第3話 紅い眼鏡をかける彼女

「……ぉい、おい! ヤヒロ、起きろ!」


 世界のコアから帰還して仮死状態が解除されると、俺の視界へと真っ先に飛び込んで来たのは青褪めた顔をしたリンダさんだった。


 その尋常ではない様子に慌てて跳ね起きた俺は、ひとまず彼女の肩に手を置いて何とか落ち着かせてみる。


「どうしました、何かあったんですか?!」


「……いや、あまりにもグロかったんでな、そろそろ一人で見てるのがキツかったんだよ」


 コアの中から見るぶんには幻想的とも言える光景だったが、現実世界では血肉や臓物が蠢く逆再生スプラッター映像だったらしい。


 彼女の視線からして、そのハルカさんは俺の後ろに横たわっているっぽいんだけど……もう振り返っても問題ない状態なんだよな?


「ヤヒロよ、勿体ぶるのう。ヒロイン創造の儀式は恙無く完了しておるゆえ、早く目覚めのキスでもしてやるが良い。まぁ、どれだけディープなヤツを致したところで、初期設定が済むまではスリープ状態のままじゃがな」


「いやいや……そんな準強制猥褻行為、たとえ神が許しても俺の良心が許しませんから」


 俺の鼻先に浮かぶエニシ様は相変わらずのノリで、特に何か消耗したような様子は見受けられない。


 一方、俺は当然ながら消耗とは別の理由により動悸を強く感じていたのだが……いくら待っても収まりそうになかったので、覚悟を決めて振り返ることにした。


     ◇


「おやおや、残念じゃな……お主のガチャ運ではSSRのロシア人留学生は引けなんだか」


「あの……異世界転生して異国間交流するとか、さすがにジャンルが渋滞しませんか?」


 その黒髪ストレートの女の子は少しだけ眉が太めで、少しだけ下がり気味の目尻は穏やかで優しそうな雰囲気を漂わせている。

 また、その他のパーツについては形も配置も端正に整っていながら、トータルな印象としては極端に自己主張が強いわけではない。


 ……学園祭でミスコンの舞台に立つような華やかさこそ無いが、決して少なくない隠れファンから根強い人気を誇るタイプだろう。


「その代わり、こっちのガチャ運は幸いにも悪くなかったようじゃぞ。ちなみに、お主が『同級生』に抱くイメージを基に初期装備も創造してみたのじゃが……あと一歩、ブラのイメージが具体性に欠けていたようじゃな」


「いやいや……興味ゼロとは言いませんが、さすがに構造にまで拘りはありませんから」


 先ほど俺が跳ね起きた拍子にフトンの葉は捲れ上がってしまっていて、彼女の上半身を覆い隠すのは薄手の白い襟付きシャツだけ。

 ……おそらく、本来は襟元のリボンや女子用ブレザーなども初期装備だったのだろう。


 そして、件の起伏の頂ではエニシ様がトランポリンの真っ最中なのだが……うん、目測ではEからFくらいの自己主張レベルだな。


「して、お主基準で何点程度の総合評価じゃろうか? ちなみに、プチ整形レベルの微修正で良ければ今からでも施術可能じゃぞ?」


「……仕様を決めた俺が言うのも何ですが、他人の容姿に点数なんか付けるべきじゃないですね。とにかく、釣り合いを取るためには俺の器のほうに施術が必要なのは確実かと」


 ちなみに、転生に際して無から創造された俺の器は、精神の自己同一性を保持するために前世準拠のデザインにしたと聞いている。

 ……なお、自己評価では一応フツメンのつもりだったが、最近は美形揃いの竜人たちに囲まれて些か自信を無くしているところだ。


 まぁ、それはさておき……ヒロインに対して総合的な評価を下すならば、容姿以外にも考慮しなければならない重要項目があるぞ。


「……そういえば、創造の際に性格関連のエディット項目は特に無かったですが、開口一番オラついてくる可能性もあるんですか?」


「いやいや、そこまで極端なキャラにはならんじゃろうが……まぁ、性格に関しては現段階では未確定じゃな。前世の影響を受けぬ新規生産の魂ゆえ、与えた情報や周囲の者の接し方によって如何様にも変わり得るのじゃよ」


 なるほど……それは当たり前と言えば当たり前の話だし、むしろ驚くべきは性格は前世の影響を受けるという新事実のほうだろう。


 そんな事を話しているうちにハルカさんの身体が不意にリフトアップされ、その場で前後方向に90度回転して直立の姿勢となる。


「では、これより時間の流れを加速させた異空間に移動して、情報のインストールとオリエンテーションを済ませてくるぞよ。特に問題が無ければ、遅くとも明朝までには……おや、スカートもイメージが不完全じゃったか」


 JKルックで登場するはずだったハルカさんは俗に言う彼シャツな状態になっていて、その裾丈は履いてるのか履いてないのかギリギリ見えそうで見えない絶妙さ加減だった。


 ……未来のエロインの実力、恐るべし。


     ◇


 その後、俺とリンダさんは二人で打ち合わせを行い、これから新体制を始めるにあたってのルールを幾つか制定することになった。


 一つめは、大人も子供も常に衣服を着用すること。

 ……こちらの文化を押し付けることに少しだけ気が引けたが、肌触りが良い物を着るのは裸よりも快適らしく逆に喜んでもらえた。


 二つめは、子供たちが遊ぶのは決められた場所と時間だけとすること。

 ……これも前項と同じく文化の押し付けではあるが、子供たちの遊び好きにはリンダさんも手を焼いていたので賛同してもらえた。


 三つめは、子供たちは俺やハルカさんを遊びに誘わないこと。

 ……もちろん、俺は誘われても応じるつもりなんてないのだが、もしハルカさんが押しに弱い性格だったら困らせてしまうからだ。


 四つめは、リンダさんは俺と遊んだのを伏せておくこと。

 ……まぁ、その理由については敢えて語るまでもない。


 その他にも細々としたことを決めたのちに子供たちを集めてルールを公布し、ついでにクラス分けを行なったところで一日は終了。


 明けて翌朝。俺とリンダさんが朝食を摂っているところにエニシ様から念話が届いて、オリエンテーションを修了したというハルカさんと改めて顔合わせすることになった。


     ◇


     ◇


「あの……初めまして、ハルカと言います」


 空間に走る亀裂の中からオズオズと現れたハルカさんは着崩し感が全くない制服姿で、その初期装備一式にはシンプルなヘアピンと紅いセルフレームの眼鏡が追加されていた。


 ……わざわざ俺の不完全なイメージなんか参照せずに、こうやって最初からキチンと創造してあげれば良かったのに。


「その……それで、ご存知のとおり年齢は0歳です。あっ、エニシ様のお話によると、身体的には18歳相当だそうなんですけど……」


 彼女の声は緊張で硬くはあるが幼さを感じさせるものではなく、辿々しい自己紹介なのは話す内容が無くて困っているからだろう。


 そう考えた俺は気遣って自分から何か話しかけようとするも、先んじて気を利かせたリンダさんがヒョイっと片手を挙げて応じた。


「よぉ、ハルカ。アタイは竜人の族長をやってるリンダだ。これからお前さんにも色々と世話になると思うが、一つよろしく頼むな」


 些か荒っぽい雰囲気とは裏腹に爽やかな笑顔を浮かべる彼女を見て、ハルカさんは緊張が多少解けた様子でフッと肩の力を抜いた。

 ……ちなみに、昨日の打ち合わせの際に種族の呼称は『竜人』に統一してある。


 それはさておき、俺も彼女に続いてフレンドリーに自己紹介をしようとしたところ……


「ハルカさん、初めまして。俺は……」


「あっ、はい、ヤヒロ君ですよね。エニシ様にお話は伺ってますので……うん、大丈夫」


 緊張から一転して軽く怯えたような彼女の態度は、何となくだが異性を前にして身構えるという以上の理由があるように思える。


 実質的には初対面なのに、ここまで露骨に距離を取られるというのは……まぁ、俺の顔が生理的にNGという可能性を除外すれば、他に考えられる理由は一つしかないだろう。


『……エニシ様、彼女には俺について一体どんな情報をインストールしたんですか?』


『ほほっ、早くも攻略サイトの閲覧か。一般常識と家事全般の知識の他には、自身の状況を理解するのに必要な情報くらいじゃぞ? ちなみに、意識が目覚めてから此奴主観で既に10日ほど経過しておるゆえ、与えられた一連の情報は十分咀嚼できておるはずじゃ』


 自ら攻略サイトと名乗るだけあって理由を御存知のようだが、ぎこちなく愛想笑いを向け合う俺たちを見てもニヤニヤと笑うのみ。


 ……さすがに、初っ端から攻略ルートを全て破綻させるような真似はしてませんよね?


「じゃ、とにかくメシしようぜ! さっさと食って、ガキどもを起こしに行かねぇとな」


「えっと……じゃあ、私もお手伝いします」


 そうこうしているうちにリンダさんが席を立ってゴハンの実を採りに行き、ハルカさんは彼女の背中を追って林の中に消えていく。


 しかし、ヒロインとの初会話イベントが不発に終わり消沈していた俺には、すぐに二人の後に続くだけの気力は残っていなかった。


     ◇


 竜人の子供たちは偶然にも男女同数の合計32人で、俺とリンダさんは彼等彼女等を8人ずつの計4クラスに分けることに決めた。


 そして、うち2クラスにはリンダさんによる『たいいく』の授業を、残りの2クラスにはハルカさんと俺による『ぶんか』と『さんぎょう』と授業を受けてもらおう……というのが、現時点での暫定的なカリキュラムだ。


「おーい、ヤヒロ。全員揃ったぞ。で、俺たちは何をすりゃいいんだ?」


「……了解、ニック。じゃあ、木の実や葉っぱなんかを適当に集めてきてくれないかな?」


 現在、俺は『さんぎょう』の授業を単独で受け持っており、午前のコマの生徒はニックをリーダーとする8人の男の子たち。

 ……なお、午後からは『たいいく』を先に受けたクラスの片方と入れ替える予定だ。


 また、どのクラスも一番小さい子で推定年齢10歳くらいなので、あまり難しい内容でなければ問題なく授業に参加できるだろう。


「いや、適当にって言われてもだな……どんなのをどれくらい集めてくりゃいいんだよ?」


「……んー、そうだな。全部1人1個でいいから、とにかく種類が多いほうがいいかな」


 まぁ、大層に授業なんて銘打ったところで俺が持っている知識なんて全て机上の空論に過ぎないし、そもそも竜人社会に適した産業についても良いアイデアが浮かんでいない。


 というわけで、本日の授業では一先ず様々な不思議植物を一箇所に集めさせて、組み合わせるなり何なりして新しいモノを生み出せないか考えるという内容にしてみたわけだ。


「おぅ、分かった。じゃ、2人1組で……」


「……よろしく、怪我しないようにね」


 体操服姿に赤白帽を被った男の子たちは、ニックの号令に従って素直に整列していく。

 普段から仕切るのにも仕切られるのにも慣れているのか、集団行動は実にスムーズだ。


 ……ちなみに、各クラス男女混合にしなかったのは、リンダさんから混ぜると遊び始める可能性が高いという指摘を受けたからだ。


「なぁ、ヤヒロ」


「……どうした、ニック」


 そのため、現在ハルカさんが受け持っている『ぶんか』の授業は女の子ばかりのクラスが受けていて、たしか……クレアがリーダーを務めているほうのクラスだったはずだ。


 当面はエニシ様の分身が付き添ってくれるとのことだったが、それはそれで不安が……


「新しく来たネーチャンが気になるのは分かるけどよ……マジメに仕事をしないヤツは、竜人からも人間からも嫌われると思うぞ?」


「……あぁ、そうだな」


 いよいよ動き出した夜明け後の世界は、第一歩を踏み出した時点から前途多難だった。

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