第33話 鳥浜さんとこの子は?

 「ちょっと右に行き過ぎた」

 「いや、もうちょっと右。このままだと突堤ぎりぎりな感じ」

 そんな瑠姫るきのガイドでも役に立ったようで、幸織さちおのボートは無事に漁港の突堤を通り抜けた。突堤を抜けたところで急旋回していちばん近い浮き桟橋にボートを横付けする。ロープでもやう。

 幸織は、頬はまっ赤にして、肩で息をしていたけれど、浮き桟橋からは最小の歩数でコンクリートの波止場の上に駆け上がった。漁港の奥の小さいコンクリートの建物の扉をノックした。だれも出て来ない。もう一度ノックしたあとは待たないで急ぎ足で村へと戻る。瑠姫はここの道を知らない。幸織に置いて行かれると迷うかも知れないので、同じように急ぎ足でついて行く。

 道は、さっき海から見た小さい森の下を通り、村に出た。

 そこから先は瑠姫も知っている道だ。

 幸織と話はできなかった。幸織は小走りのままスマートフォンでどこかとずっと電話していたからだ。

 幸織は、瑠姫が道を知っているところまで出たとわかると、通話口を手で覆って

「悪いけど先行くね!」

と言ってばたばたと走って行ってしまった。スマートフォンを耳に当てたまま。

 そのばたばたさ加減が幸織だ。昔とあまり変わっていない。

 けれども、あの中学生のころの幸織が、後輩の失敗をカバーするために全力でばたばたするなんてことが考えられただろうか?

 幸織はたしかに変わったのだ。

 瑠姫は急ぐのをやめた。村をゆっくりと歩いて幸織の家に戻ろうと思ったのだが、まだシャワーも浴びていない。幸織がいれば、幸織の家の風呂場でも使わせてもらえるのかも知れないが、幸織の家族にそれを頼むのも図々しいと思ったし、だいたい、幸織の家に帰ったときにその家族が家にいるとも限らない。

 それでもういちど海水浴場に入った。さっきの幸織のおばあさんがいたらあいさつしようと思ったけれど、もうごみ拾いのボランティアの人は引き上げてしまったらしく、海岸にはいなかった。

 海の家に入るとさっきの男の人がいた。瑠姫も知っている人かと思ったが、見覚えはない。瑠姫よりは少し歳上だ。瑠姫に

「あれ? 一人?」

と声をかける。ナンパか、と瑠姫が警戒したところで、

鳥浜とりはまさんとこの子は?」

と言う。幸織のことだ。

 「ああ。なんか会社から電話が来て、急いで家に帰りましたけど」

 「えっ? じゃ、ボートは?」

 当然の質問なのだろうけど。

 「漁港のほうにつないで来ましたけど?」

 「えっ? 漁港?」

とその男の人がいかにもいやそうに言ったところで、ぷるるるるっと、何のおもしろみもない音で電話が鳴った。男のひとが事務室らしい部屋に戻って、その電話を取っている。瑠姫は、その人には断らないで、シャワーのある部屋に入った。

 シャワー室は全体にじめじめしていて、壁の下のほうにはか苔が生えていた。こんなのではここでトイレは借りないほうがいいと思って、早々に引き上げることにする。

 中学生のころは、そんなの気にしたことはなかったんだけどな。

 いや、気にはしたんだけど、いまほどの抵抗感はなかった。そんなものだ、しかたがないと思って使っていたと思う。

 シャワーから出てみると、電話は終わったらしく、番台らしいところにさっきの男の人がいたので

「あの、料金は?」

ときくと、愛想があるのかないのかわからない口ぶりで

「いや、お客さんからはいただきませんよ」

と言う。ということは幸織から取るのだろうか。「ボート代はわたしが払います」ぐらい言ってもいいかなと思ったけれど、「だったら漁港からここまでボートを持ってきてくれないかな?」とか言われるとかえってやっかいだ。

 「じゃ、お世話になりました」

とひと言あいさつして、外に出る。

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