第8話 湖畔の家

 私が訪ねたのは、郊外にある一軒家だった。レイクサイド……というと聞こえはいいけれど、要するにかつて湖の底にしずむ村があり、そこから移住する人向けに建てられた家、なのだそうだ。

 その家を売りたい、という希望があった。そこで下見にきたのだ。

 すでに住民は去って、数ヶ月は経っている。周りに家もなく、今ならポツンとした一軒家として、また別荘需要でもあるかも……と、私もそんな淡い期待をもって訪ねてみた。


 ただ一つ気になったのは、静かな湖畔ではあるけれど、何だか気ぜわしく感じる点だった。ちょっと建物は古くて、昭和の香りがする。別荘にするにはリフォームしかないけれど、売主からは「そのまま……」と言われた。

 それは買い主負担。売価が安くなると、不動産屋的にはあまりおいしい仕事ではなくなる。かといって、売主から買い取って……というほど、お金が潤沢なわけではなく、また売れる見通しもたっていない。何より、途中の道も例の番組のように、かなり険しくて、崩れそうなのだ。

 慣れるまで住む前に、事故をおこしたら……。そんな不安もある。

 大きな自動車はNGだし、まして改装工事をしようとしても、トラックなどが進入できるかどうか……。


 そんなことを考えつつ、ドアを開けた。

 荷物もすべて持ち出してはいない。勝手に処分していい、という話も聞いているけれど、寂れた生活臭がするのもマイナスだ。

 これは、使えるものなら利用する……タイプの人間でないと、ネガティブにとらえられるかもしれない。

 電気は止まっているし、ガスもプロパンのみ。意外なことに、上下水道は完備だ。これは移住する際、工事をしてもらったのだろう。それが移転に同意する条件だったのかもしれない。

 この土地を離れられない。でも、便利な生活にも憧れる……。

 放っておくと、森に飲みこまれそうだ。いずれにしろ、早く売らないと……。そう考えながら家からでてきたとき、ふと気づいた。

 帰り道は……どこ?


 結局、あの湖畔の家は早く売れた。価格は安かったし、それこそポツンと一軒家に憧れ、暮らしたい、別荘でしばらく暮らすのなら最適、と考える層が一定程度はいるようだった。

 でも、恐らく……。すぐに売りたい、と言ってくるだろう。重大な開示事由ではないので、あえて教えなかった。あの家には重大な欠陥が隠れている、と……。

 家そのものには、何の瑕疵もない。でも、あの家は人を迷わせるのだ。湖の水が庭まで入り込んできて、自分が立っている方角が分からなくなる。それは森の形もそうで、水面の高さが変わると、木々の配置までちがってみえる。まるでだまし絵でも見ているように、車を運転して家の敷地から出ようとすると、湖へと車を落としそうになるのだ。

 実際、住民が何度も落とした形跡もあった。そのたび、近くの木にワイヤーをくくりつけ、ウィンチで引っ張り上げたのだろう。大型車が入ってこられないので、そうしないと車が上げられない。そういうことが度々起こり、暮らしていくのに嫌気がさしてしまったのだ。


 ただ、予想に反して、その家を買った人が何もいってこない。あの蜃気楼のように方向感覚を失う家を、攻略できたというのか……?

 私も気になって、訪ねてみることにした。

 すれ違いもできない、細い山道を冷や汗をかきながら、運転する。やっとの思いでその家にたどり着いた。

 すると、交換しておいたLINEで、在宅を確認していたにもかかわらず、そこに住民はいなかった。

 ただ、私がその家に到着するのを待っていたかのように、LINEに『その家を売って下さい』と入ってきた。

『どこにいるんですか?』と尋ねても、譲渡書は用意した、というばかりで、実際に書類はすべてリビングに置かれていた。


 私はその土地を買い取った。そして借地権付きの別荘として売りだす。当然、内装もすべて見直した。ただし、外装や庭についてはまったく手を入れなかった。

 欲しい人はすぐに現れ、買った後ですぐに売りにだす。その元住民がどこに行ったのか? そんなことは知らない。でも、きちんと書類は残されているし、手続きをして終わりだ。

 そして私は、またその別荘を売りにだす。

 私にとってそこはLakeサイドではない。Rakeサイド。Rakeは熊手や、動詞になると『かき集める』といった意味の言葉。ギャンブルで、お金やコインをかき集める棒のこともさす。

 そして私は、またその物件を売る。事故物件ではないけれど、事件になりそうな物件を……。



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