第5話 優しさと臆病のあいだ

 授業開始から15日め。本日は従来どおりの通常授業は一旦お休みにして、全クラス合同での特別授業を実施することになった。


 竜人社会における文化・産業振興は未来に向けての重要課題であるが、直近の最重要課題はコアを奪還するための『悪魔』狩りだ。

 そして、それを竜人たちの手に移管するためには、戦士を育成するのみならず『聖砂』も自力生産できる体制を整える必要がある。

 ……つまり、産業云々は抜きにしても、彼等には製塩をしてもらわなければならない。


 とはいえ、そんな大掛かりなことを一朝一夕に始められるわけもなく、まず最初に着手すべきは水辺での作業に際しての安全講習。


 まぁ、早い話……勉強を頑張った子供たちへの労いも兼ねて『水遊び』というわけだ。


     ◇


     ◇


 村を出発してからオアシス沿いに10分ほど歩いていくと、周囲一帯は数cmほどの水深が延々と続く穏やかな浅瀬になっていた。


 未だ気象の変化が停止したままの世界は今日も雲一つない快晴で、鏡のような水面に映る青空は思わず溜息が溢れるほどに美しい。


「ふむ、そうじゃな……利便性を考えるならば、ここら辺りの立地が最適かのう。まぁ、デートスポットとして惜しくはあろうが、使いたくなれば他の場所に創造してやるわい」


「ははっ、創世神様ならではの発想ですね」


 現在、俺は特別授業の指導をリンダさんとハルカさんに任せて、久々にエニシ様と二人っきりでデート……ではなく、塩田を設置するのに相応しい候補地を視察している最中。


 無論、せっかくの水着回を見逃すのは惜しかったが、それよりも今日のところはエニシ様とサシで話す機会を優先したかったのだ。


「しかし、まぁ……ガチャ方式での創造ゆえ少しばかり不安じゃったが、めでたい事にヤヒロはすっかりハルカに夢中のようじゃな」


「まぁ、その表現が正しいのかどうか分かりませんが……たしかに、彼女のことばかり考えていて仕事が手につかないのは事実です」


 まだ友達にもなっていない人間が言うのは実にイタい台詞だが……正直、彼女は俺なんかには勿体ないほど素敵な女の子だと思う。


 子供たちにイタズラされて頬を膨らませる様子は可愛らしいし、講師同士で相談するときの物静かで理知的な雰囲気もカッコ良い。

 ……ついでに、それらの印象とのギャップが著しいボディの自己主張にもグッと来る。


 とはいえ、そんな事なんかよりも今は……


「ほほっ、彼奴に対して浮ついた気持ちを抱くよりも、心配のほうが勝っておるわけか。自分の欲を棚上げして相手を慮る気持ちは、立派に一つの愛情の形であると思うがな?」


「うーん、その見解が正しいのかも分かりませんが……少なくとも、前段部分に関しては正にエニシ様が仰ったとおりの心境ですね」


 彼女は竜人たちとも無事に打ち解けて楽しい日々を送れているはずが、俺の存在だけが異物でありストレッサーであるのは明白だ。


 また、それは俺にとっても等しくストレッサーであり、もしも自然治癒力が加速されていなければ胃に穴が開いていることだろう。


「それで、自力での攻略は諦めて攻略サイトに頼ることにしたというわけか。お主が楽しみにしておった『仲を深めていく過程のドキドキ感』とやらには、もう満足したのか?」


「……そもそも、初心者の俺が縛りプレイをしようとしていたのが間違いでした。ゴールまでのルートを全開示してほしいとは言いませんから、せめて最初の親密度UPイベントの発生条件だけは教えてもらえませんか?」


 そう口にした俺が居住まいを正して深々と頭を下げると、エニシ様は少しだけ勿体振ったあとに岩塩の結晶でスツールを創造した。


 ……俺の悪戦苦闘っぷりを見たいがために断られる可能性も高いと思っていたが、有難いことにチートを許可してくださるらしい。


     ◇


 かくして開催されることになった神様直々の初心者向けヒロイン攻略講座は、何とも月並みで使い古されたフレーズから始まった。


「ふむ、そうじゃな……まず儂がアドバイスするべきなのは、何よりも大切なのは『相手の気持ちを考える』ということじゃろうな」


「えっと、それは俺なりに考えているつもりだったんですけど……まだ足りませんか?」


 彼女のストレッサーであることを自覚している俺は必要がない限り話しかけないようにしていて、うっかりエロい目で見てしまうようなことは……最小限に留めているはずだ。


 そうは思いつつも俺が顎に手を当てて自身の言動を振り返っていると、エニシ様は何処か呆れたような顔をして大きな溜息を吐く。


「うむ、残念ながら『相手の立場で』という観点が欠けておる。彼奴は最難関大学に首席合格レベルの学力と古典文学からサブカルまで網羅する知識……それと、王宮勤めのメイド並みの技能を備えておるが、心理面は日本で暮らす普通のJKと変わらんのじゃぞ?」


「えぇっ……ハルカさんって、そこまでハイスペックなヒロインだったんですか?!」


 想定を超えたスペックの公開に思わず大きくリアクションしてしまったが、エニシ様が仰りたいのは『彼女の価値観や物事の考え方は決して特殊ではない』ということだろう。


 というか、前世が散々だった事しか特徴が無い俺なんかより、彼女のほうが遥かに主人公適性が……と考えたところでハッとする。


「ちょっと待ってください……もし彼女が主人公のラノベを書くとしたら、俺は『異世界から召喚した記憶喪失の女の子をモノにしようとしている変態貴族』と同じなのでは?」


「うむ、貴族かどうかは知らんがポジションとしては正にそのとおりじゃな。ちなみに、儂も未だ邪神の類かと疑われておるようじゃが、どのみち『自分には手出し出来ぬ存在』と諦めて受け入れることにしたようじゃぞ」


 まぁ、謎多き神のほうはさておき……俺のほうは序盤早々に退場させ、辺境でスローライフでも始めるのがテンプレな流れだろう。


 ……つまり、彼女にとっては俺と仲良くなるかどうか迷っているなんて呑気な話ではなく、ストーリー開始直後から常に仮想敵と対峙させられているという状況だったわけか。


「いくら儂や竜人たちからお主の人となりを聞いても、所詮は伝聞ゆえ話を完全に鵜呑みには出来ぬしな。また、いくら自分の目からお主が品行方正に見えても、いつ心変わりして襲い掛かってくるか分からんじゃろう?」


「それは……まぁ、そうですね」


 俺が実際にどう考えていようが彼女の生殺与奪を握っている事実に変わりはなく、俺が何をしようが疑心暗鬼にならざるを得ない。


 ……きっと、彼女は柔和な笑顔の裏側で優秀な頭脳をフル回転させて、俺とは別の意味で相手の攻略方法を考えていたに違いない。


「まぁ、そんなマイナスからのスタートじゃから、お主は良くやっておるほうじゃぞ? 少なくとも拒絶や対立には至っておらぬし、決定的な下手を打ったわけではないのじゃ」


「理解しました……恋愛シミュレーションなんか、そもそも始まってなかったんですね」


 ……表示されているゲージが敵対度を意味しているんだったら、そりゃあ親密度UPのイベントなんか起こらなくて当たり前だな。


     ◇


 そんな現状認識が済んだところで、今度はゲージが変化するイベントの発生条件を質問してみたのだが……エニシ様から返ってきた答えは、またしても当たり前の内容だった。


「そんなもの、初めから存在せんわい。散々ゲームに例えてきた儂が言うのも何じゃが、リアルな人間関係において然様に都合の良いイベントが用意されておるはずなかろうが」


「ぐぅっ……」


 ……どうやら、人間は本当にグウの音も出ないような正論で殴られると、意外にもガチでグウと唸ってしまう生き物だったらしい。


 とはいえ、エニシ様が正論で殴るのは俺を遣り込めるのが目的ではないので、煽り文句ではなく真っ当なアドバイスが続けられる。


「結局のところ、人間関係を進展させるには双方のいずれかが一歩踏み出すしかないのじゃろう。つまり、俗に親密度UPイベントと呼ぶアレやコレは、その一歩を踏み出すための切っ掛けや演出に過ぎぬのではないか?」


「なるほど……誠に、仰るとおりで」


 元精霊にして現創世神たるエニシ様に人付き合いの仕方を講釈されるのも妙な話だが、その分野においては小学生レベルの経験値しか持っていない俺には反論のしようがない。


 ……特にコミュ障だったわけではないが、基本的に「あーそーぼ」でOKだったしな。


「無論、一歩踏み出したことが裏目に出てしまい、親密度が低下する可能性も大いにあるじゃろう。それゆえ、現状維持を心がけつつ踏み出すチャンスを窺うという判断も決して間違いではないぞよ? しかしじゃな……」


「……決して正解とも言えない、と」


 現状、俺は一歩踏み出すどころか理由をつけて出来る限り距離を取ろうとしており……いうなれば、食パン咥えた彼女と曲がり角で衝突するのをガチで待っている状態だった。


 つまり、俺が真に『仲を深める過程のドキドキ感』を求めるのであれば、何処かのタイミングで一歩踏み出してみるより他にない。

 ……自分の願いでヒロインを創造してもらっておいて、相手から踏み出してくれるのを待ち続けているのは流石にダサ過ぎるしな。


「すみません、エニシ様……お手数ですが、ハルカさんに『今日の夜、少し時間をとってほしい』って伝言をお願いできませんか?」


「おいおい、初デートの誘いこそ序盤で最もドキドキする場面じゃろうに……まぁ、そのくらいは手伝ってやるとするか。ともあれ、今後もお主が何か成果を上げるたびに新ヒロインを追加していく予定ゆえ、あまり気負い過ぎず肚を割って話してみるのが良かろう」


 ……うん。仮想敵扱いしてくる女の子ばかりのハーレムなんて針山地獄なので、今日の夜は思いっきり気負っていくことにしよう。


     ◇


     ◇


 エニシ様がデート場所として手配してくださったのは、現在改装工事中の神界だった。


 とはいえ、テニスコートサイズだった岩石プレートは既に見る影もなく、野球場が三つ四つ配置できそうなほどに拡張された大地は綺麗に刈り揃えられた芝生で覆われている。


「……そういや、どうして『虚無の宙』なのに星が浮かんでるんだ?」


 そして、待ち合わせ時間よりも随分と早く前乗りした俺は、神界の片隅にある大理石のテーブルの前に腰掛けて星空を眺めていた。


 ハルカさんと話すべき内容については既に思案が纏まっており、緊張を紛らわせるべく何となく今日までのことを振り返ってみる。


「転生して神の使徒になり、異世界を一つ救って、自分のヒロインを創造してもらう……うん、ダイジェストにしたら色々と酷いな」


 ここまで荒唐無稽な展開に順応するのは、病床で空想に明け暮れるしかなかった俺のような人間でもなければ不可能かもしれない。


 ……俺にとっては第二の生というアディショナルタイムがある時点で望外なわけで、状況をシリアスに捉える意識も薄かったしな。


「エニシ様も悪い神様ではないんだろうけど、まだまだ色々と隠してるっぽいからな……」


 かの神様は俺のために惜しみなく御力を使ってくださるものの、それが神としての善性によるものではないのは本人も語るところ。


 また、俺をアドバイザー兼モニターとして迎えたいと言って転生させてくださったが、そのポストも実のところ俺を使徒として迎えるための方便で用意されたものなのだろう。

 ……あの神様、そんなもの必要ないくらい人間のことに詳しいしな。


「おっと、そうだ……そのあたりのことも、ハルカさんにキチンと謝っておかないとな」


 こんなに謎だらけの状況であるにもかかわらず、呑気にも「きっと、楽しい毎日になると思います」なんて無責任にも程がある話だ。


 そんな自身の思慮の浅さを噛み締めつつ、話すべき内容を練り直そうとしていると……


「……すみません、お待たせしました」


 テーブル近くの空間にビシリと縦の亀裂が走り、その奥から彼女の声が聞こえてきた。

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