第2話 灰色に弛んだ皮膚

 荒涼とした景色の印象とは裏腹に温度や湿度は快適で、足を踏み出すたびに砂埃が舞う以外には特に歩き辛さを感じることはない。


 また、起伏が激しい地形を移動するのはルート選びが難しくあれど、それもエニシ様の適切なナビにより特に問題とはなっていない。


 唯一、俺たちの頭を悩ませているのは……


『むむ……ヤツ等、まだ追って来おるのう。いつの間にやら数も増えておるし、どうやら諦めるつもりはサラサラ無さそうじゃな?』


「ですね、関わったのは本当に失敗でした。アレで適当に追い払ってやるつもりだったのに、完全に裏目に出てしまいましたね……」


 溜息とともに振り返った先にいるのは、歩き始めて10分ほどで現れた異世界生物だ。


 それはエニシ様が『ウサギかネズミに似たヤツ』と予想した生物の正体で、幸い凶暴でもなく人懐っこいヤツ等だったのだが……残念ながら、見た目が少々キモかった。


『もう一層の事、そのバールで何匹か頭をカチ割ってきてはどうじゃ? 大した強敵でもないし、お主の初バトルには丁度良かろう』


「いやいや、ただ付いて来ているだけなのに、そこまでするのはカルマ値が心配です。かと言って、テイムする気にもなりませんが……」


 全体的なシルエットで言えば、ヒョロっこい後肢でピョンピョン跳ねるトビネズミ。

 ただし、その胴体はヌートリア級まで巨大化しており、ヌードマウスのように弛んだ灰色の皮膚にモフれるほど毛は生えていない。


 そして、魚肉ソーセージをブン投げても餌とは認識してくれず、ボールか何かで遊んでもらっているかのように拾って来やがる始末。

 ……残念ながら、草食なのかもしれない。


『しかしな、モンスタートレインを引き連れたままじゃと、知的生命体に出会った際に敵対の意思と受け取られるかもしれぬぞよ?』


「そうですね……もしそうなった場合には、貢ぎ物の家畜として献上してみましょうか。まぁ、喜んでもらえるか知りませんが……」


 そんなこんなで、不本意ながらメンバーを増員した俺たち一行だが、それでも予定どおり約1時間で乾いた河へと辿り着いた。


     ◇


     ◇


 河底に降りた俺がスポーツドリンクを片手に小休憩していると、キモネズミどもは周囲に散っていき赤黒い苔をハムハムし始める。


 まぁ、べつに牧童のように近くで見守ってやる責任もないので、俺とエニシ様はヤツ等を放って談笑に勤しむことにした。


「そういえば……この世界って荒れ果ててはいますけど、物理法則自体は基本的に前世の地球と共通してますよね? そういうのって、かなりのレアケースなんじゃないですか?」


『いや、そうでもないぞよ。お主が知る一連の物理法則というのは一種のテンプレでな、儂を含む多くの神がトレパクしておるのじゃ。ほれ、量子論だの相対性理論だのに代わる摂理を一から考えるのは骨が折れるじゃろ?』


 なるほど……たしかに、そのレベルから全く別の理論体系を破綻なく構築するのは、神の御力を以ってしても相当に苦労しそうだ。


 ともあれ、そっち方面の俺の知識は所詮ラノベや漫画由来なので、深く掘り下げたところで議論に付き合えそうにないな。


「ちなみに……人間っていう生物も、知的生命体のテンプレだったりします? 差別は良くないと思いますが、もし完全なタコ型だったら上手く交流できる気がしないんですが」


『うむ、そちらも基本的にはテンプレじゃ。ただし、生物は環境に合わせてカスタマイズするのが一般的じゃからな、下半身だけタコっぽい美少女の可能性は十分にあるぞよ?』


 ……うん。俺に子作りを強く推奨しているエニシ様なのだから、ソッチ方面の異世界交流を期待なさっているのは予想の範疇だ。


 ぶっちゃけ、ケモ耳や尻尾くらいなら全然ウェルカムだが……いくら何でも、初バトルが触腕プレイというのは高度過ぎるだろう。


「あ、そうだ。例の<知覚情報補正>って、もしかして自動翻訳の代わりに……」


『ヤヒロよ、ちょっと待て。今、何か……』


 ……かなり遠いが、キモネズミの悲鳴か?


     ◇


 岩陰に身を隠した俺の耳へと届くのは、キモネズミのものと思しき甲高い鳴き声と連続的に大地を蹴り付ける足音。

 ……これが戦闘音で確定ならば、奇襲から追走に移行したところだろうか。


 そう認識した俺は一体どうするべきかと問おうとするも、それに先んじてエニシ様がアクションを起こした。


『よし、ちょいと儂が見て来るぞよ。目ん玉をグリッと抉り出して……ほい、転移っと』


「うぇっ?!」


 あまりにもアレな偵察の仕方に思わず声を上げてしまった俺は、人間にとって耳朶が死角であることをデザイナーに深く感謝する。


 そして、何とも言えない気持ちのまま10秒ほど待機していると、俺の眼前にホログラムのリアルタイム動画が描き出された。


『ありゃ……残念、タコ娘ではなかったな』


「コイツって、リザードマン……いや、ドラゴニュートでしょうか」


 逃げ惑うキモネズミどもを追いかけ回していたのは、つい先ほど話題に上った二足二腕の生物。


 ただし、浅黒い肌色をしているのは褌一丁の胴体くらいで、爬虫類に似た頭部と四肢の肘膝から先……そして、太く長い尾は鈍い金属光沢を帯びた鱗で隙間なく覆われている。


『体付きから察するに、まだ少年のようじゃのう。それと、本格的に狩りをするというより、ただ追い払っておるだけのようじゃな』


「そうみたいですね、トドメまで刺す気は無いみたいですし。くそっ、あのキモネズミどもめ……鬱陶しいだけの害獣だったのかよ」


 その仮称ドラゴニュートの少年は手加減無しにブン殴ったり蹴っ飛ばしたりはしているものの、それぞれの先端から伸びている鋭利な爪は意図して使っていないように見える。


 また、音声までは送られてこないので定かではないが……牙が生え揃った顎を何度も開け閉めしているのは、もしかして罵声でも浴びせているからではないだろうか。


『ふむ、彼奴も休憩に入るようじゃな……ヤヒロよ、どうする? 先ほどの問いに対する答えじゃが、儂が解析を手伝えば吠え声に込められた意味も知覚できるようになるぞよ』


「なるほど、やはりアレが目当ての知的生命体かもしれないわけですか。たしかに、今は落ち着いているみたいですけど、少々気性が荒そうですし……さて、どうしましょうかね?」


 褌を締めるような文化を持っており、知的生命体だという点には疑いの余地など無い。

 また、エニシ様の落ち着いた口振りからして、地下のヤバい奴とは無関係なのだろう。


 とはいえ、その戦闘能力は並みの人間の比ではなく、仮にコミュニケーションに失敗した場合には……覚悟しておく必要があるな。


『ほほっ、あの手の知的生命体とコミュニケーションするには、ブン殴って上下関係をハッキリさせるのが一番手っ取り早いじゃろ。なぁに、斯様なガキの相手なんぞ、今のお主にとっては赤子の手を捻るようなものじゃて』


「むむ……たしかに、新スキルとの相性は良さそうな相手ですね。ただ、あのスピードには目が追いつかないので、エニシ様に神経伝達を加速してもらう必要はありそうですが」


 生死を賭けたガチバトルは全力で回避する方針であるとはいえ、冒険パートなのだから多少の荒事に遭遇するのは織り込み済みだ。


 そして、それに対応するための新スキルも貸与してもらっており、ついでにホログラムのゾンビ相手に模擬戦闘まで実施している。


『おいおい、ヤヒロよ……この程度の危険を前にして尻込みするのならば、今後は他所の世界での仕事を任せてやれぬぞよ? 実に悲しいことじゃが、異なる世界の文化が交わるときには決して衝突は避けられぬのじゃよ』


「いや、お声が全然悲しんでいるようには聞こえないんですが……まぁ、せっかくのイベントをスルーするのも何ですし、ここは一つ平和的にコンタクトを取ってみせましょうか」


 そうは言いつつもフラグを立ててしまった自覚がある俺は、しっかりとバールのようなものの握り心地を確認してから歩き出した。


     ◇


 ドラゴニュートの少年は気配察知のようなスキルは持っていなかったらしく、彼の死角を移動してきた俺たちは気付かれることなく約30mの距離まで接近する。

 ……暫定的にドラゴニュートと呼んではいるが、近くで見ると胴体以外はメカっぽい印象も受けるな。


 ともあれ、ここから先は遮蔽物がなく隠密行動は難しいので、俺は意を決して自分から声をかけることにした。


「こんにちは、はじめまして!」


「グルォッ?!」


 なるべくフレンドリーな印象を心掛けた第一声に対し、彼は短い吠え声を上げて大きく飛び退る。


 ……こちらの言葉が通じないのは元より承知の上だが、自動翻訳を有効化するには吠え声のサンプルが出来るだけ多く必要なのだ。


「俺の名前はヤヒロと言います。まずは、君の名前を……てか、名前って分かるのかな?」


「グルルゥ……」


 フードを脱いで身振り手振りを追加してみるも、それが却って彼の警戒心を高めてしまったようだ。


 いきなり襲い掛かっては来ないものの、二足歩行の恐竜を思わせる姿勢で低い唸り声を上げている。


「いや、べつにケンカしたいわけじゃなくて、君と少しお喋りしてみたいだけだから……」


「グルァッ!!」


 敵対の意思がないことを示すべく両手を大きく広げてみたところ、それを彼は威嚇のポーズか何かだと受け取ったらしい。


 顎門が地面に触れるほど上体を前傾させ、太く長い尻尾を天衝くように高々と掲げる。


「…………」


『のう、ヤヒロよ……もし仮に自動翻訳が上手く機能しておったとしても、せいぜい「ヤんのか、オラァ!」くらいしか言っておらんのではないか?』


「グルァッ! グルァッ!」


 チンピラのような仕草で俺を下から睨め付ける彼は、まるでエニシ様のコメントを肯定するかのように金属質な頭部を上下に揺らす。


 まぁ、たしかに……真の異文化交流を目指すのならば、ちゃんと先方の文化も尊重すべきかもしれないな。


「そうですか……じゃあ、仕方ないですね。おい、さっさと掛かって来いや、コラァ!」


 そんなわけで、止む無く俺はバールのようなものを乾いた大地に突き立て、ついでに中指も太陽に向けて突き立てたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る