第3話 白黒しないもやもや

 瞼に光を感じる。それに気づくと、朦朧としている頭の中がだんだんと整理されていく。


「……んぅ」


 寝ている。それに気づいて、横になったまま目を開ける。


 知らない天井。一瞬びっくりする。びっくりしたおかげで、少し目が覚めて思い出す。


 そうだ、寮に住みはじめたんだった。家の景色じゃなくても、おかしくない。


 まだはっきりとしない頭のまま横を見る。そこには、綺麗な寝顔をしている憧れの人。素敵な人。……ここの、大好きな人。


 困ってるここを全力で助けてくれた人。可愛くて、美人さんで、さりげない気遣いが平気でできちゃう人。そして、昨日から先輩になった人。


 自然と笑顔になる。その人に抱きついているのに気づいて、もう一度その人の胸に顔をうずめる。


 ふかふか。やわらかくて、いい匂い。もう一度、寝ちゃおうかな。まだ、大丈夫だよね。


「ふふっ……せんぱぁい……だいしゅき……」


 もう一度、目を閉じる。幸せの中に微睡んでいくのを感じた。



***



 かわいいアラーム音らしきものが鳴る。聞き慣れない、そのアラームは、二周くらいしたところで止まった。


「ふわぁー……っふぅ。……先輩、起きてくださーい。朝ですよー」


 ゆさゆさ肩を揺すられる。声は聞こえはしたが、身体がまだ起こせない。「んー」と唸って少し待ってと伝える。


「先輩、起きないと遅刻しますよ」

「んーん……」


 ほっぺたをつんつんされたのでまた唸ってやめてと伝える。つんつんする指と反対の方向を向く様に首を右にする。


「……ふーっ」

「んひゃぁ!」


 いきなり耳に風を感じて飛び跳ねる。何が起こったのか理解が追いつかずに辺りを見回す。すると左に小さく笑っている顔が見えた。


「あははっ、先輩耳弱いんだぁ〜。弱点、みつけちゃいました♪」

「んえ〜?」

「もー、まだ寝ぼけてるんですか? それとも、ここの顔忘れちゃったんですか? 先輩の後輩でルームメイトの、ここですよ〜。おはようございます、先輩♪」



***



「朝から元気だよねぇ……」

「先輩が弱いんじゃないですか? 昨日早めに寝たのに」


 ベッドの上で髪を整えてもらいながら話をする。いつもなら自分でやるのだが、「ここにやらせてください♪」とここちゃんが言ってきたので、任せてみた。


「まあそれは認めるけど」


 まだ目が完全に開ききらないくらい眠くて、会話が途切れる。そのまま、黙々と髪を整えられるのを感じていた。


「……よし。これでおっけーです。ささ、鏡の前で見てみてください♪」


 立ち上がらされて背中を押されながら洗面台へと向かう。鏡には、三つ編みのハーフアップになった自分が写っていた。


「……いつもと違う」


 いつもは編んで前に垂らしているのだが、今日は髪が後ろにあって妙な感じがする。鏡に後ろで不服そうな顔をしているここちゃんが写る。


「もーそれだけですか? もうちょっと可愛いとかあるじゃないですか」

「だって自分だし……」

「そうじゃなくて……それに、先輩可愛いじゃないですか」

「うそだー」


 お世辞で言ってくれたんだろう。嬉しいけど、私はそういう人種じゃないし、ここちゃんの方が可愛い。それでも鏡に写ったここちゃんは頬を膨らませたままだ。


「まあいいです。早く着替えて、朝食食べに行きましょ?」



***



 制服に着替えて、食堂に行く。昨日の夜大量のご飯を注文したせいで、ここちゃんは一日で食堂のおばちゃんに顔を覚えられていた。誰にでも愛想のいいここちゃんは楽しそうにおばちゃんと話をして朝から山盛りのご飯を注文していた。


「恵莉花、おはよう! 何かいつもと髪型違うね。あっ、その子が噂の一年生ちゃん?」


 席についてご飯を食べていると、私たちのもとにここちゃんを見に来る友達がいた。一日ぐらいしか経ってないはずなのに、私が新一年生と同室になったことは早くも噂になっていたらしい。


 私たちの学校は寮が学年ごとに分かれているから、二年生寮に一年生はここちゃんだけ。目新しさもあるんだろう。


「はい! 一年生の天羽あもう心愛ここなって言います。『ここ』って呼んでくださいね!」

「うん。よろしくね、ここちゃん」

「えーっ、かわいいー!」「ねぇねぇ、あなたが新しく入ったっていう一年生の子?」


 食堂に人が増えてきて、それにつれてここちゃんの周りにも人が増えていった。昨日も聞いてくる人は一定数いたが、昨日の夜寮に帰ってきた人の方が多いから、昨日よりも人が多い。


 囲んでくる人たちを笑顔で対応しながらしっかりテーブルの上の大量のご飯たちも平らげていくここちゃん。私は周りの人に気圧されながらすごいなとここちゃんを眺めてご飯を食べていた。



***



 学校の敷地内に寮があるから、寮から学校へは一分もかからない。


「なーんかここまで近いと通学路の楽しみもないですねー」

「通学路の楽しみって何」

「えー? おしゃべりしたり、ちょっと寄り道したり」

「昨日したからいいんじゃない?」

「そうじゃなくて、毎日することに意味があるんです!」

「えー私は早く帰りたいからこれでいいけどなぁ」


 それだけ喋ってれば学校に着いた。靴箱で今日初めてここちゃんと別々になり、そのまま私は二階に上がった。


 一年生は一階、二年生は二階、三年生は三階となっているから、ここちゃんとは離れ離れだ。二階にいる人たちはさっき食堂で会った顔ぶれで、春休み前にあった、いつもの雰囲気がした。


 私の新しいクラスはA組。この学校は同室の人とは同じクラスになる仕様だけど、学年が違った場合はどうなるんだろう。


 ペア同士の学年が違うなんて聞いたことがないからおそらく私とここちゃんが初だろう。


「お、恵莉花来たねー。おはよう、食堂ぶり」


 教室の扉を開けると、朝食堂で話しかけてきた隣の二〇一号室の樋口ひぐち知世ともよとそのルームメイトの福田ふくだまどかが出迎えてくれた。


「うん、おはよう」

「おはよう……あの、恵莉花ちゃん。ちょっと言いにくいんだけど……座席表見てもらえる?」

「なんで円が申し訳なさそうにすんのさ。とりあえず恵莉花、見てもらえればわかるから」


 少し不安そうにする二人を見て、私は首を傾げながら黒板に張り出されてる座席表を見た。すると、私の席だけ右後ろ、後ろの扉の近くにぽつんと設置されていた。


「……ああ」


 私は理解した。この学校は寮で同室の子と隣同士になるように席が組まれている。席替えの時は全く関係なくなるから、最初の一か月程度だけだけど。それでペアがいない私だけ後ろに追いやられたというわけだ。ペア同士でクラスを組んでいる以上、クラスの人数が奇数になることはまずないから、ただ席を並べているだけなのに異様な光景だった。


「恵莉花ちゃん、もし嫌だったら、私先生に言いに行くからね。今年も学級委員やるつもりだから、何ならもっと上の先生にも……」


 二人が気にかけてくれてたことが分かった。でも別にそんな気にはならなかった。


「大丈夫だよ。別に嫌じゃないし、他の人も何も言わないよ。うちの学年にそんな人いないだろうし」

「まあ、恵莉花がいいならいいけどさ、あんたお人好しすぎるから」


 なんでそこで私の性格の話が出たんだろう。ふと前にもこんなことあった気がするとここちゃんのことを思い出した。ここちゃんも一人席になってしまったのかな。それは少し心配だな。帰ってきたときに悲しい顔してなければいいけど。


「あーでも、二人と離れ離れになるのかぁ。それはちょっと寂しいかも」


 私は自分の席を見ながら少しぼやいた。


「そこかい。まあ席替えで近くの席当ててやるから待っとけ」

「できるかなぁ……」

「私が二人に近いところ当てる方が早くない?」


 そのまままだ誰か知らない新しい担任が来るまで話していた。



***



 担任は去年と変わらなかった。いい人だったから、変な人に当たるよりかはよかった。私の席について言及する人は少なかった。したとしても別に悪く言う人は一人もいなかった。


 朝のショートホームルームが終わればすぐに体育館に行く。始業式をやるためだ。今日は集会だけで午前で帰れるから楽だ。


 体育座りで腰を落として、いろんな話を聞き流す。ここちゃんはどこにいるのかなと辺りを見渡す。左の方に真面目そうにステージの上に立つ校長を見て話を聞いているここちゃんがいた。意外だった。こういうの真面目に聞きそうなタイプだと思わなかったから。


 そういえばここちゃんたち一年生は入学式があったはず。確か一昨日だ。入学式と始業式が一日開いているのは寮に荷物を移したり同室の子と仲良くなったりするのに時間を割いているからと聞いたことがあるけど、そんな特殊にしなくても一日前に来ればいいだけでは、と思った。けれどそのおかげでここちゃんと昨日お出かけできたと思えば悪い気はしなかった。


 そのまま学年集会、その後教室に戻って頒布物だったり宿題回収だったりいろいろやった後、午後になり解放された。


 私は知世と円に別れを告げて、そのまま一階へと降りた。壁に貼ってあるクラス分けの表を見て、一年A組へと向かった。


「あっ、先輩! 迎えに来てくれたんですね!」


 後ろの扉から入ってみると、予想通り一番近くの席にここちゃんがいた。やっぱりここちゃんもペアがいないから一人席にされているみたいだった。


 一年生の教室に一人突っ込んできたから、視線を山ほど感じる。もしかしたら変に先輩特有の圧をかけてしまっていないだろうか。少し姿勢が丸くなる。


「ここちゃんも、一人席なんだね」

「ということは、先輩もですか。もしかして心配してますか? それなら大丈夫です。何も言われたりしてませんので」

「そっか」


 変わりない可愛い笑顔に、見透かされていたんだなと感じる。


「それより先輩。ここ、これから部活動見に行かなくちゃならないんですけど、先輩部活入ってますか?」

「いや、何も入ってないよ」

「それじゃあ先に帰っちゃう感じですか?」

「あー、まあそうだね。やることもないし」


 それを聞いてここちゃんは嬉しそうな顔をして手を合わせた。


「それじゃあ、一緒に部活見に行きましょう♪」

「え、えっ!? なんで!?」


 想定外の話が出てびっくりした。どうしてそうなった。


「一緒に回った方が楽しいので♪ それに、必須ではありますけど、放課後の扱いなので先輩がいても大丈夫です♪」

「そういう問題じゃないんじゃないかなー……まあやることもないからいいけど」


 そういうと「やったー♪」と小さくガッツポーズをするここちゃん。そのままここちゃんに手を引かれて廊下を歩きだすと、私の足に引っかかって一年生の子が転びそうになった。


「わっ、大丈夫!?」


 とっさに手を伸ばしてその子の腕を掴んで、なんとか床にぶつかる寸前でとどめられた。


「ケガはない?」

「は、はい。大丈夫です……」

「よかった……。ごめんね、足引っかかっちゃって。廊下狭いから、気を付けてね」

「はい。あ、ありがとうございます……」


 そう言葉を残すと、その子は慌てたような様子で去っていった。


「ごめんなさい、ここが先輩を変に引っ張ったから……」

「ううん、ここちゃんのせいじゃないよ。私も不注意だったしさ。それより、早く部活見に行こ?」

「……そうですね、そうしましょっか」



***



 ここちゃんにどんな部活がいいのかと聞くと

「文化系の部活がいいですかねー。ここ、身体動かすのは得意じゃないので。あ、でも弓道とかはかっこいいからやってみたいかもです」というので文化系のところに色々回ってみた。


 するとここちゃんは吹奏楽部では色んな楽器で綺麗な音を奏で、弓道部では的のど真ん中に矢を当ててしまい、「ちょっとだけ体験できますよ。やってみますか?」と言われた部活のものはすべて軽々とやってのけてしまった。


 大体どこの部活でも「最初は思ったよりできないんですよー」と半分笑い話のように言うのだが、ここちゃんはすました顔でその言葉を吐いた口をあんぐりとさせてしまった。その後、毎回私にウインクをしてくる。何この子、こわい。流れでその後やらされる私はしっかり初心者はこうなりますというお手本と化していた。


「……ここさん、何かやってらっしゃいました?」

「え?」


 目的の部活を半分くらい回り終わった後、私はここちゃんに聞いてみた。どう考えてもおかしい。もしや元から天才型の完璧超人なのだろうか。


「いや、色々こなしちゃうから」

「あー。まあ子供のころ色々やってただけですよ」

「それだけであんな風になるかなぁ……」

「意外となりますよ」


 多分ならない。それは私でもわかった。


 疑問が残るまま、次見に行く部活の囲碁将棋部の部室を目指していると、何やらプリントを山積みにして運んでいる先生を見かけた。私はその先生のもとへ駆け寄って声をかけた。


「先生、持ちますよ」

「ん? ああ藤田か。毎回悪いな。それじゃあ、半分持ってくれるか」

「大丈夫です。ここちゃん、先に囲碁将棋部行ってていいよ」


 そうここちゃんに呼びかけると、ここちゃんは何やら不服そうに近づいてきた。


「大丈夫です。ここも手伝いますよ」

「お? ああ。助かるよ」


 そうして私たちは職員室へとプリントを持って行った。



***



「先輩、不幸体質なんですか?」

「え?」


 職員室から出ると、ここちゃんはそう言ってきた。


「だって、今のもそうですけど、部活見学してるだけで色々ありすぎでしょう。失くし物探すし」

「それは、カーディガン失くしたって言ってたから、困るだろうなーって」

「迷子になってる一年生に道案内するし」

「この学校広いし、部室なんてどこにあるか分かりずらいから」

「剥がれてた勧誘のポスター、何枚も張り直すし」

「頑張って作ったのに見てもらえないのかわいそうでしょ?」

「……先輩って、ナチュラルにそういうとこありますよね」

「えー、どういうこと?」


 歩いていると囲碁将棋部の部室が見えてきて、ここちゃんは「なんでもないです」と頬を膨らませながら部室に入っていった。


「あっ、恵莉花。お? もしやその子が噂の一年生ちゃんかな?」


 入ると、囲碁将棋部員のクラスメイトが出迎えてくれた。


「……そうだ先輩。将棋で勝負しましょう。負けた方は勝った方の言うことなんでも聞くでどうですか」

「えなんで!?」


 未だ頬を膨らませたままのここちゃんは私にそんな勝負を持ち掛けてきた。


「お、なんか恵莉花面白そうなことやろうとしてる?」


 それを聞き付けたクラスメイトが首を突っ込んでくる。


「い、いやいや無理無理! 私将棋なんてわからないし……」

「安心してね! オセロもあるよ!」

「なんであるの!?」


 そんなクラスメイトの親切? により勝負はオセロで決行されることとなった。


「ここちゃーん……なんでそんなに怒ってるのー……」

「先輩に今からそれをわからせます」

「恐い恐い恐い恐い!」


 目が本気だ。ここちゃんの真剣な顔に私はやるしかないと腹をくくる。


 周りにはクラスメイト含む囲碁将棋部と、見学に来た生徒が私たちのオセロ勝負を見に来ている。大丈夫なのかこの状況。


「それじゃあ行きますよ、先輩」

「う、うん。いいよ……」


 先攻後攻を決めるために握った拳に心なしか力が入る。そしてそれを掛け声とともに繰り出す。


「「最初はグー、ジャンケンポン!」」


 私はグーを出し、ここちゃんはパーを出し、勝ったここちゃんは後攻を選んだ。



***



 そのまま何故か緊迫した空気のまま勝負は進み、結果は黒七枚に対し白五七枚。完膚なきまでに叩きのめされた。


「勝者、ここちゃーん!」


 クラスメイトに腕を上げられここちゃんは勝ち誇っている。周りでは拍手が起こっている。なんだこの状況。


「いやー、面白い負けっぷりだったね恵莉花」

「もう……もう何も言わないでください……」


 私は突っ伏して嘆いた。途中から白に染められていく度恥ずかしくなっていった。私の打つ手がなくて手番を飛ばされるなんて人生初だった。しかも数回。


「先輩♪ 約束ですから、いうこと聞いてくださいね♪」

「はい……」


 私は何をされるんだろうか。生きて明日を迎えられるだろうか。



***



「え、もう帰るの?」


 囲碁将棋部の部室を出た後、ここちゃんの告げた言葉に聞き返した。


「はい。もう時間としては帰っていい時間になりましたし、それに、ここ、実は最初から部活どうするか決めていたので♪」

「えーそうなの?」


 私は少し肩を落とした。ここちゃんと部活を巡っている時間は楽しかったからよかったけど、なんか少しやるせない気分になった。


 玄関から外に出ると、外は意外にももう赤くなっていた。そんなに時間が経ったように思わなかったから、不思議な感覚だ。


「で、私何されるの?」


 歩きながら今日の敗北の行方をここちゃんに聞いてみる。


「んー、内緒です♪」

「もー。今日のここちゃんなんか意地悪」

「そうですか? ここはいつもこんな感じですよ♪」


 そうやってまたここちゃんの天使な笑顔が私に向けられた。何でも許せてしまうようなずるい笑顔。夕日で影になってて、少し感傷的に映った。


「でもー、少しヒントをあげるなら、ご飯食べて、お風呂から上がったら、楽しみにしてくださいね♡」


 何をさせられるんだろう。なんとなくだけど、別に悪い気はしないや。



***



「する側だったか……」


 夜ご飯を食べて、お風呂から上がって、二人ともパジャマに着替えて、私は細い棒を持たされ正座している。


 片方の先端にふわふわの綿が付いたそれは、耳かき棒。私は今からここちゃんに耳かきをする。


「でも、これくらい言ってくれたらやるのに」

「先輩、安請け合いしすぎじゃないですか? それにこれは、勝ち取ったご褒美であることが重要なんですよ♪」

「なんか……わからなくもないかも?」

「ふふっ。それじゃあ先輩、おじゃましまーす♪」


 私の膝の上にぽすん、と嬉しそうにここちゃんが頭を乗せる。さわさわと髪の毛が当たる感覚が、布越しなのに少しくすぐったい。


「私、耳かき初めてだし、手先器用な方じゃないから、痛かったら言ってね?」

「大丈夫です。先輩のこと、信じてますから♡」

「なんでそんなに期待が厚いの。まあいいや。それじゃあ、入れるねー」


 恐る恐るここちゃんの耳に耳かき棒を入れていく。そのまま耳の中を優しく掻いていく。


「……先輩、結構うまいじゃないですか〜」

「そう?」

「はい、と〜っても気持ちいいです♪ 蕩けちゃいそう♡」

「そこまでかー」


 私はくすっと笑ってしまい、手元が狂ってしまうといけないと少し焦る。幸い、ここちゃんの耳は傷つけずに済んだようだ。


 ここちゃんの耳は小っちゃくて、かわいい。その小ささに傷つけてはいけないとさらに自分に言い聞かされる。耳たぶがやわらかくて、ずっと触ってたくなる。


「ここちゃん、部活結局入らないの?」


 夜ご飯を食べているとき、ここちゃんが部活をどうするのか訊くと、入らないという返答が返ってきた。学校から帰るときに元から決めていたと言っていたけど、まさか帰宅部だとは。


「はい♪ ここ、放課後は先輩と一緒に過ごしたいので♡ 今日も先輩と一緒にいたかったから誘ったんですよ?」

「そうなの? 別に私に合わせなくてもいいのに」

「先輩に合わせてるわけじゃないですよ。ここがそうしたいからそうしてるんです。ですから、先輩がもし部活に入ったら、ここも同じ部活に入りますからね♡」


 少し自分が部活に入る想像をしてみる。……全然できなかったから、多分放課後はずっと一緒に部屋で過ごすことになるんだろうなーと想像する。


「……せんぱ~い、ずっと耳たぶ触ってますね」

「あ、ごめん。嫌だった?」

「いえ、気持ちいいですよ♪ 耳たぶマッサージ、続けてください♡」


 マッサージのつもりはなかったけど、気持ちいいならと続ける。私も触っていたかったから、ウィンウィンというやつだ。


「……ふーっ」

「ひゃっ!」


 母親にやってもらっていた時のことを思い浮かべながら、こうすれば取れやすくなるかなと耳に息を吹きかけたら、ここちゃんが肩をすくめて跳ね上がった。


「あごめん、嫌だった?」

「いえ、ちょっとびっくりしただけです。……先輩、朝の仕返しですか?」

「朝? なんかあったっけ?」

「え、忘れちゃったんですか?」


 記憶を探るが、朝は弱いタイプだからさっぱり記憶に残っていない。


「まあいいですけど。それより、気持ちよかったのでもっとやってください♡」

「気持ちいいんだ。うん、いいよ」


 ふーっ、と数回吹きかけて、ぴくぴくと反応するここちゃんを眺める。


 大体取り終わったら逆さにして梵天で耳の中を軽くふわふわっとする。


「ここ、これ好きです」

「私も好き。ここちゃん、結構耳かき好きなんだね」

「大好きです♡ お母さんによくやってもらってたんですよ」

「そうなの?」

「はい♪ お母さん、とっても耳かきが上手なんです。ここ、いっつも耳かきが終わるころには寝ちゃってて。そのくらい、気持ちいいんです」


 そう言ったここちゃんの目は、どこか遠い場所を見ているような気がした。


 ホームシック、とはちょっと違うかもしれないけれど、親元を離れてまだ少ししか経ってない、慣れない高校生活の中で、寂しくなってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。


 そんなここちゃんの寂しさを、どうにか取って上げられたらな。せめて耳かきだけでも、ここちゃんのお母さんと同じくらい上手くなれたら。


「……そっか。なら、今度またやってあげるね。そのときまでには、私もここちゃんのお母さんみたいにうまくなるよう、頑張る」

「はい♪ 期待して待ってますね♡」

「ふふっ……よし。こっち側終わり。反対側上に向けてね」


 くるんとここちゃんが態勢を変えて逆の耳が上になる。ここちゃんの顔がお腹側に向かって、息がかかってくすぐったい。


 その耳にまた耳かき棒を入れていく。慣れてきて、今度はスムーズに入れていった。


「……ここちゃん、今日なんであんなに怒ってたの?」

「え? まだ気づいてなかったんですか?」

「うん」

「先輩、やっぱりニブチンですよね」

「え? なんで?」

「そういうところですよ。……でも、そのままの先輩がここは好きなので、気づかないままで大丈夫です♡」

「んーそう? ならいい……のかな……」


 そのまま嫌じゃない沈黙が流れて、耳たぶをもみながら耳かきをする。たまに耳に息を吹きかけたりすると、ここちゃんが気持ちよさそうに反応する。


 しばらくしたら、また仕上げに梵天をふわふわっとして耳かきが終わる。


「よし。ここちゃん、耳かき終わったよ。……ここちゃん?」


 顔を覗き込んでみると目を瞑ってすやすやと眠っていた。すぅ、とかわいらしい寝息が聞こえる。


「寝ちゃったかー。布団に入れてあげないとね」


 私は起こさないようにそーっと背中と膝の下に腕を入れて、持ち上げる。びっくりするくらいの軽さに驚く。どうやったらあれだけ食べておいてこんなになるのだろうか。疑問に思いながらベッドに寝かせて、掛け布団をかける。


「……起こしてない。大丈夫そう」


 心地よさそうに眠るここちゃんを眺めて安堵する。


 改めて見ると、ものすごく綺麗な顔をしている。睫毛が長くて、すらっとしてて。なのにもちもちそうなほっぺたは触りたくなる。


 好奇心に負けて指先でつついてみる。もちっとした触感にクセになって何回かつついていると「んー……」とここちゃんが唸ってまずい、と思い手を引っ込める。起こしてはいないみたいでほっとする。


「……私も寝よ」


 ベッドの上の段に上り、寝転がってリモコンで電気を消す。


 頭の中にはここちゃんのことが思い浮かんでいた。ここちゃんと過ごした時間はまだ全然短いけど、ここちゃんが思っていることが私は分かってあげられていないように感じる。でもここちゃんは見透かすように私の心を汲み取って、少し不平等だ。


 もしかして、私はここちゃんみたいな子は苦手なのかな。でも、あんなに親しく接してくれて、一緒にいてくれるここちゃんをそんな風には考えたくない。


 それに、一緒にいる時間が楽しいのは本当だし、もし苦手だったとしても接し方は変わらない。ここちゃんが楽しいと思ってくれるなら、私はそれでいい。


 寝返りを打って、ここちゃんの寝顔を思い出す。あれだけかわいいと、好きな人とかすぐに見つけちゃうんだろうな。もしかしたら、もういたりするのかな。


 ここちゃんに好きな人ができたときのことを考えて、なんともいえない不思議な気持ちになった。よくわからないけど、いい気分ではない気がした。ここちゃんに好きな人ができるのは嬉しいはずなのに、どうしてなんだろう。


 何となくはっきりしない頭の中を振り切って寝ることにした。反対側に寝返りを打って、もう一度目を瞑り直す。


 せめて、明日はここちゃんを怒らせないようにしたいな。



***



「先輩、起きてくださーい。朝ですよー」


 肩をゆすられ意識を取り戻す。


「おはようございます、先輩♪」


 声を聞いて横を振り向くと、ここちゃんが一緒の布団で寝ていた。


「……ん?」


 頭がはっきりとした。なぜなら自分の記憶と今起きていることが一致しなかったからだ。ここちゃんは昨日、確か下のベッドで寝たはず。私が寝かせたから憶えている。でもここちゃんはここで一緒に寝ている。


「え、なんでここちゃんがいるの? 昨日先に寝なかったっけ?」


 寝ぼけた声で問いかけると、ここちゃんはいたずらな笑顔で返す。


「さ~どうしてでしょ~♪ ほら、起きないと遅刻しちゃいますよ」


 身体を起こされて、強制的にベッドから出される。ここちゃんの心を知るのは、もう少しかかりそう。



 続





***





 入学から少し経って、何度目かの放課後。先輩が迎えに来るのを待っている。


 初日に迎えに来てもらってから、なんとなくそのまま先輩が迎えに来て、一緒に帰っている。


「ここちゃん、一緒にどこか遊びに行かない?」


 クラスメイトの女子二人が話しかけてきた。数日も経てばもうクラス内で仲良くなる人たちがいて、自分もそのうちの一人だった。


「あ、ごめん。ここ、先輩と一緒に用事あるんだ」


 先輩との時間を優先して、嘘をつく。


「あの先輩今日も来るの!?」


 するとその子たちが前のめりになって食いついてきた。


「そうだけど……」

「あの先輩かっこいいよね! 美人さんだし、優しいし! 私、前失くし物したとき一緒に探してもらったんだよ!」

「私は図書室で手が届かないところにあった本取ってもらったの。すごくかっこよかった……!」


 次々と出てくる先輩の親切エピソードが、嫉妬心をものすごく昂らせる。


「ここちゃんあの人と同室なんでしょ? いいなぁ」

「私、付き合うならあの人みたいな人がいいなー。いっそ、あの人と付き合いたい」


 その言葉に身体がぴくっと反応する。冗談めかした言い方とはいえ、自分の内にある感情を動かすには十分だった。


「えー、女の人とも付き合える感じ?」

「うーんどうだろ。でもあの先輩ならいいかなーって」

「ちょっとわかるかも。ここちゃんは? 好きな人のタイプとかある?」

「えーここはそんな……」


 その場を切り抜けられずにいると、ガラガラと教室の扉が開いた。


「先輩!」


 すぐさまその人の前へと駆け寄った。その人は勢いに押されて少し驚いている。


「わ、どうしたの?」

「いや、ちょうど先輩のこと話してたので♪」

「そうなの? 話遮っちゃった?」


 正直助かった。申し訳なさそうな顔をしている先輩に、慰めるように言葉をかける。


「大丈夫ですよ。あ、先輩ちょっと……」

「ん? どうした……のっ!?」


 先輩の不意を突いて抱き着く。先輩がたじろいでいるのを感じる。そんなかわいい反応をする先輩を楽しみたいけど、今はそれよりも、周りに先輩はここのものだと知らしめる方が先だ。


「……先輩、背中にゴミ付いちゃってます。取ってあげますね」


 適当なことを言って抱き着いていた腕を離す。周りからは視線を感じる。


「あ、ああなんだ。ゴミ取ってくれただけか……」


 先輩は信じて安堵している。果たして今この場でその話を信じている人が何人いるのか。


「それじゃあ先輩、行きましょっか♪ 二人とも、また明日ね」

「ば、ばいば~い」「……ばいばい」


 振り返って手を振ると、先ほど話していた二人が戸惑った表情で手を振り返してくれた。流石にやりすぎただろうか。それでも、また先輩は無自覚に誰かを落としてしまうのだろう。


「……先輩、気を付けてくださいね。油断は禁物ですよ?」

「え、なに。なんの話?」


 先輩は呆れるほど素っ頓狂な顔をしている。その顔に、堪えられず吹き出してしまう。


 手強いなぁ。周りの人も、先輩も。

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