秋の巻

第16話

 沼田ミカは普通の女の子。特段可愛いというわけでもなければ、見るに耐えないということもない。いわば普通、というより地味な顔つきをしていた。


 背も高いというわけではなく、低いというわけでもない。体はやや細いけれど、人目を引くほどスタイルが良いということなんてない。


 お洒落にも興味がある。たまにちょっと高級なワンピースを着て出掛けるとウキウキするけれど、それほど流行に興味があるわけではないし、やっぱりスニーカーを履いてリュックで出かけるのが一番楽だ。


 美容にも気をつけているけれど、肌はそんなに荒れないし、化粧もナチュラルと決めている。街にいる綺麗な女性を見るとため息をついてしまうが嫉妬はない。そういう努力はしないのは自分のせいだし、背伸びをしないで前に進もうと彼女は決めたばかりだった。





 夏の終わりの長い雨が終わって、気温が下がってきた。

 土曜日の午前中、ミカが「ai's cafe」に着くと店は閉まっていた。


【誠に申し訳ございません。店主都合により閉店します】


 ハイキングに行くからどこかで店を長く閉めるかもしれないとミカは聞いていた。きっとこれがそうなのだろうと納得して、なんとなく扉の前で佇んだ。この店はマスターの性格を反映してマイペースにやっている。


 あまり商売っ気がない店だとミカは思っている。喫茶店にしては休みが多いし、近くのパン屋で出している高級パンを割安で提供していることがある。


 あの男も「マスターは頭はいいけど、売価の設定だけはいつも間違っている」と言っていた。慈善活動ではないのだからお金は稼いでいると思うけれど、必死さは皆無だ。


 なぜだろうとミカは思った。もしかしたらマスターはお金持ちのお嬢様なのかもしれない。けれど、それにしては逞しすぎる。それが不思議だった。


 ミカは歩き出した。

 ここから二十分のところにお洒落なカフェがある。「ai's cafe」が休みだった時、ミカはそこに行くことにしていた。


 そのカフェは小さな店だが、カウンターには大きなエスプレッソマシーンがあって、店主のおじさんが作ってくれる。


 ミカはいつもカプチーノとチョコチップクッキーを頼む。エスプレッソは敷居が高いし、アメリカンも手を出しにくい。コーヒーのことはよくわからないけれど、ミルクが入っていればなんとかなる。だから、カプチーノだ。チョコチップクッキーは多分手作りで、カップのソーサーくらい大きい。


 今日も同じものを頼もうと心に決めて、ミカは足取り軽く前に進んでいった。





 カフェ「ベルベットアップル」に着いた。午前中の早い時間なので先客は二人しかいない。ミカはよく座る机にトートバッグを置いて、カウンターに向かった。


 カウンターにはいつものおじさんがいる。ミカは大きいサイズのカプチーノとチョコチップクッキーを注文した。この店のカプチーノはやけにミルクが滑らかだけれど、それはきっとおじさんの腕がいいからだとミカは思っている。


 カップとクッキーを受け取り、席に戻ると、ミカはバッグから本を取り出した。最近お気に入りの作家のエッセイだ。


 美味しいカプチーノを飲みながらお気に入りの本を読む。ミカは贅沢な時間を過ごしている。


 暫く経つと、ミカは隣の席の男から視線を感じるようになった。男は煮え切らない様子でチラチラとミカを見ている。


 ばっと顔を上げてばっちりと目を合わせると、どこかで見たことのあるような顔だった。


「あの、もしかして沼田さん? 俺、良永タクミ、高校の同級生だと思うんだけど⋯⋯」


「えっ、良永くん?」


 ミカは改めて男の顔を見た。記憶の中をたどり、彼の面影を探そうとする。


 よく通った鼻筋と柔和な笑顔は昔の彼そのものだ。


「沼田さんもこっちに出てきていたんだね」


「うん。短大を卒業してからね。地元で就職するよりは都会に出てみるのも良いかなって思ってさ。良永くんは大学からこっちだよね?」


「うん。随分久しぶりだね」


「そうだね。私、同窓会にも出ていないし⋯⋯。良永くんは行っている?」


「僕も就職してからは行ってないかなぁ。なんとなく足が遠のいちゃって」


 うんうん。とミカは頷いた。


 それからしばし話して、タクミは言った。


「また連絡しても良いかな? 連絡先って変わっていない?」


 ミカは変わっていないことを伝えて、なんとなくタクミからの連絡を待つのであった。





 タクミはしばしば連絡を取ってくれた。

 アプリに表示される言葉は他愛のないものであったけれど、かえってそれがミカには面白かった。

 言葉が淡々と繋がって発展していく楽しみが芽生えていたのかもしれない。


 高校生の時、タクミはいわゆる「良いヤツ」だった。

 頭はちょっと良かったけれど、目立つわけでもなかったし、息を潜めているわけでもなかった。

 昨日見たテレビ番組の話をして、流行りの音楽を聞いて、たまに面白いことを言う。そんな存在だった気がする。


 カフェで会ったタクミも変わらずその空気感を持っていた。

 だけど顔つきは大人になっていたし、芯の通った態度でどこか頼もしさがあった。


 正直、ミカにとってすごく好ましいところがあったわけではない。けれども、いやなところは何一つなかった。

 だから、タクミに誘われてたまにデートするくらいの仲になっていった。

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