夏の巻

第10話

 私の名前は緑川沙絵。とあるカフェの店主をしている。


 今日は友人である若苗凪に誘われて、家から三十分かけて馴染みない駅に来ている。いつもは私の方が遅れることが多いけど、今日は珍しくこちらの方が早いみたいだ。


 毎回こうやって行動できればいいのに中々うまくいかず、結局焦らされることになる。どうしたものだろうか……。


 そんなありきたりのことを考えていると、改札を抜けて来た男女がこちらに向かってくる。凪たちだ。


「やほー!」


「こんにちは」


 いつもより若干テンションの高い凪と、パートナーの梅紫あやめちゃんだ。


 あやめちゃんは凪と私と同い歳で、三人の中では一番の常識人。冷静で知的で美人で、紅茶をこよなく愛す。一見の雰囲気は柔らかいのだけれど、実は芯が強く、ぶれない。


 これだけ聞くと、私や凪とは仲良くなれないタイプの人に思えるけれど……。あやめちゃん、時間さえあれば自分の世界に入り込んで浸り切っちゃう。ちょっと変わった人なんだよね。


 彼女はある種の「形」に対する偏愛が強くて、気に入った形のものがあると目がない。特に好きなのは……、たしかアナトリアの磨研土器。まるぼったくて、つるつるなのがたまらないんだって……。


 この前、二人の家にお呼ばれした時にあやめちゃんのコレクションが飾られている棚を見せてもらったのだけれど、なんだかあの形のものが多くて空間が歪んでいるように見えた……。

それぞれ素敵な一品だとは思うんだけど、あそこまでたくさんあるとね……。


 あやめちゃんは好きな形のものを追っているうちに、追いながら苦しんでいるうちに、いつのまにか考古学を学んじゃって、そして今は博物館で働いているの。


 そんなあやめちゃんの探究心は、製薬会社でのうのうと働きながら心理学を学び、占いも覚えちゃった凪とぴったり合うのだと思う。


「おい、頭の中の世界に入ってないか?」


 おっと……。今日は脳内ジャーナリズムの一環で、二人のことを客観的に紹介してみようと思っていたけど、凪のあのニヤニヤ顔はこちらの脳内設定に感づいている。早急に離脱して、現実に戻らないと!


「やほ! あやめちゃん、久しぶりだね! 先々週ぶりだね!」


「そうだね、久しぶり。沙絵ちゃんも元気だった? この前は突然カフェに行ってごめんね。形が良かったし、沙絵ちゃんが好きそうなパンだったから、つい……」


「あー、あれすごくおいしかったよ! 変わった形の丸いプレッツェル––ラウゲンロールだっけ? もう夢中で食べちゃった……」


「あー、あれ美味かったよなぁ。しばらくは何日かおきに食べてたよ……、あのしょっぱさが具材によって七変化するんだよなぁ」


「わかるよ……。私もカフェの余り物を付け合わせにして食べていたんだけど、素材の味を引き出しつつ自分も顔を変えるんだよねぇ……」


「そうだよね。私も素朴な野菜スープと一緒に食べるのにすっかりハマっちゃってね。凪と交代でたくさん作ったよ」


 あやめちゃんはお料理も上手で舌も確かなんだけれど「形が気に入ったから」というだけで買い物をすることがある。普通の人はそれで失敗しちゃうんだろうけど、天性の勘というか野生の嗅覚というか……、あやめちゃんはそういうものを持っていて、私や凪には見つけられない美味しいものを買って来てくれる。


 あやめちゃんが突然来るのは大体カフェの閉店時間が近づいた頃で、お客さんも少ないから二人でガールズトークに花を咲かせちゃったり……。


 あ、今のを言ったら凪に「ガールズ? 何かの間違いじゃない?」って言われそう。これは黙っていた方が良さそうだなぁ。


 私はちらっと凪の顔を覗き込んだ。


「顔に出てるよ」


 えっ? 出てた?


「さて、今日おふたりに集まってもらったのは他でもありません! 先週ふらっと入ったお店がすごく美味しくて、これはカフェの参考になるだろうと思って。あと、ちょっと三人で行ったら楽しいかなぁと思いまして、お誘い申し上げました!」


 良く分からないテンションになっちゃっている凪のことは置いておくとして……。こういう食事会はよくある。もちろん三人で遊びに行くことも、うちのカフェで遊ぶこともたくさんあるのだけど、三人のうち誰かが面白いお店を見つけるとこうやって誘い出して、雰囲気だけでも参考にできるものがないか楽しみに行くの。


「ねぇ、凪。ここのところ会っていなかったんだから沙絵ちゃんが知らないのは仕方がないけど、私にもどこに行くのか教えてくれなかったよね! 流石にそろそろ教えて欲しいんだけど!」


 あやめちゃん、ちょっと楽しそう。きっと見当がついているのにわざと聞いているんだろうなぁ。


「凪のこの感じはきっとスパイシー系……」


 私はそう言いながらあやめちゃんと目を合わせて頷きあう。


「うんうん。そこまではわかるよね。それで今日はどんなスパイシーなの?」


「まぁ君たちには分かってしまうだろうねぇ……。でも、案ずることはない。カレーだから」


 私もあやめちゃんも「あぁやっぱりね」という表情をして、そして私たちがそういう反応をするだろうということを予期していた凪の方もこれ以上の茶番をやめて歩き出した。





 三人でつらつらと十分ほど歩いて着いた先は、スリランカカレー!


「というわけで今日はスリランカカレーの店だよ。カレーももちろんすごく美味しかったけど、紅茶も美味しかったなぁ。キャンディを飲んだんだけど、ひときわフルーティで華やかだったなぁ。本場スリランカの紅茶も出してくれるお店です」


「え! 本当に?」


 紅茶好きのあやめちゃんのテンションが二割り増しになった。


 普段は落ち着いていて私にはない大人の魅力がありそうなのに、磨研土器と紅茶のことになると途端にニコニコし出しちゃう……。でも詳しいだけあって、そう簡単には釣り針に引っかからないんだけど、餌を撒いたのは凪だからね。信頼感が違う。


「うん。ヌワラエリアのアイスティーもあったよ。淹れ立てのお茶を氷で急冷して出すんだって……。スパイスティーもあるし、ミルクティーもあるし、よりどりみどりだよ」


「えー、一度には一つしか飲めないのに……」


「そうだよねぇ。私もいろんなお茶試してみたいなぁ……」


「だよね。でも大丈夫。また来てもいいし、ここ茶葉も売ってるから!」


「おぉー」


 私とあやめちゃん、二人でパチパチと手を叩いてからお店に敬礼!


「緑川沙絵隊長、進軍をお願いいたします!」


「全軍進め!!」


 そう言いながら先頭の私だけ一人で勢いよくお店に突貫してしまったものだから、優しげなスリランカ人の店主さんが驚いて目を見開いている。


 ちょっと……、二人とも……。


「沙絵ちゃん、勢い良すぎだよ……」


 あやめちゃん、悲しそうな雰囲気で言ってはいるけど、今にも笑いそうだよね?


 凪はもうお腹を抱えて笑っている。


「緑川、さすがに勢いつけすぎだって! あまりの速度についていけなかったよ」


 ちなみに、凪は私のことを『緑川』と呼ぶ。凪と出会ってからもう二十数年経つけど、ひととき私が緑川でなかった時でさえ、私のことを『緑川』と呼んだ。


 良いも悪いもなく、いつの間にかそれが自然になってしまったのだからもう変わらない。いまさらあの深く柔らかい声で『沙絵』なんて呼ばれたら、もうそれがなんのことなのだか分からなくなってしまいそう。


 さてさて、何はともあれ、無事にスリランカカレー店についた緑川御一行なのでした。なんてナレーション入れたら売れるかな?


「余計なこと考えてないで席に着くぞ」


「え? 余計なこと考えている顔してた?」


「普通に声に出ていたから……」


 おっと……。私の心の秘密の声がどうやら外に漏れてしまっていたようで……。私は冷や汗を拭う振りをして、額に手を持っていったら汗びっしょり。今のはさすがに恥ずかしかったね。


 なーんて。

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