第21話
音に浸っていると曲が終わった。
周囲の人たちも聞き入っていたようで、みんなが拍手を送っている。
二人は楽器を持ったまま動かないので、続きがあるのだろうと思って待っていると、奥から二人と同じような服を着た男がやってきた。
あれは間違いない。相談屋の男だ。手には小ぶりの竪琴を持っている。
ミカは息を飲み、食い入るようにステージの上を見つめ始めた。
男はほんの少しだけ穏やかな笑みを浮かべて女性陣を見た後で、演奏を始めた。
竪琴から透明感のある音が響く。
弦は金属製のようで硬質的な響きがあるが、音色には温かみがあり、頭の中を清澄にさせる。
男が竪琴で伴奏とメロディーをどちらも弾いているところにハンドパンの音が入ってきた。竪琴のはっきりとした旋律に浮遊感が混じる。
そんな心地よいリズムに浸っていると、今度はウクレレがメロディーを奏で始めた。
竪琴とウクレレが入れ替わりながら伴奏と主旋律を担当し、ハンドパンがそれを支える曲のようだ。
初めて聞く曲だったが、ミカはその幻想的な世界に夢中になった。
三人が演奏をしている間、広場の空気はしんとしたものになった。
厳密に言えば人が話す声や子供の鳴き声があったが、こういうイベントにしては驚くべき静けさだった。
三人の演奏はすごく上手いというわけではない。素人のミカからしても拙い部分が見て取れるし、マスターに至っては「ま、間違えた」と小声で言ってしまっていた。
そんな演奏であるのに思わず息を呑んでしまうような何かがそこにはあった。
音につられてやってきた人もいて、みんな足を止めて束の間の空気を楽しんでいる。
演奏はすぐに終わった。
あれからさらにもう一曲やった後で、三人は舞台から降りていった。
最後にマスターがカフェの出店の場所を宣伝していたのでこれから戻るつもりなのかもしれない。
「タクミくん、ai's cafeのところに行こう! 多分マスターがいると思う」
ミカの言葉にタクミは頷き、地図で場所を確認してから歩き出した。
「あれがミカちゃんの言っていたマスターさんなんだね。やっと見ることができたよ」
タクミは苦笑している。まるで不思議な力が働いていたかのように会えなかったのだが、今日その魔法が解けたようだ。タクミは急いで歩きながらもミカを置き去りにしないように歩調を合わせることを忘れない。
「第一印象がウクレレになっちゃったけどね。喫茶店の人なのにそんな印象がつくなんて珍しくて面白いよ」
タクミは子供のように屈託なく笑った。ミカはその顔を見てたまらなくなり、初めて自分からタクミの手を握った。意外にもそこには勇気も気力も必要なかった。
ただ二人の距離が一気に縮まった実感があるだけだ。
「ゆ、ゆっくり音楽を楽しむのも良いかもね。今度一緒にそういう場所にもいってみようよ」
案外平気だと思って、ミカは自分からデートの提案をしてみたけれど、今度は声が震えてしまった。
そんなミカを見たタクミは力強く抱きしめるように手を握り、「行こうか」と言った。
◆
ai's cafeの出店が出ている場所に行くと、マスターが店頭に立って接客しているのが見えた。相談屋の男も、その恋人の和の美人も、後ろで手伝いをしているようだ。さっきまで演奏をしていたはずなのに素早いことだ。
全員演奏していたときと同じエスニックな格好なので目立っているが、まだ人が並んでいる様子はない。
「マスター」
ミカが声をかけるとマスターは気がついて、手を振ってくれた。ミカの横にいるタクミにも気付いたようだ。
「ミカちゃん! 来てくれたんだね」
「もちろんですよ! 演奏すごかったです! 私、音楽ってすごいんだなんて思っちゃいましたよ!」
そんな風にミカの話が始まり、後ろにいた二人とも挨拶を交わして、ミカはみんなにタクミを紹介した。
「タクミくん、こんにちは。ai's cafeの店長をしている緑川沙絵と申します。ミカちゃんから話を聞いていたんだけれど、もうこのまま会えないんじゃないかと思ってたよ」
マスターは丁寧に挨拶をしていた。格好は素っ頓狂だったけれど、その仕草は様になっていて、ミカはマスターのそんな姿を初めて見たと思った。
加えて、ミカの頭の中ではもうマスターという名前が定着してしまっているので、突然本名で挨拶しているのを見て、一瞬何を言っているのか分からなくなってしまった。
「会えて嬉しいです。何度も伺ってはいたのですが⋯⋯。あれはなんだったんでしょうね」
「むーん⋯⋯。あれは偶然でもあり、運命でもあり、人生かな」
マスターは胸を張って言った。ふざけているのだと分かったのでミカは笑ったが、タクミは固まってしまった。
「おい、緑川。お客さんが集まってきたぞ」
相談屋の男がそう言うとマスターは辺りを見回し、店員モードに切り替わった。
ちょっと耳が赤いので、もしかしたらさっきのセリフが恥ずかしいと思い始めたのかもしれない。
「おすすめはなんですか?」
「『秋祭り限定 木の実のキャラメルブロンディ』がおすすめになります!」
マスターは良くぞ聞いてくれましたとばかりに大きな声で言った。
「甘さはあるけれど、ほろ苦くて香ばしい焼き菓子だよ」
袋に入ったお菓子を取り出して、マスターがミカに見せる。
形は長方形で、厚みのあるフィナンシェのように見えるが、上にはクルミや松の実なんかが乗っている。ひとめ見て、ミカはこのお菓子が気に入った。
「かわいいですねぇ。これにします。飲み物は何が合いますか?」
「フラットホワイトがおすすめかな。ラテとかカプチーノに近いんだけど、コーヒーの味が濃いの」
初めて聞く飲み物だけど、ミカはそれにすることに決めた。
マスターのおすすめにハズレはなく、実はミカはその通りにしたことしかない。
「僕も同じものをお願いします」
タクミもマスターの言う通りにすることにしたようだ。初めての店というのもあるだろうけれど、タクミは甘いものもコーヒーも好きなので気に入ったのかもしれない。
「かしこまりました! 木の実のキャラメルブロンディとフラットホワイトが二つずつ!」
そう言うとマスターは横に移動し、コーヒーの準備を始めた。
入れ替わるように和の美人がやってきて、ブロンディを二つと小さなクッキーを袋に入れてくれた。名前は梅紫あやめだと先ほど教えてくれた。
ミカは初めて間近でその顔を見た。おとなしそうに見えるけれど儚げではなく、芯がありそうだった。それに何だか微かな艶があるようにも見える。
「ここを左に進んで、道がなくなった後も林を行くと人の少ない場所があるから、ゆっくりしたかったらおすすめだよ。あとサービスでクッキーもつけておいたから食べてね」
あやめが小声で教えてくれるのを聞き、ミカは笑顔で応じた。
小声だったせいもあるかもしれないけれど、あやめはほのかに漂ってくる香のような奥ゆかしい女性だとミカは思った。多分自分のような小娘では敵わないとミカは反射的に考えてしまっていた。
だけど自分がネガティブになりかけているのに気がついて、ミカはすぐに気持ちを切り替えた。
徐々に人が集まってきたので、マスターが「あわあわ」と言いながら慌てる様子を見た後で、ミカとタクミはフラットホワイトを受け取った。
そしてあやめに言われた通りに歩いて行くとベンチがあったので、そこでゆっくりすることにした。
周囲には誰もおらず、やはりここは穴場のようであった。
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