第13話

α

 急行電車が減速し、小田急線新宿駅のホームに滑り込んだ。いっせいに乗客が吐き出される。

 人の流れに乗りながら、制服姿の璃子はスマホに目をやっている。万莉からの通知だった。足元も見ずに階段を昇る。

 鼻を鳴らした。舌っ足らずな万莉の口調そのままの内容。待ち合わせの時間に「ちょこっと」遅れると書いてある。

 ということは、三十分は待たされると考えていい。やれやれ。

 新大久保の韓流アイドルショップに行くのに、用事があるから新宿で待ち合わせしようと言い出したのは、万莉の方なのに。

 自動改札を通り抜けると、仕方なくルミネエストに入る。ママと来たときのお決まりのコースをたどって、幾つかのショップを冷やかして回った。ママは溢れんばかりの商品に囲まれていると癒されるらしい。バブル世代のおばあちゃんの影響だろうか。

 コスメを物色していると再び通知。

 相手を見て顔を顰める。今度は里美からだった。頭に超のつくゴシップ好き。学校から芸能界まで、噂話や流行モノならなんでも飛びついて、吹聴して回る。どれもこれもクダラナイ話ばかり。あまり係わり合いになりたくない相手だ。

 内容はやっぱり脱力するほどクダラナかった。中二にもなって、「好きな相手に告白されるおまじない」とは! 

 無視しようとして思い直した。ここで「教えて」と言われることが、彼女にとって最高の快感なのだ。

 それを鼻で笑ったために、塾講師と関係しているという噂(もちろん根も葉もない)を流されて退学になった子を知っている。仕方がない。付き合うしかないだろう。興味を示したように返事をすると、待ってましたとばかりに返ってきた。

 それはTikTokだかにのった動画で、璃子も知っているボカロPが洒落た音楽をつけているのだが、不気味な言葉の連なりーー呪文だった。


《ホロボ・ロンゴ・カカ・ヌイ。オロゴ・ゴンガ・ンチャヌ・グイ。》


 このおまじないで黒沢クンと付き合えるかなぁ、と書いてある。里美が熱をあげている黒沢というのは、雑誌の読者モデルに選ばれたことが自慢の、いっこ上の高校生だ。先日、里美や美羽と遊んでいるときに声をかけられた。里美には言ってないが、次の日に一度だけデートした。確かに顔はまあまあだが、話すと三十秒で頭が悪いのがばれるので、あっという間に厭きてしまった。しかも早漏だった。

 ご苦労様。胸の内で呟きながら、「絶対ためしてみるね」と返した。また通知。万莉からだった。珍しい。ほんとに「ちょこっと」だった。しかし時間を見て驚く。全然「ちょこっと」ではなかった。待ち合わせの時間から、一時間は過ぎている。思いのほか、ウィンドウショッピングが長かったらしい。

 万莉とは、二階のスタバで待ち合わせた。

 それにしてもーーとスタバに向かいながら、思い返す。変な呪文だ。耳慣れない、どこか不穏な響き。他愛のないそれが、何故か頭の片隅にこびりつく。

「リコぴょん、ゴメンね!」

 本当にすまないと思うなら、毎回遅れなきゃいいのに、という思いは、ちらとも見せずに、笑顔で返した。

「お詫びにさ、いーこと教えたげる」

 とびきり甘そうなドリンクをストローで吸いながら万莉は、おまじないについて、とうとうと喋りだした。高校生の姉から仕入れたというそれは、驚いたことに、里美から流れてきた通知とまったく同じ内容だった。例の「おまじない」は、オンナノコの間で急速に広まっているらしい。

 バカバカしい。

 そういえば以前、オンナノコたちの口コミを利用して香水を売りつけたメーカーがあった、とおばあちゃんから聞いたことがあるけど、これもひょっとして何かのプロモーションなのかもしれない。

 あの時は、あちこちからメールがガンガン入ってきて本当に鬱陶しかった、とおばあちゃんが言っていた。里美ならば、ほくほく顔で流しまくるだろう。

 もっとも当時だって、大人に操られたというよりも、女子たちが面白がってわざと乗っかってやったからあれほど広まったのだ、とおばあちゃんなら嗤うだろう。

 さてどうしよう。中高一貫の璃子の学校は、受験がない代わりに、顔を合わせるメンバーもずっと同じ。変わりばえのしない毎日がこの先も続くのかと考えると、正直、退屈で死にそうだった。

 馬鹿騒ぎして盛り上がるのも、たまには悪くないか。璃子は思い始めている。


Δ

 それは、四度目に渋谷を訪れた日のことだった。

 それにしても、人間、慣れるもんだなぁ。

 すっかり、人酔いもしなくなったスクランブル交差点を移動しながら、颯太は渋谷に通う自分を不思議に感じた。

 大成堂書店の右横を抜けて、ぶらぶらとセンター街に入る。

 途中、ブックオフで立ち読みしたりしながら(七月で閉店するらしい)、一時間ちょっと行ったり来たりしたけど、今日も尼ちゃんの姿はなかった。

 がっかりして足取りも重くなった颯太は、最後と決めた一往復のあと、とぼとぼと駅に向かって歩き出した。

 やっぱ無理ーーだよなぁ。

 一度、顔を見ただけの、名前も知らない、どこの誰とも分からない女の子を見つけようなんて土台無茶な話だ。

 そう考えると、何もかもが無駄のように思えてきて、足が速まった。逃げ帰るように。

 ーーやめた。やめた。

 結局、自分は主人公なんてガラじゃないのだ。よくて脇役、せいぜい通行人Cとか、その他大勢のモブだ。ツンとした幼なじみもいないし、男前の姉も、迫ってくる妹もいない。転生先で、世界を救う運命も秘められた能力も呪われた血統もない。

 颯太はようやく受験を終えたばかりの高一で、それも女の子だらけの私立何とか学園じゃなくただの県立高校生で、第一もう電車代に使う小遣いすらない。

 諦めだすと、自分の行動がこれ以上ないくらいバカバカしく、恥ずかしくなった。

 ヒトシやケンには、どんなふうに映ってるんだろう。せせこましくそんなことを考えていると、QFRONTの前で、あの時の女の子を見かけた。尼ちゃんのほうじゃなくて、制服少女のほうだ。

 相変わらずの美少女っぷりで、今日は友達と一緒らしい。そっちはなんかちょっとケバくて、ダラシナイ感じの子だ。

 ちょうど信号が変わったところで、二人は颯太にはまったく気づかずに、お喋りをしながら交差点をヒカリエ方面に横断していった。なんとはなしに後を追っていた。いや別に後ろめたい動機でなくて、渋谷駅に向かっただけだけど。

 でも。

 偶然とは恐ろしいもので。

 交差点を渡りきったところで、今度こそ颯太は、本命にぶち当たった。

 人混みの中に、にょっきり長い棒が突きでていた。棒の先にガマの穂みたいな、猫じゃらしみたいなもこもこしたのが付いている。テレビなんかで見るガンマイクというやつだ。

 テレビの撮影かな、と目をやると、その先に彼女がいたのだった。

 やっぱり顔以外をぴったりと覆った修道服姿で、なのにマイクから繋がるバカでかいヘッドホンを、頭巾の上から頭に載せている。表情が真剣そのものなのが、また可笑しい。というかカワイイ。

 尼ちゃんは、そろりそろり、とガンマイクを回転させながら、なにやらフムフムとひとりで頷いていた。あきらかに奇妙キテレツ怪しさ爆発なんだけど、周囲は特に気にとめる風でもなく流れているのが、逆にスゴイ。都会だからか?

 颯太はしばらくそれを眺めた。

 色んなものが頭の中をグルグルと渦巻いていたから。

 ウソみたいな偶然でまた出会えたこと。

 それなのにやっぱりヘンで、近づきにくいこと。

でも、ここで声をかけないと、たぶん、もう一生会えないだろうな、ということ……。

 色んな思いが錯綜して、こんなのは中学生の時、罰ゲームで同級生の女子に告白して以来だった。

 むををををををををををををををを……。

 颯太は身悶えて、今までの人生で最大の決断を迫られた。


 ああ、主よ。どうして、こんなことになってしまったのでしょうか……。

 マリアはややもすれば、幽体離脱してしまいそうな意識を必死に押さえた。

 場所は、センター街のマック。

 テーブルの上には、期間限定のレモンジンジャー味の「裏・コーク(R)」が二つ置かれている。

 どうしよう……。

 困り果てて、目の前の、伏し目がちな男の子を見る。男の子のほうが、もっと弱り切っている様子なのに、ちょっと、ほっとする。

 見た目の肉体年齢は自分より若く見える(十二、三歳?)が、アジア人の平均からすれば、少し上でマリアと同年輩(十五、六歳?)くらいかも。

 もっとも、ホムンクルスであるマリアが、フラスコの中で生み出されたのは、十年前にすぎないが。あ。

 男の子が顔をあげ、目が合った。するとみるみる顔を赤らめて、また下を向いてしまう。

 えええええええっ。

 こっちまで熱が上がってきた。

 コークを一口飲んでみたが、こちらも、むちゃくちゃ甘い。

 生まれて初めて告白されちゃった。

 しかも、あんな公衆の面前で。

(ーーすっ、好きです!!)

 上ずった声で告げられた瞬間を思い出して、本当にクラクラしてきた。

 こんなことって、あるんだ。

 以前、このマックで起こしてしまった、ちょっとした騒動。男の子は、たまたまその時に居合わせていたらしい。そしてマリアに、一目惚れしたのだという。

 ヒトではない、わたしに。

「「あのっ!」」

 喋り出しが同時だったので、二人はむやみに譲り合い、やがてそんな状況に、お互い笑い出してしまった。

 男の子は、少し緊張がほぐれたようで、ようやく話しだした。

「あの、突然、声をかけちゃってゴメンナサイ。でも、こんなチャンス二度とないだろうと思って……」

 語尾が若干、尻すぼみだったけど、真剣な調子は充分伝わってきた。それから男の子は、シドロモドロながら自己紹介を始めた。

 キクチショウタさんは、想像したとおり十六歳で、マリアと同い年だった(あくまで肉体年齢だが)。

 マリアも求めらるまま、名前を教えた。別に隠すようなものでもないし、どのみち「マリア」というのは、通称にすぎない。正式には、実験体七〇三という味気ない数字が、マリアの存在の認識コードだった。

 教会の前で捨てられていてシスターに拾われ、教会の中で育った、というプロフィールをショウタはまったく疑うそぶりも見せずに受け入れた。

「ふうん、神父さんはイタリアの人?」

「ソウデス。だからニホンゴは少ししかワカリマセン」

 スペックのようにインプットされたプロフィールをすらすらと話しながら、マリアは初めて本気でそうであって欲しいという感情に揺さぶられた。ヒトというのはきっと、こんな風に、過去と現在と未来を語るのだろう。

 ズキン、と胸が痛んだ。わたしは……。

 わたしは違うのだ。

 嵐のように、そのいたたまれなさにつかまれ、マリアは立ち上がってしまった。カップが倒れて、コーラがこぼれた。

 ショウタがビックリして、目を丸くした。

「ど、どうしたの?」

「……ゴメンナサイ」

 それが精一杯の言葉だった。

 マリアは、頭を下げると、ショウタの顔を見ないように駆けだした。

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