第6話
Δ
グーグルや地図アプリで「東京 教会」と入力すると、旅行・観光情報のサイトや結婚式場、建築関係が出てきた。「渋谷 教会」だと、数は絞られ教会が何ヵ所かは出てくるけど、中にいる人たちの顔などが分かるわけでは当然ない。「渋谷 修道院」でもさして変わらず、「渋谷 修道服」だと、コスプレなどの服飾店が上位に来てしまう。
颯太は、ため息をついてスマホを放り投げた。
それにしてもーー。
自分の部屋に戻って、ベッドに寝っ転がり、颯太は天井を見上げた。
どうすれば、あの子にもう一度あえるだろう。渋谷で見かけた彼女、あの尼ちゃんにもう一度会いたい。そんな想いが、日増しに高まっていた。
あらためて言葉にすると、悶絶するほど恥ずかしいのだがーー。
颯太は人生で初めて「一目惚れ」というやつを経験していたのだ。
まさか、まさか、だ。
颯太の、というか颯太とその友だちのあいだでは、ほとんどそれは、マンガやアニメの中にしかない、都市伝説だと考えられていた。登校中の出会い頭に、転校生とぶつかるたぐいのやつだ。
けど実際には、あっさりと、当り前のように、それはやってきた。
もう一度、会いたい。
ただ、そう思い続けてはいるものの、どうすればいいのか、方法はさっぱり浮かばなかった。
だよなぁ。そんな上手くいくわきゃない。
ゴロゴロとベッドの上で、転がる。
手がかりらしきものといえば、「渋谷」という土地くらいだろうか。それだって、とても頼りないモノだけど。
ぬおう。
どーしたらいいんだーっ!
転がりすぎてベッドから落ちたら、一階から、うるさい、と親父に怒鳴られた。
Ω
「おつかれさま~」
長い廊下の途中で、来栖きららと真崎ルナが手を振った。
「おつかれさまでーす」
もはや反射的になるまで染み込んだ挨拶を口にしながら辻まりあは、ひとり楽屋のドアを開けた。別れた二人は、キャリアも露出度も、まりあより格上のタレントだ。愛想を良くしておくに越したことはない。
お台場にあるテレビ局。その楽屋の中はがらんとしていた。
入ると真っ直ぐ通路が伸び、右手にイスが数脚並んでいる。イスの前には、長いひと続きの鏡があって、出番待ちの出演者は、そこでメイクをするのだ。左手のあがりがまちの上に、八畳ほどのスペースがあった。
まりあは畳敷きに上がると、隅に置いてある自分のハンドバッグと、壁際に積んである座布団をつかんだ。放り投げるように座布団を敷いて、座り込む。ひとつ息をつく。廊下越しの鏡に、自分の顔が映っている。
(あのエロ親父、ベタベタ触りやがって)
貼りついた笑顔をすとん、と落としながら毒づいた。
今日の収録は二時間の特番で、収録時間は四時間かかった。有名人の豪邸自慢を聞くというクダラナイ番組。だがそれに出て笑顔を振り撒いている自分は、もっとクダラナイのかもしれない。
MCの背後のヒナ壇に座り、キャーだのエーだの嬌声を上げるだけの、女子たちの一人。
運良く最前列に座れたのをほくそえんだのもつかの間、最悪だったのは、まりあの横に陣取った某大物俳優だ。
辛口のコメントで知られるその俳優は、何かというと、まりあの脚や肩に触ってきた。
別に身体を触られるくらいどうってことない。必要ならいくらでも上に跨ってやるのだが、ひと言、発言する度に「どうだ俺のコメントは」といわんばかりの視線をくれるので、ウザくてしょうがない。
しなをつくり、媚態を振りまきながらも、頭の中では別のことをずっと考えていた。
ニヤついた男の顔面に、痴漢撃退用の催涙スプレーを吹きつける。きっと奴は顔をおさえてぶっ倒れるだろう。倒れたところを、ネットで買った特殊警棒で滅多打ちにするのだ。
殴る。殴る。殴る。殴る。
きっと奴は、尊大な態度など吹き飛んで、ヒイヒイ泣き喚くだろう。ブタみたいに。
小便も漏らすかもしれない。鼻の下を伸ばして、俳優がねちっこく太股を撫でるのに、バーカ、死ね。バーカ、死ね。死ね死ね死ね死ね、と心の中で繰り返しながら、収録が終わるまで過ごしたのだった。
まりあは、ハンドバッグからタバコとライターを取り出して、火を点けた。人前では吸わないようにしているのだが、一人きりになると、つい手が伸びてしまう。歯がヤニで変色しないように気をつけないと。
(このままじゃ、どうしようもないな)
紫煙を吐き出しながら、ひとりごちた。
チヤホヤされたい、お金持ちになりたい、というみもふたもない理由で飛び込んだこの業界だったが、さすがに甘くはなかった。
それなりに華々しくデビューしたものの、いきなりトップアイドルというわけにはいかない。地道にバラエティーに出演しながら顔を売ってはいるが、そのわずかな下積みですら、まりあには耐えられない。
同学年の家出JKを使って、ウリの元締めをやっていたときのほうがマシだったな、と真剣に考えるときもある。だが今さら、である。
まりあはテーブルの端から、安っぽいアルミの灰皿を引き寄せた。
(いっそ、玉の輿を狙ってみるか)
埒もない妄想が頭をもたげる。来月初っ端のスケジュールは、プロ野球の選手やJリーガーやその他一流どころのアスリートを集めてクイズをするという、今日のに、輪を掛けてクダラナイ番組のアシスタントだ。スター選手に誘われたら迷わずついていこう、いや、少しくらい、ためらったほうがいいかな。
(それと……)
まりあはさっきの収録風景を思い出す。MCの左側のヒナ壇に座っていたまりあは、自分にちらちらと送られてくる視線に気づいていた。
右のヒナ壇の、ちょうどまりあと向かい合う位置に座っていた、中堅お笑いタレントだ。下品にならない、ぎりぎりの短さのスカートをチョイスしてきた甲斐があったようだった。まりあクラスのタレントには、専属メイクやスタイリストがつかない。今日の服装も、全部自前だった。
十年程前に寒いギャグで一世を風靡したそいつは、今は味のある脇役俳優として、しぶとく生き残っていた。それだけではない。元々親が資産家の彼は、ちゃっかり、輸入品を取り扱う会社の副社長に納まっている。つまり、条件だけみれば、かなりオイシイ相手なのだ。
収録が終わった直後、お互いに携帯の番号を交換した。冗談めかしたやり取りだったが、まりあの目は真剣だった。
たとえ火遊びのつもりでちょっかいを出してきたとしても、本気にさせる自信が、まりあにはあった。あの手の手合いのあつかいには、慣れているつもりだ。遊び人を気取っていても、所詮は世間知らずのお坊ちゃんだ。
(となると……)
まりあは、コリをほぐすように首をグルグルと回す。邪魔になってくるのが、事務所に内緒でつき合っている、ふたつ年下のバンドマンだ。
インディーズでそこそこ知られたバンドで、リードギターをつとめるそいつとは、半年のつき合いになる。ライヴでは、クールで派手なパフォーマンスでならしているくせに、二人きりになると、赤ちゃん言葉で甘えだす、気持ちの悪い奴だ。
《ぼくちゃん、まりあちゃんの指がだいちゅきでちゅ~》と言って、トランクス一丁で、ベロベロとまりあの指を舐めまわすのだ。
大嫌いな両親から受け継いだものの中で唯一、気に入っているのがこの指だった。白魚のような、とは使い古された陳腐な喩えだが、瑞々しい若魚のようなラインと色の白さは、そこらの手タレにも引けを取らないと自負している。
(あのクルパーのガキにはもったいない)
ぷかり、と煙で輪を作った。
(よし)
ハンドバッグの中を漁る。ケータイで、今すぐ別れ話を切り出すつもりだった。思い立ったら即、行動に移さないと気がすまない性質なのだ。
手当たり次第に物を放り込んでいるので、やたらでかいブランドバッグの中は、台風の去った後みたいに大混乱だった。掻き回した指先が硬いものに当たった。つまんで引っ張り出した。
とたんに電流のような悪寒が、指先から背中へ駆け抜けた。声にならない悲鳴。手にしたそれが宙を飛んだ。
全身の力が一瞬にして抜けた。その場にーーへたり込んでいた。
(何? 何? 何?)
呆然として、思わず辺りを見回す。部屋の中は、特に変わった様子はない。鏡に映った自分の顔だけが、やけに青褪めている。
(何だったの、今のは?)
例えば、風邪のときに感じるようなそれとは、まったく異なる感覚だった。まるで、ぬめぬめとした、いやらしい、得体の知れない何かが皮膚に触れたような。
両腕で我が身をかき抱きながら、もう一度周りを見回したまりあの目に、その物体が映った。
楽屋の隅に転がったそれは、道端の石ころに見えた。四つん這いではっていって、じっと睨みつける。
(ーー?)
一体それが何なのか、にわかには思い出せなかった。黒光りする、ごつごつとした表面。球形のようでいてどこか歪な形状。まるで石で出来た卵。
(ああ、これって……)
次第に記憶が甦る。二週間前、南の島で「拾って」きた石。あの時は、欲しくて欲しくて仕方がなかったのに、日本に帰ってきたらすっかり忘れて、バッグに入れっ放しになっていたのだ。畳に座り込んだまま、恐る恐る手を伸ばす。
つまみあげても、今度は、悪寒は走らなかった。まりあはそれを、照明にかざしてみた。
こうして、仔細に眺めるのは初めてかもしれなかった。表面の色は、黒というよりも、わずかに緑がかっているようだった。持った感触が、なんとなく湿っているようで不気味だ。
ふと、腐った魚めいた生臭さを感じて、まりあは鼻を蠢かせた。
……気のせいだろうか。
辺りに、臭いの元になるようなものは、何一つ見当たらない。だが、臭気はだんだんと強まっていくようだった。一瞬、その事を不審に思う心持ちが、まりあの中に生まれた。が、魅入られたように卵を見つめているうち、確かにあったそれは、たちまち霧散してしまう。
そんなことより、まりあには確かめなければならないことがあった。表面にある窪み。まりあはそこに指を入れたくて仕方がなかった。何故だかは分からない。しかし、そうしなければならないのだ。
やもたてもたまらず指をかける。これを捻らねばならない。両手に力を込める。
ごりっ。
ごりっ。
思いの外その作業は容易だった。さらに捻る。
ごり。ごり。ごり。ごり。
ぐしゃっ、という殻の潰れるような感覚がして我に返った。卵はーー卵は、二つに離れていた。両手に持っていたそれを取り落とした。
「ーーっん、もう! 一体、何なのよ」
誰ともなく毒づいた。足元に分離した破片が転がる。どうして自分は、石ころなんかをあんなに真剣に眺めていたのだろう。まったく訳が分からないーー。
それに気づいたのは、ぽたぽたという、液体の滴り落ちる音からだった。足元を見ると、いつの間にか畳に、掌ほどの赤黒い染みが広がっていた。そこにまた数滴、液体がこぼれ落ちた。染みがまた、じくじくとその版図を広げた。液体が自分から滴っているのだと分かりーーまりあは両手を見た。
「……」
何かがおかしかった。有るべきものがそこに存在しないような……。
まりあの唯一の自慢。白い両手の指が、根元からごっそりとなくなっていた。
つけ根の部分からは白い骨が覗き、断面からは今しも、じゅぷじゅぷと鮮血が噴き出していた。
ふいに、まりあの中のどす黒いものが膨らみ、溢れ出した。思い出していた。冗談で誘惑し、家庭を崩壊させた中学教師を。面白半分で駅の階段から突き落とした妊婦を。親切ごかして荷物を奪った老女を。暗闇で叩きのめした盲目の青年を。そしてーー。
まりあは絶叫したのだった。
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