山積みの問題

 病院と家。それが世界のすべてだった。


 世界はとても狭かった。


 そんな狭い世界で絵を描いていた。なんでもかんでも、絵に描いた。身の回りにあった物は全てだ。


 絵を描いていると痛みや苦しみが消えていくような気がしていた。本当はそんなことありはしないのに、絵を描いているときだけは辛い現実を忘れることができた。


 だから描いた。辛さを忘れるために絵を描き続けた。現実にある物も、想像も妄想も、ありとあらゆるものをだ。


 あの時は苦しみを紛らわせるためだった。絵を描いて、楽しい時間に溺れるためだった。


 ただ、それだけだった。


 それが役に立つとは思ってもみなかった。


「よし。これで調理器具は一通りかな」


 エインは机の上に並べられた調理器具を眺める。机の上には包丁、まな板、大小さまざまな鍋、ボールやオタマや泡だて器などが並べられている。


 これらすべてエインが能力で実体化させたものだ。


(まさか、ここで役に立つなんて)


 実体化させた調理器具を眺めながらエインは満足そうにうなずく。転生してくる前、外に出られないからと家にある物を手当たり次第に絵に描いたことは無駄ではなかったのだな、とエインは少し嬉しくなっていた。


 そう、エインはあらゆる物を描いていた。転生する前、体が弱くて家の外にほとんど出られなかったエインは、家にある物をほとんどすべて描いてきた。


 その経験と絵を実体化させる能力を使えば大体の物は揃えられる。調理器具だけではなく裁縫道具や掃除道具、食器や衣服などもだ。


 ただし、衣類に関しては動物性の物は実体化させることができないようだった。つまりは羽毛や羊毛や動物の毛皮で作られたコートやマフラー等は絵に描いたとしても実体化できない。


 となると素材は限定される。ナイロンやポリエステルなどの化学繊維、綿や麻などの植物繊維などだ。絹は動物性判定らしく実体化することはできなかった。


 もうすぐ冬が来る。ここ、ガダフト湖がある場所はル・ルシール王国の北東部に位置し、標高も高く、防寒対策などをしなければ当たり前に凍死してしまう。


 寒さ対策だけでなくそれ以外も足りない。野菜などを育てるための農地もないし、家も建てなくてはならない。


 とりあえず食料は確保できている。この場所に来るまでに立ち寄った町や村で必要になりそうな物は買いそろえた。


 それに湖もある。水は湖の水を浄化すれば問題はない。


 それに魚も獲れる。ウォレスが言うには二十年前の事件で周辺の自然はほぼ壊滅し、湖の環境も相当なダメージを受けたらしいのだが、今ではそれなりに回復しているようだった。


 その湖でウォレスが釣りをしている。使用している釣り竿はエインが魔法で生み出した物だ。素材はカーボン製、伸縮式の釣り竿で、簡単な物であはあるがちゃんとリールもついている。釣り糸はナイロン製で、釣りエサの代わりに小魚を模したルアーやミミズによく似たワームなどの疑似餌も用意してある。


 釣竿を描いているとき、エインは同じ病院に入院していた男の人のことを思い出していた。事故にあって入院したという釣り好きのおじさんだ。


 そのおじさんは病室に釣竿を持ち込んでいた。病室にはよく釣り仲間らしき人々がお見舞いに来ていた。


「元気になったら一緒に釣りに行こうな」


 とそのおじさんと約束もした。結局、その約束は果たされなかったけれど、おじさんに見せてもらった釣竿や釣り道具を描いた経験はちゃんと生きている。


 恵まれていたんだな、とエインはふと思った。転生する前、いろいろな人に支えられていたのだな、とそう思った。


 悪い人もいた。嫌なことを言ってくる人ももちろんいた。


 けれど大半の人は優しかった。優しい人たちに囲まれていた。

 

 そして、今もだ。今も優しい人たちに囲まれている。


 だから、思う。


 この人たちに不自由な思いをさせてはいけない。


(とにかく、ちゃんと生活できるようにしないと……)


 エインは生活に必要になりそうな様々な物を魔法で生み出しながら常にそんなことを考えていた。自分について来てくれたみんなのために、という責任感からだ。


 調理器具を魔法で実体化させたとき、マリーナはとても喜んでいた。これでちゃんとした料理が作れるとエインに感謝していた。


 釣竿を渡したときウォレスは驚いていた。こんな立派な釣竿は見たことがない、と感心し、喜んでいた。


 エインは嬉しかった。けれど、満足はしていなかった。


 まだまだ足りない。


 みんなのためにがんばらないと。


 自分なんかについて来てくれた仲間たちに不自由な生活をさせるなんてでくるわけがない。


 マリーナは親の言いつけを破ってエインについてきた。ダイナも騎士団の隊長の地位と家を捨ててきたようなものだ。ウォレスも何も無ければそろそろ引退し穏やかな老後を過ごすはずだっただろう。


 自分が彼らの人生を変えてしまったのだ、とエインは思っていた。だから、そんな人たちに不自由な思いをさせてはならないのだ。


 大きな屋敷もいらない、立派な町もいらない、豊かな国も必要ない。


 ただ、仲間たちが不自由なく、飢えず、苦しまず、穏やかに平和に平穏に暮らしていくことさえできればいい。それがエインの願いだった。


 そのために必要な物をそろえなくてはならない。


 まずはこの冬を越えるための食料がいる。寒さをしのぐための家も必要だ。その先を考えるなら春に種をまき作物を育てるための農地も準備しなくてはならない。


 足りないものが多すぎる。気が滅入りそうだ。


 けれど、やらなくてはならない。


 一気にやる必要はない。ひとつずつ、ひとつずつ、片づけていくしかない。


 片づけていくしかない、のだけれども、片づけるために必要な物がまだある。


 人手だ。労働力である。


 今、エインの仲間は六人。人間が三人と人形が三体だ。エインも含めて全員で七名となる。


 ただ、足の不自由なエインは労働力としては数に入らない。魔法の力を使ってのサポートは可能だが肉体労働は不可能だ。


 エイン以外の六名には魔法の道具を渡している。筋力強化や疲労軽減の力を持つアイテムである。その魔法道具のおかげで非力なマリーナもある程度は力仕事に対応できているが、それでも明らかに人手不足であり、今いる者たちもフル稼働だ。


 エインは魔法道具の作製、マリーナはエインの身の回りの世話や料理や洗濯、ウォレスは馬車による荷運びは魚釣りなどの食料の確保、ダイナとサファイアは農地の整備にあたり、ルビーとサレナは周辺の調査や家を建てるための木材の切り出しなどを担当している。


 準備は着々と進んでいる。木材などの素材の確保はできてきた。


 だが、ここで大きな問題にぶち当たる。


「えっと、この中で、家を建てたことがある人、いる?」


 一日の作業を終えての夕食時。エインは集まった仲間たちにそんなことを尋ねた。その質問に対し、全員が同じ答えを返した。


 ない。全員、家を建てたことなど一度もなく、建築に関する知識も持ち合わせていなかった。


 ついでに農地の開拓の経験も知識もなかった。料理や洗濯、テーブルマナーや剣術やサバイバル術の知識や経験がある者はいたが、今必要な物を持っている人間は一人もいなかったのである。


 困った。非常に困った。


 もちろんエインにだって建築や土地の整備の知識など持ってはいない。家を描いたり、山や畑を描いたことはあるが、実際に作ったことはないのだ。


 人手も知識も経験も何もかもが足りていない。


「野営の知識ならあるのだが、城を建てたことは一度もないな」

「……城?」


 どうしようどうしよう、とエインが悩んでいるとダイナがおかしなことを言い出した。


「? 城を建てるのだろう? ここに」

「いえ、あの、建てませんよ?」


 何を言っているんだこの人は、というようにエインは首をかしげる。そして、同じようにダイナも首をかしげる。


「領地を治めるのだから城のひとつもあったほうがいいだろう。それ以外にも堀や城壁も作らなくては」


 城、堀、城壁。なぜそんなものが必要なのか、とエインは不思議に思う。だが、ダイナにとってはそれが当たり前、普通の考えのようだった。


「敵が攻めてきたときのために必要だろう?」


 敵。


「敵がいないと思っているのか?」


 ダイナの真剣な眼差しを受けたエインはグッと息を飲む。


 まったく、まったく考えていなかった。


「でも、敵って」

「敵は何も人間だけではない。この湖を取り囲むように広がっている森には魔物がいる。遠くではあるが山脈にも凶暴な奴らが生息している。人間だけではなく、それらも含めてすべて『敵』だ。外敵だな」


 敵。自分たちの生活を脅かす敵。エインにはその観点がすっぽりと抜け落ちていた。


 無理もない話だった。エインには自分の命を脅かすような敵に出会ったことがない。転生前も転生後も守られる立場の人間で、安全な生活を送っていたのだ。


 それがいきなり野に放たれてしまった。安全などはもうどこにもない。


「農地の整備の合間に簡単な堀や土壁を作ってはいるが、大型の魔物などには不安が残るな」


 現在、ダイナに与えられている仕事は農地の整備だ。湖の周辺には大人の背丈よりも高い草が生い茂っており、それらをダイナの義手に内蔵されている火炎魔法やサファイアの青い炎で焼き払って土地を開き、それから同じくダイナの義手に内蔵されている土魔法で畑の区画整理と同時に水路を掘ってもらっている。どうやらそのついでに防衛のための堀や土壁も作っていたようだ。


 ありがたいことである。ただ、少々働き過ぎのような気もする。


「ちゃんと休んでね、ダイナさん」

「ありがとう。ご心配なく。体力には自信がありますので」


 そう言うとダイナは腕をグッとまげて力こぶを作り、ニカッと笑う。その笑顔には疲れなどまったく見えず、むしろなんだか生き生きしているようだった。


「頼りにしておりますぞ、ダイナ殿」

「お任せください。元王国騎士団流星隊隊長として立派に務めを果たしてご覧に入れますよ」


 本当に、本当に頼もしい。けれど、無理だけはしないで欲しい。それがエインの正直な気持ちだった。


「とりあえず家をどうにかしないとね」

「そうですなぁ。夜空を見上げての食事も悪くはありませんが」

「雨は降りませんけど……。うう、寒いです」


 エインは上を見上げる。エイン以外の者たちも空を見上げる。


 夜。澄んだ空気の向こう側に満点の星空が広がっている。


 本当に空は澄み渡り雲一つない。内陸部にあるル・ルシール王国は冬の時期は乾燥しており、雨も少なければ雪もそれほど多くはない。ただ、本当に寒い。


 エインは白い息を吐きながら下を向く。その手には木の器があり、その中には温かいスープが湯気を立てている。


 スープにはいろいろな具材が入っている。エインはそんなスープをスプーンでゆっくりとかき混ぜる。ぐるぐると、まるでエインの悩める頭の中を表すようにぐるぐる、ぐるぐる。


「……混ぜる」


 エインはふと思い出す。転生する前の記憶を思い出す。


「混ぜる、セメント、ビル……」


 そう言えば、いた。転生する前、入院していた病院に過労で倒れた建築関係の仕事をしているというお兄さんがいた。


「……やってみるか」


 エインはスープから顔を上げもう一度夜空を見上げる。何かを決意したように星を見つめる。

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