日記

 8月32日 晴れ


 もう5年も経つのに32日と書くのは慣れません。こちらの世界は1か月が約35日で、8月は36日あるというのを時々忘れそうになります。


 この日記は馬車の中で書いています。僕たちはこれから僕たちが治める領地に向かっているところです。


 出発してから5日が経ちました。旅は順調。目的地までの道のりはまだまだ残っていますが、何もないことを祈るばかりです。


 目的地は王都から馬車で3週間のところにあります。王国の東側、大きな湖のある元はランベルト伯爵の領地だった場所です。


 まあ、今は僕もランベルトですが。


 今のところ追手の気配はありません。追ってくる理由もないですけど、一応、警戒するに越したことはないと心配して、ダイナさんは馬車には乗らずに馬に乗って馬車の後ろを見張っています。


 僕が思うに、誰かが追ってくるということはないと思います。だって、僕たちは追い出されたんですから、追い出した相手を追いかけるなんて変な話です。


 ダイナさんが心配するようなことはおこらないと思うのですが、どうなんでしょう。


 マリーナは元気です。出発してすぐは落ち込んだり、迷ったり、何度も謝ったりしていましたが、今はそれも治まってきました。もともとマリーナは何も悪くないので、落ち着いてきてホッとしています。


 ウォレスには本当に助けられました。急に出発すると僕が無茶を言ったのに、王宮から抜け出す手引きや馬車の手配までしてくれて、今も馭者として馬車の運転をしてくれています。


 サレナ達三人も馬車にはいません。三人は先行して僕たちの行く先に危険がないかを調べてくれています。街道には盗賊や魔物が出るということで、それらがいないか警戒してくれています。


 僕は、何もしていません。馬車の窓から外を眺めて、景色をスケッチしたり、これからのことを一緒に乗っているマリーナと相談したり、それぐらいです。


 それにしても、いろいろと気になることが多いです。


 まず、サレナ、サファイア、ルビーの三人。


 彼女たち三人は飛んでいきました。そんな機能は設定していないはずなのに、空を飛んで行きました。


 僕はこちらの世界のことを良く知りません。こちらに転生してきて五年間、王宮の敷地の外に出たことがないので。


 こちらの世界の人形と言うのは空を飛ぶのでしょうか? 


 こちらの世界にもサレナ達のような生きた人形が存在していて、空を飛ぶのが普通ということなら、サレナ達が空を飛んでも不思議ではないのですけど……。


 少なくともウォレスやダイナさんは知らないということです。マリーナも同じで、人形が空を飛ぶなんて初めて聞いたと言っていました。


 一度、彼女たちに確認しないといけないなと思うのですが、今はいないのでもう少し先になりそうです。

 

 そもそも僕のこの力はなんなのか、ということも気になります。なんで突然、力が使えるようになったのか、とか。


 いろいろと



「エイン様見てください! クレベルジット山脈ですよ!」



    ※ ※ ※



 日記を書いていたエインは顔を上げ、馬車の窓から外を見ると、遠くの方にマリーナの言うクレベルジット山脈が見えた。


「山の上が真っ白です。一年中、雪が解けないらしいですよ!」

「――そうなんだ」

「……驚かないんですか?」


 驚く? どうして? とエインは考え、そこで自分が初めて山脈を見たということに気が付く。


 転生する前の世界でなら写真で見たことがある。アルプス山脈やロッキー山脈、一年中雪が消えない高い山の写真なども見た。


 だが、実際にこの目で見るのは初めてだった。なのに、驚かない。


「どうしたんですか、エイン様」

「どうしたって、どうして?」


 エインの向かい側に座るマリーナが心配そうにエインを見ている。


「いつものエイン様なら、すぐにスケッチを始めると、そう思って」


 どうして心配そうな顔をしているんだろう、とエインは不思議に思ったが、マリーナの言葉を聞いてハッとする。


(いつもの僕なら、か……。確かに、そうかもな)


 いつものエインならすぐにペンをとってスケッチをし始めただろう。しかし、今はそんな気力が湧いてこない。それに、描いてもなんだか、楽しくない。移動の最中、景色をスケッチしたりもしたが、なんだか楽しくなかった。


(無能、か……)


 みんな、働いている。それぞれがそれぞれの役割を果たし、目的地へと辿り着くためにがんばっている。


 なのに自分は何もしていない。エインは自分が何の役にも立っていないような気がしていた。


 実際はそうではない。エインは十分役に立っている。


 エインたちが使用している馬車は一台だ。普通ならば人間や荷物を載せるために馬車は何台か必要になる。引っ越しとなれば一台では済まないだろう。


 それを可能にしているのがエインが能力で生み出した『イレール袋』のおかげだ。このマジックアイテムはいろいろな物を無限に収納できる優れものである。ただし、イレール袋は入れることができるだけで、入れたものを取り出すには『ダセール袋』という取り出し専用の袋を使用しなくてはならない。


 そしてイレール袋もダセール袋も収納できる品物が限定されている。現在、エインが生み出した袋は『イレール袋【食】』『イレール袋【服】』『イレール袋【美】』など七種類。それぞれ食は食品、服は衣服やその他の衣料品と、入れられるものが限られている。


 このように作り出すアイテムに『制限』をかけることで、マジックアイテムを作るときの体力消費を減らすことができる。無限になんでも収納できる袋を制作すると何日か寝込まなくてはならなくなるが、使用用途を限定し、能力に制限や制約を設けることで体力消費を削減できるのだ。


 エインたちの馬車を引いている馬に装着されている手綱も能力で生み出したマジックアイテムだ。『タフネス手綱』というアイテムで、馬の体力の消費を十分の一にしてくれる優れものである。ただし、人間が手綱を握っていないと能力は発動せず、連続使用時間も六時間と制限され、六時間ごとにクールタイムとして一時間の休憩をはさむ必要がある。


 その他にも長時間座っていてもお尻や体が痛くならない『楽々ッション』、どんな場所でも眠れる『快眠アイマスク』などなど、旅に必要になるかもしれないとエインが生み出したマジックアイテムはたくさんある。


 役に立っていないわけがない。けれど、エインは不安だった。自分は本当に役に立っているのか、と不安を抱いていた。その不安がエインの感性を鈍らせている。


 初めて見た山脈、初めて見た外の景色。なのに、あまり『描きたい』という意欲が湧いてこない。そんなエインをマリーナは心配しているのだろう。


「どこか具合でも」

「ううん、そうじゃないよ。……ありがとう、マリーナ」


 エインは心配しているマリーナに笑いかける。


「え、あ、えっと……。こ、このクッション、とってもいいですね! ずっと座ってても疲れないし、これなら、えっと、あの」

「ありがとう、マリーナ」

「え、あ……。はい」


 恥ずかしそうに顔を赤くしてマリーナはうつむく。そんなマリーナを見てエインはなんだか心が温かくなるような気がした。


 そんな照れているマリーナを見ていると、描きたくなってくる。


 絵が描きたくなる。エインは絵を描きたくなった。


「そうだね。絵を描くのが、僕だよね」


 絵が描きたい。


 エインは鉛筆を手に取った。


「マリーナ、こっち向いて」


 エインは絵を描き始めた。マリーナの絵を。


「あの、どうして、私」


 外の景色を描くと思っていたマリーナは困惑しながらも、まっすぐなエインの視線を受けてそれ以上何も言わなくなった。いや、言えなくなってしまった。


 絵を描くことは楽しい。もっと上手くなりたい。なんでも描けるようになりたい。いつもそう願っている


 そう願い、その願いを目標に生きてきた。エインはそのことをマリーナを描きながら思い出す。そして、手に持ったスケッチブックの中に、自分に絵の楽しさを教えてくれたあの人の笑顔を見た気がする。


「ねえ、マリーナ。何か描いて欲しいものはない?」


 あの人はいつも、何かを描いていた。自分のために、そして誰かのために描いていた。


 相手のために絵を描いて、その相手が喜んでいる姿を見て嬉しそうに笑っていた。


 そんな風になりたい、と思った。今でもそれは変わらない。変わらないと、思い出した。


「なんでもいいよ。なんでも、描いてみせるから」


 誰かを喜ばせる絵を描きたい。それは今も昔も、転生前も転生後も、その思いは変わらなかった。


 エインは今日も絵を描く。


 魔法のように。

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