第3話 鈍色に光るウロコ

 ドラゴニュートの少年が繰り出す初撃は、文字どおり地を這うような低空タックル。

 ……前世で見たアスリートやプロ格闘家を遥かに上回る超スピードで、未だ成長過程と思しき筋肉の量とは絶対に辻褄が合わない。


 とはいえ、真正面から俺に突っ込もうとしていた彼の身体は、一歩めから二歩めを踏み出したところでピタリと静止してしまった。


 いや、より正確に表現するならば……


『ほほっ、神経伝達速度3000倍じゃ。いやはや、お主だけ実質ターン制のバトルとは、実にチートじゃのう』


『いいんですよ、別に。俺の主たる業務はアドバイザー兼モニターであって、バトル要員ではないんですから』


 時間という概念は「常に一定方向に流れ続けるもの」という性質を持っているそうで、エニシ様の御力を以てしても逆行させたり完全停止させたりするのは不可能とのこと。


 それゆえ、一時的にコンマ1秒を5分にまで引き伸ばしてもらったわけだが……うん、いずれにせよチートの誹りは免れ得ないな。


『さて、ヤヒロよ……どう対処する? ここまでは手を貸してやったが、最適なコマンドは自分の意思で選ぶのじゃ』


『はい、大丈夫です。模擬戦闘ではアメフトゾンビを散々けしかけられましたし、この手の攻撃は見慣れてますからね』


 ただし、このサポートはあくまで俺の体感時間を加速させるだけのもので、目にも止まらぬ高速機動を可能とするものではない。

 ……当然、念話でなければ会話は不可能。


 また、体感時間を加速した状態で実際にアクションを起こすには慣熟訓練が不十分で、コマンド選択後は解除してもらう必要があるという正にターン制な戦闘システムなのだ。


『良し、ならば行け! 今のお主は時空の支配者じゃ!』


『いや、エニシ様に言われても……まぁ、行きますけどね』


 そんなわけで、擬似的に止まった時の流れの中にいる俺は、新スキル<時空座標干渉>の発動準備を開始した。


     ◇


「グルァッ!」


「傾け、空間軸!」


 少年の咆哮に被せて高々と宣言した俺は、大地に突き立てたバールの曲がった部分をハンドルのようにグルリと回転させる。


 すると、それに応じた角度の分だけ地表付近の上下左右に傾きが生じ、彼の低空タックルは顔面スライディングに強制変更された。

 ……景色の見え方が変わらないのは何とも不思議だが、今の俺では光という概念が内包する『直進性』には干渉できないとのこと。


「グ、グルォ?!」


『ほほっ、あの吠え声は「な、何だ?!」といったところかのう』


「ははっ、それくらいは自動翻訳が無くても分かりますね」


 俯せのまま持ち上げられた彼の顔は困惑に染まっていたが、俺の挑発じみた声で戦意を取り戻すと素早く立ち上がって身構え直す。


 現在、彼我の距離は約15mで、もう少し離れるべきか……と思ったが、あちらが後退してくれたか。


『うむ、問題なさそうじゃな。ただし、そのスキルは決して完全無欠ではないゆえ、ゆめゆめ気を抜くでないぞ?』


「もちろん了解です、いきなり自爆でゲームオーバーは勘弁ですしね」


 さっきの空間干渉は魔術的な抵抗力を持つ対象には多少レジストされるし、空間の歪みを感知できる生物であれば回避も可能だ。


 加えて、同一の箇所に過剰な干渉を繰り返すと、空間に綻びが発生して周辺一帯が消滅してしまうという重大な欠点を抱えている。

 ……まぁ、それをコントロールできるようになれば攻撃にも転用できるわけで、やっぱりチートという評価に変わりはないのだが。


『おっ、今度は背後に回り込むつもりのようじゃな。さっきの調子でコケにしまくって、もっとギャオギャオ喚かせてやるが良い!』


「いやまぁ、それが自動翻訳の完成に必要なのは分かってますけど……果たして、彼はバトルの後に仲良くしてくれるんですかね?」


     ◇


 少年は俺の周りを旋回しながら隙を探したいらしいが、所々に設置した不可視のトラップのせいで何度も転倒を繰り返している。


 また、時おり急激な方向転換で突っ込もうともしてくるが、その際には3000倍に加速した反応速度で悉く出足を潰してやった。


 その結果、イライラが募ってきた彼は……


「クソッ、クソッ! ナンダ、コイツ?!」


「おいおい、ソレはさっきも聞いたぞ?」


 先ほどから散々に独り言を撒き散らし、次から次へと吠え声のサンプルデータを提供してくれている状況。


 ……もっとも、彼が扱っている言語は極めて原始的なものらしく、双方の声が自動翻訳されても意思疎通と呼ぶには程遠いのだが。


「ウガァッ! コイツ、マジウゼェ!」


「おっ、何か違う事をやってくれるのか?」


 不意に大きく後退した彼は両手の爪を地面に突き立て、トラバサミのような顎門の隙間から細く息を吐き出す。


 すると、彼の目の前の地面がウネウネと盛り上がってサッカーボール大の球体となり、続いて全体的に色調が変化して金属光沢を帯び始めた。


『ほう、さしたる技量ではないが、随分と特殊な魔術を……まぁ、その話は後にするか。ヤヒロよ、神経伝達速度の加速は必要か?』


「えっと……たぶん、アレをブン投げるか蹴っ飛ばすかするだけですよね? だったら、加速無しでも全然大丈夫ですよ」


 エニシ様の様子からアレが危険な技ではないと判断した俺は、こちらも<時空座標干渉>の別バージョンを披露することを選択。


 ……舐めプと言われても否定できないが、俺の勝利条件は彼から多彩なリアクションを引き出すことなのだ。


「ウルァッ! シネェッ!」


「延びろ、時間軸!」


 彼は意表をついて尻尾で金属球を打ち出してくるが、残念ながらソレは既にロックオン済みだ。


 唸りを上げて迫り来るはずの金属球は、俺がバールを少し手前に傾けるだけで物理法則を無視したノロノロ飛行に変わってしまう。


『ヤヒロよ、時間の復元力を忘れてはおらぬか? 早う射線から外れておかねば、舐めプした挙句に木っ端微塵になってしまうぞよ』


「おっと、そうでした」


 エニシ様の指摘を受けた俺が慌てて身体をずらすと、その直ぐ真横を一転して猛加速した金属球が通過していく。


 専門家曰く、時間が一定に流れようとする力は極めて強く、何とかして辻褄を合わせようとする性質があるらしいのだが……まぁ、俺の知る物理学では説明不可能な現象だ。


「ハァッ?! 意味ワカンネェ!」


「そうだよな、俺も意味分からないんだよ」


 そして、それは当然ながら少年にとって輪をかけて理解不能な現象だったらしく、追撃も忘れてドスドスと地団駄を踏み鳴らす。


 ……うん。何だかんだ言いつつも少しずつ心が通じ合ってきた気がするぞ。


     ◇


     ◇


 その後も少年は諦めず俺に立ち向かい続けたが、新たな手札は散弾タイプの投擲のみ。


 一方的に攻めている側だけがストレスを溜める膠着状態となったところで、いよいよエニシ様が一つの決断を下した。


『ふむ、イラつかせ過ぎて段々と口数が減ってきおったな。ヤヒロよ、そろそろ一思いに仕留めてやるが良い』


「はい、了解です。とはいえ、大怪我させるわけにもいけませんし、一体どう仕留めてやったもんですかね……」


 ホログラムのゾンビを相手にしていたときには、基本的にフルスウィングで頭をカチ割っていたのだが……それと同じ要領で、手足あたりを圧し折ってやるしかないだろうか。


 そんな逡巡が俺の顔に浮かんだのをチャンスだと判断した少年は、残る力を振り絞って苛烈な攻撃を開始する。


「オレは戦士ダ! 死んデモ負けネェッ!」


「ちっ……捻じれろ、空間軸!」


 少しばかり流暢になった言葉とともに放たれるは、左右交互に投擲する金属球の弾幕。


 一つずつをロックオンすることなど到底不可能な密度なので、俺は咄嗟に前方広範囲の空間座標を螺旋状に歪めて弾除けとする。


『ヤヒロよ、今度は頭上注意じゃぞ。彼奴め、尻尾をバネにして大ジャンプしよったわい』


『本当だ、ありがとうございます。でも、あの高さは……ちょっとばかりヤバそうですね』


 彼としては乾坤一擲を期して繰り出したコンビネーションなのだろうが、ターン制が適用されている俺の隙を突くには至らない。


 したがって、ストンピングの威力を上げるために10m以上も跳躍したのは完全に裏目に出ており、宙空で無防備に晒された身体は俺が煮るなり焼くなり好きに出来る状況だ。


 ただし、そんな彼を料理してやるには留意しなければならない点があって……


『……おやおや、彼奴は着地の事など全く考えておらんようじゃぞ。空間軸を歪めて着弾地点をずらせば、全身骨折間違い無しじゃな』


『……かと言って、時間軸を引き延ばして落下を遅らせても、結局は時間の復元力で加速して地面の染みになるのは不可避ですしね』


 元より相打ち覚悟なのか、あるいは頭に血が上っただけなのか定かではないが……いずれにせよ、彼の攻撃は捨て身の特攻だった。


 そのため、俺が自分の身を守るだけなら容易くはあっても、彼の身まで守ろうとすると一気に難易度が跳ね上がってしまう。


『ふむ、とりあえず儂が地表付近まで転移させてやろうかの。まぁ、一旦仕切り直させたところで、また同じような真似をしそうな気もするが……』


『……いや、待ってください。少々悪趣味ですが、ちょうど良い手を思いつきましたので』


 しかし、体育座りのように膝を抱える彼の姿を見ているうちに俺は一つのプランを閃いたので、エニシ様からの申し出を断って自らの手でバトルに終止符を打つことを決断。


 内心で深く詫びつつ最大出力でスキルを行使する準備を整え、彼の身体……ではなく、彼が身に付けた装備だけをロックオンした。


     ◇


「喰らエェッ!」


「思いっきり延びろ、時間軸!」


 少年の大跳躍が頂点を越え、自由落下が始まった直後に<時間座標干渉>を発動する。


 まだ大してスピードが乗っていないとはいえ、褌だけが静止に近い状態になれば……果たして、如何なる結果を招くだろうか?


「ひぎゃアァッ!」


「おおぅ……」


 オトコノコの大事な部分で全体重を支える羽目になった彼は大絶叫を上げ、その悲痛な響きは俺にまで精神的なダメージを与える。


 ……気も失っていなければ血も出ていないし、さすがに潰れてはいないよな?


「うがぁっ! タ、タ◯が、ケツがァ!」


「おい、そんなに暴れたら余計に……」


 ただ、硬めの樹皮か何かで作られた褌は後方にまで被害を及ぼしたようで、彼は股間で宙吊りにされたままジタバタと大暴れする。


 そして、俺が安全に降ろしてやるより先に彼は鋭い爪で褌の両サイドをバリバリと引き千切り……結局、結構な高さからフルチンのままドスンと落下してしまった。


「こ、こいつアクマだ……」


「……うん、マジでごめん」


 さらに、その褌の残骸を高速で頭に叩きつけられた彼は、流石に戦意を喪失したようで尻餅をついたままズルズルと後退していく。

 ……なお、彼は鱗の生えたドラゴンではなく、極々普通の可愛らしいオトコノコだ。


 そんな彼を気不味げに見守っていた俺は、まだ逃がすわけにはいかない事を思い出して声をかけようとしたのだが……その刹那。


『ヤヒロよ、左じゃ!』


 エニシ様からの念話を受信した俺が慌てて顔を左に向けると、視界に映る光景は巨大な金属製の円錐で埋め尽くされていた。

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