第10話 黄色に染まる太陽

 健気にも正面を向いたままのニックとクレアに歩み寄ったリンダさんは、背後から二人の髪をグシャグシャにしようとする……が。


 その手の平が届くより先に、世界は何の前触れもなく深い闇の帳に覆われてしまった。


「うぉっ、何だこりゃ?!」


「えっ、今のって、カーチャンの声か?!」


「なっ、何なの? どうなってるの?!」


 この状況を初めて経験する竜人たちはネタバラシもグダグダなまま右往左往するも、俺にとっては前世で慣れ親しんだ自然現象だ。


 そんなわけで、俺は特にアタフタと動揺することもなく、久方ぶりに耳に戻って来た僅かな重みに向かって理由を問いかけてみる。


「エニシ様、どうして急に夜になったんでしょうか? あの様子からして、ファイナルアタックを使われた感じでも無さそうですが」


「うむ、アレは小さい個体じゃったが、天体の運行に関する権限の一部を食らっておったようじゃな。まぁ、平面単層世界における天文現象などプラネタリウムと変わらんゆえ、せいぜいラッキー賞といったところじゃが」


 要するに、この世界の『悪魔』狩りは当たりクジ付きであり、LUC値に応じて少しずつ世界のコアを奪還できるシステムらしい。


 おそらく、世界の崩壊を完全に止めるには『悪魔』の最大個体……仮称デーモンロードを討伐する必要があるだろうが、その過程でも達成報酬が貰えるのはヤル気に繋がるな。


「ははっ、たしかにラッキーですね。バトルの前に勢いで言った『夜明けを一緒に見る』っていう約束、本当に実現できそうですし」


「うむ、全ての天体を再起動させるには権限が不足しておるが、太陽だけならば打ち上げの宴会でもしているうちに復旧できるぞよ」


 合計100匹以上いるという『悪魔』の最初の1匹を仕留めただけだが、祝宴を開催するのに相応しい成果であるのは間違いない。


 今回のバトルで対処方法を確立できたと言えるだろうし、物量と人員を増やしていけばデーモンロードの討伐も難しくないだろう。


 とはいえ、そんな未来のことより……


「……もしかして、アタシたちも死んじゃったの?」


「なぁなぁ、カーチャン。トーチャンはドコに……」


「ヤヒロ、神様! 一体どうなってんのか、いい加減説明してくれよ!?」


 これだけベタな反応をしてくれる彼等を導くのは、騒々しくも愉快な日々なりそうだ。


     ◇


     ◇


 竜人の3人に対して手短に状況を説明したのち、俺たちは集団転移で村へと帰還した。


 案の定、留守番していた幼い子供たちもパニック状態だったが、それも族長の勝利宣言を聞いたことで恐慌から狂騒へと変化する。


 そして、エニシ様はオアシスを取り囲んでいる樹々に色とりどりのイルミネーションを灯し、ついでに上空から飴だの餅だの豆だのを散布されるという謎の祭りが開催された。

 ……さすがに、リソースを大盤振る舞いし過ぎな気もするが、今後は俺だけでなく皆の神様になるのだから人気取りも必要だろう。


 一方、俺は初めて顔を合わせる子供たちに向けて極々普通に自己紹介したのだが、リンダさんが冗談めかして俺を『異世界の勇者』だと評したせいで場の様相は一転。

 小さな挑戦者たちが次々に名乗りを上げ、休憩無しでガチバトルに応じる羽目になった。

 ……まぁ、空間軸を歪めて転がしてやれば全員キャッキャと喜んでいたので、実質アトラクション扱いされていたようなものだが。


 ともあれ、そんな風に俺は同じ世界で暮らすことになった仲間同士で親睦を深めていたのだが……やがて喧騒に少しばかり疲れを感じてきたので、独りでコッソリと祭りの会場から抜け出すことにした。


     ◇


 虹色に舞い踊るド派手な明かりを対岸に望む場所に腰を落ち着けると、さほど孤独に浸る間も与えずに一つの人影が近づいて来た。


「よぉ、ヤヒロ。神様がコレでも飲んで大人同士で楽しんでこいってさ」


「あっ、リンダさん……やっぱり、竜モードじゃなくても力持ちなんですね」


 全身バッキバキなのに女性らしいシルエットをキープしている肉体の持ち主は、空の段ボール箱を運ぶような気軽さで中身がギッシリ詰まったビールケースを肩に乗せている。


 また、空いたほうの手に提げている懐かしいコンビニ袋には、魚肉ソーセージやスルメなどのツマミが取り揃えられているようだ。


「そういえば、この世界にお酒って……」


「いや、ねぇな。何でも、コイツは大人だけに許された神聖な飲み物らしいじゃねぇか」


 より神聖さを求めるならば、鏡割りでもするのがベストだろうが……さすがに、大人2人だけで樽酒を空にするのは無理があるか。


 そんなわけで、俺はリンダさんに素手で栓を抜いてもらい、一緒に用意されていたレトロなガラスのコップに泡立つ液体を注いだ。


「じゃあ、世界の夜明けに乾杯ってことで」


「カンパイ……って、これでいいのか?」


 ビールを注ぐのも乾杯の音頭をとるのも初めての経験だが、前世の創作物を思い出しつつリードして初めてのお酒を口にしてみる。


 苦味に吐き出すようなことはしないが……これを美味いと感じるには、もう少しだけ俺が大人になる必要があるのかもしれないな。


「あっ、もし口に合わないのでしたら……」


「かぁ〜っ、コイツは美味いな! 苦いのとシュワシュワが、喉にガツンと来やがるぜ」


 その一方で、俺よりも大人なリンダさんはと言えば、コップを空にした直後に中瓶を逆さに向けてラッパ飲みで一気飲みしている。


 誰にも教わっていないだろうに、どういうわけかオッサン臭い謎の発声まで完璧だ。


「ま、それは置いといて……だ。ヤヒロ、こんなにメデタい日だっていうのに、いったい何をショボくれた顔をしてやがるんだよ?」


 そして、どういうわけか彼女は酒の席での絡み方まで完璧だった。


     ◇


 対岸で騒いでいた子供たちは屋内に移動して遊び始めたみたいだが、色とりどりのイルミネーションは未だ樹々に残されたままだ。


 ただ、それを眩しく感じた俺は水面に映る幻像のほうに目を向け、アルコールの影響を受けても重いままの口を開いた。


「……転生してから流されるままに世界を一つ救ってしまいましたけど、今更ながら神の使徒という肩書きの重みを実感しているんです。もし俺が何か下手を打っていれば、こうして祭りをすることも出来なかったんですから」


「なるほど、そいつは感心だな。転生だの神の使徒だのってのは今イチよく分からねぇが、仕事に責任を持つのは立派じゃねぇか。ったく、ウチのガキどもにも見習ってほしいぜ」


 そんな俺の視線を遮るように胡座を掻いてビールを注ぐリンダさんは、よく分からないと言いつつも適切な励まし方をしてくれる。


 なお、今の彼女はアニマルプリントの上下セットを着用済みなので、そんなポーズで座っても問題ない……という事にしておこう。


「それと、確証はないんですけど……今回の冒険って、全部エニシ様が仕込んだイベントだったんじゃないかと思うんです。まぁ、結果的には皆さんの役に立てたわけですし、別に悪いことではないのかもしれませんが……」


「たしかに、あの神様なら本当はアクマなんぞ一人で何とか出来たっぽいな。とはいえ、仮にお遊び感覚だったにしても、アタイらだけじゃ解決できない事をアッサリ解決してくれたわけだから……ま、感謝しかないわな」


 あまりにもトントン拍子に行き過ぎた本日の『悪魔』狩りに関しては、やはり彼女も俺と似たような感想を抱いていたらしい。

 ……まぁ、俺は初の冒険パートに自覚していた以上にノリノリだったようで、ほんのつい先ほど気づいたわけだが。


 つまり、各場面で俺に選択が委ねられていたように見えて、この世界を丸ごと接収するのは実のところ既定路線で……まぁ、巻き込まれた当事者が文句を言っていないんだし、わざわざ俺が気に病むような話でもないか。


「で、もう他に愚痴はねぇのか? アタイばっか聞かされるのもアレだし、気が済んだのならコッチの愚痴も聞いてほしいんだがな」


「ははっ、失礼しました。俺なんかで良いんでしたら、朝まででもお付き合いしますよ」


 ……うん。相変わらず酒の美味しさは分からないが、仕事終わりに飲みに行きたがるオッサンの気持ちは少しずつ分かってきたぞ。


     ◇


 どうやら、竜人はアルコール代謝機能も強化されているようで、リンダさんは悪酔いすることもなくガバガバと飲み続けている。


 また、それに付き合っている俺も<神速適応進化>が発動しているのか、眠くもならずに程良いホロ酔い加減をキープしていた。


「ったくよぉ……そもそも、アタイは族長なんて柄じゃねぇんだよ。物を教えるって言ったって戦士の技しか知らねぇし、どのガキも元気なだけのバカに育っちまったんだよな」


「いやいや……みんな元気に育ってくれたのなら、十分に役目を果たせてますって。それに、明日からは俺も子供たちに色々と教えていきますので、もう何も心配いりませんよ」


 竜人特有の気質ゆえか彼女は特に悲壮さも見せずに語っているが、かつての大攻勢によって歴史の語り部や物作りの担い手は全員いなくなってしまっている。

 ……つまり、竜人たちの文化は『守る』のではなく、新たに『興す』必要があるのだ。


 その決意を胸にしながら対岸から聞こえてくる子供たちの声に耳を傾けていると、隣に座っていたリンダさんは俺の肩に自然と腕を回し……そのままヘッドロックを仕掛けた。


「それなら、ヤヒロが族長になってくれよ。竜じゃなくても、アタイの新しいダンナってことにすれば誰も文句なんか言わねぇって」


「えっ、いや、さすがにソレは……」


 何故だか果物の匂いがする彼女の汗にクラリと来てしまった俺は、スキルも使って技から抜け出すと少し離れた場所まで避難する。


 そして、どうにも妙な方向に傾いてきた雰囲気を変えるべく、どうせ俺たちの会話を聞いているでろうエニシ様に呼びかけてみた。


「エニシ様、そっちの様子はどうですか?」


『おぉ、ヤヒロか。子供たちは皆、元気に仲良く裸んぼレスリングを楽しんでおるぞよ』


 ちょっと待て、今のニュアンス……どう考えても、完全にアレの比喩じゃないか?!


     ◇


 人口減少に悩まされており、かつ娯楽が少ないコミュニティなのだから……低年齢からソレに勤しむのは合理的かつ自然な流れだ。


 とはいえ、想像だにしていなかった子供たちの『遊び』の真相に俺は茫然としており、リンダさんの低空タックルを躱せなかった。


「あぁ、そういやヤヒロはまだ子作りした事がねぇんだったな。ガキどもの間じゃ子作りは一番人気の遊びでな、ついでに一番大事な仕事なんだよ。ニックとクレアも張り切ってやがるが、なかなか一人前の戦士には……」


 ここに来て明かされる『戦士となるための試練』とは、まさかの『子供を作る』こと。

 ……あの二人を今まで完全に子供扱いしていたのに、俺は二人よりも子供だったのか。


 まぁ、命の危険がある仕事に就く前に後継を作っておくというのは合理的だし、見習いのうちに子育てを済ませておくのも実に効率的……などと考えているうちに、リンダさんは完全にマウントポジションを取っていた。


「なぁ神様、ガキを見てもらってるのに悪いんだが、アタイもヤヒロと遊んでいいか? 族長がガキの遊びに混ざるわけにもいかねぇし、いい加減ムラムラが限界だったんだよ」


『おぉ、そうしてくれると儂も助かるのう。ヤヒロはエロい事に興味津々なくせに妙に真面目でな、そのくらいの据え膳でも用意してやらねば大人の階段を上れぬと思うのじゃ』


「ちょ、ちょっと待ってください! クレアがウロコが無いと遊んじゃ駄目だって……」


 いわば友達のカーチャン的なポジションゆえ極力意識しないようにしていたが、改めて見るリンダさんはハリウッド級の超美人だ。

 ……ヒロイン役よりも、アメコミ実写版の女性ヒーロー役のほうがハマり役っぽいが。


 そして、そんな彼女の美貌は既に捕食者の表情を浮かべており、四つん這いの体勢で俺の手足を拘束しつつ酒臭い息を吹きかける。


「へへっ、そんなにビビるなよ。遊ぶときにウロコが生えるのは雄だけで、雌はウロコが生える代わりにヌメヌメのギチギチに……」


「エ、エニシ様。大至急アレの予備を……」


『あー、ヤヒロよ。残念ながら人間と竜人の組み合わせでは的中率が低いうえ、この世界の輪廻の螺旋は稼働停止しておるゆえ……』


     ◇


     ◇


 上位存在に抹消されてしまう恐れがあるので詳細に描写するのは控えるが、それでも少しだけ竜人との交流について説明しておく。


 まず、竜人たちとの交流に小難しいテーブルマナーのようなものは存在せず、初めて経験する俺でも特に戸惑うようなことは無かった。


 ただ、その代わりにオードブルや箸休めに相当するものも存在せず、とにかくメインディッシュだけを楽しむのが正しい作法だった。

 ……ギブアップ不可の椀子そば形式で。


 まぁ、そんなわけで……俺が見た新たなる世界の夜明けは、目がチカチカするほどビビットな真っ黄色に染まっていたのだった。

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