第7話 ディープ・インサイド(2)

「いや……どうして、って言われてもなぁ」


 ハルカさんを気遣っているという点に誤りはないが、優しくという点については……単にヘタレさが発露していただけな気がする。


 今一つピントが定まらない質問を受けた俺が答え方に窮していると、彼女は真剣な顔を崩さないまま少し俯いて言葉を重ねていく。


「……私はね、オリエンテーションのときにヤヒロ君の前世のことは教えてもらったし、どのくらい辛かったのか少しだけ追体験させてもらったの。あんなのが一生続くなんて、もし自分だったら絶対耐えられないと思う」


「それはまた、随分と無茶をしたね……」


 痛みや苦しみを定量化するのは困難なので他の病気との比較は難しいだろうが、少なくともエニシ様から「もし<知覚情報補正>が無ければフラッシュバックで精神が崩壊しかねない」と言われた程度にはキツい体験だ。


 ……見た目の印象から痛いのは苦手そうだと思い込んでいたが、敵を知るために身体を張れるくらいには攻略ガチ勢だったらしい。


「だからね、どうしてヤヒロ君が普通にしていられるのか私には理解できないの。もし他の人だったら、世の中のこと全部を恨んだり好き勝手に暴れ回ったりすると思わない?」


「たしかに、そんな時期もあったけど……」


 実際、病気が進行して一日中悶えて苦しみ始めた頃には、周囲に当たり散らしていたし隕石が落ちて地球が滅びるのも願っていた。


 転生を果たした今、そういった恨みつらみ等のネガティブな感情が存在しないのは……晩年にはメンタルが擦り切れていたせいか、あるいは元来そういうタイプだったせいか。

 ……どっちが正解かは知らないが、ヤバい方向に転んでいた可能性も十分あったはず。


「それに、転生してからのこともそう。竜人のみんなを見下して横暴に振る舞ったりしないし、その……クレアちゃんや他の女の子たちを騙してエッチな事をしたりもしないし」


「いや、それは単に守備範囲外だから……」


 まぁ、正直に言えばクレア世代に全く女性的な魅力を感じていないわけではないが……そういう方向に箍を外してしまえば収拾が付かなくなるのは明らかだし、何より罪悪感で押し潰されるだろうから自制しているのだ。


 ……ともあれ、ここまでの話でハルカさんの言いたいことが何となく分かってきたぞ。


「えっと……つまり、あんな前世を持つ人物が神様からフリーハンドを与えられたのに、はっちゃけて滅茶苦茶な事をしていないのが腑に落ちなくてスッキリしないってこと?」


「うん、そういうこと。それにね、ずっと頭ではヤヒロ君のことを疑ってるはずなのに、なぜか不思議と『信じられる』っていう気持ちが湧いてくるのにも違和感があって……」


 彼女を悩ませている誓約にも似た謎の現象については……推測ではあるが、創造の儀式の最後に呼び掛けた俺の声が、目覚める前の彼女の魂にまで届いていたのかもしれない。

 ……完全に演出だけだと思っていたのに、こんな形で裏目に出てしまっていたとはな。


 何にせよ、全ての問題は彼女の心の中にあるわけで、それを解消してあげるのに俺は何をすればいいのか分からず困っていると……


「……だから、どうしてヤヒロ君が私を気遣って優しくしてくれるのか、建前なんか無しの素直な気持ちを聞かせてくれませんか?」


 そう言いつつ眼鏡を外した彼女は、それをテーブルに置いて澄んだ瞳で俺を見つめた。


     ◇


 この場面で切り札とも言うべき神器を手放してしまった彼女を見て、俺は自分が大きな心得違いをしていたことを改めて思い知る。


 ……関係を改善するべく一歩踏み出そうとしているときに、切り札だの見せ札だのと考えていたこと自体が完全に見当違いだった。


「えっと、そうだな……」


 俺が彼女を気遣っている理由を敢えて言葉にするのであれば、ぶっちゃけ「何となく」というのが最も的確な表現だと思っている。


 とはいえ、彼女が知りたいのは俺の「何となく」が気遣う方向に傾いた理由なんだし、それを何とか言葉にする必要があるだろう。


「…………」


 俺は自制しないと欲に流されると自覚する程度には俗物だし、聖人ぶって「他人の痛みが分かる」とか綺麗事を宣うつもりはない。


 ……実際、サキュバスやエロフも最後までヒロイン候補に残してしまうくらいだしな。


「…………」


 また、俺は博愛精神に目覚めるほど前世で恵まれてはいなかったし、夢見がちに「万人に幸福を」とか宣うほど理想主義でもない。


 ……今はまだエニシ様も厳しい事は言わないが、これからも使徒を続けるならば不幸を見過ごすような場面も必ず訪れるだろうし。


「…………」


 結局のところ、俺の行動原理は頭脳明晰な彼女を悩ませるほど複雑なものじゃなくて、もっと浅くて単純なものに過ぎないと思う。

 ……それこそ、ゲームで気紛れに選択しているプレイスタイルか何かのような感じで。


 そんなこんなを自問自答しているうちに、何となく思い浮かんできた一つの回答は……


「……ちょっとクサい台詞だけどさ、たぶんハッピーエンドが観たいだけなんだと思う。後味が悪いのも救いが無いのも、自分が前世で実体験してきたからウンザリしてるんだ」


 要するに、それは『自分が気に入る展開じゃないと嫌だ』というエゴに近い気持ちだ。

 ……うん。無理矢理に捻り出した割には、結構上手くキメられたんじゃないだろうか。


 そんな自己評価を下した俺が反応を窺ってみると、彼女は耳にした言葉を咀嚼するように何度も頷き……やがてプッと噴き出した。


「ふふふっ、とっても素敵な答えだと思うんだけど……たしかに、ちょっとクサいかも」


「いやいや……素直な気持ちを聞かせろとか言っといて、笑うのは流石にヒドくない?」


 キメ台詞でウケを取るという大恥を晒した俺はテーブルから身を乗り出してクレームを入れるも、彼女は左右に身を捩って退避しながらクスクスと笑うのを止めようとしない。


 ……くそう、望みどおり親密度ゲージへと変化したっぽいのに全然嬉しくないんだが。


「まぁ、とにかくさ……俺の気持ちは今言ったとおりなんだけど、友達になってもいいかなって思えるくらいには安心してもらえた?」


「さぁ、どうかな……ちゃんと話したのって今日が初めてだし、まだ判断できないかも。だから、もう少しだけ付き合ってくれる?」


 一頻り笑って満足したらしい彼女は目尻に浮かぶ涙を拭い、一旦ワゴンの傍へと向かい自分の紅茶を注いでから再び元の席に戻る。


 かくして、ピリピリと張り詰めた雰囲気のお茶会はお開きとなり、会場も参加メンバーも同じままで二次会を始めることになった。


     ◇


     ◇


 まず最初に話題に上がったのは俺の小学生時代の思い出で、どんな他愛ないエピソードでもハルカさんは興味深げに聞いてくれた。

 ……きっと、彼女は『体験が伴わぬ知識』にも違和感を覚えていて、それらに俺の体験談を重ねて補完しようとしているのだろう。


 ただ、数年分程度の思い出など大して時間もかからずに語り終えてしまい、結局は唯一の共通の話題について話し込む流れとなる。


「アイツら、何でもかんでも競技にするから困るんだよな。一応、モノづくりは少しずつ好きになってくれてるみたいだけどさ、いつも物騒なモノばっかり出来上がるから……」


「そうそう、こっちも似たような感じなの。何にでも興味を持ってくれるのは助かるんだけどね、どんな小さな事でも勝敗を決めようとするからケンカを止めるのが大変で……」


「そうだ、秘密基地づくりで競わせてみようかな? 家具や調度品も作らせればさ、使い勝手とか安全性の勉強になるだろうし……」


「じゃあ、私はヒップホップの文化を伝えてみようかな? どうせケンカになるのなら、ラップやダンスで競い合ってくれたら……」


 話している内容は同級生同士の会話というより教師同士のミーティングみたいだが、これはこれで実に楽しいので何も文句は無い。

 ……そう、こういうのを俺は望んでいた。


 だから、このまま時間を忘れて……と言いたいところではあったのだが、あいにく俺は時間を忘れられないスキルを保持している。


「あっ、そうだ。ヤヒロ君、あの子たちに文字も教えたいんだけど、英語かエスペラント語のどっちがいいと思う? 私としては……」


「いや、そこはテンプレどおり日本語でいい気が……てか、ハルカさん。そろそろ日付が変わりそうなんだけど、まだ起きてて大丈夫?」


 かつての警戒心など嘘のように忘れて話に夢中になっていた彼女は、俺から時刻のアナウンスを聞くなりプーッと頬を膨らませた。


 しかし、寝て起きれば否応無しに顔を合わせるのを思い出したのか、少し恥ずかしそうに笑いつつテーブル上の片付けに取り掛る。


「リンダさんにも心配をかけてただろうし、また3人で飲み会してみるのも良いかもね」


「ふふっ、そうだね……でも、ヤヒロ君は私と二人っきりのほうが良いんじゃないの?」


 どうやら、彼女は俺の好意を逆手に取ってイニシアティブを握る方針にしたようで、あざとく上目遣いしてメイド服の裾を翻した。


 ……かの邪神は「彼女の性格は周囲の者の接し方次第」と言っていたが、この小悪魔感が誰の影響を受けたせいなのかは明らかだ。


「ははっ……じゃあ、そこは交互に開催ってことで。ハルカさん、明日からもよろしく」


「…………」


 この流れならばボディタッチもイケるかと思い、片付けが終わったところで握手を求めてみるも……彼女は差し出された手をジーッと見つめ、そのあとクルリと背中を向けた。


 そして、さすがに調子に乗り過ぎたかと俺が背中に冷や汗を感じた直後、彼女の台詞が感情の揺れに更なる追い打ちをかけてくる。


「まだ友達になったばかりだし、エッチな事をするのはダメだけど……キスなら別にイイんじゃないかな? ほら、文化圏によっては親愛の気持ちを表す挨拶なんだし……ね?」


「ぅえっ?!」


 ……もう媚を売る必要なんてないのは分かっているはずだし、もう餌をやらなくても翻弄できているのも丸分かりだろうに、今さら何故そんなことを言い出す必要があるのか?


 今の彼女の気持ちを理解するべく身体を硬直させたまま頭脳だけフル回転させた俺は、程なくして媚でも餌でもない別の要素に思い至り……それと同時に、テーブルの隅に置き去りにされていた紅い眼鏡が目に留まった。


「ねぇ、ハルカさん……その眼鏡って、俺が使っても思念波の色を判別できるのかな?」


「さぁ、どうかな……って、ヤヒロ君! 私が嫌がることはしないって言ったよね?!」


 頭脳明晰な彼女は俺の場違いな質問の意図を瞬時に理解して振り返り、顔を真っ赤にして大慌てで眼鏡を確保しようと飛びかかる。


 そうして始まった争奪戦の最中、レンズ越しにチラリと見えた瞳の奥には……何を意味しているのか分からない若草色に混じって、そこそこ濃いピンク色が自己主張していた。

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