第9話 蒼氷の柩(バラフコフィン)

オレは、2人にかける声もみつからず、ただ不知火の胸に泣き崩れている撫子と桜を見て、立ち尽くすだけだった。竜達の時と同じように何もできない自分に無力感を感じる。何ができるわけではないが、一歩踏み出した。その時だった。不知火の体が薄ら光り出した。その状況に撫子と桜が取り乱す。

「いやぁぁ…消えないで。お母様。」

消える…。2人の叫びにオレの脳裏に自分の足や竜達が消えていった光景が思い出される。

『オレには何もできない。』

そう思った瞬間、頭に言葉が思い浮かぶ。

"バラフコフィン"

『あの時と…グングニルの時と同じだ。唐突に頭に入ってきた。…でもコフィン。棺の事か?もしかして…。』

正直、確証は無かった。でも、この何もできない状況を変えたい気持ちがオレを動かした。

「2人とも少し離れてくれ。」

オレの言葉に桜は、離れたくないと首を振ったが、撫子に促され、2人は、不知火から離れた。オレは、目を閉じ集中すると、不知火に手をかざし

【蒼氷の柩(バラフコフィン)】

と唱えた。目を開けると不知火の周囲に冷気が集まっていた。その光景を涙で顔を腫らした撫子と桜が心配そうに見つめる。不知火の体が少し浮き上がり、周囲に集まった氷の結晶が不知火の体を包む。

(パキンッ)

その音ともに不知火の体が氷の棺の中に収まった。上手くいったようだ。その光景を見て桜がオレに敵意を向ける。

「貴様ぁ、かぁ様に何をした!!」

桜の尻尾がまた大きく逆立つ。だが、側にいた撫子は冷静だった。撫子が桜の手を掴む。

「なぁちゃん、邪魔をしないで。アイツはかぁ様を」

怒りに身を任せる桜を宥めるように撫子が口を開く。

「落ち着いて、桜。お母様をよく見て。あの氷の柩のおかげでお母様は消えていないわ。」

撫子の言葉に桜の逆立った尻尾は元の大きさに戻っていく。撫子は、桜を宥めながら

「ご主人様は、お母様を救ってくれたのよ。そうでしょ、ご主人様。」

と言い、オレに視線を向けた。可愛らしい狐耳の女の子が色っぽい姿で、オレを'ご主人様'と言う。妹以外の女性に免疫がないオレは、どうしていいか分からず、2人から目を逸らすと

「約束したんだろ……3人で里に帰るって…。」

と言った。変な緊張から言葉が上手く出ない。

(ムギュっ)

柔らかい何かがオレの体に当たる。

「ありがとう。ご主人様。」

先程とは一変した歓喜に満ちた顔の桜がオレに抱きついてる。その隣には撫子も桜と少し重なるように抱きついてる。オレよりも一回り背の小さい2人の顔は、笑顔とは裏腹にまだ悲しみを抱えているようだった。それはそうだ。消えなかったとはいえ、最愛の母親を亡くしたのだから。声をかけようとしたが、2人の胸の感触のせいで頭が上手く回らない。オレは、声をかけるのを諦め、優しく2人の頭を撫でた。2人は、一瞬ピクンっと体を振るわせると上目遣いでオレを見る。その可愛らしい顔に反射的にまた顔を逸らしてしまった。一瞬だったが、2人の顔は少し赤らんでいた気がした。撫子と桜の尻尾がゆっくり揺れている。

「ありがとうございます。ご主人様。もう、大丈夫です。」

撫子は、そう言うと撫でていたオレの手を取り、自分の胸に当てた。温かい…。この世界に来て、初めて生きている鼓動を感じた気がした。だが、すぐに美女の胸を触っている事に気づき、オレは、慌てて手を戻した。妄想や知識はあっても生身の女性に触れ合う事が、こんなにもドキドキするものだとは思わなかった。ましてや、こんな美人姉妹。オレじゃなくても、大抵の男はドキドキするんじゃないだろうか。動悸で眩暈が…これが恋…なんてのは、一瞬にして幻想と消えっていった。

(ぎゅるるるぅ)

この状況でオレのお腹がクレームをつけてきた。そういえば、この世界に来て食べたのは、スライムだけだった。撫子と桜がくすりと笑う。オレもつられて笑った。

「ご主人様は、お腹が空かれてたんですね。でしたら、私達が森で何か食べられる物を探してまいります。それと、もう夕暮れが近くなっています。今日はこちらで野宿がよろしいかと思いますが、如何でしょうか?」

撫子の言う通り、太陽は山の裾に近づいていた。オレは、撫子の提案に頷くと

「だったら、オレも森に行くよ。ここで野宿するなら焚き木とかも必要になるだろうし。それに女の子だけを森に行かせるわけにはいかないから。」

と返した。撫子はまたくすりと笑うと

「大丈夫ですわ、ご主人様。これでも、私達、九尾の娘ですの。その辺の女の子よりは強いんですよ。」

と言って森に向かって走りだした。桜は一瞬、母親の柩を見て撫子を追いかける。桜は、まだ母親の事が気になるのだろう。桜は

「待ってよ、なぁちゃん。」

と言いながら、撫子と一緒に森の中に入ってしまった。オレは追いかけるタイミングを失い、静かな大地に取り残されてしまった。太陽の光が不知火の柩に反射して煌めいている。オレは、不知火の柩を見て、一息をつく。

『上手くいって良かった。』

安堵感からか、笑みがこぼれる。

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