第36話 じゃ、ちょっと行ってきます

 さっきの、見晴らしがいいということは外からもよく見えるのだという幸織さちおの忠告を守って、瑠姫るきはカーテンを閉めてふすまの陰で着替える。しばらくすっぴんでもいいかと思ったけれど、とくにやることもないのでメイクをし直した。それでも時間が余る。

 あれだけ泳いだだけでも疲れたので、畳の上に横になって眠ってもいいのだけれど。

 でも、まずは幸織のお母さんに声をかけたほうがいいと思った。がっかりして、ぽつんとお茶の間に座って、べつに見たくもないテレビを見たりしていたら、声をかけないとと思う。

 ところが、お茶の間の扉を開けてのぞいてみると

「いやいや、そのきゅうりはあとでサラダに使うんですから」

「そんなサラダなんて。もろきゅうにして食べたほうがいいだろ? そのほうがうまいしよ」

「いやいや、それじゃそのまぐろステーキと合わないですから」

「まぐろなんか刺身で食えばいいじゃないか?」

「刺身は刺身で別に買ってあるんです! あーっとその大根は大根おろし用ですっ!」

と騒々しい。

 幸織のお母さんとおばあさんで台所で何かやっているらしい。つまり瑠姫に出す夕食を作っているのだろう。

 台所の扉は開いたままになっていた。そこで、瑠姫が台所の扉から顔をのぞかせても、おばあさんはもちろん、お母さんも気づかない。

 そういえば、あの小学生のころや中学生のころ、この台所とお茶の間のあいだには扉がなかった。上からのれんが掛かっていただけだ。

 「あのう」

と声をかけても気づかない。こんどはお母さんとおばあさんの二人で大きい鍋をのぞきこんで

「おおっ!」

と声を上げて笑っている。

 魔女っぽい。でもよめしゅうとめで仲がよさそうだ。

 「あのう!」

 瑠姫が声を大きくすると、まずおばあさんのほうが気がついた。

 耳は遠くなっていないらしい。おばあさんは、機嫌のよさそうな赤ら顔で、瑠姫を見て笑った。

 「おおっと。いまごちそう作ってるからね。何ができるかはあとのお楽しみだからね」

と冗談めかして言う。

 いや、いまサラダとまぐろステーキと刺身はきいてしまったのだけど……。

 あと、大根おろしもか。

 幸織のお母さんも笑って瑠姫のほうを見る。

 「あ、何か?」

 「あ、いいえ」

 話し相手として瑠姫が入る余地はなさそうだ。

 「ちょっと、村を一周してきていいですか? もうずっと来てないんで」

 「あ、ああ、行っといで」

 おばあさんが言う。お母さんが続けて

「あの子、いつ帰ってくるかわからないから、瑠姫さんが帰ってきたら晩ご飯にしますからね」

と言った。

 ということは、夕飯どきまで出ていないといけないのか。

 だったらだまって二階で寝ておけばよかった。

 「あ、じゃ、ちょっと行ってきます」

 瑠姫は、二人にそうあいさつすると、玄関から幸織の家を出た。

 外に出ることになるなら、日焼け止めをきちんと塗って、制汗スプレーも持って来たほうがよかったと思ったけれど、そんな遠くまで行くわけではないので、そのまま門から外に出る。

 さて、どこに行こうか。

 この村もそこそこは広大なのだけれど……。

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