第2話 第1次クレタ島論争。

騎士と言う言葉は古代ローマで誕生した。

古代ローマで一部の金持ちが馬に跨り、着飾ってローマ市内を闊歩した。

古代ローマ人は侮蔑するように彼らをこう呼んだ。

彼らは”騎士”である。


我らは”騎士”である。


1469年10月28日


聖ヨハネ騎士団にとっての重大な決断であり、なおかつ重要な事件が発生した。

オーストリア=ハンガリー公国が、イストリアの割譲を求めて、ヴェネチア共和国にたいして宣戦を布告した。

ヴェネチア共和国はカラマン公国の同盟勢力によって国内は崩壊し陸軍も消滅した。

こうしてヴェネチア共和国はオーストリア=ハンガリー公国に対して、15年間も本土のヴェニス島に籠って抵抗するも、敗北を認める。

講和交渉の末に、イストリアや賠償金、そしてクレタ島が独立をさせられたのである。


今クレタ島を巡り議会で議論が論争していた。


反対派 教皇庁修道士「ヨハネ騎士団の敵はイスラームであり、異端者である。あなた方は教皇庁の騎士であり、教皇庁の盾であり剣であるはずだ。今クレタ島を奪取せよという暴論は許されざる終えない!」


顔を真っ赤にしながら反対派が弾糾する。


賛成派 有力商人「我々ヨハネ騎士団は、拡大するオスマン帝国に対抗するために力を得なければならない。それに教皇庁の盾と剣とおっしゃいますが、実際にイスラーム勢力に対抗しているのは我々豪商の艦隊勢力であり、教皇庁は1フィートも軍を出していませんではありませんか?」


有力商人は苛立ちを覚えた、何故最前線で戦っている我々が、教皇庁に内政干渉を受けなければならないのか?


反対派 教皇庁修道士「クレタ島は我々教皇庁が認めた、神聖ローマ帝国の皇帝である、オーストリア=ハンガリー公国の保護下にある!このような小さな島の騎士団風情が歯向かうなど、愚かしい考えを起こさぬことだな!」


教皇庁修道士は席を立つと議席から退出をした。


騎士団総長ヨハネ2世「修道士殿がお帰りになる、土産を持たせ厚く接待せよ」

聖職者の出身であるヨハネ2世は、同じ聖職者を次期総長に指名したが、我々の財政、艦隊勢力を出しているのは豪商たちであった、本当に私の判断は正しかったのか?”私は解らなくなった”


賛成派 聖職者「我々聖ヨハネ騎士団は、トマス・アクィナスの定義する自然法を採用するべきでしょう。オスマン帝国に征服されれば、我々とその民は虐殺されるか、服従されます。」


聖職者の演説は続く。


賛成派 聖職者「自然法とはすなわち、我々は神に仕えているのであって、生存を脅かされた場合、神に仕える民や我々は生きる権利があります。その生存戦略として、抵抗するのは当然の権利です」


中立派 貴族「今や貴族に特権が1フィートも無い事は皆さんご存知でしょう。我々は馬の代わりに畑を耕し、魚を採って口に糊しろを得ています。我々が大軍勢を率いて、聖地奪還を夢見るまで、畑を耕す技術を磨くとしましょう」


騎士団総長ヨハネ2世「この重大な決断に対して、私は責任を取って引退をする。理由は58歳という年齢で引退するのにもいい時期である事と、次期総長からは重大な責任を伴う。覚悟あるものが立候補して選挙で戦うがよい。3日の猶予を与えよう」


こうして前代未聞の次期後継者指名を取り消した、初代総長のヨハネス2世はヨハネ騎士団の趨勢を民に委ねることにした。私は私で最後の仕事をしよう。簡単な”事務仕事”を。


この時代。

公職選挙法などと言うものは無く、覚悟のある立候補者が各地で票を獲得するための私財のバラマキが許される。

真に力があるものが次期聖ヨハネ騎士団の総長として君臨するのだ。


次期総長には、有力貴族や商人や聖職者が立候補し、地元以外では教皇庁の息のかかった聖職者や地元市民の漁師まで。”我こそは!”と全国民に対して、演説を持論を通じて熱気と共に演説をしていった。


最終的に票を一番集めたのは有力な商人であった。

唯一無二の艦隊勢力が評価され、艦隊の事業や交易収入の面で国民全てに支持をされた。(金の力で票をもぎ取ったともいうが)


聖ヨハネ騎士団総長ヨハネ3世の就任式。

前ヨハネ騎士団団長ヨハネ2世は彼を祝福し、1枚の紙を彼に手渡した。

彼が偽造した、クレタ島の土地請求権の正式な請求書である。


聖ヨハネ騎士団総長ヨハネ3世はクレタ島に宣戦を布告し、神聖ローマ帝国皇帝と聖ヨハネ騎士団の一騎打ちが始まった。


ヨハネ3世の率いる連合艦隊と海兵隊は、クレタ島で軍隊が招集する前に、クレタ島を電撃的に上陸をしこれを掌握した。

対してオーストリア=ハンガリーの艦隊勢力は大した数は無く、ハンガリーのリエカ艦隊とオーストリアのトリエスト艦隊は非常に少数であったため。

あっさりとヨハネ3世率いる大艦隊に殲滅され拿捕された。


オーストリア=ハンガリー公国は数年間何もせずにいて、クレタ島の割譲講和条件に著名しこれを承認した。

なぜ認めたのかと言うと、聖ヨハネ騎士団との戦争中に、オスマン帝国はハンガリーの土地請求権を行使した。

すなわち、オスマン帝国の大軍勢がハンガリーの国土を塗りつぶし、オーストリアの首都ウィーンも包囲されウィーンはオスマン帝国に陥落した。


1476年6月23日


クレタ島は聖ヨハネ騎士団の直轄領として加えられることとなった。


数年後この島は騎士団が本気で開発したことで、パリをも超える世界で一番豊かな土地として後の世に知れ渡る事となった。(教皇の御者も産出した)


1496年2月6日


オスマン帝国は度重なる沿岸略奪に耐えかねたのか?それとも自分の交易益を守る為か?それとも聖ヨハネ騎士団の勢力を削いでエーゲ海の覇者となりたいからか?


彼らはヨハネ騎士団に”宣戦を布告をした”


交易に対しての優位を得るための戦争という宣戦理由であった。


この衝撃は国内外に知れ渡る事となった。





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