第3話 経年劣化した壁
私は長年、連れ添ってきた妻を殺した。でも、別に不満があったわけでも、殺したいと思えるほどの恨みを覚えていたわけでもない。
強いていうなら、殺してみたかった……という事情だ。
それは、もしこうなったらどうなるか? と小さいころなら誰でも思う好奇心、それが大きくなった今でも、私には強かっただけだ。
でも、思いつきでそれをしたわけではない。互いにそこそこのお金をうけとれるように、生命保険をかけてきた。それはお互いに連れ添いを失くしても、生きていけるように……として、合意の上でかけたものだ。ただ、私はそのころから、殺してみたい……という気持ちが大きくなるのを、止めようがなくなっていた。
愈々……となっても、興奮するわけでも、特別なことを思うわけでもない。ただ淡々と、それをこなした。
何の感慨も湧かなかった。妻も、拍子抜けするほど抵抗することも、暴れることもなかった。まるで、いつも夜にそうするように、静かに眠りについたように、私には感じられた……。
私はその日のために、壁を一つつくっておいた。それは外壁と、内壁との間にすきまをつくるための壁だ。
そこに、妻の冷たくなった体を収める。壁も経年劣化しており、それを丁寧に外して、また丁寧にはめた。
ずっと妻を殺すことだけを考え、この家を建てるときも準備していたのだ。殺した後で、こうして隠すために……。
妻が少々、太ってきたときには計画を早めようか? と悩んだ。だって、ここに収まりそうもなくなったから。
でも、流行にのってダイエットなどをはじめて、私も安堵した。結果は大してでなかったけれど、それ以上の増加がなければ十分だった。
そして予定通りに、私はまさに予定していた通りに、妻を殺した。壁の中に、きちんとサイズを計っておいた中に、妻を入れた。
行方不明届けをだし、私は時を待った。保険金をうけとれたら、計画はすべて完了だ。小さいころ、夢見たように妻をもち、その妻を殺し、妻の保険金をうけとり、余生を過ごす……。
これほど完璧な夢はない。そして、私はずっと妻とともに暮らすのだ。先立たれることもなく、また妻を残すという心配をせずに済む。
私は毎朝、その壁に向けて「おはよう」と声をかける。その壁に寄り添い、頬ずりして、軽く口づけする。
食事もその壁の前でして、夜もその壁に「おやすみ」と声をかけてから、私も眠りにつく。
ただ、私にも誤算があった。私がキスをしていたせいか、その壁の口が当たる部分が、湿り気をもってきたように感じられた。それはまるで染みのようになり、少しずつ広がっていく。
やがて、それは人の形のようになり、黒い染みになった。
壁紙を張り直すことも考えた。でもそうすると、妻との距離が遠ざかるようにも感じられた。
長年、妻と一緒に過ごし、経年劣化してきた壁紙だ……。
しかし、誰かが家を訪ねてきたら、そこに人型の影が浮いていることがバレてしまう。なので、私は人を家にいれなくなった。点検で人が入るから、ガスも止めた。水回りが壊れても、自分で修理した。
どうしても誰かが家に訪ねてくるようなときでも、玄関の外にテーブルと椅子をだして、そこで会うことにした。
でも、徐々にその壁の染みは濃く、形もしっかりしてきた。それは間違いなく、妻の形だ。肩にかかるぐらいの長さの、ボリュームのある髪も、殺したときに気に入って着ていた、部屋着のネグリジェもその形も思いだせるほどになった。
妻を殺してから、三年はたっているけれど、まだ血が体から流れ出ているのだろうか……?
壁を開けてみようか……? ただ、そんなことをすれば伊弉諾尊の二の舞だ。蛆たかれこころきて……。そんな妻の姿を見たいのか?
私はそのうち、その染みをみて妻が生きていたら……そのときの姿を想像できるようになった。すると、その染みはもう妻にしか見えなくなった。徐々に目鼻立ちも、体の凹凸すらも妻のそれになっていく。
私は毎晩、妻の唇にキスをし、その胸の盛り上がりに手をおき、その感触を楽しむようになっていた。
私にとって、そこに計算違いがあったとすれば、私がその経年劣化した壁に溺れたことだろう。私が死ぬときは、畳で死ぬことはできず、壁に体をあずけて死ぬのだろう……。 壁がそうであるように、立ったまま……。
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