雪の様に溶けるのか 溶ける様に消えるのか
椎楽晶
雪の様に溶けるのか 溶ける様に消えるのか
俺が小学生の半ばくらいに『家族』が崩壊した。
原因は父親。だが、決して浮気や不倫の果てではない。相手の
いわゆる、ストーカーってやつだ。
若いホステスが、なぜか父に入れ込んだらしい。
流れで渡してしまった名刺には、会社名も個人の携帯番号も記載してあったのが運の尽き。
四六時中、着信かメッセージが送られてくる上に、会社にまで押しかけての待ち伏せ。
何度訴えてもやめないストーカー行為に、ついには警察に訴えるも最初は『若い
でも、遅かった。
父の評判は地に落ち、会社を解雇された。
母は精神を病んで祖父母のいる実家に、ちょうど思春期と反抗期に入り、父の言い分を信用しなかった姉を連れて帰って行ってしまった。
たった一人父のそばに残ったのは、何の力もない小学生の俺。
その日、俺と父は夕飯の買い物にスーパーに向かっている途中だった。『接近禁止』を破って目の前に現れたストーカー女は、父に掴みかかり揉み合い、そのまま…歩道橋から落ちた。
落ちた先で通りがかった大型トラックにボールの様に跳ね飛ばされた。
救急搬送された父とストーカー女は、同じ病院で同じ時間に息を引き取った。病院に駆けつけた女の家族は、老いた女の母親と幼い娘。必死に頭を下げる老女の横で、ぼんやりとこちらを見上げる少女の真っ白な肌と黒い瞳が印象的だった。
後日、改めて謝罪にやってきた老女が、葬儀の祭壇に飾られた父の写真を見てポツリと溢した一言は『あぁ…お父さんに似てる』だった。
この場合の『お父さん』はストーカー女にとっての『お父さん』か。
彼女は『父』を求めたのだろうか?
姿が似ている上に立場もまさに『父』だった男に。
他に預ける先もなかったのだろう。忘れ形見となった幼い孫の手を引き去る間際、『セツナ…アンタはママみたいになるんじゃないよ』と呟いたのを、なぜか覚えている。
若いホステスがストーカーの果てに無理心中、として世間を賑わせ、ワイドショーやゴシップ誌の記者は、田舎の祖父母宅にまで押しかけていた。
連日連夜繰り返される、取材という名の詮索に母はついに限界を迎える。
引き摺られるように姉も病み、ある時、祖父母が目を離した隙に行方をくらませてしまった。後日、とある自殺の名所で遺体で発見さることとなった。
これによって世間は更に賑わい、取材攻勢は激しさを増す。
両親も姉もいなくなった家は売り、俺は祖父母と共に全く関係のない土地へ移り住むことになった。
こうして、死者を
嘘か本当か、夢かもしれない記憶。
まるで雪が溶けてしまう様に、淡く
腕の中の女に向けて愛おしそうに『ミユキ』と呟いた父の声は、まるきり別人の…聞いたことがない甘い
※
途切れ途切れの記憶しかないのは『子供だから』『ショックで部分的に記憶喪失なんだろう』と判断された。
それが一層、俺を混乱させた。
何せ、部分的に覚えているものと、夢か現実か判断できない映像と、大人たちから教えられた事と食い違うからだ。
しかし、それらの答え合わせはついぞ出来なかった。
子供のうちは言語化が難しく祖父母に問うことができず、大人になる前に彼らは亡くなってしまった。
幸か不幸かそれは俺の成人後で、未だ学生の身だったが一応は成人していると言うことで、遺産や引き取り先などを親族間で争う事もなかった。
親しく近しい親族もなく、まさに天涯孤独と言っても差し支えない身の上になってしまったが、性格からなのかそこまで寂しいとも切ないとも悲しいとも感じなかった。
淡々と月日は流れ卒業後、就職した会社にとある女性がやってきた。
生まれて初めて、傍に居てほしい!と言う激しい衝動に駆られた相手だった。
※
真っ白な肌に黒目がちの瞳。
いつか何処かで見た気がしなくもない容姿だったけれど、幼い頃のあやふやな記憶だし何より名前が違った。
記憶の中の少女は『セツナ』と呼ばれていた。だが、彼女は『
彼女の方も一目惚れだったのか…出会って半年もしないで恋人関係になり、一年後には結婚の話も出た。
幸せな時間だった。
未だかつて、こんなにも幸福で穏やかな時間はなかったと言えるほど、
お互いに天涯孤独の身の上で、結婚式は二人きりで写真を撮る簡素なものだったが、十分に幸せだった。
ただ、一つ気掛かりなことは彼女の体温。とにかく冷たかった。
初めて手を繋いだ時こそ驚いたが、『冷え性なの…』と言われ、続けて『だから、暖かい人が好き』と微笑みながら強く手を握り返す、その仕草が愛らしかった。
暑さに極端に弱く、どれだけ冷房を効かせても『暑い』と言ってぐったりとしていた。冷凍庫から出したアイスを弱々しく舐める姿は、いっそ官能的だった。
反対に寒さにはやたらと強かった。真冬によく外に出たがった。スキーやスノボ、スケートなどのウィンタースポーツをしにではない。
冬場のツンと冷たい空気が好きで味わいたいのだと言って、ただ外を歩きたがり、どれだけ着込んでも寒気のする時期に、冷たいフラペチーノを飲みながら街を歩くのを好んだ。
『まるで雪女だね』と笑って言えば、『そうなの私、雪女なの』と悪ノリして、冷たい手のひらを首や服の下に入れようと戯れてくる。
そんな悪戯な手を捕まえて暖めてやる瞬間が、とても幸せだった。
『あっためたら溶けちゃうよぉ…』と言いながら笑う笑顔が好きだった。
海に行かなくなった、BBQにも行かなくなった、花火大会などの祭りにも行かなくなった。夏は引き篭もる生活になった。
熱い砂浜を歩くより、枯れた葉の落ちるアスファルトを歩く方が多くなった。
じっとりと蒸す夜の空気の中、時折吹く風に涼しさを感じながら見上げる花火より、鳥肌が立つほど冷房の効いた部屋でアイスを半分こしている時間の方が何倍も有意義だった。
炬燵に足を突っ込んで、暖かいココアを飲みながら映画を見るより、冷たい彼女の手を握って街を歩く方が楽しかった。
彼女の冷え性は、確かに深刻なほどかもしれない。
だが特に大病でもなくただ暑さに弱い、冬が好き、と言う程度のものだと思っていたし、事実、その程度だった。
会社の健康診断でも問題はないと診断されていた。
『行き過ぎると体調を崩す恐れもあるから、ほどほどに』と口頭注意をされる程度だった。
だから、妊娠したと教えられた時も、多少の不安はあれどそこまで深刻ではなかった。
冷たい彼女の体表面の中で、膨れていく腹だけが熱かった。
※
わずかな不安を感じながらも、出産は
両親の助けのない手探りの子育ては、繁忙期の仕事に匹敵もするしそれ以上にも感じた。
眠れない、休めない、落ち着かない。
それでも、雪奈と二人三脚でなんとかやっていた。
彼女の低い体温を
生まれたての乳幼児を、今までの温度設定の部屋には置いて置けない。
俺や子供には快適な暖かい部屋だが、雪奈にとってはサウナにも感じるのだろう。真冬で暖房もついた部屋とはいえ、半袖のTシャツかキャミソールと言う格好で汗だくで過ごす。
会社に与えられた育児休暇が明けてからは、昼は雪奈一人になってしまうので、帰宅後は交代だ。我が子をあやしながら夕食の準備をする間、雪奈は別室に篭り開け放たれた窓から入る冷気混じりの空気で深呼吸をし、汗だくの服を着替えてから出てくる。
授乳している関係もあって、毎日がサウナ状態の雪奈はあっと言う間に
真っ白を通り越して、薄青くなった顔は本当に命を削って子育てをしているように見えた。
だから、授乳期間も終わり、流動食のような離乳食も乗り越え、抱っこではなく手を繋いで歩けるようになった頃、俺は雪奈を
妊娠期間からずっと我慢していた彼女の大好きなアイス。
コンビニやスーパーの手軽で安いラクトアイスではなく、少し奮発して有名なアイスクリーム屋のものを買って帰った。
夕食の後、好きなフレーバーを目を輝かせながら選ぶ妻と子供の姿に、自然と口の端が持ち上がる。
3人でアイスを食べながら交わす会話の、なんと楽しいことか。かつて無くした『家族』の姿がここにあった。
だから、すっかり気が緩んでしまっていたのだ。
緩んで緩んで、緩み切って…忘れてしまっていた。
『内緒よ』と、言われていたことを。
※
食べ終わったアイスの入っていた器を、リビングのテーブルに置いて、可愛い我が子は満足してソファに座る俺の足を枕に眠ってしまった。
ベッドに運ぶべきだが、まだしばらくはこの重みに幸福を感じていたい。そう思って、『運ぼう』と言う提案がされないよう、気を
会社であったこと、大学の友人の馬鹿話、高校の頃の思い出…そして、両親。家族のこと。
一時とはいえ、当時のお茶の間をセンセーショナルに賑わせた事件だったから、名前を言えば覚えている人間もいる。
その為、付き合う前に
でも、どの時もしなかった話を…昔の話をするうちに出してしまった。
時間の経過もあって、さらに曖昧になった記憶。
けれど、やっぱり忘れられない、嘘か本当か、夢か
『父と彼女は、まるで愛し合っているかのように絡み合い落ちていった』
俺はこの話をしながら、雪奈を見ていなかった。眠る我が子を撫でながら、寝顔を眺めていたからだ。
だから、父の葬儀に現れた老女と…手を引かれ着いてきた少女。『セツナ』の名前を出した時、
『そろそろベッドに運んで』と言われるまま、彼女がアイスの器を片付けるのを任せ、子供をベッドに運びれそのまま寝てしまった。
寝て、起きて…
昨夜、アイスの器を置いていたリビングのテーブルに、いくつかの封筒と『内緒だったのに。もう一緒にはいられない』と、書き置きが置かれていた。
※
封筒の中身はDNA鑑定の結果だった。
俺と子供の鑑定結果。
俺と
それよりも、もっと古い鑑定書の封筒には…。
俺の父と見知らぬ女の名前。いや、違う。俺はこの名前を嫌と言うほど知っている。
この名前は『ストーカー女』として、父を巻き込み事故死した
その二人の鑑定結果も…近しい血縁関係の結果だった。
そして、父と
呆然と、封書から取り出した鑑定書を眺める。
俺と
その事実に寒気か
込み上げる吐き気を必死に紛らわせようと、一緒に置かれていた手紙と思しき封筒を手にする。
雪奈の置き手紙か?とも思えたが、封が開けられている上にやや草臥れ少し黄ばんでいた。それなりに古い手紙の様だ。
中身は、
若くして見合い結婚をし、イビリに耐えきれず息子を残し飛び出した過去。
学歴も職歴もない田舎娘を拾ってくれたのは、そんな女を食い物にしようとする悪い男だったこと。
生まれた娘と必死に逃げ生活していたが、学のない女の娘もまた大して頭は良くなく、それでも懸命に母を支えようと夜の職に就き、一人の男と恋に堕ちたこと。
その男は既婚者で…かつて母が置いてきた息子。つまり、異父兄だったこと。
思い悩んだ二人は別れるが、娘の胎には子供がおり…程なくして
それを知った、かつて置いてきた息子は、母である自分や最愛の
その事で相手の家から嫌がらせを受けていたこと。
最後に、マスコミはいずれこの事実に気がつくだろうこと。その前に、逃げるために名前を変える手続きをした、と締められていた。
『雪奈』の読みを『セツナ』から『ユキナ』へと変更する手続き。
それが受理された知らせも添えられていた。
それなのに、なんのつもりで俺に近づいたのかは分からない。もしかしたら、『
いずれにせよ、何も覚えていないと言った俺が実は覚えていたことがあると知り、いつかこの秘密に辿り着くのなら…と、消えてしまったのだろうか?
理由は分からない。真意は分からない。
ただ、結果だけを残して、何も言わずに
俺と、まだ幼い息子の『
※
数年後。
『父さん、今度、紹介したい女性がいるんだ』
『そう、結婚したいと思ってる
『プロポーズはもうした…OKは貰ってる』
『暑がりなトコとか…ちょっと母さんに似てる、かな?』
『名前は、『
雪の様に溶けるのか 溶ける様に消えるのか 椎楽晶 @aki-shi-ra
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