第6話 井の中の恵莉花、心愛を知る
「――ってことでー、どう!?」
私は今、ここちゃんと知世と円と私の四人で寮の食堂にて夜ご飯を食べている。そのときに食べながら知世がスマホとともに何かを提案してきたのだが。
「どうって言われても……説明端折りすぎてよくわからなかった」
「えぇーなんでー?」
「知世が説明下手だからでしょ。私から説明するね」
知世のルームメイトで今知世の横に座っている円が知世の手に持っていたスマホをひょいと取ると、テーブルの真ん中に置いて画面を見せながら説明を始めた。その画面に映っているのは近くに宿と遊園地があるらしい海水浴場。
「そろそろ夏休みでしょ? だから夏休みみんなでここに海水浴行かない? っていう提案。一泊二日なら、実家に帰省する時間も他で取れるだろうし、行くときは知世の両親が保護者としてついてくれるみたいだから、そこらへんも安心」
言い終わると円は知世にスマホを返し、もう一度こちらを向いて私たち二人に返答を促す。
「海かぁ……」
「なに、なんかダメだったか?」
私が少し重たくなる頭を下に傾けると、知世が心配そうに覗き込んできた。それに対して私は首を横に振る。同時に隠し事を一つしてしまうことになった。
「いや……別に大丈夫。みんなが行くなら、私も行くよ」
「あの……ここ、親が許してくれるかわからないので、今すぐには決められません。ごめんなさい」
私の隣からここちゃんは申し訳なさそうにおそるおそるといった様子で手を挙げて口を開いた。
つい最近のこと。ここちゃんはこの学校の校長の娘さんで、さらに理事長さんの孫ということが判明した。といっても、この学校にいる生徒は大体四月始まった時点ですぐ認知していたらしく、私だけが知らなかったが。
それから大体想像つく通り、ここちゃんはものすごいお嬢様。話を聞いている感じお家は厳しそうな雰囲気だし、こういう友達との遊びも許可が必要なのだろう。
「そっか、そうだよね。ま、別に今すぐってわけじゃないから安心して。夏休みまであと一週間あるしね」
「ありがとうございます」
「二人は親の許可とかいらないの?」
「もう取った」
「はや」
そのまま駄弁りながら夜ご飯が食べ終わり、部屋に戻ってここちゃんとそれぞれ親に許可をもらいに電話をした。
私の方は母親に「オッケー!」と快諾された。三分もしないうちに終わった会話を切ると、次はここちゃんが電話をかける準備をする。
「……あの、申し訳ないんですけど、少し、どこかに行っていてもらえませんか?」
「? どうして?」
「ここ、長電話なので。それに……電話しているところ、見られたくなくて……」
髪の毛先をいじりながら恥ずかしそうにするから、なんとなく申し訳なさを感じて首を縦に振った。
「わかったよ。それじゃ、知世たちの部屋にでも遊びに行ってようかな。終わったら来てね」
「すみません、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるここちゃんに軽く手を振って、玄関の扉を開けた。
***
「え、めっちゃ気になる」
ここちゃんの電話が終わるのを待つため、知世と円の部屋である隣の二〇一号室に行って事情を話すと、知世がものすごく食いついてきた。
「別に恥ずかしいとか、そういうのでしょ?」
「そんな電話するところ見られるの恥ずかしいとかある? 絶対なんかあるでしょ」
そう言って知世はいきいきと私たちの部屋がある方角の壁に耳をぺたりとくっつける。それを見た円は困り顔で腰に手を当てる。
「ちょっと知世、人の嫌がることするのはだめだよ」
「バレなきゃ誰も嫌な思いしないからセーフ! ……んー、よく聞こえないなー」
「そりゃそうでしょ……。ほら、聞こえないんだからやめなよ」
壁から耳を離して諦めたかと思えば、今度は玄関と部屋を仕切っている扉を開けると、私たちの方をキラキラした目で振り向いた。
「見に行こう!」
「ちょ、流石にだめだよ。それにバレたら怒られちゃうよ?」
「大丈夫だって! ほら行こ!」
「わっ、ちょっと!」
呆れる円と遠慮する私を強引に両手で一人ずつ引っ張って外に出てしまった。
「……ごめんね。知世、こうなると止まらないの」
隣の部屋に行く短い廊下を渡る間に、円は子供のしたことを謝罪する親のように言った。
「大丈夫。もう一年付き合ってるから、なんとなくわかる」
部屋の前に着くと、先ほどバンと開け放った扉を今度は音を立てないようゆっくりと開く。
「それじゃ、開けるよ……」
知世がささやくように私たちに言って玄関と部屋の仕切り扉を指二本分くらいゆっくりと開く。
私たちは息を呑んで下から知世、私、円の順で頭をタワーのように積み上げてここちゃんを覗く。
「もー、パパったら、ここはもうそんなちっちゃい子供じゃないんだよ? もう高校生だもん♪」
そこには屈託のない笑顔を浮かべて嬉しそうに話すここちゃんがいた。ベッドに腰掛けて足をぷらぷらと揺らしている。
「え〜めっちゃ可愛いじゃん! 父親のことパパって呼んでるんだ〜」
ここちゃんに聞こえない音量の最大値で知世が感情を爆発させる。下を向くと知世が小動物を見ている時の微笑ましそうな顔をして蕩けていた。
「えっ、いや流石にいいよ!」
いきなりここちゃんが声を張るから、自然とそちらに視線が向かう。ここちゃんは首を小刻みに横に振って何かを拒否している。
「ご両親も納得してるみたいだし、変に……うん、わかった。でも、無理言っちゃやだからね。それじゃあね。おやすみ、パパ♪」
話が終わったのか、ここちゃんが耳からスマホを離す。するとまっすぐとこちらに向かってきた。
「やばっ、バレる!」
「あちょっと……きゃっ!」
そう言って知世が一目散に逃げ出そうとすると、その足が私の足に引っかかって三人で作り上げていたタワーがドタドタと瓦解した。
「ん? 先輩、もしかして帰ってきてたんですか!?」
ものすごく焦った様子のここちゃんの声が聞こえて、同時に勢いよく扉が開かれた。
「あ……ははー……」
床に這いつくばる三人と、それを見下ろすここちゃんの間に、知世の愛想笑いが響いた。
***
「本当に申し訳ありませんでしたー!」
私の横に土下座する知世が広がる。今私は知世と一緒に言われてもないのにここちゃんの前に正座し、知世に関しては言われてもないのに土下座をした。無言の圧に負けたのだろう。
「もう……だからだめだよって言ったのに……」
「というか、円! なんでお前はそっちにいるんだよ! こっち側だろ!?」
そう知世が苦言を呈した円はというと、ここちゃんと並んで一緒にベッドに腰掛けている。
「いいんです。円先輩はちゃんと悪いことしようとしてる人は止める人だってわかってますから」
「えぇ……一応私も止めたんだけど……」
「だって、先輩のことだから流されたんでしょう?」
「いやそう、です、けど…………すみませんでした……」
ここちゃんの圧に負けてずるずると私も頭が下がってしまった。ここちゃんは怒らせてはいけないと再度肝に銘じる。というか円も流されてた気がするけど、なんかずるい。
「まあいいです。そんなに怒ることでもないですし、許します。ものすごく怒りたいですけど」
「あー、お優しいここ様ー!」
「また怒られるよ?」
大袈裟に涙を流す知世に、円が呆れた様子で冷たい目を向ける。
次の瞬間には知世は何事もなかったかのようにいつもの様子に戻っていた。
「にしても……どうしてそこまで電話してるところ見られたくなかったの? 別に変なところなかったよ?」
「ちょっとデリカシー……」
「いいですよ。もう見られちゃいましたから。えっと、その、ですね……高校生にもなって、お父さんのこと、パパって呼んでるの、恥ずかしい、じゃない、です、か…………」
ここちゃんは言葉を口に出す度にどんどん顔が赤くなっていき、ゆでダコみたいに真っ赤になると、最後にはぷしゅ〜、と噴火してしまった。
「……あははっ! なーんだ、そういうこと!」
一瞬沈黙が流れ、知世が吹き出すとともに円と私も笑ってしまった。
「ちょっと、笑わないでくださいよ!」
「いやっ、ごめんね、笑う気はないんだよ? でも、ふふっ、ちょっと、おかしくって……」
「めちゃくちゃ笑ってるじゃないですか!」
私が堪えきれずにいると、ここちゃんが恥ずかしそうに目をぎゅっと瞑って大声を出す。
「ごめんって……でも、心配することないと思うけどなー。だって、パパママって呼んでる人、周りにもいっぱいいるし、私に関してはとーちゃんかーちゃんだしね!」
「それは……どっちが恥ずかしいとかあるの?」
「たぶんない! みんな一緒で、みんないい!」
知世が胸を張りながら変に哲学的なことを言い、周りはぽかーんとしてしまった。
「そうだ! で、どうだったの?」
その一瞬の静寂を押し除けるようにまた知世が口を開いてここちゃんの方を見る。そういえば元々親に連絡して旅行の許可をもらう話だった。ここちゃんも今思い出したといったような顔をする。
「あ、許可自体は貰えました。ただ……」
「ただ?」
「……父が『付き添いは自分が行く、旅行費も全部負担する』って言い出して……」
「え」
それまで生き生きとしていた知世がピタリと動きを止め、口を開いたまま固まった。
「もしかして、電話の終わりの方で慌ててたのってそれのこと?」
円が顎に指を当ててここちゃんに訊く。さっき覗き見したとき、ここちゃんはぶんぶんと首を横に振っていた。多分それのことだ。
「あぁ、そうですね。というか、そう言われると、見られてた実感をひしひしと感じます……」
「旅行費に関しては私たち何も言えないけど、付き添いに関しては別にいいんじゃないの?」
「いやいや恵莉花、ここちゃんのお父さんって校長だぞ? 旅行に校長来るんだぞ? 修学旅行でもねぇよ」
知世がないないと手を横に振って態度でも示してくる。そういやそうだった。確かに友達同士の旅行に校長いるのは気が気でない。それに校長は全校集会とかでしか見ないけど、結構お堅そうなイメージだ。もし羽目を外しすぎたら学校に連絡がいってしまうのではないのだろうか……そう考えると背筋がぞわっとしてここちゃんの方を見た。
「ここちゃん、なるべく付き添い来てもらわないようにしてもらえないかな……!?」
「えっと、それなんですけど……さっきお父さん、知世先輩のご両親に直接お話ししてみるって言ってたんですよね……」
「え、やばくない?」
「一応学校からではなくお父さんの電話からかけるので個人のやりとりということになるとは思いますが……連絡先とかは学校の資料から引っ張ってると思うので完全なまでの職権濫用です……父は、ここのことになると手段を選ばないようなところがありますので……すみません、ご迷惑をかけて」
なんだか思ったより大きな話になっているような気がして、この場にいる四人全員黙ってしまった。
するといきなり誰かのスマホが鳴り出した。それに応じて知世が自分のポケットからスマホを取り出した。
「ごめん、私。……父親からだ、ちょっと出てみる」
そう言って知世は応答ボタンを押して、スマホを耳につける。私たち三人は息を呑んで見守る。
「あ、もしもしとーちゃん? うん……え、まじ?」
困惑したような知世を見て私たちは顔を見合わせる。そして同時にゆっくり首を傾げた。
「あそう、ならいいけど……うん。それじゃ、おやすみー」
その言葉を最後に知世は耳からスマホを離してポチと通話終了ボタンを押す。私はその姿を見ておそるおそるといった感じで訊いてみることにした。
「えっと……どうだった?」
「なんか、いい感じに話ついたってよ、めっちゃ楽しそうだった。あと、付き添いには来ないってさ」
さらっと当たり前のように言われるものだから、妙な呆気なさに取られて反応しづらい。とりあえずよかったとは思うけど。黙っていると、円が口を開いた。
「まあ、一応よかった……のかな? 親同士で納得してるなら、子供が変に口出す話でもなさそうだし」
「というか、もう話ついたんですか? ……なんというか、うちの父も知世先輩のお父さんも、行動が早いですね……」
「まあね! マブダチになったってさ。もうあだ名で呼び合う仲だって」
「流石にそれはないでしょ」
「いや、あながちなくはないかも」
私が呆れていると、知世が真剣な顔で否定してきた。
「知世見てればわかると思うけど、知世のお父さんとお母さん、とってもコミュニケーション力が高いから」
「ああ……」
なんとなく納得した。高校の入学式の一日前、寮に初めて引っ越してきたとき、隣の部屋だということで出会ったその日に友達になった。というより、いきなり知世が円を連れて私とるるちゃんの部屋に突入しものすごい速度で距離を詰めてきて気づいたら友達になっていたというか、それと同じノリでここちゃんのお父さんも押されたのだろう。
「そういえばあだ名で思い出したんですけど、円先輩って知世先輩のことだけ呼び捨てですよね」
「あーそれ? それは円が私のこと大好きだからなー!」
「そんなわけないでしょ」
「確かに。ここちゃんはともかく、私のことも『恵莉花ちゃん』って呼んでるもんね」
「私も最初会ったときは『知世ちゃん』って呼んでたんだよ? でも知世が『ちゃん付けやだ!』って言うから」
「だってー、なんかむず痒いんだもん! それに、ちゃん付けってなんか距離感じるじゃん、同じ部屋で過ごすのに」
「私はここちゃん、って呼んでるしそんなことないと思うけど……なんなら先輩って呼ばれてるし」
「それはいいだろー。だって〇〇先輩、じゃなくて『先輩』だろ? 特別扱いじゃん」
「そう……かな?」
そう言うと知世と円がうんうんと首を縦に数回振る。ただの「先輩」という呼び名にそこまで意味がこもっているのだろうか。
「でも、先輩が呼びたいならここのこと『ここ』って呼び捨てにしてもいいんですよ♪」
「えー? なんかここちゃんはここちゃん、って感じだし……私のこと恵莉花、って呼んでくれるならいいよ?」
「むぅ、なんかずるい避け方です。今は先輩以外で呼びたくないので……でも、いつかは先輩以外で呼ぶときが来ると思うので、そのときは覚悟しておいてくださいね♡」
にっこりと天使のような可愛らしい笑顔を浮かべてここちゃんは言う。反応に困っていると、知世がにへらーっとした顔で見つめてきた。
「んじゃ話もまとまったみたいだし、そろそろ帰る……とちょっと待ったー!」
「え、なに、どうしたの大丈夫?」
知世が今まさに帰ろうと立ち上がったところを自分で抑制した。困惑していると私に向かって指を差してきた。
「恵莉花、そういえばお前、水着ないよな!」
「え、多分実家にあると思うけど……」
「いや、ないよな!」
「え、あるって……」
なぜか知世が私が水着を持っていないということにしたいのかものすごい勢いで自分を貫いてくる。ただ、その勢いも十秒で途切れ、知世の目線はここちゃんへと向いた。するとここちゃんは何かを察したように私に身を寄せてきた。
「先輩♪ 最初に会ったときより、お胸大きくなりましたよね♡」
「むぇ!?」
いきなり私の胸へと標的が向かい、思考が停止する。その隙にここちゃんは前に回り込んで、私の胸をまじまじと見つめてきた。
「これじゃあ昔の水着は入らないんじゃないですかね〜。ということで、一緒に水着買いに行きませんか?」
「ちょっと待って、恥ずかしいからそんな見ないで……! あちょっと知世なにしてるの!?」
恥ずかしさに負けて腕で胸を隠そうとすると、知世がものすごく悪い笑顔を浮かべながら私の腕を後ろに固定してきた。ここちゃんが今にも触れてしまいそうなくらい至近距離にいる。息が胸にかかってくすぐったい。
「あらら……恵莉花ちゃん、大人しく行った方が身のためだと思うよ?」
「分かったから行くから! 行くから許して!」
一切悪くないはずなのに罪悪感と敗北感を噛み締めながら許しを乞い続けたが、数分やめてくれなかった。
***
終業式が終わると同時に一学期に終わりを告げ、夏休みが始まった。
その夏休み初日に、私はここちゃんと水着を買いに出かけていた。いざ水着を買いに行くとなると、本当にみんなで海に行くんだなという実感が湧いて、ワクワク感と、それに対する隠し事へのちょっとした憂いが頭の中で混ざる。
「はぁ、なんか思い出してきた」
「前のことですか? 流石にやりすぎましたね……すみません、反省してます」
一週間くらい前の知世のいたずらをきっかけに部屋に四人集まったときのこと。あのときの恥辱が遠い時間の今にまでやってきて内側から顔を熱くさせる。
「まあいいんだけどね。でも、言ってくれれば水着買いに行くくらい付き合うのに」
「それじゃダメなんですよ。先輩にも一緒に水着買って欲しいんです」
「元の水着あるのに? ……まあ胸大きくなってたらしいし、ちょうどいいけど」
「え、あれ信じてたんですか?」
「? 違うの?」
「いや、違わないです、大丈夫です。ちゃんと成長してますよ」
変な様子のここちゃんを見ながら、デパート内の水着を売っている店についた。ついた瞬間、ここちゃんはこちらに振り向いた。
「先輩。どうせならお互い、相手に着てほしい水着を選びませんか?」
「えっ、私、センスないよ? 服とか、よくわかんないし、水着なんてなおさら……」
「大丈夫ですよ。ここ、何着ても似合う自信あるので♪」
その場でくるりと回ってにっこりとするここちゃんからは自信がこれでもかと感じられる。ここちゃんみたいな可愛い子だと、服が自分に合わせてくれるんだろうなぁ、と少し羨む。
「それに、先輩がここに選んでくれた服なら、なんでも着ちゃいます♡」
「えぇ、なんで私そんなに信頼されてるの……? ほんとにセンスないよ? 大丈夫?」
「もう、心配性ですね。……先輩がここに着てほしい、って思ったものなら、なんだって嬉しいです。だから、それ以上自分を卑下するのはめっ、ですよ?」
ここちゃんが近づいてきたと思うと私の頬を両手で挟んでダメ出しをしてきた。真っ直ぐ見つめられた目を背けられなくて少し胸の辺りがそわそわする。
「今だけは、先輩はここのことだけを考えて過ごしてくださいね♪ 約束ですよ?」
ここちゃんは固まる私の小指をここちゃんの小指で絡めてきた。
「うえっ、え?」
「ゆびきりげんまんです。嘘ついたら針千本、ですよ? 大丈夫です。ここも、先輩のことだけ、考えてますから♡ それじゃあ、選んだらここに集合にしましょっか♪ では、また後で〜♪」
「え、あ、ちょっと!」
そう言って戸惑う私にものを言う隙も与えずに去って行ってしまった。食いついた魚にあと一歩のところで優雅に逃げられてしまったときのような空気だけがそこに残った。釣りしたことないからわかんないけど。
「……とりあえず、探さないとだよね」
私は呟きながら小さくガッツポーズをして気合を入れた。
***
「全然わかんない……どれがいいの……?」
色んな水着に囲まれて右往左往を繰り返し、先に脚が疲れてしまい誰も通らない端っこで少しだけしゃがむ。
「あの……他のお客様のご迷惑になりますので、座り込むのはご遠慮下さい」
「あっそうですよね! すみません……」
近くを通りかかった店員さんに注意されてしまった。そりゃそうだ。誰も通らないからといって道のど真ん中でしゃがむのはバカだったと深く反省する。
立ち上がるときに注意してきた店員さんをみると、ものすごく綺麗な人だった。着ているものも、今どきという感じのものの中で自分に合うものを的確に選んでいる気がする。
「あ、あの……水着を、探してるんですが……」
私はそれを見てこの人ならいい感じのものを見繕ってくれるかもしれないと考え、少し気まずい雰囲気の中勇気を出して声をかけた。
「はい、どのようなものをお探しですか?」
「えっと、似合うものを探して欲しくて……」
「かしこまりました。お客様でしたら……」
「あ、いや、私じゃなくて。後輩に、買ってあげたいんです。えっと、小さくて可愛い感じの女の子で……あ、ちょうどそこにいる子です」
私は左斜め前にここちゃんを見つけて指を差した。普通の話し声じゃ届かないくらいに離れた距離の中、ここちゃんはこちらに気づいてにこっと小さく手を振った。一人で選んでいる様子のここちゃんを見て、店員さんに頼むのはずるいんじゃないかと後ろめたさを覚える。ここちゃんに対して私も小さく手を振っている横で、店員さんはまじまじとここちゃんを観察している。
「ふむふむ……わかりました!」
「えっ、こんな遠くから?」
「はい! 安心してください、こちらもプロなので!」
ものすごい自信家の人に邂逅したなと気圧されながら思う。
「あの方でしたら明るい感じの色の方がお似合いだと思います。こちらのピンクとか、黄色とか。白なんかも、お似合いだと思いますよ」
歩き出した店員さんについて行きながら店員さんセレクトの水着を見ていく。どれもここちゃんに似合いそうだな、と眺めていると、ふと目に留まったのがあった。
「そちらが気になりますか?」
「あ、はい……なんとなく、ですけど」
目の前にあるのはフリルのついた淡いピンクの水着。フリルが大きくて、まるでフリルで作られているみたい。見たときにここちゃん、って感じがした。可愛らしくて、そこまで露出も多くないし、いいかも。
「お似合いだと思いますよ! そちらにいたしますか?」
「そうですね、これで」
「わかりました。一応サイズとか確認のために、買う前に試着していただいた方がよろしいですよ。それでは、またなにかありましたら遠慮なくお申し付けください」
「はい、ありがとうございます」
店員さんが去ったあと、私は手に取った水着を少し眺める。私にしてはいいのを選んだんじゃなかろうか。店員さんの力九割九分九厘だけど。
「……これでほんとに大丈夫かな」
眺めているうちに、なんとなく不安になってきた。もしここちゃんに喜んでもらえなかったらどうしよう。ここちゃんが嫌いなタイプの水着だったらどうしよう。でも、店員さんが選んでくれたし、疑うのは店員さんにも悪いし……。
「先輩が選んだのはそれですか?」
「うひゃぁっ!?」
考え込んでいると後ろからここちゃんが声をかけてきて背筋がビクッとなる。近づいてきていることに全然気づかなかった。
「うひゃぁ、ってかわいい♡ でも、そんなに驚くことないじゃないですか」
「驚くよ、いきなり後ろにこられたら誰だって……」
「そうですか? それよりも。水着、選び終わりましたか?」
「あ、うん。一応」
「そうですか♪ それじゃあ、お披露目タイムといきましょ♡」
***
「……ねぇなんで試着室に二人で入ってるの?」
お披露目タイムということで試着室に移動して、先にここちゃんが着替えるのを外で待っていようと思っていると、「先輩♡ こっち来てください♪」とカーテンの隙間から手招きされて入ってみると、シュッとカーテンを力強く閉められた。
「もちろん、着替えるためじゃないですか♡」
「着替えるのに二人入る必要ないよね!?」
「だって先輩の着替え誰かに見られたらやじゃないですか」
「誰かに見られないための着替え場所だよねここ!?」
「毎日お風呂で裸見てるからいいじゃないですか。それに、見せるときに先輩は水着姿でこの外に出られるんですか?」
「それは、そうだけど……」
「ということで、この中で二人だけで楽しみましょ♡」
人差し指を口元で立てていたずらっぽく笑うここちゃんにまた流された。この笑顔を浮かべるときのここちゃんにはいつも敵わない。
「それじゃあ着替えちゃいましょう。あ、試着するときは下着の上からですよ。ばっちぃですから」
***
「わあ、可愛いですっ!」
お互いに後ろを向いて着替えていると、先に着替え終わったらしいここちゃんが歓喜の声をあげている。とっても喜んでくれてるみたいで、好感触。私も背中で紐を結び終わると振り返ってここちゃんを見る。ここちゃんはピンクの可愛らしい華やかさをしっかりと自らのものにしていた。この水着がこの子以上に似合う子はいないんだろうなと瞬時に感じた。あしらわれたフリルが無邪気さと清純さを際立たせている。
「うわぁ、すっごく似合ってる! ……ふぅ、喜んでくれてるみたいでよかった」
「あれ? 先輩、もしかして不安だったんですか?」
胸を撫で下ろしているとここちゃんに屈んで顔を覗かれる。それに反応して苦笑いを浮かべて答える。
「うん、ちょっとね」
「もう、先輩にもらったものならなんだって嬉しいって言ったじゃないですか」
なぜか頬を膨らませながらこちらを見つめてくるここちゃんに少し罪悪感が湧く。
「でも…………先輩、これ一人で選んでないですよね」
「えっ!? うーん、どうかなー……」
目を細くして訝しむここちゃんの視線が痛くて、咄嗟に目線を斜め上に移動させてしまう。
「先輩嘘つくの下手すぎじゃないですか? ここ、見てましたもん、先輩が店員さんと一緒にいるところ」
よくよく考えれば先ほどここちゃんと目があって手を振っていたとき、がっつり横に店員さんがいた。バレない方がおかしかった。
「……本当にごめんなさい。私が選ぶの、絶対変だから、ここちゃんに変な格好させたくないから……えっと……」
「わかってます。これは先輩なりのここに対する最大限の思いやりなんですよね? それってここのこと、めいっぱい考えてくれたってことですよね? それなら、『ここのことだけを考える』っていう約束、果たしたことになりますよね♪」
「そう……なのかな」
「そうですよ♪ それに、最初にこの水着を手に取ったのは先輩だって、知ってますから♡」
「そういやそうだったね……って、ここちゃんどこまで見てたの!?」
「先輩のこと考えてたら〜、先輩から目が離せなくなっちゃったんです♡」
わざとらしく頬に手を当てて恥じらうような素振りを見せるここちゃんに困惑する。
「ほら、次は先輩の番ですよっ! どれどれ、先輩の方はどうです、か……」
私の身体を上へ下へとここちゃんがまじまじと見てくる。すると不意にここちゃんが私の胸辺りに目線を留めて不服そうな顔をした。
「……先輩、ここへの当てつけですか?」
「なんの話!?」
いきなり静かな怒りの染み込んだ言葉に刺され、なにかしたかなとありもしない罪悪感に殴られる。私が心当たりなど一切ないという顔をしていると、怒りを爆発させながらここちゃんは私の胸を鷲掴みにしてきた。
「この遠慮を知らないお山のことです! 水着からはみ出しにはみ出してるじゃないですか!」
「待って、やめてっ! それは、ほらっ……大きく、なったからぁ!」
現在置かれている状況と、口に出す恥ずかしさが相まって顔から全身へと熱さが伝播していく。
「そんなの違うに決まってるじゃないですか! 先輩は元々大きいんですよ! ここの気持ちも知らないで!」
水着に収まらなかった胸を選んでくれたここちゃんに悪いからと意地でも詰め込んだら逆に気に障ってしまったようだ。
「気持ちってなに!?」
「わからないんですか!? ここの胸を見てくださいよ! 無ですよ板ですよ断崖絶壁ですよーっ!」
「待ってごめんって! わかったから、落ち着いてー!」
私の胸をポカポカしながら目に涙を浮かべるここちゃんを宥めるのに必死になる。すると試着室のカーテンが少し開けられる。
「あのー、他のお客様のご迷惑になりますので、大声は……あっ」
「あっ」
カーテンから顔を出したのは先ほど私が水着を選ぶのを手伝ってもらったお姉さんで、気づかぬうちに大きくなっていった私たちの声を注意しようと来たのだろう。しかしお姉さんが来たのはちょうどここちゃんと私が取っ組み合いをしているところで、お姉さんはピタッ、と固まってしまった。するとお姉さんの顔がどんどん赤くなっていって、「ご、ごめんなさいっ!」という言葉とともにシャッ! と勢いよくカーテンが閉められた。
「待って、待ってください! 誤解なんです〜!」
***
「――落ち着いた?」
お姉さんに頭を下げ、しょんぼりとしているうちに火はどんどん小さくなって、やがて消えた。
「ごめんなさい。その……コンプレックスで……」
俯きながら自分の胸に手を置くここちゃん。その目にはさっき浮かべた涙の跡がうっすら残っている。わたしも胸にポカポカされた感触が後を引いている。
「ここ、身長も低いので、子供に見られやすくて。親にも子ども扱いされてますし……もうちょっと大人になりたいんですけど」
「そんな気に病む必要もないと思うよ? ここちゃんしっかり者だし」
「内面的な話じゃなくて、外面的なことです。……大きくなるためにいっぱい食べてたら、食べる量だけ増えて、なにも変わらないですし」
ここちゃんが口を尖らす。大食いである理由がコンプレックスから来たものだとは意外だった。あれだけいっぱい食べて変わらないのは太るよりはいいと思うけど、それを今言ったところで何にもならないだろうから黙っておこうと思った。
「っと、こんな話しててもなにも変わらないですし、今は水着のことだけ考えましょう。その水着、サイズ違いないか店員さんに訊いてみますね」
ここちゃんは水着を脱いで元着ていた服に着替え、試着室の外へと繰り出す。しばらくして先ほどと同じ水着のサイズ違いを持ってきたので、あったんだなと思いながらそれを受け取ってもう一度試着する。
ここちゃんが選んでくれた水着は、上の方は白を基調としていて、肩は出ているけれど布面積が多く、おへその上くらいまで隠れる。ここちゃんのものほどではないけど、さりげないフリルがあしらわれている。
下は明るい水色と白のチェック柄で、スカートのような形になっていて、まるでお洋服としてこのまま着ていけそう。
「すごい……可愛い、これ!」
「でしょう♪ 先輩とっても似合ってます♡ この世に先輩以上に似合う人なんていませんね♪」
「流石に言い過ぎだと思うけど……」
でも悪い気はしなかった。似合っているか自分ではあんまりわからないけど、ここちゃんが選んでくれたというのと、想像以上に気に入ったのもあって、鏡に写る自分をまじまじと見てしまった。自分の姿を見るのはあまり好きではないのだけど、なぜか見たくなってしまう。
「先輩、そんなに気に入ってくれたんですね♪ よかったです♪」
「別にそんなんじゃ……いや、気に入りは、したけど……」
自分の姿をじっくり見ていたのがバレて、とてつもなく恥ずかしくなる。鏡に写った自分の顔もまた、赤くなっていた。
***
試着を終え、もとの服に着替えると、ここちゃんが思い出したように口を開く。
「そうだ、さっきいいものを見つけたんですよ。こっち来てください♪」
「あちょっと、そんな走ったら危ないよ!」
はしゃぎながら私の手を引くここちゃんは、店の端っこでハンガーにかけられている服の前で止まった。
「これは……パーカー?」
「ラッシュガードってやつです。水着の上に着る服なんですよ。これ、パーカータイプで、可愛くないですか?」
ここちゃんは一着手に取り、自分の身体の前で広げる。ラッシュガードと呼ばれた白いパーカーは、普通のパーカーと区別がつかない。
「海に入ってないときとか、寒いときに風邪ひかないようこれ羽織るんです。日焼け対策にもなりますし、濡れても大丈夫なやつなので」
「そうだね、一枚あったほうが便利かも。買っちゃおっか」
「やったー♪ 先輩とお揃いですね♡」
ここちゃんは嬉しそうにぴょんと跳ねて笑顔になる。私はハンガーに掛かってるそれから自分に合うサイズのものを取り出す。
「あ、でもこれ白いから、先輩の水着と合わせると同じ白で変かな……」
「別に大丈夫じゃない? 気になったら、前閉めちゃえばいいし」
「そうですかー? まあ、先輩がいいなら……あっ、こっちに色違いありますよ!」
ここちゃんは辺りを見渡すと、少し左にある同じパーカーの色違いを見つけ、手に取って持ってくる。今度は淡いピンク色だった。
「この色なら、似合うと思いますよ。少なくとも白で被るよりかはいいです。それに、水着とパーカーの色がここと反対だから、もっと仲良しに見えますよ♪」
「そう? それじゃあ、それで」
満場一致でお揃いを買うことになり、水着と一緒にレジへ持って行く。ちなみに私はいつも服を買わないから、たまに買うことがあるときに馬鹿にならない値段だなと渋い顔になるのだが、今回も例外じゃなかった。
***
水着を買って一週間くらい後。ちょうど八月に切り替わったぐらいの今日、私たち四人は海へと赴く。
「八時くらいに恵莉花ん家迎えに行くわー」と三日前くらいに知世から連絡があり、今日私はそれより一時間前に起き、色々出かける準備をしていた。
「ったく、昨日のうちに準備しとけって言ったのに」
「半分くらいは終わらせてたよ。そっち半分を褒めて欲しい」
「全部やれっつってんの」
めんどくささと眠気に負けて……というか元より戦う気もそこまでなかったので快くベッドに赴いた成れの果てを、タイムリミットが迫る中母親に手伝ってもらいながらせっせこカバンに詰めていた。
なんとか終わったちょうどそのとき、ピンポーン、とインターホンが鳴り、「はーい」と玄関へと出向く。
「あっ、先輩! おはようございます♡ ここがいなくてもちゃんと起きられましたか?」
ドアを開くと、やけに強い日差しと共に、ここちゃんの笑顔が飛び込んできた。
「まあ、うん」
「嘘つけ、三十分くらい起きてこなかっただろ」
後ろから母親に頭を小突かれ、不満を垂らす。
「初めまして、お母様!」
「あなたがここちゃんね。聞いてた通り、うん、超かわいい!」
母親がビシッと親指をここちゃんに向けて立てる。母親のノリがここちゃんに降りかかるのが申し訳ないと思ったけど、意外と困っている様子はない。
「せんぱぁい、ここのこと、みんなにかわいいって言ってませんかー?」
「ただ印象を伝えただけだよ。それに、ここちゃんはかわいいし」
「恵莉花、あんた思わせぶりなこと頻繁に言うもんじゃないよ」
「そうですよー先輩。ここ以外の人は勘違いしちゃいますよ?」
「えっ、なに二人とも。こわい」
ここちゃんは初対面の人とでもすぐ仲良くなって、私にはわからない通じ合いを難なくしてしまうから、いつも一人おいてけぼりにされる。
「ほら、待たせてちゃ悪いから、さっさと行ってきな。ここちゃん、恵莉花をよろしくね」
「はいっ! 任されました♪ 一生面倒見させていただきます♡」
「私は赤ちゃんか何かだと思われてるの?」
そのまま親に背中を押されて、外に出る。外は澄んだ青空が広がっていて、夏の匂いが至る所で感じられる。ジリジリと地面を焼く日差しは私にも例外なく降り注ぎ、数秒外に出ただけなのにとても暑い。
「よっす恵莉花」
「おはよう、恵莉花ちゃん」
家の前には大きな車が止まっていて、そこから知世と円が顔を出す。私が最後の一人だったみたいだ。
「君が恵莉花ちゃんだね! おはよう!」
「お、おはよう、ございます……」
車のトランクの方から背が高くて筋肉質な男の人が大声で話しかけて来て、びっくりして吃った返し方になってしまう。
「こちら、私のとーちゃん」
「知世がいつもお世話になってるね。これからもよろしくやってくれ」
「あ、はい」
「あ、荷物は後ろに積むから、こっちに持ってきてくれないか」
「あ、はい、わかりました」
一通りしかない返し方をぺこぺこと頭を下げながらしてしまったが、お父さんは気にしている様子はない。お父さんは逞しくて頼もしい腕で荷物を軽々と持ち上げるとそれを中へと入れ、トランクを閉めた。
「恵莉花ちゃん、こっちから入ってね」
背中側から声がして振り向くと、知世をそのまま大人にしたような、すらっとした背の女性が立っていた。
「こっちは私のかーちゃんね」
「あっ、どうも」
「そんな畏まらなくてもいいよ。それより、さっさと入っちゃって、もうすぐ出発するから」
「先輩、入りましょ♪」
私はここちゃんに導かれながら、車の中へと入る。その横では、私のお母さんと知世のご両親がなにやら話しているけれど、多分子供の私たちには関係ない。
車の中は三列シートになっており、ここちゃんと私は知世たちが座っている席の後ろ、一番後ろの席に座った。乗り降りに知世たちの席を経由しないといけないのは少し不便だけど、ここちゃんと二人で座る分には全然問題はない。他人の家の車の匂いに慣れなさを覚えながらシートベルトを締める。
やがて会話から戻ってきた知世のご両親が車に乗って、全員乗っていることを確認すると、すべてのドアが閉められる。
「よし、忘れ物はないか? それじゃ、しゅっぱーつ!」
知世のお父さんの威勢のいい声に導かれ、車が走りだした。私は家の前で手を振るお母さんが見えなくなるまで手を振った。
***
「今日行く場所はどのくらい時間かかるんですか?」とここちゃんが訊くと、一、二時間くらいかかると知世は返した。その目的地に着くまでの間、私たちは四人で寮にいるときとほぼ変わらない会話をしていた。
「なんか暇つぶしになるものないのかよ?」
「そう言われても……スマホ?」
「せっかく四人でいるのにスマホいじるのは嫌だなぁ。それに、私車の中で使うと酔っちゃうから」
「円先輩、酔うタイプなんですね。ここは大丈夫です」
「私も平気だな。船酔いとかもしたことないし、三半規管は強いぜ!」
「えー、ここちゃんも知世も、すごいね……私は円と一緒で酔うタイプ」
まだ車は走りだしたばかりだから、見知った街の中を走っているだけで目ぼしい風景なんてものもない。そのおかげで必然的に四人の会話がどんどん加速していく。
「よし、しりとりしよう! 『りんご』、はい円!」
「『拷問』」
「なんで終わらせにいくんだよ! てかこえーよ!」
知世からのパスを円はキラーパスなんてものじゃない状態で返し、後ろでただ聞いていた私たちは笑う。そんな会話を続けながら、一度パーキングエリアを経由して走っていると、一時間半くらい走ったときにガラッと風景が変わり、果てしない海が見えた。海にはまだ人は数人しかおらず、その数人の人たちはサーフィンを楽しんでいる。
「わぁ……すごいです……! 今日泳ぐのはここですか?」
「うん、そうだよ。泊まる場所はもうちょっと先だけどな」
そのまま走り続けいると十分も経たないうちに立派なホテルが見えてきて、あそこに泊まるんだなと理解した。車はそこの駐車場に停まり、私たちは順に車を降りていく。
知世のお父さんが荷物をトランクから出してくれるので、それを全員自分の分を受け取ると、全員でエントランスへと入る。知世のお父さんが受付で色々準備している間、私たちはすみっこの高級そうなふかふかのソファに座って駄弁っていた。
「はい、これが部屋の鍵。恵莉花ちゃんたちは二〇一号室ね」
受付を済ませたお父さんが私たちに「二〇一」と掘られたそれなり大きめの細長い直方体のついた鍵を受け取る。
「このあとすぐ海に行くから、荷物置いて部屋で着替えたら、もう一回ここ集合な」
「うん、わかった。それじゃ、また後で」
そういって私たちはここちゃんと私、知世と円の二組に分かれてお互い手を振りながら自室へと向かった。
***
私とここちゃんはエレベーターで二階に登り、渡された鍵を使って二〇一号室に入り、中を見渡す。
「わぁ〜! 結構広いですね〜!」
ここちゃんが感嘆の息を漏らした。部屋は和室で、寮の部屋の二倍くらいはあった。二人で使うには広すぎるくらいの大きさ。襖で仕切られた奥のスペースには広縁があり、そこにはいい感じの日差しが入っている。
「なんか、私たちが二〇一号室なのちょっと変な感じ」
「あ、わかります。寮では二〇二号室ですもんね。まるで知世先輩と円先輩の部屋にお邪魔したみたいです♪」
そういいながらるんるんとした様子でここちゃんはこの部屋を探索する。
「ここの押し入れにお布団があるみたいです。あとは……あっ、こっちのクローゼット、お風呂上がりに着る浴衣がありますよ!」
ここちゃんはクローゼットの中から浴衣を一着取り出し、それを自分のシルエットに合わせて身体の前に広げ、こちらに評価をねだる。
「普通の服の上からだと、なんか変」
「もー、そこは『似合ってるよ』でいいんですよ」
ここちゃんは頬を膨らませながらそれを畳んで元の場所に戻した。
「というか、こんなことやってないで早く着替えないとですね。荷物は……そこら辺に置いちゃっていいですかね?」
「いんじゃない? 別に私たち以外入らないし。必要なものだけ取り出して、あとは帰ってきたときで」
「そうですね。それじゃあ着替えましょっか♪ と、その前に……」
ここちゃんは広縁の方に行き、カーテンをシャッ、と閉め、こちら側と向こう側を仕切る襖もパタンと閉めた。
「ここ以外に見られちゃったら困りますからね……先輩のお着替えしてるとこ♡」
「え、う……ん?」
「冗談ですよ♡ さ、着替えちゃいましょう♪ あ、着替えるときはちゃんとあっち向いてくださいね?」
やけに冗談に聞こえないそれを受け流せずに数瞬棒立ちになってしまった。
***
「着替え終わりました?」
背中越しに聞こえる声にうん、と首を縦に振る。お店で試着したときは下着の上からだったから、ちゃんと着るのは今回が初めて。新鮮な気持ちになる。
「それじゃあ……そそそーっ」
瞬間移動をしたかのような妙に無駄のない俊敏な動きでここちゃんは私の前に回り込んできた。急に来られたのでちょっとびっくりしてまごついてしまった。
「な、なに? ここちゃん、どうかした?」
「いえ、やっぱりここの目に狂いはなかったなーと思っただけです♪ 先輩、とっっても、似合ってます♡ ……ちょっと我慢できなくなりそうなくらい」
「へ? なんて?」
ここちゃんがそっぽを向きながら喋ったせいか、最後の方の言葉が口の中で籠ってよく聞こえなかった。私の問いにここちゃんは「いいんです!」とちょっと困ったような、怒ったような? そんな顔でこの話に終わりを告げた。
「ここちゃんも似合ってる。すっごく可愛い」
「えへへ、そうでしょう? ありがとうございます♪」
ここちゃんは言われ慣れているといった感じにポーズを取りながら返す。自分が可愛く見えるポーズをわかっている感じで、狼狽えてしまった私とは全然違う。
「でも、大好きな人に言ってもらえるっていうのは、ものすごく嬉しいです♡」
「? ならよかった……?」
その言葉の真意を掴めず、目を閉じて首を傾げた。
「それじゃあ、前にお揃いで買ったパーカー、持ってますか? それ羽織って、知世先輩たちのところに行きましょうか。……と、その前に」
ここちゃんは思い出したという感じに自分のバッグの中を漁る。お目当てのものを見つけたのか「あったあった♪」とバッグの中からそれを取り出し、自分の顔の横に持ってきて私に見せる。
「じゃーん、日焼け止めです♪ 海の日差しは強いですから、ちゃんと塗っておかないとまっくろくろすけになっちゃいます」
「いや、そこまでではないと思うけど……」
「とにかく、先輩のためにいいやつ買ってきたので、これ使って塗ってください♪ 遠慮せずに使っていいですからね、日焼けする方が困りますので♪ あ、塗るときは手に出すんじゃなくて、塗る部分に直接乗せるんですよ?」
私は座布団の上に座って、ここちゃんに言われるまま右腕を伸ばし、腕の上で三箇所くらいに分けて日焼け止めを乗せる。手の方向に向かってするすると腕を撫でるその隣で、ここちゃんも同じように日焼け止めを塗っている。そのまま反対の腕、両足、お腹、顔や首、全身の思いつく限りの部位にくまなく塗った。
「先輩♪ 背中、塗りにくいですよね? ここが塗ってあげますよ♡」
「いいの? ありがとう」
私は座ったままここちゃんに背を向けて、少し屈む。そこに日焼け止めが垂らされて、ひんやりとした感覚を覚える。そのままここちゃんの手に背中が優しく撫でられる。
「く、くすぐったい」
「我慢してくださいねー。いつもお風呂で洗いっこしてるじゃないですか。それとおんなじです♡」
「そう、かも……?」
くすぐったさを感じないよう、時々寮のお風呂でここちゃんに洗われているときのことを思い浮かべ、目を瞑って無心になる。しばらくして塗り終わったのかぴたりと手が止まった。するといきなりここちゃんが抱きついてきた。
「ひゃっ!? なんで抱きついてるの!?」
目を瞑っていたせいで抱きつかれる予兆すら感じられず、驚きが数倍に跳ね上がった。肌と肌が直に触れ合って、ここちゃんの温もりがそのまま伝わる。
「だって人肌恋しくなる季節じゃないですかー、抱きつきたくもなりますよ」
「答えになってないよ! それにその季節は冬だと思うな!?」
「いいんです! ここはウサギさんですから、寂しがり屋なんです。だから年中人肌恋しいんですよ。それに、先輩の背中が色っぽすぎるのがいけないんですからね?」
「え、えぇ……?」
答えに困る理論で捲し立てられて、なぜか私が悪いことになった。そのまま固まっているとここちゃんが私から離れる。感じていた温かさから解放されて、部屋の空気が少し寒く感じる。すると顔を少し赤らめたここちゃんがパン、と手を叩く。
「はいっ、この話終わりですっ! 塗り終わりましたから、今度は先輩がここの背中に塗ってください」
「わ、わかった」
今度はここちゃんが私に背中を向けて、座布団の上に座る。
(ここちゃんの背中……ちっちゃい……)
すらっと綺麗なラインを引いている背中をまじまじと見ている自分に気づき、頭を振って日焼け止めを塗ることに集中する。私はテーブルの上にある先ほどまで使っていた日焼け止めをもう一度手に取り、それを背中に垂らす。
「ひゃあっ!?」
「痛っ!?」
急にここちゃんが飛び上がって、後頭部で私の鼻を殴る。その衝撃で私はよろけて後ろに倒れる。
「ここちゃん……大丈夫……?」
「はい、ここは大丈夫です……というか、先輩の方こそ大丈夫ですか!?」
「うん、大丈夫。痛かったけど、鼻血とかは出てないみたいだから」
起き上がりながら鼻の辺りを触って確認する。血も出ていなければ、腫れているわけでもない。それにしては後引く痛さがそれなり強めに残っている。
「ごめんなさい。日焼け止めがひんやりしたので、びっくりしちゃって……」
「大丈夫だよ。私も一声かければよかったね」
なんとなく重たくなった空気のまま、ここちゃんはもう一度背中を向ける。
「それじゃあ、行くよ?」
私はもう一度背中に日焼け止めを乗せる。今度はここちゃんは微動だにせず、黙って背中を撫でられるのを許している。
背中を触るたび、ここちゃんの小ささを感じる。先ほど身体全体で感じた温もりが、今度は手のひらから伝わる。その大きさの違いにどこかぽっかり穴が空いたような感覚になる。
「そ、想像よりもくすぐったいですね、これ。さっきの先輩の気持ち、わかるかもです……」
ここちゃんが言葉を発したのはわかったけれど、なんと言ったかまではわからなかった。私はぽっかり空いた穴に引きずられてぼーっとしながらここちゃんの背中を触る。
「あの……先輩? 黙ったままだと、その、気まず――ひゃあっ!? なんでいきなり抱きついてるんですかぁ!?」
「え? ……はっ!」
ここちゃんの大声が耳に入ってきてぼーっとしていた意識が戻ってきた。すると自分が今ここちゃんに後ろから抱きついていることに気づいた。
「ご、ごごごめん! なんで私っ……!?」
「もう、びっくりしましたよー。先輩も人肌恋しくなっちゃったんですか?」
「そんなんじゃないよ! あ、今退くから……」
「待ってください」
私が身体を背中から離そうとすると、ここちゃんは私の両腕を前に回した状態のまま掴んだ。
「もうちょっとだけ……このままでいませんか……」
「でもっ、ほら……日焼け止めもう塗り終わったし……」
「日焼け止めって肌に馴染むまで時間がかかるんですよ。……その間だけ、このままでいませんか?」
ここちゃんはいつもの元気な声と違う少し泣いてしまいそうなか細い声で、それでいてどこか甘えるようにぽつりと言葉を吐く。顔はこちらに見せてはくれないけれど、耳が少し赤く見える。
「うん……いいけど……」
それ以降お互い喋ることはなかった。ただずっと私はここちゃんに抱きついたまま、ここちゃんに両手を掴まれている。手のひらで感じた温もりを、今度はまた身体で感じる。ここちゃんの鼓動が背中越しに私の胸に伝わってくる気がする。
どうして私はこんなことをしたんだろう。ここちゃんが言うように、人肌恋しかったんだろうか、もしかしたら、さっきのここちゃんも今の私みたいに無意識に抱きついてたのだろうか。
「恵莉花ーここちゃーん、準備できたかー? そろそろ行くぞー」
「うわぁっ!」「ひゃあっ!」
急に部屋のドアがノックされて、知世の声が聞こえてきた。私とここちゃんはびっくりしてお互いの身体を離す。
「どうした? なんかあったか?」
「う、ううん! なんでもない……」
平然を装いながらドア越しに知世と会話する。幸いドアを開けて中に入って来てはいないから、中の様子は見られていない。
「もう準備できましたので、今そちらに向かいますね!」
「そっか。んじゃ一階のエントランスで待ってるから、さっさと来いよー」
そう言ったあと、知世の去っていく足音が聞こえてきて、部屋の中がシンとなった。
「……行きましょっか。パーカー、忘れずに羽織ってくださいね」
「うん……」
***
「うおーすげー!」
エントランスに集合したあと、歩いて三分くらいの海水浴場へと向かった。ホテルから駆け出して先行した知世がわかりやすく目を見開く。私たちも遅れて横に並ぶと、一面のきらきらと輝く青が目に入ってきた。砂浜のちょっと後ろの道路から眺めても大迫力だ。
「おぉ……雄大……」
「結構眩しいかも、綺麗だけどね。二人とも、日焼け止めはちゃんと塗った?」
円に訊かれて先ほど部屋にて行ったここちゃんとの塗り合いっこを思い出して少し顔が熱くなる。私は鼻の頭を少し撫でて、ここちゃんも目をそらして俯く。日焼け止めを塗るのには苦労した。それはもうこれ以上ないくらいに。
それとは別に海が近づくたび、この間咄嗟にしてしまった隠し事が緊張感を身体の中でじわじわと増幅させる。
「なんだよーせっかくの海なのに二人とも暗いぞー!」
「知世ははしゃぎすぎ。ハメ外して怪我だけはしないでね?」
「だいじょーぶ! 保護者が見守ってるから!」
「見守られてれば怪我しないわけじゃないからね……?」
知世の両親はビーチでテントを張ってくれている。知世は円が腰に手を当てて嘆いたそばから「よっしゃいくぞー!」とここちゃんと私の手を引っ張って海へと繰り出した。
「わ、ちょっと待ってそんな走ったら転ぶ……へぶっ!」
「先輩!?」
コンクリートから砂に変わる境界線で緊張感と慣れない砂の感覚に足を取られて、その拍子に知世から手が離れ顔から地面に滑り込んでしまった。砂は柔らかいとはいえ、少しヒリヒリする。ここちゃんにもらったばかりのパーカーも砂まみれになってしまった。後ろから円が駆けつけてくる足音が聞こえる。
「もー、だから言ったのに……大丈夫? ケガはない?」
「うん、全然大丈夫」
「先輩、手貸しますよ」
「あっはは、恵莉花はどんくさいなー!」
「知世のせいでしょ!」
「あだっ」
円から切れ味のいいチョップが繰り出され知世の頭上に落ちる。よほど痛かったのか、大袈裟に反応しているだけなのか、知世は両手で被弾部分を押さえている。円が誰かにチョップをするところなんて見たことなかったから、私も少し驚いた。
「今回は大丈夫だったけど、転んだ場所に岩とかガラスとかあったらケガしちゃうんだよ?」
「ううぅ、わかってるよ。……ごめんな、恵莉花」
「ううん、大丈夫。それより……早く海入ろ?」
私は立ち上がって出来る限り身体についた砂を払い落として知世の両親がテントを張っているところに行き、パーカーを脱いだ。
「お、恵莉花の水着、可愛いじゃん。ここちゃんに選んでもらったの?」
「うん。私にこういうの似合うのかよくわからないけど……」
「いいじゃん、似合ってるよ!」
「ありがとう。そういう知世も、似合ってる」
上着を脱いだ知世は、黒のビキニを身に着けていて大人っぽい。背が高くてスタイルもいいから、クールでスポーティーな知世のイメージがそのまま反映された感じ。
「ほんと、黒似合う人なんてそうそういないよね」
「ええ、知世先輩、かっこよくて素敵です♪」
横から同じく上着を脱いだここちゃんと円が会話に入る。円は黄色いワンピースタイプの水着を着ている。
「円も似合ってるよ?」
「えっ、私!? お世辞はいいよ。これだって、あんまり肌見せたくないから選んだだけだし」
「そんなことないですよ。似合ってます♪」
「そうだぞー、円は可愛いんだから、もうちょっと自信持てよなー」
「知世……タラシみたいなこと言うのやめなよ?」
なんだよー! と知世が地団駄踏んでるのをよそに、テントから人影が出てくる。大きな身体を持つその人は、知世のお父さんだ。後ろにお母さんもいる。
「恵莉花ちゃん、ここちゃん、楽しんで来いよ!」
「えっ? あ、はい」
「怪我には気をつけてね。いってらっしゃい」
お父さんから親指を力強く立てられ、気合いに準ずるなにかを入れられる。それと同時に、お母さんから手を振られ、それに私も手を振って返す。今から海に入るのだと実感がようやく湧き、軽く深呼吸をする。
「せんぱーい♪ 早く海、入りましょ♡」
ここちゃんがいたずらっぽい顔を見せる。この顔をするときのここちゃんはなんだか嫌な予感がする。するとここちゃんは私の手を取り、勢いよく海に駆け出した。
「え、わっ、ちょっと!?」
まるでここちゃんが知世になってしまったみたい。そのままぐいぐいと海の方に進んでいき、海に入る最初の一歩すらその勢いに押され「つめたっ!」と声を漏らしたぐらいでさらっと流された。
「先輩♪ せっかくなら、二人でゆっくり泳げるところに行きませんか?」
「えっ? どういうこと?」
頭の中の整理が追いつかないままそう言うや否や、ここちゃんは私の両方の手と手を繋ぎ、後ろ向きでどんどん海の奥の方に行ってしまう。こちらに向いた顔はものすごく楽しそう。
「え、ちょっとちょっと待って!」
ここちゃんは私を引っ張って、しかも後ろ向きなのにどんどん泳ぐスピードを上げていく。やがて足がつかなくなるほど深い場所に行くと、周りにいる人も少なくなった。足がつかない不安感と、さっきからずっと増幅してる緊張感が心臓をうるさく鳴らす。
「ここら辺だと、二人っきりになれますね♡」
「そうだけど、ここちゃん、流石に奥まで来すぎじゃない? ブイ、すぐ後ろに見えてるよ?」
「大丈夫ですよ♪ そうだ、先輩」
「?」
「…………ぱっ♪」
「えっ」
天使のような笑顔を浮かべたここちゃんが目の前にいること以外、なにが起きたのかわからなかった。けれどすぐに、ここちゃんが私と繋いでいた手を離したことを理解した。
その瞬間、どんどん自分の身体は海に呑まれていって、全身から血の気が引いていくのがわかった。
「なんっ、ごぼっ! ……たしゅ、けっ……」
本能的に手足をバタつかせて、水面を打つ。けれどどんどん視界は海に沈んでいって、口の中が塩辛さと恐怖に支配されていく。
全部沈んでしまう前に、ここちゃんが私を抱きかかえて海の上へと浮上した。
「ふぅ。先輩、大丈夫ですか?」
「げほっ、うぇえ、けほっ! じぬ! じぬがどおぼっだ!」
私は泣きつく子供のようにここちゃんに縋り付いた。
「ごめんなさい、そこまで怖がらせたいわけじゃなかったんですけど。それにしても先輩……先輩って、泳げないですよね」
今まで綺麗に貫けていたと思っていた隠し事が簡単に暴かれギクッとする。それに応じて、先ほどから感じていた緊張感がようやく抜けた。
「……そうだけど」
「やっぱり♪ 気になっちゃったので、ちょっといたずらしちゃいました♡ そんな深刻な顔されると思わなかったですけど……」
「だってあのままだったら溺れるよ! 死ぬよ! かわいい顔してなんてことするの! ……というか、気づいてたの?」
「はい♪ 先輩のことならなんでもお見通しですから♡ ……というのは嘘で、実はるるさんに聞いてました。初めてるるさんと会ったときに」
「初めてって…………あ、弱点がどうのってやつのこと?」
夏休みに入る一週間か二週間くらい前の、ファミレスの空気を思い出す。るるちゃんは去り際に私にここちゃんの弱点をいつか教えてあげる、と言い残した。そのときに平等に、なんて言ってたから、多分事前にここちゃんは私の弱点を教えてもらってて、それがこれのことだったのだろう。
「よく覚えてますね。『えりちゃんって、実はカナヅチなんだよ』って言ってました。そのときはなんでいきなりそんな話、って思ってましたけど、もしかしたら海に行く未来でも予知したんですかね?」
「そんな予言者みたいな……」
るるちゃんの真意の読めなさからしてありえそうだなと少し思ってしまった。そもそも、私が泳げないなんて今まで雑談の中でちょろっと一度言ったか言ってないかくらいなのに、よく覚えているものだ。このことは知世や円にすら言ってない。
「とにかく、もう絶対手離さないでね!? 約束だよ!?」
「ふふっ、今の先輩は、ここがいないとなにもできないんですね♡ かわいい♡」
「うぅ~、そうだけど、言い方っ!」
私はここちゃんの指と指の間に自分の指を一本ずつ絡ませて、これでもかというくらい念入りに手をつないだ。
「わぁ、今日の先輩、大胆♡ それじゃ、このまま泳ぐ練習しましょっか♪」
「えっ? 泳……ぐ…………?」
「はい♪ だってせっかくの海なんですから、泳げるようになったほうが楽しいですよ?」
「無理だよ! 十七年泳げなかったのにいきなり泳げるようにはなんないよ!」
「大丈夫です。ここがついてますから、一緒に練習しましょ♡ まずは水に慣れるところから始めましょっか。ということで、一緒に水の中、潜ってみましょう♡ はい、さん、にー、いち……」
「むり、むりぃ! ごぼっ、ごぼぼぼぼ…………」
***
「足は付け根の部分から動かす感じで……そうです、その調子ですよ」
手のひら全体に感じる繋がりだけを頼りにここちゃんに言われた通りバタ足の習得を試みる。ことあるごとに褒めてはくれるのだけど、環境がそれを打ち消すように過酷。泳げない者にとって足もつかない場所というのは底なし沼と同義、バンジージャンプの怖さなど優に超える。プールと違って波がある分、揺られるたび心臓がキュッとなるような恐怖感に煽られる。新手のアメとムチ、スパルタだ。
「せめて、足着くところでやらない?」
「先輩が泳げるようになったらいいですよ♪」
「鬼だー!」
「でも十分上達してますよ。さっきなんて顔を水につけるのも怖がってたのに、今なんて泳ぎながらお話しできてるじゃないですか」
「それは、そうだけど……」
そう言うとここちゃんは少し苦笑いに近い微笑みを浮かべる。
「でもなんだかんだ長時間泳いでますね。さすがに意地悪しすぎましたし、休憩も兼ねて、一旦テントに戻りましょうか」
「やった……ようやく、極楽浄土が……」
「先輩はこの数十分で悟りでも開いたんですか」
そのまま砂浜に着くまでバタ足は継続させられ、足がつくくらいの深さになると、足指の間を抜ける砂の感覚と今まで縁を切っていた重力と復縁したことへの感動に打ちひしがれた。
「おー戻ってきた。お二人とも楽しそうでしたなぁ」
テントに戻ると知世が手を振って迎え入れてくれる。ここからだと先ほどまでいた底なし沼の辺りはよく見えないから、楽しそうに遊んでいたように見えたのだろう。なんとも皮肉。隣の芝は青いというやつか。……使い方これで合ってる?
「知世先輩と円先輩は何してたんですか?」
「私たちもさっきまで海に入ってたよ。知世が元気すぎて疲れて、私は途中から寄せ波に足浸けてぼーっとしてただけだけど」
「円は貧弱すぎるんだよなー。すぐへばるし、競争しようぜ! って一緒に泳いだら気づいたら後ろにいるし」
運動神経がいい知世のことだから、多分自分で勝手においてっただけなんだろうなとほか三人の苦笑いが一致する。
「そうだ! ちょうどみんな集まったならさ、あれやろう!」
「あれって?」
知世がテントの中のバッグをがさごそと漁り、ぺちゃんこの何かを持ってきて、自慢げに見せびらかしてきた。
「それって……ボール?」
「そ。ビーチボール。空気入れるやつね。子供のころ使ってたのまだあったから、持ってきた。これでビーチバレーしようぜ!」
その提案に円と私はものすごく微妙な顔をしたのだが。
「わあ、いいですね! やりたいです!」
とここちゃんがものすごくうれしそうに目をキラキラとさせるので知世は自然の摂理だとでもいうようにそのボールに空気を入れ始めた。
「ああ……これはまた疲れるやつだ……」
「あはは……まあ、二人ともやりたいなら、いいんじゃない?」
***
ビーチバレーできそうな場所を見つけ、知世がそこら辺にあった棒切れでコートを描く。ネットはないのでそこら辺は雰囲気。そして知世と円、ここちゃんと私のチームに分かれた。
「ここで会ったが百年目、二〇一号室と二〇二号室のどちらが強いか決着をつけようじゃないの!」
「望むところです、知世先輩!」
「えっと……これは乗ったほうがいいの?」
「恵莉花ちゃん、多分気にしなくていいと思うよ」
円も私も、隣のバディが妙に熱くなっている空気に困惑する。そのあとすぐに知世がサーブを打ち込んできた。
「うわっ!」
そのボールはちょうど私のど真ん前に来たのだが、鋭く撃ち込まれたそれに対応しきれず、私は斜め後ろのコート外にはねてしまった。させまいとここちゃんが砂を鳴らしながら猛ダッシュで回り込む。
「先輩、大丈夫です! 上げるので相手側に打ち込んでください!」
「ええっ、私そんなのできないよ!?」
戸惑っているうちに正確に私の上にここちゃんはボールを上げる。意を決して相手側にボールを入れることだけを考え、手を伸ばす。
「えーいままよ!」
焦ってしまい、トスをするかのように両手で押し出してしまった。しかし球速は遅いが相手側には入ったみたいで胸をなでおろす。落下地点には円がレシーブの構えで待っている。
「はい! ……あごめん知世!」
受け止められはしたが、ボールの軌道が横に逸れ、大きく上に上がった。
「任せとけって!」
それを逃すまいと知世はボールへと駆け寄り、ボールが最高地点へと達した瞬間、飛び上がる。
「うぉら!」
知世は強烈なスパイクとともにそのボールを我が物に変え、こちらの陣地へと鋭く撃ち込んでくる。そしてそれは私の方向へとまっすぐ飛んできて。
「待っ……へぶっ!」
私の顔面を蹴り上げ空高く飛び上がった。私は衝撃をもろに食らい後ろへ倒れこむ。
「ナイスレシーブです先輩!」
ここちゃんはそのボールに助走をつけて食らいつき、力強く腕を振った。
「はあっ!」
「んなぁっ!」
その剛速球に反応しきれず、知世は砂に飛び込むも返すことはできず、ボールは相手のコートの中へと落ちた。
「よしっ! やりましたよ先輩……ってそうだ、大丈夫ですか!?」
「うん、大丈夫、そこまで痛くはないから…………あと、なんか知世に仕返ししたくなってきた」
「ああ……とうとう恵莉花ちゃんまであちら側に……」
円が嘆いている間に知世からボールが私たちの方に渡され、ここちゃんがキャッチする。
「それじゃあ、行きますよ」
ここちゃんがボールを上に放り投げ、それを勢いよく叩くと共に開戦の合図が鳴る。
***
そのあとも何回戦か続けていたのだが。
「先輩、ここに任せてください!」
「円、下がってろ!」
ヒートアップするに連れ私と円は疲れとともにボールに反応できなくなっていき、それをここちゃんと知世がカバーをしているうちに、私たちのボールを触る回数はどんどん減っていき、やがて……。
「ほっ」
「やっ!」
「とおっ」
「えいっ!」
「ふっ!」
「はあっ!」
「おらぁ!」
「たあっ!」
「……私たち要る?」
二人が二人だけで見事な空中戦を繰り広げるので、棒立ちになった円と私は真ん中の境界線越しに雑談していた。
「あはは……恵莉花ちゃん、私たちが出る幕はもうないみたいだし、二人に飲み物でも買ってきてあげよっか」
円は苦笑いしながら向こう側にある自販機を指差した。
***
私たちは戦線から離脱し、少し歩いたところにある海の家の横、先ほど円が指差した自販機を目指し歩いた。私は円に先を譲り、円が飲み物を二本がこん、がこん、と落とすのを見ていた。
「あの二人、息合うのかもね」
円は取り出し口からスポーツドリンクとオレンジジュースを取り出しながら遠くで未だ空中戦を繰り広げているここちゃんと知世に目線を送る。二人の戦いは衝突音的ななにかがこちらにまで聞こえてきそうなくらい激しい。
「うん。ここちゃんも楽しそう。あんなここちゃん、見たことないかも。いたずらっ子な部分が通じ合ってるのかな」
出会って数ヶ月、色んなここちゃんを見て来はしたけれど、なにかに燃えている熱いここちゃんは今まで見たことがなかった。
「ふふっ、嫉妬しちゃうね。恵莉花ちゃんも、私も」
「嫉妬?」
「そう。知世、なーんか私といるときより楽しそうに見えるから」
自販機をバトンタッチして取り出し口に屈みながら横目に円を見ると、知世を眺める横顔がどこか遠くを見るようで、やけに印象的に映った。
「寂しい?」
「……ちょっとね。知世と私は性格がバラバラだから、うまく合わない部分も多くて振り回されちゃうし、運動も全然だから、ここちゃんみたいに一緒に身体を動かすこともできないし。寂しいというより、悔しい」
ちょっとした笑い話だと言うように円は私に向かって苦笑いをして、手に持ってるオレンジジュースを開けて一口飲んだ。
「円は、知世のこと大好きなんだね」
「ん゛ん゛っ……けほっ、えほっ!」
「大丈夫……!?」
オレンジジュースが変なところに入ったのか、円がいきなりむせ出した。私は咄嗟に円の背中をさする。
「うん、大丈夫、ごめん……恵莉花ちゃんが言うと、ちょっと違う意味に聞こえちゃって」
「? どういうこと?」
「ううん、なんでもない。……そうだね、大好き。大好きだから、もっと仲良くなりたいんだけどね。窮屈にしてたら、どうしようって。私に合わせて、嫌な思いしてないかなって」
「うーん……それはないんじゃない? だって、なにかやるときはいつも知世が発端でしょ。今日の海水浴もそうだし。本当に窮屈してたら、そんなことできないと思う。それに、円といる知世はいつも楽しそうだよ」
「そう? そうならいいんだけど……知世、意外と周りのこと見てるからさ。あんなんだけど恵莉花ちゃんのこととかも、結構気にかけてるんだよ?」
「私?」
「そう。だから、私に対して気使わせてそうだったら申し訳ないなぁって……ごめんなさい、変な話しちゃったね」
「ううん」
私も円にならって自分のために買ったリンゴジュースを開けて飲んだ。なんだかんだずっと動いてたし、結構喉が渇いてたのに今気づいた。
「ここちゃんと仲良くなったよね」
「え? そう、かな」
急に話を振られて、飲んでるリンゴジュースを口から離した。
「そうだよ。だって、るるちゃんと離れ離れになっちゃって最初は寂しそうだったけど、最近、ここちゃんといるとすごく楽しそう」
「そう……かも。というより、ここちゃんに振り回されてたら、寂しくなる暇なんてなかったというか……」
「あはは、そうなんだ。でも寂しくなっちゃうより、いいんじゃないかな」
「……だね」
遠くでまだボールを落とさんと激戦を繰り広げているここちゃんと知世を見た。全く違う空気が流れてる私たちとの間に、波の音が穏やかに迫って、引いた。
「……でも、時々思うの。もしかしたらここちゃんって、私の苦手なタイプなのかもって」
「苦手? 仲良さそうに見えるけど」
「仲は……多分いいんだと思う。一緒にいて楽しいし、ここちゃんも私のこと嫌いじゃないみたいだし……けど、ここちゃんの気持ちに応えられてないって感じることが多くって」
なんとなく長引いてしまった話の中で脚が疲れて、その場に座り込んだ。それに合わせて円も隣に座ってくれた。
「恵莉花ちゃんはさ、ここちゃんのこと、嫌い?」
「そんなわけない! 大好きだよ!」
首が取れそうになるほど大きく首を横に振る。なにかに急かされて慌てるように。
「ふふっ、なら、いいんじゃない?」
「え?」
「苦手とか相性とか、細かいことじゃなくて、仲良くなりたいか、どうか。私はそうだと思うけどな。それに、ここちゃんは他でもない、恵莉花ちゃんと仲良くなりたいんだよ?」
「私と……」
先輩、と元気に呼んでくれるここちゃんが頭の中に浮かぶ。私の目を真っ直ぐと見つめて、まるで心の奥底まで覗き込まれているような、それでいて、ここちゃんなら覗き込まれてもいいと思うような心地よさが胸の中で広がって。
「……私も、ここちゃんと、仲良くなりたい」
「そうだね。私も知世と仲良くなる。……それに、知世は私が隣にいないとダメだから」
円はにっこりと笑う。先ほど見せた苦笑いの苦味が抜けていったみたいに。そのままひょいっと立ち上がって、その場で伸びをした。
「隣にいないとダメだから、そろそろ帰ってあげようかなー? ……お互い、これからも隣にいてあげないとね。振り回され隊として」
「それは『want 振り回し』ってことでおっけー?」
「ふふっ、悪くはないかな」
***
――燃え尽きた。真っ白に。
砂の上に手足を放り投げ、天を仰ぐ。まるでこのまま沈んで自分も砂になってしまいそうだ。潮風に煽られて自分側のコートに落ちているボールが敗北を知らせるように砂の上を虚しく歩く。
「わー……なんかものすごい惨劇の後って感じ」
「二人とも、大丈夫?」
先ほどいつの間にかコート上から霧散した二人が何事もなかったのように帰ってきた。それに反応して起き上がろうかと思ったけど今はまだ重力に身を預けることしかできない。
「お前ら! どこいってたんだよ!」
同じくあちら側のコートで地面に身体を放り投げている知世先輩が苦言を呈す。
「だって二人で楽しんじゃうんだもん。はいこれ、スポーツドリンク」
「さんきゅ。……じゃないよ試合中だよ!」
「もう終わってるじゃない」
知世先輩と円先輩があちらのコートで口喧嘩のような何かを繰り広げているのを横目に、先輩がこちらに歩み寄ってきた。
「ここちゃん、大丈夫? これ、飲み物」
先輩が上から覗き込みながらスポーツドリンクを渡してくる。先輩のおかげで日陰が作られて、なんとなく涼しい。
「先輩……飲ませてください……」
「いいけど、本当に大丈夫?」
こくりと最後の力を振り絞って頷く。先輩は蓋を開け、目の前にそれを持ってきて傾ける。
「……っふぅ。生き返りました♪」
「はや」
体力の回復した証に、砂の束縛から上半身を起こす。すると既に起き上がっていた知世先輩と円先輩がこちらに近づいてきた。
「この勝負、私たちの勝ちだな」
「むー、悔しいです〜。どう考えたって負けた理由身長差じゃないですか、高いところから返すのずるいです」
正攻法じゃはっはっは、と知世先輩は豪快に笑う。その横で先輩が子供を見守るような目で微笑む。
「二人とも仲良くなったね」
「違うぞ恵莉花。私とここちゃんは元よりマブダチ! つーかーの仲!」
「つーかー……?」
「はいはい、みんなそこら辺にして、そろそろお昼ご飯食べない?」
円先輩の言葉に上を見る。もう太陽は真上付近まで昇っていた。
「もうそんな時間……そうだね、それじゃ――」
「ああっ、僕のシャチ男があっ!」
子どもの泣くような大声が聞こえて、全員の視線がそちらに向く。その子は海の中に入って行って何かを追いかけているみたいだった。その視線の先を見ると、シャチの形をしたフロートが波にさらわれ一人でに遠くへ泳いでいる。
「あれ、どんどん遠くに行っちゃいますよ!?」
そのシャチは砂浜とは真逆の方向を目指し、ぐんぐんと泳いでいる。持ち主であろう子では脚のつかないくらいの場所まで行ってしまった。その子どもはライフセーバーに危ないからと止められ泣き出してしまった。周りの人たちもなんだなんだとシャチと子供を見ている。
「かわいそうだよ……けど……」
「先輩……」
いつもの先輩なら、真っ先に助けに行くのだろうけど、あいにくシャチが逃げ込んだのは海。泳げない先輩はなにもできないのを悔しそうにこちらの気持ちも知らず悠々と泳ぐシャチを見つめていた。
「……ここ、行ってきます」
「えっ、あ、ちょっと!?」
「ここちゃん、危ないよ! ライフセーバーさんに任せよ!?」
先輩たちの制止を振り切り、勢いよく海に飛び込んだ。海に入ると、周りの音がなにも聞こえなくなる感覚がした。泳ぎには自信はあるけど、少し時間が経っているからシャチとは距離が離されている。
先ほど燃え尽きていたことなんて忘れ去るように、全速力で泳ぐ。逆流する波が少し煩わしい。しかしシャチの泳ぐ速さよりも速く泳げているのか、どんどん距離が縮まっていく。
しかし、シャチはとうとう遊泳区域を区切っているブイを越えて区域外に出てしまった。
(もうここまで来たらしょうがないか……!)
一瞬迷ったが、止まることなく迷いごとブイを突っ切って、その先でようやくシャチを捕らえた。
「やった、獲った……! うわ深っ!?」
泳ぐ体勢を直すと、区域外の危険さを味わった。幸いシャチが海の上で耐えてくれているので溺れることはなかった。
***
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「いいえ、どういたしまして」
そのまま戻ってきて、持ち主へとシャチを返した。その子は泣いていた跡のある赤くなった目を細めて、嬉しそうにお礼を言って、帰って行った。その背中に手を振っていると、先輩たちが近づいてきた。
「ここちゃん」
「あっ、先輩!」
その子供の笑顔に嬉しくなって、浮かれながら先輩の元へ駆け寄った。
「なんであんなことしたの!」
「えっ」
浮かれた気分に叱責されたからか、先輩が今までになくはっきりとした口調で言い放ったからか、驚いて呆然としてしまった。知世先輩と円先輩も後ろで不安そうな顔を浮かべている。
「あそこまで行ったら危ないよ! それに、なんで途中ライフセーバーさんが行っちゃダメって言ってたのに止まらなかったの?」
「それは……」
途中シャチを捕らえることにムキになって周りの音が聞こえなかった。だからライフセーバーの声も聞こえなかったのだろう。けれど、区域の外に出てしまったのは紛れもない事実だし、ライフセーバーに任せようと言った先輩の声を無視したのも確かだ。
「ものすごく心配したんだよ!? ここちゃんにもなにかあったらどうしようって!」
「……すみません」
罪悪感が一気に背中を上ってきて俯いてしまった。
「……ごめん、私もいきなり大声出しちゃって」
「いえっ、先輩は悪くなんか……! 悪いのはここで!」
「私が泳げないから、代わりに助けに行ってくれたんでしょ?」
胸の内を見透かされたような感覚がして固まってしまう。先輩は今までの険しい顔が消え去ったようにいつもの優しい顔へと戻っていく。
「ここちゃん、優しいから。ありがとう」
「そんなっ、ここ、悪いことして、怒られるべきなのに……」
「確かに悪いところは叱ったよ? でも、いいところまで叱っちゃダメじゃない?」
先ほどと真逆の微笑みを向けられて、調子が狂う。俯いていると、ぽんぽんと割れモノに触れるような柔らかさで、先輩が頭を撫でてくれた。
「よし、この話終わり。お昼ご飯、食べに行こ? ……と、その前に」
「?」
「ライフセーバーさんに、謝りに行こうか」
「あ……はい……」
***
ここちゃんと一緒にライフセーバーさんに頭を下げ、「もう二度としないでください」と冷たく釘を刺されもう一度気分を沈めてからテントでパーカーを着直し、海の家で待っていた知世と円の元へ向かう。そこには知世のご両親もいた。
「いい怒られっぷりだったなー」
「もうゆるしてください……」
「まあもう終わったことだし、気にしない。それよりご飯食べよ? 私お腹空いてきちゃった」
円が照れくさそうに言って、四人で海の家に入る。海の家の中は、席の半分くらい人で埋まっていた。私たちは一番奥の六人席に全員で座る。
「まあ、嫌なことはやけ食いして忘れるんだな! いくらでも食べていいぞ!」
「え、あ、お父さん、それ……」
席について知世のお父さんがメニューを広げながらここちゃんに告げる。一瞬、ここちゃんの目が光ったように見えて少し嫌な予感がし、お父さんに忠告しようとしたがもう遅い。
「――そうですね。店員さん!」
「はいっす。注文お決まりっすか」
軽い感じの女性の店員さんが来て、注文を取ろうとペンと紙を取り出す。
「焼きそばとラーメンとカレーください!」
「は!? まじで!?」
お父さんの横に座っている知世が口をあんぐりとさせてわかりやすく驚く。ここちゃんは元より大食いだが、今日は拍車がかかっている。
「あと、浜焼きと、たこ焼きと……というか、ここのページの全部ください!」
「え、ちょ、まじすか。お嬢さんやばいっすね」
「はっはっは、いい勢いだな、ここちゃん!」
店員さんが驚きすぎて接客業であることを忘れ、知世のお父さんがとても嬉しそうに笑う。
「テーブルに入り切る? これ」
「それよりこんなに食べて大丈夫なの……?」
「まあ……心配すんな! 父ちゃんが全部持ってくれるから!」
「吹っ切れたように言うけどそれ大声で言うことじゃないからね」
店員さんが若干引き気味に手元に持っている紙にここちゃんの注文をせっせと書き込む。そしてその動揺のままここちゃん以外の注文を聞かずに帰ろうとしたので、慌てて引き留めた。
***
「ふぅー、食った食った。……んー、まだ帰るにも早い感じだし、もうちょっと遊んでくか」
昼食を食べ終えた私たちは、海の家から出る。出てきてすぐに、知世が太陽の位置を見ながら言う。
「そうだね。……そうだ。知世、私と二人で遊ばない?」
「え、円と? いいけど、なんで二人だけで? いつもと変わらないじゃん」
「それは……ちょっとこっち来て」
円は手招きして知世を近くに呼び寄せて、手を添えて耳打ちする。ちらちらとこちらを見ながら話してたのがなんとなく気になる。
「……ああ、なるほど、そういやそうだったわ」
「でしょ?」
「え、なに。ものすごい気になる」
「まあ……気にすんな!」
知世に親指をビシッと立てられ強引に流された。不意にぎゅっとここちゃんが私の腕に飛びついてきた。
「先輩♡ あちらがお二人で楽しむなら、こちらも二人っきりで楽しみませんか♪」
「いいけど、なんで対抗したの?」
元より二人がどこかに行ってしまえばここちゃん以外に遊ぶ人はいなくなるから必然的に二人っきりにはなるのだが。するとここちゃんは先ほど円が知世にやったように耳打ちをしてきた。
「円先輩、今日知世先輩とあんまり遊べてないから寂しそうじゃないですか、だから、今は二人きりにしてあげませんか?」
さっきビーチバレーを抜け出して自販機前で話していたことを思い出す。あの会話を聞いていたわけではないはずなのに、ここちゃんは円が少し寂しそうなのに気づいていたのか。ここちゃんの観察眼に目を少し開く。
「……わかった。それじゃ、こっちはこっちで遊ぼっか」
「わーい♪」
「それじゃあ、いい感じの時間になったらテントに戻ってきてね。よし円、行くぞー! なにするっ?」
「そうだなぁ、さっきは動きに動いたから、今度は砂のお城でも作ろうかな?」
「えーなんだよー! もっと身体使うやつにしようぜー!」
「やーだ。さっき知世のやりたいことしてあげたでしょ? 今度は私の要望、聞いてもらうから……」
その場を去るときに仲良さそうに話す二人を見て杞憂だったのかなと頭を掻く。
「先輩♡ ここたちも行きましょっか♡」
「うん……ん? 行くってどこに?」
***
「さっきまであんなに食べてたのによく入るね」
ここちゃんが行くと言った場所は目の前の先ほどお昼ご飯を食べた海の家。
「甘いものは別腹、ですから♪」
ここちゃんは受付の前で幸せそうに笑う。数分すると店員さんがこちらに近づいてきた。
「はいどうぞ。かき氷です」
「すごい、おっきいですよ先輩! あ、外にあったベンチに座って食べましょ?」
ここちゃんと私が頼んだのは海の家の前に幕が垂れ下がってるかき氷。目の前のそれは想像の五割増くらい氷があって、その上にフルーツがわんさか載っていて、さらにその上からシロップと、追い討ちといったように練乳がかけられている。
運ぶのも一苦労のそれをベンチに持って行ってそこに二人並んで座る。
「さっきメニュー見たときに食べたかったんですよね♪ でも外で食べてみたかったので後回しにしちゃいました」
「食べ切れるかなぁ、これ」
「もし残しちゃったら、ここが残り全部食べますよ♡」
「今日のここちゃん、すごいね……」
寮に来た初日で食堂のおばちゃんに顔を覚えられるくらい多くの量を食べるここちゃんだが、今日は比喩表現抜きで三倍くらい食べている。
「それじゃあ、いただきまーす♪ あむっ……んー! 美味しいです♡」
蕩け落ちそうなほっぺたを手で支えて美味しさを表現するここちゃんは、とてつもなく幸せそう。私もそれに続いて側面の一部をスプーンで掬い取って口に入れてみる。
「ん! 美味しい。これなら全部食べられそうかも」
「ですよねっ! 今まで食べたかき氷の中で一番美味しいです!」
大興奮のここちゃんは次々と口にかき氷を運んでいく。それを眺めて私は微笑ましくなりながらゆっくりかき氷を食べ進めていく。
「あーむっ♪ ……ふぅ、ごちそうさまでした」
「はやっ!?」
ぼーっとしているうちにいつの間にかここちゃんは山のようにあったかき氷を食べ終えて手を合わせていた。
「ごめんね、食べるの遅くて」
「いえ、大丈夫です。ゆっくり食べてくださいね……あれ?」
「ん? どうしたの?」
不意にここちゃんが意味ありげに空を見上げて手のひらを上に向けた。
するとぽつん、ぽつんと水滴が空から落ちてきて、地面の砂を濡らす。
「雨、ですね」
「うそ。待って、今全部食べるからっ」
「あ、先輩、そんなにかき込むと……」
「っ〜〜〜!」
「だから言ったのに……」
急に大量のかき氷を食べたせいで頭を痛みが鋭く刺した。私は目をぎゅっと瞑って手を頭に当ててそれを過ぎ去るまで耐えるしかなかった。
***
なんとか本降りになる前に食べ終わって、海の家の外に出た。
「今日は降らないって言ってたんですけどねー。天気予報の嘘つきさん」
「うーん、このまま遊ぶのもあれだし、ちょっと早いけど帰ろうか」
「あ、待ってください」
歩き出そうとした私のパーカーの袖を掴んで、ここちゃんは私を留める。
「どうせ濡れてもいい格好なんですし、ちょっとだけ、雨、浴びてみませんか? 風邪引く前に、帰りますから」
はにかむここちゃんは、好奇心が抑えられない子供のようにうずうずしている。
「……うん、いいよ。正直、私もちょっと浴びてみたい」
「ありがとうございます♪ それじゃあ、雨に向かって走っちゃいましょう!」
「うえっ!?」
私の手を掴んで全速力で引っ張っていくここちゃんに置いてかれないように私もスピードを上げて走る。雨の降る方向に逆流するように走っていっているから、顔にも、身体にも雨が降りかかって少しくすぐったい。
「あははっ! 気持ちいいですね! 天然のシャワーだぁ♪」
「うんっ、冷たくて気持ちいいかも」
「ここ、雨って嫌なものって思ってましたけど、これ、好きになりそうです♡」
ここちゃんが満面の笑みでスピードを上げていく。それに合わせるようにして雨も私たちに向かって横殴りになっていく。そろそろ追いつけなくなってきて、足が疲れと砂に取られてもたつく。
「……っと、そろそろ帰らないと風邪ひいちゃいますかね」
「はぁ、はぁっ、はぁ……うん。というか、私たちテントと逆方向に走ってたから、帰るの大変じゃない?」
「…………もう一回走っちゃいましょ♪」
「待って! もう無理!」
「今度は雨が味方してくれますから、ね?」
「そういう問題じゃ……あ待って引っ張らないでー!」
私はここちゃんに手を引っ張られながら雨に背中を押されて、至れり尽くせりな中へろへろになりながら走った。
***
雨に降られてホテルに帰ったあとは、ホテルの中に備え付けのゲームコーナーがあったので四人でそこで夕飯まで時間を潰した。もう一度二対二でやったエアホッケーで、知世にビーチバレーの借りを返したここちゃんは楽しそうだった。
そのあと夕飯をホテルの食堂で食べた。すき焼きとか、お魚とか、いろんな料理が詰め込まれていた。ここちゃんは昼のときと劣らない食欲で、おかわりできるのがお米とみそ汁だけだったので、渋々それを何回もおかわりしてた。知世が「シャトルランかよ」と苦言を呈していた。
そのあとは各々の部屋に戻って過ごすことになって、ここちゃんと私はすぐに二階にある温泉に入ることにした。
「わぁ〜広いです〜!」
「すごい。寮と全然違う。ちょっとワクワク」
大浴場の扉を開けると、ここちゃんから感嘆の息が漏れる。湯船が何個もあって、中央にある一番大きな湯船は一クラス全員で入っても余裕そうなくらい大きい。
そんな温泉には、夕飯の後だというのに人っ子一人いない。
「先輩♪ 二人っきりですね♡」
「まあ、そうだね」
「ということで……先輩っ、どれから入りますか!?」
煌びやかに目を輝かせながら私の手を取っていざゆかんとするここちゃんを私は慌てて止める。
「走ったら危ないから! それに、入る前に身体洗わなきゃ。一応マナーでしょ?」
「そうでした。いつもやってることなのに、うっかり忘れるところでした。温泉って罪ですね♪」
「ここちゃんが不注意なだけじゃない……?」
手を繋いだままシャワーのある場所へと向かい、寮でいつもやっているようにお互いに洗いっこする。
「そういえば、寮で身体洗わずに入った人は一週間お風呂掃除させられるって話、ホントなんですかね? もし入ったとして、確認方法もないですし」
私の頭を洗いながらここちゃんは訊いてきた。寮でのルールとして湯船には身体を洗ってから入るというものがあって、それを破ればここちゃんが言った通り一週間風呂掃除を科されるという噂。あくまで噂だし、私は実際にやっている人をこの目で見たことがない。言われるまで思い出さないくらい薄い存在だが、なぜか学校の生徒全員が共通で持っている認識だ。
「どうなんだろ。とてつもなくそのまま入って欲しくない人が噂流したとかかもね」
「そんな回りくどいことします? まあ律儀にみんな守ってるので作戦としては成功ですね」
笑い話をしながらお互い洗い終わって、シャワーのある場所から出る。
「よし……それじゃあ、どれから入りますか!?」
ここちゃんは先ほどの調子を戻して、ワクワクを抑えきれずに目をキラキラとさせている。
「うーん、どうしようかなー。……いっそ露天風呂から入ってみる?」
「はっ……そんなことしちゃっていいんですか!?」
「まあ、誰もみてないし」
別に誰かが見ていようが露天風呂に最初に入ってはいけないなんてルールはないが、なんとなく特別感があるのでその気持ちはわかる。
「それじゃあ、露天風呂っ、行きましょ♪」
***
「ううーっ。夏でも、裸で外は寒いですねー」
外に出ると、雨はもうとっくに上がっていて、空には綺麗な星が出ていた。海に近いのもあって潮風がここまで届くのだが、それの匂いよりも肌に触れる寒さの方が強く感覚に刻まれる。露天風呂までの道のりは短いが、外気に肌をさらされ急かされるので見た目より長く感じる。石畳の道で滑らないように慎重に歩を進めているのも、それをさらに手助けしている。
やがて露天風呂の階段に差し掛かって、慎重に足を下ろしていく。
「ふわぁっ、あったかいです〜……」
ここちゃんが気の抜けた声を出して、するすると露天風呂の中に入っていく。それに続いて私もそそくさと入る。
「あーあったかい〜。……でも帰るときもあそこ通らないといけないんだよね」
「先輩、考えちゃいけませんよ」
ここちゃんは人差し指を私の口元に持ってきてそれを制止する。
「それにしても、ほんとに人っ子一人いませんねー」
露天風呂には中と変わらず私たち以外の人はいない。まるでこの世界から私たち以外消えてしまったみたいに。
「そうだね。そもそも泊まってる人少ないのかな? でも海には結構人いたし……みんな日帰りとか?」
「まあ、ここにとっては嬉しい限りですけどね。――こんなこともできます、しっ!」
「うばっ!」
至近距離から鋭い水撃が顔に直撃して目を瞑る。ここちゃんは上手くいったという感じに悪い笑みを浮かべている。手元を見ると、水鉄砲を手で作り上げていた。
「先輩、綺麗に引っかかりましたね♪」
「やったなぁ……このっ!」
対抗して私も手で水鉄砲を作りそれを発射したのだが、軌道が逸れて斜め上の方向に飛んでいってしまった。
「どこ狙ってるんですか? ここはここです、よっ!」
「んがっ!」
また顔面に直撃して頭を振る。どうにかして一矢報いたいとやり返すが、全て避けられてしまい、逆にここちゃんの攻撃は全て顔面で受け止めてしまう。
「ここちゃん……強くない……?」
「先輩がちゃんと狙わないからですよ〜」
「くそぉ……もう一回っ!」
そう言って一発発射したときだった。
ひゅ〜〜〜っ…………ばんっ!
「え? うわっ!」
「あ、当たった」
「い、今のは反則じゃないですか!」
ここちゃんが顔に受けた水滴を頭を振って吹き飛ばす。私が水鉄砲を撃った瞬間、海側の方から大きな音が聞こえてきて、夏の夜空に二人とも目が釘付けになってしまった。
花火が、打ち上がったのだ。
その隙を突いて私の水撃がここちゃんを狙ったことなどお構いなしに、ひゅ〜〜っ、ばん、ひゅ〜〜っ、ばん、ばん、ばばん、ぱらぱら……と、心地いい音とともに満天の夜空に色とりどりの花が咲く。
「綺麗……花火やるなんて、聞いてました?」
「ううん、全然。そっか、もしかしてみんな花火見に行ってるからこんなに空いてるのかな」
「かもしれませんね。でもこの場所、ものすごく綺麗に見えますよ。誰も知らない二人だけの特等席ですね♪」
ここは二階だから、地上よりも空に近いところで花火を見られる。もし花火をやるなんて聞いていたら、わざわざ外に見に行っていただろうから、聞かなくてよかったかもしれない。
ひゅ〜っ、ばん、ひゅ〜っ、ばん、と、次々に何色もの花火が咲いて、露天風呂の水面にその明かりを映す。まるで私たちのいる場所も星空になったようで、不思議な気分。空が綺麗に彩られるたびなんとなく黙ってしまって、お互いの間に嫌じゃない沈黙が流れた。どんどん打ち上がる量が増えていく。そろそろクライマックスといった感じだ。
ひゅ〜〜〜っ…………ばんっ! と、最後に一際大きく七色の花が丸く綺麗に空に咲くと、ふっと空は暗い色に戻り、しんとなってしまった。
「……もう終わりかな?」
「そうみたいですね……いや、先輩っ、あれ見てください!」
ここちゃんがなにかを感じ取って露天風呂から出て、落下防止の柵の先を見下ろし、指を差した。その方向に促されるまま湯から出て、柵の向こうを見てみる。
「うわぁ、すごい……!」
今度は地面に近いところで、まるで大きな瀑布が流れ落ちるように、連なる花火の明かりが一面に炎の滝を作り上げ、サー、と迫力のある音を立てている。
「こんな綺麗な花火があるんですね……!」
「私も知らなかった。初めて見たよ」
「ふふっ♪ 今日はここの、一生の思い出になりそうですっ!」
花火の明かりに照らされて、ここちゃんの笑顔が天使のように光り輝く。その笑顔に胸の辺りがそわっとして、なんだかヘンな気分。
一分もしないうちに炎の滝は流れ終えて、再び夜の静けさが辺りに流れた。
「……あ、終わっちゃいましたね。あっという間でした」
「もうちょっと見てたかった……っへくしゅん!」
興奮の時間が過ぎて、外の寒さを思い出したかのように全身で感じる。
「このままだと風邪引いちゃいますね。中に戻って、今度は違うお風呂、入りましょう♪」
***
温泉から上がって自室に戻り、クローゼットの中にあった浴衣に着替えると、自分のスマホに夥しいほどの着信履歴が入っていたことに気づいた。
「なにこれ!?」
「どうしたんですか? ……うわ、いっぱいですねー。って、全部知世先輩からじゃないですか」
私はそのうちの一つをタップして、知世に電話をかけると、半コールくらいで繋がった。
「はや」
「恵莉花遅いよ! もう花火終わっちゃったよ!」
「え? 花火?」
「ああ。さっき花火やってたんだよ。二人に伝えるの忘れててさ、部屋訪ねてもいないみたいだったし、めっちゃ電話掛けたんだけど出なくて……」
「ああ、それで。心配しなくていいよ。花火なら見られたから」
「えうっそ、マジで!? どこで?」
「うーん……内緒、かな」
「なんだよそれー!」
電話越しの知世の声が聞こえていたのか、ここちゃんは私と目を合わせていたずらっぽい笑顔を浮かべた。私も多分同じような顔をしていたと思う。あの場所は、私たち二人だけの特等席だから。
***
「それじゃあ消しますね」
あの後知世と円が温泉から上がると風呂上がりの卓球に付き合わされ、当たり前のようにダブルスでやり当たり前のように知世とここちゃんが燃えていた。そしてまた途中からヒートアップする二人をよそに円と私は違う台で緩くラリー目的の卓球をしていた。その後自室に戻り、布団を二つ敷いて今に至る。
ここちゃんがパチンとスイッチを切り替え電気を消して、敷いた布団の中に戻ってくるのを隣に敷いた布団の中で待つ。
「今日は疲れた……こんなアクティブになるつもりなかったんだけどね」
「知世先輩が振り回してましたからねー」
「ここちゃんも大概だったよ?」
隣で寝るのはいつもと変わらないはずなのに、なぜか遠く感じる。
「いつも二段ベッドの上で寝てるから、お布団の感覚、慣れないですね」
「そうだね。なんか、地面に寝そべってるみたい」
「……先輩。あの、ここ、先輩と一緒のお布団じゃないと眠れそうにないんですけど……そちらに行っても、いいですか?」
「うん、いいよ」
ここちゃんが遠く感じる理由が今わかった。いつも同じ布団の中で寝ているせいで、布団を隣り合わせにしただけでは、妙にもどかしい感覚が生じる。
ここちゃんはもぞもぞと布団の境界線を越えて、私の布団の中に入ってくる。この感覚だ。お互いに向かい合って眠るこの感覚に、安心感を覚える。
「……はぁ、落ち着きます。先輩って、暖かいですよね」
「そうかな?」
「そうですよ。一緒に寝ると落ち着いて、優しい気持ちになって……まるでゆたんぽです♪」
「うん……? それ褒めてる?」
「褒めてますよ。抱き枕と双璧をなす布団系最上級の褒め言葉じゃないですか」
「全っ然聞いたことないよ?」
そうですか? とここちゃんは少し笑いながら答える。少しだけ沈黙が流れて、その間にここちゃんは私にゆっくり抱き着いてきた。
「……なんか安心する」
「安心ですか? 抱き着かれてる側なのに?」
「うん。よく眠れそう」
「ふふっ、ここもです。先輩には抱き枕の称号も上げましょう♪」
「えっと……ゆたんぽで抱き枕で……この場合どうなるの?」
「んー、最強の安眠グッズですかね?」
「最上級の上を行く褒め言葉がそれでいいの?」
向かい合って笑い声を響かせる。暗がりの中にうっすらと見える無邪気な笑顔は、いつもと変わらない距離。
「もう、こんなことしてたら寝られないじゃないですか」
「ここちゃんのせいだよ?」
「ええ? ……まあいいです。明日もありますし、めいっぱい遊ぶためにも、今は眠りましょ?」
「そうだね。それじゃあ、おやすみ」
「はい♪ おやすみなさい、先輩♡」
その言葉を合図に、私たちは同時に目を瞑る。暗闇の中に聞こえるここちゃんの安らかな寝息に、私は優しく微睡んだ。
***
ドンドンドン!
「起きろー朝だぞー! 寝坊したらおいてくからなー!」
朝には聞きたくないタイプのハキハキとした声に目を覚ます。伸びをしてから隣を見ると、先ほどの声を聞いても瞼一つ動かさない先輩の顔が目に入る。なんとなく先輩を起こさないように布団から出て、ドンドンと未だ衝撃を一身に背負ってくれている扉に向かう。
「んぅ……ふわぁーっ。おはようございます……先輩方……」
「おーおっきなあくび」
扉を開けると、知世先輩と円先輩が立っていた。二人はもう浴衣から私服へと着替えており、今起きたという感じではなかった。
「もう朝飯の時間だぞ。恵莉花は起きてんの?」
「いえ、寝てます」
「やっぱり。恵莉花ちゃん、朝弱いもんね」
「よっしゃ叩き起こしてやる」
そう言って知世先輩が部屋に入ってくる。そしてこのホテルにいる全員を起こすかのような大声で先輩を起こさんとする。
「起きろーーー! あと三秒以内に起きないとお前の上に乗ってトランポリンするぞーーー!」
「ちょっと知世、他の人に迷惑かかるからやめて!」
円先輩に口をふさがれてその地響きは収まる。今ので完全に目が覚めた。まだ耳の中で余韻がこだまして少しふらふらする。が、先輩は未だに目を瞑っている。
「うーん、手ごわいな」
「そんな無理やりな起こし方しなくても大丈夫ですよ」
そういって先輩のもとで屈んで、先輩の耳に口元を近づける。
「せんぱぁい♡ ふーっ……」
「うひゃあぁぁ……なに、なにぃ」
耳に息を吹きかけてくすぐると、先輩は今までの地蔵っぷりが嘘のように飛び跳ねた。
「おはようございます、先輩♡ やっぱり先輩、耳弱いですね♡」
「んもう、もうちょっと普通の起こし方してよ……」
寝ぼけた口調で先輩が苦言を呈する。やっぱり先ほど鼓膜を破らんとするレベルの大声は先輩の耳には一切入っていなかったようだ。
「私は何を見せられてるんだ。惚気か」
「北風と太陽じゃない?」
後ろで知世先輩が頭を抱えて、円先輩が慣れたというように微笑んでいる。
「というかそれで起きんなら私が声張る必要なかったじゃん! あれ結構喉痛かったんですけど!」
「んぇ? なんの話……」
「もういいわ! ほら、さっさと着替えて食堂に来いよ。もう朝飯の時間なんだから」
そう言い残して不服そうな知世先輩とその真逆の円先輩は部屋を出て行った。
「だ、そうですよ♪ ここ、もうおなかペコペコなので、早く起きてくださーい」
***
昨日それなりに疲れたせいか、とてつもなく眠かった。ここちゃんに促されるまま、朝の身支度をして、一階の食堂に向かった。そこにはすでに知世とその両親と円が座って朝食を食べていた。
朝食はバイキングで、昨日の夕飯は満足におかわりできなかった分、朝だというのに食欲が衰えないここちゃんが全部の食べ物をコンプリートしてきたときは流石に困惑の色を隠せなかった。知世は「フォアグラにでもなる気か?」と零していた。一人で大量に消費したせいで従業員の人の顔色はあまりよろしくなかったけど、知世のお父さんは相変わらず笑ってた。
「チェックアウトは十時だから。それまでに出る準備しとけよ」
朝食を取り終えると、知世からそう言われた。そのまま自室に戻って、チェックアウトのために身の回りを整理する。
「わぁ、朝の海、綺麗ですね」
「どれどれ……ほんとだ。キラキラしてる」
ここちゃんが広縁の窓から昨日泳いだ海を見下ろしている。横に並んで見てみると、日光を水面が反射して煌めきながら悠々と凪いでいる。朝のこの時間帯にも昨日と同じサーフィンをしている人がいた。
意外と早く整理が終わったので、時間より少し前にチェックアウトした。
「みんな、忘れ物はない?」
知世のお母さんが車に乗るときに声をかけてくれた。特にはないことを伝えると、シートベルトを締めて、車が発進した。
予定では今日は隣にある遊園地に行く。
「ホテルからどのくらいなの?」
「十分もしないよ。すぐ着くから、降りる準備しとけよー」
私は知世のその言葉を聞きながら、遠ざかっていくホテルを見て、ようやく一日目はもう昨日のことなんだなと実感した。
***
八分くらい車が走ると、大きな建物がいくつも見えてきて、それらがアトラクションの類であることに気づくにはそこまでかからなかった。
「すごい広いじゃん」
「だよね。知世、ホントによくこんな所見つけたね」
「ふっふっふ、ネットの海をなめるなよ?」
「それ自分の力じゃないのでは……?」
駐車場に車を止めて、歩いて遊園地のエントランスへと向かう。
「それじゃ、夕方ぐらいになったら帰るから、それまで楽しんで来いよ!」
知世のお父さんが豪快に手を振って見送ってくれる。それに手を振って、四人で遊園地の世界へと足を踏み入れる。それと同時に、どう回るかの会議が始まる。
「よっしゃ、何乗る!? やっぱジェットコースターだよな!」
「最初からそれに行くの? もう少し緩いやつからのほうがいいんじゃない? コーヒーカップとか」
「コーヒーカップ緩いかなぁ……」
「あ、あのメリーゴーランド可愛くないですか!? あれ乗りたいです!」
「みんなバラバラだなー。恵莉花はどこ行きたい?」
「私? 私かぁ……」
突然振られて少し考え込む。しかし、何も思い浮かばずその旨を伝えることにした。
「私はみんなに合わせるよ」
「おいおい連れないな。こういうのはなんでもいいから一個なんか上げるんだよ」
「そうかな。うーん……挙げてないので行けば、お化け屋敷とか?」
「えっ」
そう言うとここちゃんから世界が終わったかのようなモノクロのトーンで声が聞こえてきた。
「なんでばらけさせてくんだよ! ……ったく、しょうがないなー。ここは平等にじゃんけんといくか。みんないくぞー。じゃーんけーん」
「「「「ぽん!」」」」
***
じゃんけんは知世が勝ち、最初にジェットコースターに乗ることになり、あとは先ほど挙げたものの中で近いところに行く、という感じになった。
「ひゃっほぉぉぉぉい!」
「待って待ってこんな速いなんて聞いてない!」
二列になって座り、私たちの前に座っている知世と円が正反対の声を上げる。ジェットコースターは山よりも高い場所からほぼ垂直に急降下したり、螺旋の軌道を速度を一切落とさずに走り抜け、コースを縦横無尽に駆け巡った。
「気持ちいいですねーっ!」
「うん普通に怖いけどね! 脱線とかしないよねこれ!?」
ジェットコースターの名に違わず乗っている時間もすぐだった。乗り場から降りて地図を見て、次はコーヒーカップに乗ることにした。カップが動き始めてから早々、知世に嫌な気配を感じる。
「ここちゃんってバレエやってたんだよね?」
「はい。ですからちょっとは三半規管強い自信ありますよ♪」
「そうかいそうかい。それじゃあどこまでいけるか勝負だな!」
「ちょ待って知世これそういうアトラクションじゃないから! ねえー!」
心地よく揺られるはずのコーヒーカップはミキサーと化し、バターってこんな気持ちなんだろうなと回る世界の中で思った。コーヒーカップから降りても、回る感覚は消えず、足元がぐらついているような気がした。知世とここちゃんは案の定ピンピンしてた。
「せめて次はゆったりしたものがいいな……」
「お! あそこにフリーフォールあるぜ!」
「人の話聞いてた!?」
結局勢いづいた知世はだれにも止められず、フリーフォールへと乗ることになった。
逞しい柱に括り付けられた椅子に乗り、スタッフさんの前振りと、「いってらっしゃーい!」を合図にロケットのように一気に空へと打ちあがる。椅子に叩き付けられるような重力を感じながらどんどん天辺を目指し昇っていく。天辺に達したとき、一瞬ふわっ、と無重力になった気がして、本能的に落ちる、と頭の中に警鐘が響き、安全バーを縋るように握りしめる。そして椅子から浮いたような感覚のまま、一気に落ちる。
「やばいやばい怖い! きゃあぁあぁぁあぁ!」
***
「一旦、一旦休憩させて……」
私と円は近くにあったベンチに座ってうなだれた。
「はい。お二人とも、水買ってきましたよ」
「ありがとう、ここちゃん」
私は差しだされたペットボトル受け取って飲む。意外と喉が渇いていたのか、半分くらいまで一気飲みしてしまった。
「いやー、流石にすまんかった。ちょっと調子に乗りすぎたね」
「ほんとだよ……知世はもう少しブレーキを踏めるようになってください」
円が力なく零す。私はペットボトルの残っていた分を全部飲み干して、ふたを閉めた後に近くにあったリサイクル箱に捨てた。
「さて、次どこ行こう」
「え、恵莉花ちゃんもう休憩終わったの?」
未だベンチに座っている円から意外そうな、まるで仲間に裏切られたとでもいうような声が聞こえてきた。
「うん、ちょっと良くなったよ。なんだかんだ楽しいし、私もちょっと浮かれてるのかも」
「そっか……よし、みんな行くなら私も行く」
そう言いながら円はベンチから立ち上がる。
「ちょ、無理すんなよ?」
「無理じゃないよ。一応動けるくらいには回復したし」
「少しでも休憩したくなったらまた言ってね?」
「うん。ありがとう」
「それじゃあ、どこ行きましょうかね? そろそろここもゆったりしたアトラクションに行きたいです」
「そうだな、それじゃあさっき言ってたメリーゴーランド行くか。円、それならいけそうか?」
「うん、大丈夫だと思う」
「決まりだね」
端っこのベンチに座ったので、メリーゴーランドまで少し歩いた。ここちゃんは乗りたかったものに乗れるからか、少し足取りが軽やか。
四人で馬の背中に乗る。意外と愛嬌のある顔をしていてなんとなく憎めない顔だなと思った。緩やかに回転し始め、馬もそれに合わせて上下に気ままに揺れる。
「おお……結構楽しい。思ったより揺れるけど」
「本物のお馬さんより揺れるかもです。楽しいですねぇ♪」
「本物と比べちゃダメじゃない……? というかここちゃん、本物の馬乗ったことあるの?」
「乗馬やってました♪」
「おおう……ゴージャス……」
「どこの芸人だよ」
今までの疾走するような激しさとは一変したアトラクションに結構心が弾んでいて、乗っている時間が一瞬に感じられた。
「さてと……次は恵莉花のお化け屋敷だな」
「えっ……」
ここちゃんがピシッと固まってもう一度モノクロトーンの声を出した。
「なに? なんかあった?」
「いや……お化け屋敷って子供騙しじゃないですか。ここももう高校生だし? 行く必要ないかなーって」
「……よし行こう」
「なんでですかぁー!」
知世が非情にここちゃんの腕を掴んでものすごくキリッとした顔でお化け屋敷を目指す。あの顔するときの知世はとてつもなくいたずらしたいときの顔だ。
「だって一番ウッキウキでメリーゴーランド乗ってたやつが子供っぽいとか今更だろ」
「ぐぅ……わかりました! 行きます! 行けばいいんですよね! こうなったら全員成仏させてやりますっ!」
「ゴーストバスターズのアトラクションだったっけ?」
***
「二人一組になってお入りください」
「んじゃ、先行ってくるわ」
「うん、終わったら出口で待っててね」
スタッフさんの誘導とともに知世と円が黒い幕の向こうへと消えていく。そのまま次のスタッフさんの指示を入り口で待つ。横でここちゃんがものすごく緊張しているのでそれが伝播して私も背筋が伸びる。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、ノーマクサンマンダーバーザラダン、臨兵闘者皆陣列在前」
「ここちゃんが壊れた……」
ここちゃんが無心の顔で念仏……のような何かを唱えているのでスタッフさんから妙な視線を感じる。
「ここちゃんってさ、もしかして怖いの苦手?」
すると唱えていた呪文をピタッと止めて、こちらに素早く首を向け、若干怒るように泣き叫ぶ。
「そうですよ苦手ですよ! 子供っぽいって言うんでしょう知ってますよ自覚症状ありますよーっ!」
「そ、そんなこと言ってないよ?」
ここちゃんは頬を膨らませて恨めしそうにこちらを見てくる。
「それでは次の方、二人一組になってお入りください」
「ひゃい!」
こちらの恐怖心などお構いなしといった感じでスタッフさんが列を捌く。その標的にされたここちゃんが背中に冷たい水を浴びたみたいにピシッとなる。
「すぅ、はぁ……それじゃあ……行きますよ」
「う、うん」
深呼吸するここちゃんを見守ってから黒い幕を二人で通り、暗闇の世界へと身を投じた。
***
「先輩、絶対に手、離さないでくださいね……?」
中はお互いの顔が少し確認しづらいくらいには暗かった。空気には嫌なジメジメ感がある。
「ちょっと、私も怖いかも……」
怖さに引っ張られて昔るるちゃんとホラー映画鑑賞会をしたのを思い出した。るるちゃんはホラーが大好きで、映画も本当に怖いものを選りすぐって来たのでその日の夜私は眠れなくなるし、トイレにも行けなくなるしで大惨事だった。今回はそうなりませんようにと心の中で少し祈る。
「な、なにかありますよ……? あれが言ってた鍵じゃないですか?」
ここちゃんが目の前の仄かに明かりに照らされたテーブルの上を指差す。お化け屋敷に来たときにスタッフさんから説明された、このアトラクションの特徴。脱出ゲームとお化け屋敷を足し合わせたアトラクションで、いたるところに配置された鍵を三つ集めて脱出するというもの。
「あ、やっぱり鍵です! さっさと貰って脱出しちゃいましょう!」
「あ、そんな不用心に近づいちゃ……」
脱出の手がかりが見えて少し明るくなっていたここちゃんの顔が、次の瞬間恐怖に塗り潰された。
「ぴゃあぁぁぁぁ!」
鍵を取ろうとした瞬間、天井から血塗れの長い黒髪の女が逆さまに飛び出してきた。ここちゃんはお手本のような悲鳴をあげ、私に抱きついてくる。
「ずるいじゃないですか急に脅かしてくるなんて!」
「お化け屋敷を全否定しないの……」
半泣きのここちゃんを腕にくっつけながら、鍵を手に取る。
「あと二つ、だね」
「これをあと二回もやらないといけないんですかぁ……?」
「しょうがない、頑張ろう」
ここちゃんをできる限り励ましながら、次の場所へ進む。しばらく歩くと、小さい部屋に着いた。
「ん? なんかある。これは……クイズ?」
目の前の壁に今にもちぎれてしまいそうな風化した紙が貼られており、その上におどろおどろしい文字でクイズが書いてあった。その横には「百秒以内に解け」と書いてある。下には箱があり、鍵がかかっていて開かない。クイズに答えれば開くのだろうか。
するといきなりがこん、と音がしたと思うと、百秒以内に答えろと書いてあるところの下に括り付けられた砂時計がひっくり返り、砂を落とし始めている。砂がさらさらと零れるたび、ここちゃんの顔が青ざめていく。
「こ、これっ、早く答えないといけないやつじゃ……!」
「そうみたいだね」
「せっ、先輩! 早く、早く問題を!」
腕にしがみつくここちゃんに急かされて、私はクイズを読み上げる。
「えっと、『右と左、おしゃべりなのはどっち?』」
「右ですっ、口があるからっ!」
「はやっ。えっと次……」
「まだあるんですか!?」
「三問ある。『十羽のカラスが隠れている場所は?』」
「カーテンですっ、鳴き声っ!」
「はやいね、えっと最後! 『卒業式の日に貰う花は?』」
「牡丹っ! 第二ボタンっ!」
三つ全ての問題を三十秒しないで解いてしまった。火事場の馬鹿力というやつだろうか。これで終わりか、と呆気なさと安堵に胸を撫で下ろす。しかし、そんな甘い考えを嘲るかのように砂時計は一向に落ち続けている。
「なんでっ! なんでなにも起きないの!?」
「答えが間違ってるとか?」
「そんなはずっ……あっ、先輩! 右のカーテンですっ! そこにボタンがあるはずですっ!」
「えっ?」
「早く!」
促されるまま右を見ると、確かに黒いカーテンがあった。そこを捲ると、壁にボタンがついており、勢いよく押した。
するとがこん、と音がした。振り返ると、砂時計が横に寝そべり、砂が止まっている。
「お、終わった……? よかったぁ……もうダメかと……」
力が抜けたのか、ここちゃんが私と手を繋いだままその場にへたり込む。
「大丈夫? すごいね、こんな早く解いちゃうなんて。ここちゃんが全部先に答えちゃうから、私考える暇もなかったよ。それにしても、最後よくカーテンの裏にボタンがあるなんてわかったね。なんで?」
「全部の問題の答えを繋げてみたんです。そしたら『右、カーテン、ボタン』ってなって。今思えば『百秒以内に解け』であって『百秒以内に全部のクイズに答えろ』じゃなかったんですね。正直言ってセコいです。最後はノーヒントだし、クイズも百秒以内にパッと解けるものじゃないですし」
砂時計の砂を半分以上残しておいてなにを言っているんだろう。苦笑いが零れ出た。
「っと、早く次に進まないと。多分そこにある箱を開ければいいんですよね?」
ここちゃんが私を引っ張りながら箱の前に行き、その箱を開ける。――その瞬間。
「うわっ!」
「きゃあぁぁぁあぁ!」
箱の中には血に濡れた手が数本生えていて、それが開けた瞬間目の前に飛び出してきた。
「なんでっ……クリアしたらなにも来ないんじゃないの……? どうして……!」
ここちゃんがしゃがんで耳を塞いで目を瞑りながら嘆く。それでも私の手を離す気はないらしい。
「先輩……鍵……取ってください……」
「ああうん……大丈夫?」
私はその手が生えた箱の底にある鍵を取る。去り際に手首を掴まれ「きゃっ!」と声を漏らしてしまった。
「先輩……きゃっ、て……かわいい……」
「言葉と声のトーンがあってないよ……」
手首を掴まれて妙な不快感と共に背中に嫌な汗をかいた。あの手はしっとりとしていて気味悪さに拍車がかかっていた。
「大丈夫? 立てる?」
「……はい、もう大丈夫です。次で最後ですもんね。もう少しなら、全然行けます」
気合いを入れるようにぎゅっと拳を握って、ここちゃんは立ち上がる。立ち上がったときに揺れた後ろ髪の間から、綺麗なうなじが見えて、ふと昔るるちゃんが「怯えている人のうなじに指ですぅーってなぞったら面白いよ!」という悪魔のような入れ知恵を私にしたことを思い出した。
いつもと違うここちゃんを見ていて、やったら可哀想よりも好奇心の方が勝ってしまい、ゆっくりと先ほど不気味な手に掴まれた方の人差し指をここちゃんのうなじにのばし……。
つつーっ。
「ヒュ……」
と、消え入りそうな息を吸ってぺたん、とその場に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫……?」
「…………うぐっ、ひっぐ、なんでっ……ここ、何か悪いことしたぁ……?」
「え、泣っ……!?」
想像以上に怯えていたようで、ここちゃんはぽろぽろと大粒の涙を零している。私は罪悪感と焦りであわあわとしてしまい、手をバタつかせる。
「お化けさんに嫌なことしたなら謝るからぁ……!」
「違うよ! お化けじゃないから安心して! ね?」
「ふえぇ……もう無理です……帰りたいです……うぅ……」
「うんわかった、帰ろう、ね? ほら、捕まって? 目瞑ってていいからね?」
子供のように泣きじゃくりながらこくこくと頭を縦に振るここちゃんを私は抱きかかえて、その場から逃げ出した。
***
「お、恵莉花たち帰ってきた……ってどうした!?」
脱出できずリタイアした人用の出口からここちゃんを抱きかかえながら出てくると、知世と円が非常事態を察したらしく走って近づいてきた。
「ううぅ……ひっぐ……」
「え、泣いてんの!? そんなに!?」
知世は自分が強引に連れてきたこともあってか、バツが悪そうに頭を掻く。
「ごめん、泣くほどだと思ってなくてさ。行くなんて言わなきゃよかった」
「ううん、知世は悪くないの。私がちょっといたずらしちゃって……それで怖がらせちゃって泣いちゃった」
「泣くほどって、恵莉花ちゃんなにしたの……?」
私の肩を濡らすここちゃんは、数分泣き止んでくれなかった。私はここちゃんを抱きしめながら、泣き止むまで背中をトントンしていた。
***
「落ち着いた?」
「……ふん」
近くにあったベンチに座らせてここちゃんを落ち着かせて、ようやく泣き止むと、今度は口を利いてくれなくなった。目の周りを赤くしながらそっぽを向かれる。
「これは……相当なご立腹だな。ホント恵莉花なにしたんだよ?」
「ここちゃーん……いたずらしたのは悪かったから、せめて口だけ利いてくれないかなぁ……」
「……ん」
するとここちゃんは頬を膨らませたまま、左手の人差し指で左斜め前を指し示した。
「えっなに? ……ああ」
***
「んーっ! 美味しいです!」
売店の前に設置されているパラソル付きのテーブルにここちゃんと向かい合って座る。ここちゃんは手に持っているソフトクリームを一口食べて、まだ泣いた跡が残っている顔を綻ばせた。
先ほどここちゃんが指差したのは遊園地の中にある売店のソフトクリーム屋。あれを買ってくれたら話を聞いてやるぞという圧に負けて少し長めに形成されていた列に並んだ。なぜか口を利いてくれはしないのに、ソフトクリームを買うときずっと腕にしがみつかれていた。
「機嫌直った?」
「……まあ、買ってくれたので。それに、昨日ここも先輩の手、離しましたし、おあいこだなって」
「あー」
昨日の海水浴でここちゃんに命綱を切られたときのこと。確かにあのときは立場が逆だったけれど。
「別にあれは気にしてないからいいんだよ」
「でも、先輩に嫌なことしたのには変わりないじゃないですか。なので……はい」
ここちゃんは一口食べたソフトクリームを私の前に差し出す。
「先輩も、一緒に食べましょう。それで、おあいこです」
「ええ、いいよ。ここちゃんが食べたかったから買ってきたんでしょ?」
「このままじゃ、先輩の方の分が悪いじゃないですか。なので、食べてください」
「まあ……ここちゃんがいいなら」
私はテーブルに身を乗り出して一口もらう。アイス特有の冷たさと柔らかい甘さが口の中に広がる。
「ん、美味しい」
「二人ともいちゃついてんねー」
乗り出した身体をもう一度椅子に着地させると、他の売店に並んでいた知世と円が帰ってきた。
「仲直りはできたの? ……って、訊くまでもないか。いつも通りって感じ」
「うん。そっちは、クレープ買いに行ってたの?」
知世の手に握られている彩り豊かなフルーツが乗ったクレープを指差して訊く。知世はこくりと頷いた。
「そ。でも円のやつ連れねーんだよなー。『私はいい』って」
「だってもうそろそろお昼時でしょ? ご飯食べられなくなっちゃうもの」
「お前先言えよ! 買っちゃったじゃん!」
「知世が時間確認しないからでしょ? それに知世なら別にそれ食べてもお昼入るでしょ」
「そういえばここちゃんもソフトクリーム食べちゃったけど大丈夫?」
「? なにがですか?」
ここちゃんは目をぱちくりとさせながらソフトクリームを食べている。着々と食べ進めていたのか、気づけばもうコーンの尻尾しか残っていなかった。
「恵莉花。今更ここちゃんの心配するやついるか?」
そう言った瞬間、ぐぅ~、と綺麗なお腹の音を知世が鳴らし、恥ずかしそうにお腹を押さえる。
「腹時計はご主人と違ってしっかり者ね」
「うっさい! これ食べたら昼飯にするぞ!」
***
遊園地内にあるレストランで遊園地特有のユニークな料理を平らげ、お腹が落ち着くのも待たずにゴーカート乗り場へと向かった。ゴーカートに乗るや否や、案の定というべきかここちゃんと知世が激烈なレースを繰り広げていた。
「昨日の卓球の決着ついてませんでしたし、これで最終決戦と行きましょうかっ!」
「ああ、ゴーカートの狼と呼ばれた私を舐めるなよ!」
「誰に呼ばれてるんだか」
「徐行運転最高~」
「恵莉花ちゃん、ゴーカートが泣いてるよ?」
ゴーカートの勢いそのまま、私たちは四人そろってすべてのアトラクションを制覇せんとする勢いであちこち遊びまわった。知世は先頭に立って私たちを引っ張るし、ここちゃんは体を動かすものとかクイズとか、すべてのアトラクションをそつなくこなしていって、そのたびに「先輩、すごくないですか!」と子犬のように私に褒めてとねだっていた。円は二人に振り回されて困った顔が多かったけど、なんだかんだ笑った顔が絶えなかった。
最後に乗ったジェットコースターで写真撮影をしてくれるサービスがあって、そこで取られた写真には、四人並んで写っていた。知世は豪快に楽しそうに笑って、ここちゃんは私にくっつきながら天使のように屈託のない笑顔で、円は苦笑いだけど苦笑いの中で一番嬉しそうに笑っていた。そして私も、大きな口を開けて目をぎゅっとさせて笑っていた。自分がこんな風に笑っているのなんて初めて見たから、写真を見たときおかしくって、嬉しかった。
「もう空が赤いですねー」
ここちゃんがおでこに手を当てて天を仰ぐ。日が沈み始め、今日一日の最後の輝きを空に残そうとしている。遊園地に入るとき、知世のお父さんが夕方になったら帰ると言っていた。今の空は赤と青が半々くらいだ。
「次が最後だなー。どこいく? っつっても、もう一個しか残ってないんだけどな」
***
本当にあの勢いのまま最後の一つ以外の全アトラクションを制覇してしまったので、私たちは迷いなく最後のアトラクションへと向かった。遊園地の中央奥にある、この遊園地の中で一番大きいように思われる大型観覧車を、その足元で見上げる。
「うおー、でけー。最後にふさわしい感じだな」
観覧車を最後に残した理由としては「遊園地って最後観覧車に乗って帰るもの」という偏見十割のイメージが四人の中で完璧なまでに一致したから。
「時間もないですし、早く乗っちゃいましょう♪」
「そうだな。よし、それじゃあまた二人一組に分かれるか」
「えっ? この観覧車って最大六人まで乗れるんじゃないの?」
私が乗り場の横にある看板を指差す。そこには「六人まで」と大きな文字で書いてある。すると知世が目を逸らしながら頭を掻く。
「あーえっとー、そうだな……そう! 私観覧車の席独り占めするの夢でさ!」
知世が人差し指を立てながら主張する。すると後ろからここちゃんが腕に抱き着いてきて。
「ここも観覧車の席占領したいです♪ だから、ね? 先輩♡」
「まあ、別に嫌なわけじゃないからいいんだけどね」
「よし、決まったらさっさと乗るぞー!」
乗り込み口へと歩みを進めて、スタッフさんに誘導されるまま先に知世と円が観覧車に乗り込んだ。扉が閉まってから二人に地上から手を振って、ちょっと後に私たちの番が回ってきて、二人で観覧車の中へと乗り込んだ。ここちゃんと向かい合わせて座ると扉が閉められて、観覧車が上昇を開始する。
「意外と広いね」
「ですねー。まあ六人用ですしね。二人だけだと、寝転べちゃうくらい広いです♪」
ここちゃんは自分以外誰も座っていない席に寝そべって広がる。数秒経って「お行儀悪いですね」とはにかみながら元の体勢に戻った。
「今日は楽しかったですねー♪ ここ、父と母以外の人と遊びに来るなんて初めてで、はしゃいじゃいました♪」
「そうなの?」
「はい♪ 少なくとも旅行にはいっつも父がついて来てました。うちの父、過保護ですから」
ここちゃんが苦笑いを浮かべて、上昇していく窓の外を見る。それに合わせて私の視線も窓の外に向かう。地面がどんどん遠くなっていって、不思議な感覚。気球で上に上がるときも似たような感覚なのかなと少しだけ考える。
「また来たいですね」
「うん。またこの四人で。今度は私たちから知世と円誘おうよ」
「そうですね♪ あ、それか、二人きりで来るのもいいかもしれませんね♪」
「確かに、それもいいかも」
「そのときは……今よりももっと近い距離で楽しみたいですね♡」
「ん? どういうこと?」
「さぁ、なんでしょう♡」
少し首を傾けていたずらっぽく笑うここちゃんの姿は、夕方の赤い空のせいか、なんだか感傷的に映った。ちょうど観覧車が天辺に昇りきったところで、後ろに赤く染まった空が広がってるみたいだった。
「それじゃあ今はその練習として、先輩の近くに行っちゃいます♡」
そう言ってここちゃんは私の隣へと座って身体を寄せ、私の肩に頭を乗せてきた。
「席独り占めしたいんじゃなかったの?」
「ここは占領したいとは言いましたけど、独り占めしたいなんて言ってませんよ? なので、先輩と二人で席を占領しちゃうんです♪」
「それ占領になるのかな」
「なりますよ。大好きな人と一緒に座るんですから♡」
ここちゃんはすりすりと頭を私の肩にこする。すると「ふわぁ~っ」と大きなあくびをした。
「眠たいの?」
「ちょっとだけ。二日も全力で遊んだので、さすがに疲れちゃいましたね」
「観覧車が終わるまで、寝てていいよ」
「そうですね……景色も観ずに観覧車には悪いですけど、そうさせてもらいます♪」
ここちゃんは穏やかな顔で目を瞑って、ゆっくりと息をする。私はその寝顔をしばらく眺めた後、窓の外を見る。
空にもう青い部分はなくて、一面が真っ赤に染まっている。下を覗くと先ほどとは違って地面に向かって降りていっているのを感じて、なぜかとてつもなく寂しくなってしまった。地面が近づくたび、今日が終わってしまうんだな、って実感が今になって胸の内を刺してくる。
「終わってほしくないなぁ……」
ここちゃんがぽつりと呟いたから心を読まれたかと思ってビクッとする。肩の方を向くと、それが寝言だったということがわかった。ここちゃんもおんなじ気持ちなのかな、とその寝顔が愛おしくなる。
やがて観覧車は一番下へと到達し、私はここちゃんを起こして外に出る。すると先に降りて待っていた知世と円と、知世のご両親がそこにはいた。
「あれ? 迎えに来てくださったんですか?」
「私が観覧車乗る前に連絡したんだよ。もう帰るから観覧車の前に来て、って」
「みんな楽しめたかい?」
「はい♪ これ以上ないくらいに♪」
ここちゃんの笑顔に知世のお父さんが嬉しそうに笑う。
「そうかそうか。それならよかった。それじゃ、帰ろうか」
***
車が走るたび、昨日今日と遊んだこの地がどんどん遠ざかっていく。まるで車に乗ってこの場所に来てから、今車に乗って帰るこの時間までがどこかに切り取られてしまったみたいになくなっていった。
「本当に今日が終わっちゃうんですね」
ここちゃんは観覧車のときと同じく私の肩に頭を乗っけて窓の外を見る。呟いたここちゃんの顔は楽しさの余韻に浸っているようにも見え、この時間が終わってしまう寂しさに暮れているようにも見えた。
「ずっと遊んでたら疲れちゃうからね。それに、もう一度来る約束したから、大丈夫」
私はここちゃんの真似をして、ここちゃんの頭に優しく自分の頭を乗っける。
「……そうですね。約束ですもんね♡ 絶対……守ってくださいね?」
ここちゃんは左手の小指を私の右手の小指に絡めて、嬉しそうに笑う。私はその笑顔に優しく微笑んで返した。
***
すー、すー、と安らかな呼吸が聞こえてきて、福田円は後ろを見る。そこには今日の主役の二人が肩を貸しあって眠っていた。二人の背景を務めている窓には、すでに思い出となってしまった遊園地が夕焼けとともに遠ざかっている。
「ふふっ、微笑ましいね」
「あの二人、ちゃんと仲良くなれたみたいだな」
隣に座っている樋口知世が円と同時に後ろを見ている。その横顔に、円は改まって尋ねる。
「……今日の旅行、るるちゃんの差し金でしょ」
「えっ!? ふーんふふふーんふん〜♪」
「口笛へったくそ……」
口を尖らせたほぼ鼻歌のそれに、円はため息をつく。知世はなにか言いたげといった感じに円を睨む。
「くそー。どうしてバレたんだよ」
「だって……やけにここら辺の地理に詳しかったから。最初来たときにここちゃんに色々訊かれて、すらすら答えてたもの」
「……は? それだけ?」
「それだけ。だって、知世がそんなちゃんと調べるわけないから。知世の性格なら、私かお父さんに丸投げするでしょ?」
「しねーよ! ……いやするかもしれないけど」
「ほら。で、二人を仲良くさせるためにこんなこと企てるのるるちゃんしかいないなーって。あ、あと水着二人に買いに行かせたのもるるちゃんでしょ」
そういうと、知世はうじうじと負けを認めたくない子供のように駄々をこねた。
「なんだよー。そんなんが理由とか、ミステリー小説だったらわかりにくすぎて苦情くるレベルだぞ」
「なんでそこと比べたの……それにこれは現実だし、気づいちゃったものはしょうがないでしょ? あなたが思うより私はよく見てるってことだよ」
知世は唇を尖らせて今度は口笛ではなくぶーぶー、と鳴く。
「……まあでも、今日はありがとね」
「ん? なんで?」
「だって、恵莉花ちゃんとここちゃんを二人っきりにするために、色々協力してくれたでしょ」
円は昨日海で知世に耳打ちして協力を促したことと、先ほど観覧車で知世が気を配っていたことを話す。
「あぁ。まあ二人が仲良くなるのが目的なんだから、当然っちゃ当然だろ」
「そういう割には、さっき観覧車乗るときの言い訳結構苦しかったけどね」
「言うなよバカ結構気にしてたんだから!」
知世が顔を真っ赤にして円に噛みつく。それを円は慣れた様子で宥める。
「……私たちも、仲良くなれたかな」
「あ?」
「……なんてね! 二人の空気にやられちゃったかな」
円は眉を曲げて染みついた苦笑いを知世に見せる。
「なに言ってんだ。私たちは元から仲良いだろ」
「えっ?」
「だってルームメイトだぞ? 人生共にしてんのに仲悪かったらどーすんだよ。いつになっても円は私の一番の親友だぜ? 現に一緒にいて楽しいしな」
「……バカじゃないの」
「はぁっ!? お前、バカって言ったほうがバカなんだぞ!」
再度円に噛みつく知世に隠れて、円はまんざらでもない顔を浮かべていた。
続
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