それが理由。ところで」

 サイトウミヨコの母親は、俺にグイッと顔を近づけた。


「詳しく話、聞かせてくれるかしら?」

 俺は覚悟を決めた。







「なるほど。つまりトライアが非合法な手段で土地を手に入れたと?」

「ああ……俺はそう睨んでる。トライアは反社との繋がりも深かった。特に渡辺は反社と会社の繋ぎ役として有名だった」

「う~ん。もしそうだったとしたら、大変なことになるわね」

 サイトウミヨコの母親は、逡巡しゅんじゅんして頭を掻いた。


「なんとかして、トライアの開発を止めないとね」

 サイトウミヨコの母親は、そう言って天井を見上げた。


 これからどうなるのか。そんな不安を抱えながら、俺はニャーと鳴き声を上げた。







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