第4章

来訪者たち

 それは象ほどの大きさの黒い狼だった。その深い青色の瞳に知の輝きたたえた、美しい獣だった。


「さて、あれは一体なんぞや」


 黒い狼は空を見上げていた。その視線の先には何やら白く大きな鳥のような物がいた。


「我はあのような物を知らぬ。あれが我をこの地へ導いた声の主か?」


 黒い狼は考える。この違和感は何だろうと。


「否、あれではない。あの声はこの世のものではない」

「なんでえ、お前さんも呼ばれたのかいな?」


 黒い狼に声をかける声ひとつ。その声の主は人間の大人と同等の体躯を持つ尻尾の長い赤毛の猿だった。


「久しいな、赤猿の長よ」

「ああ、もう長じゃねえよ。とっくに譲って今は自由の身さ」


 赤毛の大猿はそう言うと、カッカッカッ、と大きな口を開けて笑う。


「にしてもあれはなんだい?」


 赤毛の大猿も黒い狼と同じ物へ目を向ける。遥か高くに留まる白い何かに。


「知らぬ」

「そうかい。お前さんが知らないならわからねえな。カッカッカッ」


 白い何か。あれは何なのか。


 わからない。あれが危険な物なのか、それとも何もないのか。


 いや、それよりもだ。


「本当にこの先なんかね?」

「おそらくこの道の先だ」


 二頭は視線を下ろし自分たちの進む先には目を向ける。


 道。道がある。平らに均された真っ直ぐな広い道だ。


「魔法の痕跡を感じる」

「そうさね。しかもかなり物騒な気配だ」


 二頭は道の周囲を確認する。そこには様々な痕跡が見て取れる。


 真っ黒に焼き払われた植物の残骸、鋭い何かに切り倒されたと思われる木の切り株。道路そのものも人の手でとは思えない程平らに均されている。


「それに、あの赤いのはなんだ? 血の柱か?」

「おそらく氷塊だ」

「氷だ? それにしちゃあ、解けてる様子もないが」

「魔法だろう」


 森の木々の間から大きな赤い氷の塊がいくつも頭を出しているのが見える。


「死の臭いがする」

「ああ、ものすごく臭え」


 不気味だった。何か危険な物の雰囲気を二頭は感じ取っていた。


 しかし、二頭は足を止めなかった。真っ直ぐ臆することなく堂々と道の真ん中を進んで行った。


 そして、それが正解。二頭は正しい行動をとった。


 もし道を逸れて森の中を進んでいたらメイド姿の悪魔たちに殺されていただろう。怪しい者は全て始末しろ、と彼女はウォレスから命じられている。


 ただし、逃げも隠れもせず道を進む者には手を出さないようにとも言われている。


 それは野生の勘、ではない。ただ単純にその二頭が負けず嫌いだっただけだ。


「怖かったら逃げてもいいんだぜ」

「その言葉、そっくり貴様に返す」


 意地の張り合いだ。野生の本能が危険だと叫んでも理性と意地がそれを捻じ伏せているだけ。


 普通の野生動物ならとっくに逃げ出していただろう。しかし、二頭は知恵を持つ獣だ。


 二頭にとってその知恵が吉となるか凶となるか。


 そして同じ頃、二頭よりもかなり後方ではある一団が少々揉めていた。


「どうする?」

「どうするもこうするも、行くしかないだろ」

「しかし、まだ寒い。冬が明けてからでも」

「いいや、早く隊長の元へ向かわねば」


 酒場の片隅で10人ほどの一団がなにやら話し合いをしている。その全員が男で、皆屈強な体つきをしていた。


「進むにしても装備を整えなくては。この先に宿はないはずだ」

「野宿するには寒すぎる。雪が少ないだけまだマシだが」


 彼らの近くの壁には旗が立てかけられている。流れ星を模した紋章が描かれた旗だ。


 流星隊。彼らはダイナの元部下たちである。


「ならすぐに準備しなくてはな」

「ああ、隊長が我らの助けを待っている、はずだ。おそらく」


 冬。どれほど体を鍛えたとしても人間は寒さには勝てない。いくら忠義にあつくとも、その熱で寒さはしのげないのだ。


「おそらく、だな」

「ああ、おそらくだ」

「……本当に我らは必要なのか?」

「なにを言うんだ今更」

「そうだ。もう俺たちに帰る場所などない」

「我らの居場所は隊長のいる場所だ」


 彼らは忠義にあつかった。彼らは美しく勇敢で心優しいダイナに心酔していた。騎士団を辞め、故郷を捨てて来るほどに、である。


 さて、彼らの選択は吉となるか凶となるか。


 そして、また別の場所では少しばかり騒ぎになっていた。


「あれは、なんだ?」


 それはお隣の国、ル・カ王国。その国境近くを警備する辺境警備隊の一団が空に浮かぶ白い影を発見し、そのことで騒ぎになっていた。


「魔物か?」

「いや、あんな魔物は見たことがない」

「まさか、ル・ルシールの新兵器か?」

「わからん。とにかく報告だ」


 隣国同士仲が悪い、というのは古今東西世界が違ったとしても変わらない。国境を接するル・ルシール王国とル・カ王国は昔から小競り合いを繰り返しており、近年では大きな戦争はないものの、相変わらず国同士の仲は良くはなかった。


「あの方角はガタフト湖の辺りか」

「そう言えば、最近あの場所に新しい領主が入ったらしい」

「聞いたことがある。確か、現国王の三男だったはずだ」

「そうなのか。しかし、その三男というのも災難だな」

「ああ、あんな場所を治めなければならないとは」


 警備隊の面々は新しい領主に同情的だった。なぜなら、あの場所で何が起きたのかを知っているからだ。


 一夜にして領主と湖の近くに住む領民が消え去った大事件。呪われ、捨てられ、見放された不毛の地だと彼らは伝え聞いていた。


 まあ、彼らが同情しようがしまいがどうでもいいことだ。問題は、ガタフト湖の辺りで何が起きているとル・カ王国に知られたことにある。


 さてさて、これは吉なのか凶なのか。


 そして、その問題のガタフト湖では新しい領主であるエインフェルトが空を見上げて悩んでいた。


「完全に静止しているようです」

「そっか、落ちてこなくてよかったよ……」


 湖の真上、そのかなり上空に白い怪鳥が浮かんでいる。24時間以上前にサレナが発見したあれだ。


 現在、落下してくると思われていたその白い怪鳥は空中で静止している。風に揺れることもなくピタリと止まっている。


 エインはそれを望遠鏡で観察しながらスケッチをしていた。こんな時でもエインはエインだった。


「まったく次から次に面倒なことだ」

「それってどういう事?」

「いえ、何でもありませんよ。エインフェルト様」


 何か含みのあるウォレスの物言いにエインは少し引っかかりを覚えた。そして、その引っかかりがエインに気付きを与えた。


「そう言えば、忙しくて任せきりだったね。ごめんね、ウォレス」

「はて、何の事ですかな?」

「とぼけないでよ。僕も一応は領主なんだ。領地がどんな状況なのか知る義務があるでしょ」

「……まあ、そうですな。その通り、ではありますが」


 まずいな、とウォレスは思った。なにせウォレスはメイド人形たちと一緒にいろいろと裏でやらかしている。エインに不審人物を報告せず問答無用で殺処分していることを知られるのはまずい。


 さて、どうしたものか、とウォレスは頭を巡らす。報告するにしても全て洗いざらいというのは自分にとっても問題だか、ただでさえ生活基盤を安定させようと奮闘しているエインの負担を増やす原因にもなるだろ。


「はずは中に入りましょうか。外は冷えますからな」

「うん。もう少し描いてからね」


 エインは、さて、あれは何だろう、と考えながら白い怪鳥をスケッチしていく。この世界にはまだまだ知らない物がいろいろとあるんだ、とワクワクしながら。


 さて、このワクワクがいつまで続くのか。すぐに消えてしまうのか、ずっと続くのか。


 それとも……。 

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