第4話 褐色に艶めく果実

 もはや鼻先まで迫っている円錐の先端に思わず目を閉じそうになるが、今の俺には瞼を下ろすという動作すら不可能。


 ……もちろん、走馬灯の第二作目が上映中だからではなく、エニシ様の権能で神経伝達速度が3000倍になっただけなのだが。


『ちょっと、エニシ様……他にも仲間がいたんでしたら、先に教えておいてくださいよ』


『かっかっか、気を抜くなと言うておったじゃろうが。トドメの時こそ警戒せねばな?』


 舐めプを続けていて油断していたのは否めないが、そのあたりはエニシ様のサポートに全幅の信頼を置いているがゆえのことだ。


 実際、エニシ様としても奇襲を許したのは軽いサプライズのつもりだったようで、加速した体感時間の中で呑気な念話を継続する。


『何はともあれ、初バトルご苦労様じゃったな。やはり、バトルはリソースの貯まり具合が桁違いじゃのう。あれだけスキルを連発しておっても、収支としては大幅黒字じゃぞ』


 俺のスキルはエニシ様から貸与された権能を基にしているため、使用の際には魔力や精神力ではなく『理』のリソースを消費する。


 そして、それは知的生命体と心を通わせることで生じるものであり……やはり、俺と少年は先ほどのバトルを通じて多少なりとも分かり合えていたらしい。


『とはいえ、それも初回ボーナスの影響が大きいゆえ、次回からは効率も考慮せねばならんぞよ? 何事においても、初体験というのは一度限りのスペシャルイベントなのじゃ』


 なるほど……強い感情を伴うほど『理』のリソースが多く発生すると聞いているので、理屈としては十分に納得がいく話ではある。


 ……ただ、この口振りだと『命』のリソースにも同じ理屈が適用されるのは確実で、そちらの初バトルの際にも何か言われそうだ。


『まぁ、そういうわけでじゃな……次の獲物は儂が直々に相手をしてやろう。お主の器を使って手本を見せてやるゆえ、その特等席で時空使いの戦い方というものを学ぶが良い』


 そんな念話が届くと同時に、俺は自分の意識が肉体から切り離されたのを知覚した。


     ◇


 体感時間の流れが等倍に戻った瞬間、眼前に迫っていた円錐の先端は瞬時に消失し……

その代わりに現れたのは、あの少年とは別個体のドラゴニュートの後ろ姿。


 ……どうやら、逸らしたり躱したりするのではなく、いきなり背後に転移したらしい。


「やった……のカナ?」


 遠方で立ち上る土煙に向けて呟く声は、少年のものより些か高音に翻訳されている。


 また、その身に帯びているのは少年と同じく褌一丁だけながら、上半身にもサラシを巻いたように鱗が生えているようだ。


「ほほっ、何をじゃな?」


「えぇっ、どうしてソコに!?」


『あ、俺は発言権も乗っ取られたんですね』


 エニシ様たち二人がテンプレな遣り取りを繰り広げている間、俺はノンビリ観戦モードで新手のドラゴニュートを観察してみる。


 案の定、慌てて振り返ったのは『彼』ではなく『彼女』だったようで、鱗の下の膨らみは……うん、目算でB-といったところか。


「このっ、このォッ!」


「ほう、あの少年よりはデキるようじゃな」


『ヤヒロよ、世界間移動をするのは神相当の上位存在にならねば不可能じゃが、同一世界における短距離転移であれば修練次第で習得可能じゃぞ。ただし、空間座標の計算を誤ると、時空の狭間に飛んでしまうゆえ……』


『あの、エニシ様……こちらは意識の分割とか出来ないので、副音声は止めてください』


 彼女はエニシ様の指摘どおり少年よりも戦い慣れしているようで、背後を取られたと把握した瞬間に迷い無くインファイトに移行。


 しかし、エニシ様に操られた俺の身体は、拳打を受ける直前に彼女の背後へと転移。

 そして、振り向きざまの蹴撃にも再転移で翻弄し続けている。


「ソレなら……コレはどう?!」


「ほう、脳筋タイプかと思うておったが、魔術のほうが中々達者じゃのう。どうじゃ、歳は少々離れておるが、オススメの雄が……」


『いやいや、エニシ様……本人の承諾も得ずに見合い話を進めないでくださいよ』


 インファイトは全く通用しないと悟った彼女は、ジグザグにバックステップしながら小型の円錐による精密連射を開始。

 それに対し、エニシ様は<時空座標干渉>の御手本で弾道を自由自在に操り、彼女の足元を掃射して後方へと追い立てていく。


 ……たしかに、躍動する小麦色の肢体は健康的な魅力を放っているが、そんな彼女の首から上は残念ながらドラゴンヘッドなのだ。


「くっ、仕方ナイ……」


「なるほど……自分だけで対処するのは諦めて、まずは仲間との合流を優先するのか。狙いは悪くないが、そう上手く行くかのう?」


『…………』


 いくら魔術を放ったところで牽制にもならないと判断した彼女は、こちらに尻尾を向けて全速力で疾走を開始する。


 そして、エニシ様に操られた俺の身体は、その引き締まったお尻に向けて掌を翳し……


     ◇


     ◇


 ドラゴニュートの少女は目論見どおりに少年の元へと辿り着けたが、そのときには疲労困憊で即ブッ倒れてしまう有り様だった。

 ……乳酸の蓄積という概念を加速させるとか、特等席で見ていても完全に意味不明だ。


 また、少年のほうも俺たちの意味不明っぷりを十分に理解してくれたようで、未だ牙は剥いていても襲い掛かってくる様子はない。


『うむ、これで話し合いの下地は整ったな。あとは全部ヤヒロに任せるゆえ、平和的なコンタクトとやらを存分に試みるが良いぞよ』


『いやいや、その目論見はバトル開始時点で破綻しているのですが……とにかく、何とかしてコミュニケーションを取ってみますね』


 そんな念話を交わして身体の制御権を取り戻した俺は、未だ構えていた得物を仕舞って地面にドッカリと腰を下ろした。


 目の前の二人はビクリと身を強張らせて僅かに後退るが……とりあえず、戦闘継続の意思がないことはキチンと伝わっているようだ。


「……お前、いったいナニモノなの? 竜なのにウロコ無いし、アクマみたいな変なワザ使うし……アタシ、そんなの見たことナイ」


 俺が会話の切り出し方を悩んでいるうちに口を開いたのは、フルチンの少年を庇うように前に進み出た少女のほう。


 ……なるほど、彼女たちは自分たちの種族のことを『竜』と呼称しているわけか。


「いや、俺は人間っていう種族で、此処とは違う別の世界から来たんだ。たしかに、ちょっと変な技は使えるんだけど……少なくとも、悪魔じゃないから安心してくれていいよ?」


 俺は渾身のビッグスマイルとともに問いへの答えを示してみるも、彼女の重量感溢れる頭部はコテリと横に傾けられるのみ。


 ふむ……これは納得がいかないと言うよりも、言葉の意味が通じていない雰囲気だな。


「ニンゲン、シュゾク、セカイ……どれも知らナイ言葉。アタシたち戦士見習いだカラ、まだムズかしい言葉は教えてもらってナイの」


「えっ、そうなの? そっちの子は、さっき『オレは戦士だ!』って叫んでたけど……」


 彼女の言う『戦士』は『大人』に近しい意味だと判断した俺は、背伸びした少年を引き合いに出して場を和まそうとしてみる。


 すると、その結果……


「まったく、もう……まだ試練が終わってないのに、戦士って名乗っちゃダメでしょ? 村に帰ったら、すぐに族長に報告するから」


「えっ、いや、ちょっと待ってくれよ! カーチャンに告げ口するのはカンベンして……」


 同じ種族の二人がワイワイガヤガヤと遣り取りしてくれたおかげで、みるみるうちに自動翻訳のクオリティが向上していく。


 ……てか、俺が散々な目に遭わせた少年って、族長様の御令息であらせられたのかよ。


     ◇


 幼馴染らしい二人の会話には何となくホッコリとさせられるが、こうしていても仕方がないので少々強引にカットインを試みる。


「あのさ……もし村に帰るんだったら、一緒に連れて行ってほしいんだけど。俺も族長さんに会って、色々と話を聞いてみたいんだ」


「えっと、それは……いいのかな?」


 ここまでの会話から二人の任務は定期巡回だったと判明しており、本来は何かあれば族長に報告しなければならかったとのこと。


 当然、二人も巡回を切り上げて不審者発見の報を村に持ち帰るつもりだろうが……さすがに、不審者本人を連れ帰るのはマズいか。


「別にイイじゃん、カーチャ……族長なら、コイツなんかボコボコにしてくれるって!」


「いやいや、もうバトルはお腹一杯だから」


 しかし、理由はさておき少年が後押ししてくれたおかげで、少女の考えにも幾分か迷いが生じつつあるようだ。


 そして、しばらく腕を組んでウンウンと唸っていた彼女は、やがて俺の顔をチラリと見てから小さく溜息をついた。


「……それじゃあ、もう少し休憩したら村の近くまで案内してあげる。村の中に入れるかは、村長に聞いてみないと分からないけど」


「ありがとう、それで十分だよ。おっと、そうだ……もし良かったら、コレ食べる?」


 話が纏まったところで再び地面に身を投げ出した二人に対し、俺は試しに魚肉ソーセージを手渡してみる。


 ……あれ、この見た目だから絶対に肉食だと思ったのに、キモネズミと同様に食べ物と認識してないみたいだぞ。


『エニシ様、今更ですけど……アレって種族によっては毒になったりするんですか?』


『うむ、当然あり得るぞよ。しかし、儂の簡易診断の結果によると、彼奴らの身体構造は基本的に普通の人間と大差ないようじゃな』


『一体、いつの間に診断を……って、転移を使って採血か何かしたんですね。ちなみに、生物学的に普通の人間とは異なる点は……』


 そんな念話に気を取られた瞬間、二人は俺の目の前で驚愕すべき生態を明らかにした。


     ◇


「あんまり美味しそうじゃないけど……せっかくだから、少しだけ食べてみようかな?」


 魚肉ソーセージをブラブラさせていた少女が空いたほうの手を振ると、肘辺りまでを覆っていた金属製の鱗が砂のように崩れ去る。


 ……手の甲はレンズ型でルビー色の結晶があるものの、他の部分は日焼けした肌色だ。


「何だコレ、グニグニしてるぞ……でもまぁ、マズくはないか。なぁ、もう一つくれよ?」


 一方、少年の頭部にも同様の現象が起きていたようで、俺が視線を向けたときにはドラゴンフェイスの下の素顔を露にしていた。


 ……ルビー色の短い二本角を除けば、生意気盛りのローティーンといった顔立ちだ。


「ん、アタシは結構好きな味かも。ねぇ、コレ一つあげるから、もう一つちょうだい?」


 ポンチョの端を引かれて少女のほうに向き直れば、彼女は褌にぶら下げたポーチから茶色っぽいドライフルーツを取り出していた。


 ……彼女も同じく幼さが残る顔立ちなものの、エキゾチックな雰囲気で結構カワイイぞ。


『かっかっか、美味そうな果実ではないか。然様にガン見しとらんで、早う受け取れい』


『あ、はい、そうですね……それと、大至急スポブラか何かを創造してあげてください』


 なお、彼女の胸部を覆っていた鱗も当然ながら全て剥げ落ちており、まだ旬には少し早い果実をフルオープンにしていたのだった。

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