第7話 言霊
時間が経つのは早いもので、伊圭男が転校してきてから一か月が過ぎようとしていた。始めは全く不可解だった伊圭男の行動が次第に分かるようになり、その無表情さも多少は違いがあることに凡子は気が付くようになっていた。
「あ、いたいた」
凡子は自席で読書をしていた伊圭男に駆け寄った。
「普都男が、先生に捕まったから先帰ってていいよって」
伊圭男は読みかけのページに栞を挟み、ポケットからスマホを取り出した。
「あ、充電切れちゃったみたい」
伊圭男は凡子を見て、なるほど、という風に頷いてスマホをポケットに仕舞った。そして、再び凡子を見上げた。
「…………」
「ああ、私はちょっと忘れ物があったから来ただけ。普都男とは昇降口でバッタリ出くわしたの。私、わざわざあいつのお使いはしないからね! ついでだよ、ついで!」
伊圭男はふっ、と笑った。伊圭男が転校してきてから約一か月、席が隣だったということもあって、凡子はだいぶ伊圭男の言わんとしていることが分かるようになっていた。そしてこの日、凡子の記憶が間違っていなければ、伊圭男の笑った顔を初めて見たのだ。
やっぱりきれいな顔だなぁ……、そんなことをぽ~っと思っていると、伊圭男が口を開いた。
「ありがとう」
そして次の瞬間、凡子が思いもよらなかった言葉が飛び出した。
「ブス」
場が凍り付く。伊圭男は軽く目を見開いた。自分の発言に驚いているようだ。
「いや、ちが…………いや、違わない、ごめん」
――違わない? 何が? 私がブスってことが違わない? 嘘でしょ? ここにきて、ブスって……せっかく、やっと……と、凡子は目頭が熱くなるのを感じながら思った。
凡子は早口でまくし立てた。
「そりゃあね、池目くんみたいに元々顔が整ってる勝ち組の人にはこの平凡な顔がブスに見えても仕方ないって思うよ? 何の取柄もない、何の特徴もない私と池目くんを比べたら誰しもそう思うと思うよ? でもさ、なんで自覚してることを他人に言われなきゃいけないわけ? ケンカでも売ってるの?」
伊圭男から返事がないので、教室から出ようと踵を返した。しかし、伊圭男の次の一言が凡子をそうはさせなかった。
「平」
ピタ、と足を止め、名前、憶えてたんだ……あれ? 初めて呼ばれた……? と、凡子は心底驚いた。
「言霊って知ってるか?」
話し掛けられているのに、何が言いたいのか分からない。いっその事いつもみたいに無口でいてくれた方が、分かるのに。そう思いながら凡子はゆっくり振り向いて答えた。
「……声に出したら、本当になる、ってやつ……?」
「そう。今、平は損をしてる。今までも、平は損をしてた。これからも、平は損をする」
何、急に。一体何が言いたいの? 凡子はたじろいだ。急に伊圭男が遠い存在のように思えてきた。
「……平の口から出た言葉が平をそうさせてる」
凡子は稲妻に打たれたような衝撃を感じた。いたたまれなくなり、「伝えたから」と短く言って、今度こそ教室から出た。
その夜、布団の中で凡子は伊圭男に言われたことを心の中で反復していた。
『今、平は損をしてる。今までも、平は損をしてた。これからも、平は損をする。……平の口から出た言葉が平をそうさせてる』
「そんなの、自分が一番よくわかってるのに……もうどうすればいいっていうの……」
ああ、私、勝手に池目くんと仲良くなれたと思ってたんだなぁ……。その日、凡子はなかなか寝付けなかった。
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