第5話 少し昔とまだ知らない今
どうしてこうなったんだろう。
私の横にはここちゃんが座っていて、目の前には一年生の時ルームメイトだったるるちゃんが座っている。
三人でファミレスに入り、お話することになった。お話なんて軽い感じで済むような空気じゃない気がするけど。いつも着ないような服を着ているのも相まって、居心地が悪い。
「……先輩とはどういうご関係なんですか」
「だからここちゃん、ただの友達だよ」
「るるさんに聞いてるんです」
ここちゃんは真剣な顔でこっちを向いた。その勢いに気圧されて、私は何も言えなくなってしまった。るるちゃんと友達なのは間違っていないのに、なぜか嘘をついている気分。
というかなんで私たち関係性の話になったの? 私なんか変なことしたかな……。
「私とえりちゃんは本当にただの友達だよ。ねー?」
「えり……ちゃん!?」
にっこりと微笑みながらこちらに同意を求めるるるちゃんの言葉に、先ほどとは違って信じられないとでも言いたそうな顔でここちゃんが振り向く。
「あだ名で呼び合ってるんですか……?」
「私をあだ名で呼ぶのるるちゃんしかいないけど、まあ……それがどうしたの?」
「そうですか……るるさんだけと、ですか……」
そういうとさらに場の空気がずんと重くなってしまった気がして、ものすごく焦る。どうにかしないとと思うけど、私がなにかしたらまた変な空気になってしまうんじゃないかと思って安易に言葉を発せない。
「ちょ、ちょっとトイレ!」
少しの沈黙の後、私は考える時間が欲しくてトイレに逃げ込んでしまった。
***
「あっ、先輩!」
立ち上がる先輩を呼び止めようとしても、先輩はダッシュでトイレに行ってしまった。
「あぁ、やっちゃった……」
先輩に嫌な思いをさせてしまった。目の前にいきなり恋敵が現れて、嫉妬とか、その他諸々の感情が詰まっていた袋が破裂してヒステリックじみた焦り方をした。
本当はるるさんにすら伝わらないように抑え込みたかったのに、自分でもしてることのわけがわからなくなって、頭を抱える。
「……ぷっ、あははっ」
「なんですか!」
その様子を見て吹き出したるるさんに、いきりたってしまった。するとるるさんは、違う違うと手を振る。
「ごめんなさい、笑ってしまうのはひどいよね。すこしイタズラしたくなっちゃって、イジワルな態度とっちゃった。……私、えりちゃんとは本当にただの友達。あなたから奪ったりなんかしないよ」
「えっ、イタズラ?」
予想外の言葉に少し固まってしまった。るるさんはジュースを一口飲むと、話を続けた。
「二人の反応が面白くってつい、ね。むしろ応援してるの。えりちゃんのこと、本気で追いかけてくれる子なんていなかったから。ほら、えりちゃん優しすぎるのに、鈍感でしょ? だから惚れた子みんな諦めちゃうの」
人差し指をたててにこやかに話するるさん。少し前に知世先輩と円先輩から聞いたこと。今は追いかける人自体いないのだとか。
「……というか、なんでここのこと知ってるんですか。会ったことないですよね」
「ああ。実はえりちゃんと今でもメッセージでやりとりしててね。そのときに、ここちゃんのこと聞いたの。えりちゃんのこと好きなんだろうなーって文面からでもわかっちゃった。……まあ、当の本人は気づいてないみたいだったけど」
るるさんはにこにこと話し続ける。対照的に自分の顔には困惑の色が貼りついたままだ。
「最近お話するたびにここちゃんの話ばっかりですごいんだよ?」
「そうなんですか?」
「うん。『ここちゃんものすごくいっぱい食べる子だ』とか、『ここちゃんオセロめっちゃ強かった』とか」
「なんでそういうとこばっかり……」
「ふふっ。ここちゃんと初めて会ったときは、『すごくかわいい子が来た』って言ってたんだよ。噂通り、とってもかわいい」
「うっ……」
るるさんはテーブルに肘をついて両手の指を交えて意地悪く笑う。先輩はなんとはなしにそういうことを言うから、多分るるさんに言ったそれも意味を持たない。
けど、なんだか少しむず痒い。多分、るるさんがかわいいと言ったからだ。
「でも、話を聞いてる感じだと、もっと甘えんぼさんなイメージだったけど、そうでもないね?」
「いや……」
先輩は正直だから、多分先輩に対するいつものここをそのままるるさんに話したんだろう。めちゃくちゃにわがままで、先輩に振り向いて欲しいがためのここを。
「えりちゃんにしか見せない顔って感じかな?」
「そういうわけじゃ……」
「ふふっ。まあそこまで突っ込んで聞く気もないし、大丈夫」
何も言ってないのににっこりと笑って返される。苦手だ、この人。るるさんはまたジュースを口に含んで、氷のカラカラという音と共に少しだけ静けさが流れる。
「……大変でしょ。えりちゃん振り向かせるの」
「え?」
「さっきも言ったけど、あの子鈍感だもん。さっきのあからさまな恋敵です、みたいな空気を見ても、一切そんな気配もないし」
さっきの険悪なムードを思い出して頭が痛くなる。そのせいで先輩はトイレに逃げ込んでしまった。そうなってしまったのは十割が自分のせいだけど。先輩はわけもわからないまま負い目を感じているようだった。
「ここちゃん、相手に振り向いて欲しいタイプでしょ。あと意外と色々計算してるタイプ。さっきみたいに自分の感情爆発しちゃうのって、珍しいんじゃない?」
まるで胸の内をじっくり覗き込まれているような感覚になって、服の胸辺りをぎゅっとする。
「えりちゃん何しても勘づかないもんね。早く気づいて、ってもどかしい気持ちが揺れ動いちゃったのかも」
「……わかった風に言うんですね」
「全部じゃないけど、実際わかるからね。私もそうだったもん」
「そうだったって……!」
「違うよ、えりちゃんを狙ってるわけじゃないから安心して。応援してるって言ったばっかじゃない」
「そ、そうですか……」
勢いで乗り出した身をゆっくり椅子に着地させる。
正直あまり信じていない。今の自分は冷静さを欠いているから、何も信じれなくなっているのかもしれない。敵意がないのは感じるけれど、それはそれとして油断できない気がするのも確か。でも、他人をむやみに疑う方が気分が悪い。
「あくまで友達として。えりちゃん、人の嘘平気で信じるし、間接キス気にしないし、バレンタインに友チョコあげても『なんで?』って言うし……そのくせ、人の困ってることには誰よりも鋭いし」
「そう、そうなんです! 一緒にお風呂入っても寝ても何も思わないし、先輩はかわいいって言ってるのに、そんなことないって言うし……あ」
もう一度勢いに押されて前のめりになっていたことに気づいて、目を瞑りながら椅子に戻る。
「あはは、やっぱりあるんだね、えりちゃんの困った話」
るるさんはそれを見てものすごく楽しそう。心の中でその言葉に首が取れそうになるほど大きく頷く。この話をしているとるるさんは同志に感じる。
「悪意があって鈍感なわけじゃない、それは誰でもわかるんだけどね。ルームメイトっていう、ずっと近くにいる場所だと、どうしてももどかしくなっちゃうときがある。現にそれで何回も喧嘩しちゃったけどね」
「喧嘩……?」
意外で、その言葉に何か親近感のようなものを得て敵意がすーっと少し薄まったのを感じた。
「絵に描いたように意外そうな顔するね。ここちゃんはしたことないの?」
「ありませんけど……」
「ふふっ、それじゃあこれからあるかもね。どんなに仲が良くても喧嘩はあるものだし、私も二人の夫婦喧嘩見てみたいし?」
「はぁ……」
にんまりとイジワルなことを言われて反応に困る。夫婦……喧嘩ではなさそうなそれは、想像がつかない。あっても、今みたいに先輩を困らせてしまうだけの気がする。
「ない方が嬉しいかもしれないけど、案外、仲直りした後の気持ちは不思議なものだよ。もう一度経験したいっ、とはならないけどね」
そう言うと、るるさんは優しく目を瞑る。
「喧嘩した、そんなときでも。えりちゃんはものすごく優しいの。一番欲しい言葉をかけてくれて、ほんとは喧嘩なんかしたくないのもわかってて。ずるいよね」
もう一度目をゆっくりと開くと、真っ直ぐと綺麗な瞳で私の目を見つめてきた。その瞳に、自分の中で悔しさに似た何かが浮かんだ。
「だから、もし喧嘩することがあったら、えりちゃんのことよく見てみるといいかも」
「よく見る?」
「うん。えりちゃんだって、一人の人間だもん」
言葉の続きをそれだけ言うと、にっこりと笑ってぱたりと切ってしまった。妙な入りで流れた沈黙に、調子が狂う。
「ねえここちゃん、連絡先交換しない? 私、一応えりちゃんとの付き合いは先輩だから、何かアドバイスできるかも」
「えっ? アドバイスですか……」
悔しさで上から目線のように感じたけど、実際るるさんのほうが先輩のことを何倍も知っている。さっきの話を聞いている感じ、悪い人ではなさそうだし。
「……友達としてなら」
「ふふ、そっか。それじゃあ、友達として。愚痴とかあったら聞かせてね。さあ、スマホを出したまえ~」
そのまま一分もかからずに連絡先を交換すると、るるさんはパッと顔色をまたイタズラな笑顔に変えて話を変える。
「あ、そうだここちゃん。えりちゃんってさ――」
***
「さすがに怪しまれるよねぇ……」
トイレに行って数分、もしくは十数分。あの空気の中にどう戻ればいいか考えていると時間がどんどん経っていって、今度はあの場所に戻りづらくなっていた。
「……よし、なんも思いつかないけどとりあえず戻ろう!」
両方の拳をぐっと握り、意を決してトイレから出る。通りすがる店員さんに軽い会釈をしてそそくさと席に戻る。
「――それなのにですよ、先輩といったら!」
戻ると、先ほどの雰囲気はどこに行ったのか、二人とも仲良さそうに話し込んでいた。
「……ただいまー……」
どういう状況かという疑問と申し訳なさでなんとなく声が小さくなりながら席に戻る。
「おかえりー。今ね、えりちゃんのお話を聞いてたの」
「え、私? なんで? どういう話?」
「内緒です♪」
ここちゃんが口に人差し指を当てる。先ほどの様子はどこかに行って、いつものにこやかな感じに戻っていた。
それに乗ってるるちゃんも同じポーズをしてにやける。私がトイレに行っていた十分くらいのうちに二人のなかで通じ合う何かができたみたいで、一人だけ世界から取り残された気分になった。
「それじゃ、えりちゃんも帰ってきたし、私はそろそろおさらばしようかな」
「えっ、もう少しいてもいいのに」
るるちゃんは横の席に置いていた自分のバッグを肩にかけて、席を立つ。
「今日は二人のお出かけでしょ? 部外者が急に入っても邪魔なだけだから」
「そんなことな」
「あるの。誰にでも優しいのはいいけど、少しは身近なものも大切にしないと、私許さないよ?」
「身近……?」
子供をしつけるみたいに腰に手を当てて前のめりになるるるちゃんに、私は頭に浮かぶハテナと一緒に首を傾げた。
るるちゃんは私の横に目線をずらしてここちゃんに笑いかけると、後ろ向きになって顔だけこちらに向けた。
「お代は私が払っておくね」
「えっ、それはさすがに悪いよ!」
「そうですよ!」
私とここちゃんは打ち合わせをしてたかのように同じ首の振り方をした。
「あははっ、息ぴったり。いいの。あなたたちの未来への投資だと思って。ね、ここちゃん?」
「……わかりました。それなら、遠慮なくお願いしましょう。ね、先輩?」
「え、えぇ……? ここちゃんがいいなら、いいけど……」
困惑しながらここちゃんとるるちゃんを交互に見る。二人に通じ合う何かが全然見えなくて、少し胸の辺りにすっと何かが滲んだ感覚を得る。
「それじゃあまたね。……あ、えりちゃん。ここちゃんの弱点見つけたからいつか教えてあげるね♪」
「は!?」
「え、なに、どゆこと?」
去り際になんの脈絡もなく放たれた言葉にここちゃんから意図せぬ攻撃を食らったような大きい声が出てきた。
戸惑いながらここちゃんを見ていると、るるちゃんが嬉しそうに笑う。
「平等に、ね♪ それじゃあねー」
「平等って、ちょっと待ってくださいなんですか弱点って! あ、悪魔ですかあの人!?」
ここちゃんが手を振りながら去っていくるるちゃんの背中を指差して訴えてくる。初めてここちゃんがこんなに取り乱したところを見た。私の知らないここちゃんを引き出せるくらい、るるちゃんとは本当に仲良くなったみたいだった。
***
次の日。今日から制服が夏服になって、校内の見た目は涼しくなったけど、容赦なく太陽が窓から突き刺してくるせいで気候はそれ以上に暑くなって、現状暑さが勝っている。
「え、るるに会ったの!?」
最近は休み時間に知世と円が私の席に集まって三人で雑談をすることが日常になっていたので、そのときに教室で昨日るるちゃんに会ったことを二人に話してみた。
すると知世が私の机を平手でドンと叩いて借りていた近くの椅子からガタッと立ち上がった。周りからなんだと目線が集まる。
「ちょっと知世、行儀悪いよ」
「あ、ごめんごめん」
円に言われて申し訳なくもう一度椅子に座る知世。そのまま私の机で頬杖を突き始めた。
「そっかー生きてたんだな、るるも」
「そりゃ生きてるでしょ。というか私今でもメッセージでやり取りしてるよ」
「そりゃそうだけど、ちゃんと目で見えるのって大事じゃん?」
なんか哲学的なこと言いだした。たぶん元気に会えるのはいいよねみたいなことで合ってると思う。
「ってか一人だけ抜け駆けしてるるとやり取りしてんのずるいぞー」
「別に二人もできるでしょ……まあちゃんと元気そうだったよ。ここちゃんともすぐ仲良しになってた。私の知らないところでここちゃんと意気投合してたの」
昨日のことを思い出す。トイレから帰ってきたとき、ここちゃんが前のめりになって話していて、それをるるちゃんはにこやかに聞いていた。すぐに席に戻らず、そのまま会話を聞いていれば、仲良くなった理由もわかったのかなと今考えたけど、それは盗み聞きになるからやらなくてよかった。
「あら、恵莉花ちゃんもヤキモチ焼くことあるんだね」
「やきもち? なんの?」
そう言うと円に苦笑いされ、知世にはため息を漏らされた。え、なに。
「でも元気そうなら、転校先でもうまくやってけてそうだね」
「転校先?」
「え、恵莉花知らないの? さっきやり取りしてるって言ってたのに」
頬杖から顔を上げて知世がきょとんとした顔をする。
「やり取りはしてるけど、そういう話はあんましない方がいいのかなって思って、一度もしたことない」
「はぁ、あんたは気遣い上手だね。それでも噂の一つくらい耳に入ると思うんだけどなぁ。るる、家が厳しいらしくてさ。この学校よりも頭いい学校に入ったんですと」
「そうなんだ……」
どう反応すればいいか正直わからない。友達と離れ離れになって寂しいかもしれないし、もしかしたら逆で転校先の方が楽しいのかもしれない。
今の様子は別段変わりはなさそうだったし、そういう話題を出さなくてよかったかなと思った。
「家が厳しいというと、ここちゃんのお家も厳しそうだよね。恵莉花ちゃんと相部屋になったのも、多分家の影響だろうし」
「……ん? ここちゃんの家なにかあるの?」
「え、嘘知らないの!?」
円の話に疑問を持つと、またもや知世がガタッと椅子を揺らした。
「るるのことといいここちゃんのことといい、あんたの耳には噂が遮断されるフィルターでもあんのか」
「え、なに、とんでもないお金持ちとか?」
「それどころじゃないかも。ここちゃん、この学園の理事長さんのお孫さんだよ」
「へぇ……え」
***
私の通う学校は、かなり昔からあるらしい。よくは分からないけど、古い校則やらしきたりやらが残ってるのが証拠。全寮制で、相部屋の同級生と二人三脚で学園生活を過ごす校則もその一種らしい。
古くからあったりなんだりで、それなりに大きいこの学校。他の地域に数個兄弟校もあるとかなんとか聞くけど、ここが本校だからなのか、そこらへんの話は全然入ってこない。
その学校……兄弟校も全部合わせた学園全体の理事長、つまりトップとなると、相当だ。
全然気づかなかったけど、今思えばここちゃんの服や私物はかなり上品なものが多い気がする。もしや相当お高いものなのでは。
「……ねえここちゃん、ここちゃんのお家って……もしや超大金持ち?」
「超と大でものすごくお金持ってますね……」
私は放課後、一階にここちゃんを迎えに行って、寮へ向かって廊下を歩いているときに訊いてみた。
「まああながち間違いじゃないですけど」
「やっぱり、理事長の孫って話本当だったんだ……」
「そうですよ♪ というかやっぱり先輩、知らなかったんですね。多分この学校の生徒全員が知ってるくらいには有名な自信あったんですけど」
「そのレベルかぁ……まあそうだよね」
胸がすっと滲む。あんなに近くで過ごしてるここちゃんの誰もが知ってることを、私だけ知らなかったのは。ここちゃんのことをちゃんとわかってあげられてない気がして、申し訳なくなる。
靴を履き替えて、玄関を出ればもう視界の中にある寮に向かって歩いていると、ここちゃんが腕を突っついてきた。
「? どうしたの?」
「先輩、お部屋に帰ったら少しお話してもいいですか?」
「いいけど……どうしたの?」
「ちょっとした暴露話です♪」
なんだろうと少し待ち望みながら、三分もせずに寮に着いてそのまま部屋に入る。
「ただいまー……よし。それで、暴露話って?」
私はかばんを自分の机の横において、ベッドにすとんと腰を預ける。
ここちゃんが一瞬目を瞑ったかと思うと、素早く頭を下げた。
「先輩ごめんなさい、今まで騙してました!」
「え、ちょ、えぇ!? 頭上げて!」
突然のことに驚きすぎて、立ち上がってしまった。私はここちゃんに頭を上げるのを促して、今度は二人並んでベットに腰掛けた。
「なになに、どうしたの。騙してたってどういうこと?」
興奮冷めやらぬといったような感覚のまま、話の続きを聞いてみる。
「実は、先輩と一緒の部屋になりたくて……お父さんに、手を回してもらったんです」
「お父さん?」
「はい。お父さんのことはご存じないですか? この学校の校長です」
「おぉ……」
ひとつ前の驚きがまだ過ぎ去っていなくて感覚が狂ったのか、はたまた感覚を超越しているからなのか、もうそこまで驚かなかった。
確かに今考えると校長の苗字は天羽で、ここちゃんと一緒だ。
「手を回してもらったって?」
「……ご存じの通り、この学校は二人一組で同じ部屋に住み、三年間を共にします。学校一の特徴といっても過言ではないので、先輩のような……ルームメイトの片方がいなくなったという話は、かなり大きなことなんです。なので入学前、うちの家の中でもその話が上がってきました」
そこまで話すと、ここちゃんは制服のポケットから見覚えのあるものを取り出す。
「あっ、それ」
「……ちゃんと覚えててくれたんですね。嬉しいです♡」
それは白い生地にレースがついているハンカチで、五本の赤いバラの刺繍が入っている。ここちゃんと私の出逢いの証。
「大事にしてくれてたんだね」
「はい♡ ここの持ってるもので一番大切なものですから♡ ……これの日の夜だったんです、先ほどの話を聞いたのは」
ここちゃんはハンカチを見つめながら話す。
もう二、三ヶ月ほど前になった、ここちゃんとの出逢い。ここちゃんの眼差しは、優しく綻んでハンカチに向いている。
「お父さんからその話を聞いて、その人は学校ではそこそこ有名な人だって聞いたんです」
「え、るるちゃん有名なの?」
「先輩の方ですよ、自覚ないんですか……まあ先輩なら不思議じゃないですけど。誰にでも優しくて、困ったところに颯爽と現れてくれる生徒、って」
初めて聞いた、そんな話。というか、話を聞いてる感じ、多分人違いなのでは? 私はそんなに格好の良いことをした覚えはない。
「だから、少し気になって、お父さんに色々話を聞いてみたんです。そのときはただの興味本位でした。ですが、お父さんが学校のホームページに修学旅行のときの写真が何枚か載ってることを思い出して、去年の修学旅行の写真を見せてくれたんです。見てみたら、びっくりしました。だって、その日ハンカチを一緒に探してくれた人と同じ顔をしていたんですもん」
ここちゃんが困惑したような苦笑いを浮かべる。
去年の秋の修学旅行を思い出す。京都に行って観光地を巡っていたときに写真担当の先生に収められた一枚が、ホームページの記事に使われた。
そのとき「使ってもいい?」と先生が許可をもらいに来たことを覚えている。
「ああ、あのときの……ものすごい偶然だね」
「でしょう? ですから、何かの縁があるのかなって思って、お父さんに相部屋にしてもらえるように頼み込んだんです。そのときにはもうここのルームメイトも決まってたみたいですし、その上学年も違うので無理だと言われました。けれど、必死に頼み込んで、床に頭を付けたらようやく『そこまで言うならどうにかしてみる』と言ってくれました」
「床にって……土下座したの!?」
ここちゃんは恥ずかしそうにうなずく。一瞬なにかの比喩表現かと思ったが、反応を見る限り本当にした気がする。
「たまたまの偶然に、どうしてそこまで……? ちょっとした縁があっただけでしょ?」
「まあそうなんですけど……もう一度、逢いたい理由があったんです」
「理由? どんなの?」
「内緒です♡」
ここちゃんが口に人差し指を当てる。昨日ぶりのその仕草は、ファミレスのときよりいたずらっぽさが増して、天使みたいな、何でも許せてしまう笑顔を浮かべていた。
「それでその後本当にここが相部屋になるようにしてくれて、今に至ります。本当ににごめんなさい」
「どうして謝るの?」
俯くここちゃんに目線を合わせるように、下からのぞき込む。
「だって、みんな誰が相部屋になるのか選べない中、一人だけ自分の思うようにわがままを通してしまいましたし、その話を今まで先輩に言わずに騙すようなこと押してしまいましたし……」
その話を聞いて私は少し考える。
「うーん、やっぱり、謝ることじゃない気がするよ?」
「えっ?」
「自分で選んだのはそうかもしれないけど、誰が相部屋になったって同じだよ。私も、一年生の子たちも。ただそれがここちゃんだったってだけ。それに、一回会ったことある人の方が安心するよ。誰も嫌な思いしてないし、ここちゃんも気負う必要ないと思うな。……正直、新学期始まったとき内心ドキドキだったもん」
驚いた顔のままのここちゃんに、私は胸に手を当てて少しおどける。
「それに、ここちゃんといる時間はすっごく楽しいし、大好き。それだけは他の誰かじゃないと思う。もしの話でも、今さらルームメイトがここちゃんじゃなくなるのは、私は嫌だな」
「……先輩、そういうところですよ?」
「えっなに、なんかおかしいこと言っちゃった?」
驚いたり俯いたり、苦笑いばっかだったその顔に、ようやく笑顔が浮かんで、少しホッとする。
「ふふっ……ここもです。先輩以外のルームメイトなんて考えられないし、考えたくもありません♡」
そういいながらここちゃんはぎゅっと私に飛びついてくる。胸に顔をすりすりとして、いつになってもこの感触はくすぐったい。
「もー今はやめて。制服シワになっちゃう」
「それもそうですね。それじゃあ着替えてから、抱きつきます♡」
ふんす、と鼻を鳴らして意気込むここちゃんに私は笑顔で呆れる。着替えた後なら、まあいっか。
***
「それじゃあ、電気消しますね」
「うん」
ピッ、と音とともに部屋が真っ暗になる。一日は短く、早くも就寝時間になった。
いつもと同じように、二段ベッドの上の段で二人そろって眠りにつく。
「……今思ったけどさ、ここちゃんが何でもできるのって、もしかしてお金持ちだったから?」
「なんでもってなんですか?」
暗闇の中で右腕に抱きつかれながら、耳元で声を聞く。何も見えないからか、普段より声が澄んで聞こえる。
「いや、ちょっと前に部活見学あったでしょ? そのときに言ってたの思い出して、もしかしたら、と思って。ほら、お金持ちのお嬢様ってよく習い事何個もしてたりするじゃん」
「ものすごい偏見ですね……まあ確かにやってたので、それが原因だと思います」
「やっぱり? 何やってたの?」
「全部は思い出せないですけど……」
「え、そんなにやってたの?」
私は驚いて体の向きをここちゃんの方に傾ける。
「はい。ピアノに、バイオリン、書道、茶道、水泳、弓道……」
「待って待ってタンマ! ここちゃん体いくつあったの?」
「どういうことですか……同時に全部やってたわけじゃないですよ。やめたり、始めたり、色々です。まあそれでも週十とか余裕でありましたけど♪」
「えぇ……こわ」
仄かに見えるここちゃんの表情が苦笑いになってるのが見える。
「今思えばおかしかったですね。小中学生の体力だったから許されたんでしょうね」
「そのセリフもう少し歳重ねてから言うものだと思うけど……。ちなみにそれって全部ここちゃんからやりたいって言ったの?」
「いえ、違いますよ? 言い方は悪いですけど全部やらされてました。……あ、でもバレエだけは自分で言いましたね」
「バレエ?」
「はい。……恥ずかしながら、小一の頃マンガで読んだのに影響されて……」
予想外の言葉に、私は吹き出してしまった。
「ちょっ、笑わないでくださいよ!」
「違うの、ごめんね。なんか、ここちゃんでもそういうところあるんだなって」
完璧な少女の、あどけない部分が見えて、距離が近くなった気がした。
「そっか、ここちゃんがなんでもできるのは、努力の証なんだね」
「そんな綺麗なものじゃないですよ? それに何でもできるわけじゃないですし」
「ううん。私にとっては、嬉しいんだ。今まで、何でもできちゃう天才完璧少女! って感じに思えてたから、親近感が湧けた」
「そうですか……まあ、今はもう何一つやってないですけどね」
「全部やめちゃったの?」
「はい、寮生活になるので、高校上がるときに。物心ついてすぐくらいから、中学三年生まで……今はもう思い出話です。自分で言いだしただけあって、なんだかんだバレエが一番長くやってましたね」
昔を思い耽るように、ゆったりと沈黙が流れた。
「……話過ぎると寝れなくなっちゃいますし、そろそろ寝ましょうか」
「そうだね。それじゃあ、おやすみ」
「はい♡ おやすみなさい、先輩♡」
話をやめると、真っ暗な部屋と同じく音も静かになった。ここちゃんの呼吸だけがよく聞こえる。
そういや、昨日るるちゃん言っていたここちゃんの弱点、まだ何も聞いていない。そもそも、弱点ってなんの……? いつかと言っていたし、まだその時ではないという感じなんだろうか。
会って間もなく弱点を見つけてしまうなんて。それくらい二人は仲良くなったということなんだろう。私はここちゃんの弱点もおろか、みんな知ってる部分も知らなかった。
胸がすっとなる。まただ。どうしてか、このことを考えるとこんな感覚になる。あんまりいい感覚じゃないそれを、目を瞑って考えないようにした。目を瞑ると、真っ暗なのは変わらないはずなのに、視覚以外の感覚が鋭敏になる。一緒に寝るのはもう慣れて、右腕に感じるここちゃんの感覚が落ち着く。そのおかげか、寝入るのはそんなに遅くはなかった。
続
***
二年生女子寮、二〇一号室にて――
「なあ円。恵莉花、ぜんぜんここちゃんの気持ちに気づかないよな」
「いきなりどうしたの、知世」
「いや、あの二人なんも進展ないよなーって。周りも私たち以外気づいてないっぽいし、気づかないのが普通なのか?」
「しょうがないでしょ。女の子が女の子を好きになるのをパッと想像できる人は多くないと思うよ。それに、普通の人にはただ仲のいいルームメイト同士にしか見えてないよ。……というか、さっきからスマホで何見てるの?」
「ちょっと調べ物をねー……お、ねえ、これ見て」
「なに? ……海水浴場?」
「そ。もうそろ夏休みじゃん? ちょっと遠いけどいい感じの海水浴場。遊園地みたいな遊べるところもあるっぽいからさ、二人をここに連れてけば、なんか進展あるかもじゃない? 泊りで。名付けて、『ドキドキ☆恋の夏合宿!』」
「ネーミングセンス……」
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