第7話 タノガミ ミク
「…けて…さい。」
途切れ途切れの声だが、助けを求めている事は分かった。オレは、角輪にかけた手を戻し、女性の元に向かった。そこには、狐耳の九尾の女性が、汗だくになって苦しそうにしている2人の少女を抱き抱えていた。2人の少女は見るからに危険な状態だが、九尾の女性も息が荒く、顔色も悪い。初めて見る獣人だったが、この緊迫した状況ではどうでもよかった。オレは
「大丈夫ですか?」
と九尾の女性に声をかける。九尾の女性は、黒づくめのオレの姿に一度睨みつけたが、黒光する剣を見ると態度を翻し
「もしや竜の巫女様ですか?」
と聞いてきた。相当、竜の巫女は有名人らしい。オレは、一度首を振り
「オレは竜の巫女じゃない。ただの人間だ。…ただ、竜達はオレの事を竜の巫女と言っていた。」
と答えた。オレは竜の巫女について聞きたかったが、そういう状況ではない事は十分分かる。九尾の女性は、何かに納得すると
「そうでしたか。でしたら、もう一つお聞きしたいのですが、黒マントを着た男を知りませんか?」
この状況と黒マントの男に何か関係があるのか、焦った様子で聞いてきた。オレが
「黒マントの男なら死んだよ。ヤツがオレに放った魔法が跳ね返ったらしく、焼死した。正直、どうやったのか、オレ自身もよく分からないけど」
と答えると、九尾の女性は、
「貴方様があの男を…」
と呟き、急にオレの手を掴んだ。そして
「どうか、貴方様の血を娘達に与えて下さい。どうか、お願いします。」
と懇願してきた。手を掴む力が強くなる一方で、綺麗な顔が、涙と共にクシャクシャになっていく。それが一刻の猶予もない状態である事を物語っていた。オレは、九尾の女性の手を取ると
「分かった。で、どうしたらいい?」
と聞いた。九尾の女性は、娘達の巫女服を捲って腹部を見せた。少女達の腹部には、赤い紋様が光っていた。
「もう時間がありません。この紋様に貴方様の血を」
オレは九尾の女性に言われるがままに、指を剣で切り、血を少女達の腹部に垂らした。血は、紋様に広がると、赤色の紋様を青白い紋様に変えていった。紋様の色が変わると共に少女達の苦しそうな息遣いも顔色も良くなっていく。どうやら間に合ったようだ。九尾の女性は、安心したのか
「良かった…間に合ったわ…」
と言うと、その場に前のめりに倒れた。息が出会った時より荒く、弱々しくなっているのが分かる。
「大丈夫か?あんたも体調が悪いんじゃないのか?」
オレは九尾の女性を起こし、仰向けにして寝かせた。先程とは違い弱々しい声で九尾の女性が語りかける。
「娘達を助けてくださって、ありがとうございます。私は、あと一刻もしないうちに死ぬでしょう。でも、その前に貴方様にお願いと伝えないといけない事があります。」
オレは、その姿に声を荒げて
「おい、何言ってるんだ。簡単に死ぬなんて言うなよ。娘達が助かったんだろ。だったら、死ぬ事より、生きる事を考えろ。運命に抗え。死んだって娘達を悲しませるだけだろ。…生きろ。」
と叫んだ。死を覚悟している者に対して、自分勝手な言葉だったかもしれないが、オレの頭に自殺した母の事が過った瞬間、言葉が漏れ出てしまった。竜達の時とは違う悲しさが、オレの心を覆う。九尾の女性は、オレの頬に触れると
「貴方様は、お優しい方なのですね。私も運命に抗いたいです。ですが、もう無理なのです。ただ、後悔はしてないんですよ。私の命は、娘達を助けるために使えたのだから。貴方様の言葉を聞いて、改めて娘達を貴方様に託したいと思いました。宜しいでしょうか。」
と言い、微笑んだ。その微笑みが、オレの悲しみや苛立ちを消していく。竜でも獣人でも子の為に願う言葉は、優しさが溢れてくるもののようだ。オレは、九尾の女性の言葉に無言で頷いた。九尾の女性は、もう一度笑みを見せると自分や娘達の事について話始めた。
「ありがとうございます。見ず知らずの私の願いを聞いてくださって感謝致します。そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね。私は人孤の里長をしている不知火と申します。娘達は、髪の長い娘が撫子、短い娘が桜と申します。」
「オレは、多野神 永遠(とわ)だ。」
オレがそう返すと不知火は何かを思い出したかの様に
「タノガミ…やはり貴方様は竜の巫女様に縁のある方なのかもしれませんね。」
と言ってきた。悪い予感が頭を過ぎる。オレは、動揺しながら
「縁がある?どういう意味だ?」
と不知火に聞いた。オレの動揺に気づいたのか、不知火はオレの顔色を見ながら質問に答える。
「…我が一族には、竜の巫女様と一緒に暴走した竜神様を鎮めた伝承があります。その竜の巫女様の名前がタノガミ ミク様だったかと…」
『タノガミ ミク…多野神 未来。妹の名だ』
妹の名から、不知火の声は耳に入ってこない。悪い予感が確信へと変わりつつある。オレは恐る恐る
「竜の巫女は、白髪の女性で…この黒い剣を…」
と聞いた。
「…御姿の伝承はありませんが、この地に納めた黒き剣で戦ったと」
不知火の言葉に全身の力が抜けていく。悪い予感が頭を満たしていく。妹もこの世界に来て、竜の巫女として生きていた。何故、白髪だったかは分からないが、オレに力を渡して…死んだ。涙が止めどなく流れてくる。オレは震える口から
「竜の巫女は…死んだのか。」
と言葉を振り絞った。オレの異様な状態に不知火にも困惑が見られる。少しの間を挟み不知火が口を開く
「巫女様は生きてますよ。」
「えっ?」
思いもよらない返答にオレの息が一瞬止まる。不知火は言葉を続ける。
「伝承では、竜神様との戦いの後、この地にその剣を納めて、自らを彼の地にて封印されたとあります。ですから、貴方様を見た時、竜の巫女様が戻られたのだと思ったのです。」
『妹が…未来が生きているかもしれない。』
オレは涙を拭った。この世界に来て、初めての明るい兆しがオレに力を与えてくれる。洞窟内の白髪の遺体や未来が竜の巫女になった事など色々な疑問は残っていたが、もうどうでも良かった。オレの表情が戻った事で、不知火も安心した様だった。オレはしっかりと不知火を見て
「ありがとう。貴方のおかげで、オレがこの世界で生きていくための希望ができた。」
と感謝を述べた。不知火は、軽く目を閉じ頷くと
「何があったかは知りませんが、私の言葉が役に立ったなら良かったです。御心は落ち着きましたか?」
とオレを気遣った。自分の命が僅かであるにも関わらず、オレを気遣ってくれる不知火に感謝しかなかった。オレは
「すまなかった。貴方の娘達は、オレに任せてくれ。オレにできる事は、何だってしてやる。」
と力強く言った。不知火は軽く笑みを見せ、途切れてしまった娘達の事を語り始めた。
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