第6話 ディープ・インサイド(1)

「いや、こっちこそ急に呼び出して……」


「……エニシ様がケーキを用意してくださったので、お話をする前に紅茶を淹れますね」


 俺の尻窄み気味な返答を流しつつワゴンを押して現れたハルカさんは、いつもの制服姿ではなくクラシカルなメイドの装いだった。


 そのため、いつもと同じ紅いセルフレームの眼鏡は少し不似合いで、それはそれで妙にギャップが……いや、そんな事は今はいい。


「…………」


「…………」


 彼女からすれば『自分には手出しできない相手の指示でメイド服を着させられ、仮想敵と看做す相手の下に向かわされた状況』だ。

 ……当然、その表情は今までで最も硬質なもので、もはや取り繕う余裕も無いらしい。


 まぁ、彼女が恐れているような事態にはならないと知っているが故の悪戯だろうが……いくら何でも悪ノリが過ぎるし、さすがに俺もエニシ様を邪神と評価せざるを得ないぞ。


「…………」


「はい、どうぞ」


 ティーポットは運んできた時点で蒸らしの工程に入っていたらしく、僅かな間を置いて直ぐに紅い液体が白磁のカップに注がれる。


 ただ、それとケーキの皿が用意されたのは俺の前だけで、対面の席には何も無いうえにハルカさんは座ろうとする気配を見せない。


「……ありがとう。じゃあ、いただきます」


「いえ……」


 依然として硬い表情のまま黙礼する彼女はメイドのロールを続けているわけではなく、意識的にか無意識的にか座って動き辛くなるのが不安になるほど警戒しているのだろう。


 まぁ、この状況では話すのを先送りにしてもお互いのメンタルが擦り減るだけなので、俺は美味しいのに味が全くしない紅茶で口を湿らせただけで彼女のほうへと向き直った。


     ◇


「じゃあ、改めて……急に呼び出したのに、来てくれてありがとう。まず確認しておきたいんだけど、ハルカさんは自分が創造された理由についてエニシ様から聞いていますか?」


「あの……はい、一応は」


 タメ口と敬語の間で行ったり来たりする俺の問いかけを受けて、ハルカさんの両手がウエストの前でギュッと強く握り締められる。


 ……実に今更な話だが、意識が目覚めた直後に知らない誰かのヒロインだと言われるなんて、一体どれほどの恐怖だっただろうか。


「そっか……でも、それは深く気にしないでください。エニシ様にヒロイン云々と願ったのは事実だけど、その……そういう事が主目的ってわけじゃなくて、前世では縁が無かった異性と関わる機会に憧れていただけなんだ」


「なるほど、そうだったんですか……」


 前世の事情についてはエニシ様が説明してくれていたのか、レンズの向こうの彼女の瞳には一定の理解の色が浮かんでいる……が、それが精一杯で警戒が解かれることはない。


 ……まぁ、口先で何を言われようが信用できなくて当然だし、そんなのは俺も理解したうえで話をする機会を作ってもらっている。


「そんなわけで、今日はハッキリ明言しておこうと思って、わざわざ来てもらいました。俺はハルカさんに何かを無理強いすることは絶対にしないし、それ以外にもハルカさんが嫌だと思うことは絶対にしないと誓います」


「そうですか、分かりました……お気遣いくださって、どうもありがとうございます」


 口先であることは変わらずとも真摯な姿勢は伝わったのか、彼女も俺と視線を合わせて神妙な表情で頷いてくれる……が、レンズの向こうの瞳に浮かんでいるのは主に猜疑心。


 ……まぁ、誓うと言ったところで口先なのは相変わらずだし、もし仮に「神に」という枕詞をつけてもウチの神様はアレだからな。


 ただし……


「……ちなみに、ハルカさんって『誓約』についてエニシ様から何か聞いていますか?」


 扱い方によっては、かの邪神も口先だけの誓いに信頼性を持たせることが出来るのだ。


     ◇


「……本気ですか?」


 俺の台詞を耳にした瞬間に大きく表情を変えたハルカさんは、自分の身体を抱き締めるようにしながら二歩、三歩と後退っていく。

 ……案の定、頭脳明晰なハルカさんは自身の意思が洗脳等の影響を受けていないかエニシ様に確認しており、その際に誓約云々についても一通り教えてもらっていたのだろう。


 ただ、言うまでもないことだが、彼女が懸念しているような真似をする気なんかない。


「良かった、聞いていたのなら話が早いね。アレってさ、創造するタイミングだけじゃなくて後付けでも可能らしいんだけど……俺の魂に何か誓約を刻んでおけば、ハルカさんも安心して生活できるようにならないかな?」


「……えっ?」


 さすがに命に関わるペナルティを課したり自由意思を損なったりする内容であれば許可できないとのことだったが、この提案については事前にエニシ様から了承を貰っている。


 なお、俺が提示した交渉のカードは完全に想定外だったらしいハルカさんは、警戒体勢のまま可愛らしいキョトン顔を披露してくれており……よし、もう一気に畳み掛けるか。


「まぁ、それでも安心できそうにないようだったら、俺はエニシ様に快適な異空間を創造してもらって引き篭もることにするよ。竜人の子供たちはハルカさんに懐いてるからさ、そっちは任せて俺は何か新しい仕事を……」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 この場に訪れる以前から固めていたガードを斜め下の方向から揺さぶられた彼女は、キョトン顔を通り越して大パニックの様子だ。


 ……正直、この2枚のカードは信用を得るための見せ札という意味合いも強いが、ガチで実行することも覚悟して場に出している。


「繰り返しになるけど……俺はハルカさんに『嫌な思いをしてほしくない』って、本当に本気で思ってるんだ。勝手な都合で創造した責任も取りたいし、俺に対して望むことが他にもあるなら何でも遠慮なく言ってほしい」


「…………」


 手持ちのカードを一気に2枚とも切った俺は椅子の背凭れに身体を預け、顔を伏せて苦悩するハルカさんの考えが纏まるのを待つ。


 とはいえ、何気ない風を装っていても当然ながら内心はソワソワしており、やがて交渉の仕方を間違ったかもという後悔に耐え難くなってきて再び口を開こうとしたところ……


「……ヤヒロ君に何かお願いする前に、実は私からも謝らないといけない事があります」


 彼女は長らく伏せていた顔を俺に向けて、その瞳に何か決意したような光を浮かべた。


     ◇


     ◇


 向かいの席に着いたハルカさんはテーブルの上で指を絡み合わせつつ、申し訳無さが溢れる表情で何とも評価に困る告白を始めた。


「歓迎会の日に、ヤヒロ君は私に『もう何かスキルを覚えたのか』って質問したよね? あのとき、私は『まだ検討中』って答えたんだけど……あれって、実は嘘だったんです」


「へぇ、そうだったんだ……でも、そのくらいの嘘なんか全然気にしなくてもいいのに」


 たしか、あれは趣味の話題にでも拡げようという目論みから捻り出した質問で、当時の彼女の心境を想像できるようになった今となっては適当に誤魔化されても当然だと思う。


 わざわざ謝るまでもない内容に気が抜けた俺は、文字どおり笑って流そうとするも……彼女が未だ深刻な表情をしているのを見て、代わりに小さく頷いて告白の続きを促した。


「本当はオリエンテーションの直後にエニシ様から希望を確認されて、私は『魔法を使えるようになりたい』って答えたんだけど……普通の人間には適性が無いらしくて、代わりに<PSI>っていうスキルを習得したの」


「へ、へぇ……それは二重の意味で驚いた」


 優等生っぽい雰囲気のハルカさんが魔法を使いたいと願っていたのは大いに意外で驚かされたが、よくよく考えてみればスキル授与というファンタジーな儀式でファンタジーなスキルを願わないほうが勿体ない話だろう。

 ……当初の時点で実力行使の機会が有り得ることを想定していたのならば尚更の話だ。


 また、魔術的な適性を有さないハルカさんでも<PSI>を習得できたということは、サイキッカーはノーマルな人間の進化形だという可能性を示唆していて……などと思考を脱線させていた俺は、ふと彼女の告白が行き着く先を理解して頬を大きく引き攣らせる。


「あの、ハルカさん……そのスキルってさ、一体どんなことが出来るのかな? 例えば、触れずに物を動かしたりとか……それとも、相手が考えている事を読み取ったりとか?」


「その……まだ覚えたばかりだから、どちらも出来ません。ただ、この眼鏡は訓練のために創造してもらった神器なので……思念波の強さと向きを可視化する機能と、だいたいの感情を色合いで判別する機能があるんです」


 ……うん。一切が未知の仮想敵と対峙させられる状況を鑑みれば、中途半端な攻撃能力よりも遥かに効果的で適切なチートだろう。


 今頃どこかで大爆笑しているであろう邪神を幻視した俺は、テーブルの上にバッタリと倒れ伏しつつ呪詛の思念波を撒き散らした。


     ◇


 しばらく頭を掻き毟っているうちに何とか平静を取り戻した俺は、乱れた髪を整えるとともに居住まいを正して深々と頭を下げた。


「あー、何というか……本当にごめん、毎日毎日ドン引きするほど思念波を浴びさせて」


「あっ、それは気にしなくていいよ。おかげでヤヒロ君が本当に気遣ってくれてるのが分かったし、その……ピンク色が混ざっちゃうのも、男の子だったら仕方がないと思うし」


 ハルカさんの微妙な気遣いのおかげで俺の頬は再び大きく引き攣ったが、しっかり色で判別される以上は弁明するだけ無駄だろう。


 ……まぁ、幸いにも彼女は男の子の習性に理解があるタイプらしいし、気を取り直して質問するべきことを質問させてもらおうか。


「えっと……それで、そんな大事な切り札をオープンにしてくれた理由は? 本気で心配してるのは伝わってたみたいだけど、だからといって安心までは出来なかったんでしょ?」


「うん、それはそうなんだけど……」


 事前に話す内容を考えてきた俺とは違って今この場で何を話すか考えなければならない彼女は、自分の胸の内にあるモヤモヤとした何かの感情を上手く言語化できないらしい。


 ……きっと、思念波による見立てでは俺の心配が本心からのものに見えても、あと一歩信じ切れない理由が彼女にはあるのだろう。


「まぁ、俺がハルカさんに話したいことは全部話せたし、また考えが纏まってから……」


「ううん、もう少しだけ待ってくれる?」


 真面目なことに、彼女は宿題として持ち帰らず今夜の内に考えを纏めるつもりらしい。

 ……ちなみに、ナチュラルに披露されたレンズ越しの上目遣いはチート級の強制力だ。


 そんなわけで、席に着き直した俺は手酌で紅茶のお代わりを注ぎ、その美味しさに改めて驚かされつつ黙して星空を眺めていると……


「あのね、ヤヒロ君……どうして、そんなに私のことを気遣って優しくしてくれるの?」

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