旅立ち
エインが目覚めてからいろいろなことが起こった。
「すぐに二人を探しに行って!」
目を覚ましたばかりのエインはかなり寝ぼけていた。しかし、すぐに側にいたサレナの姿を見て状況を理解し、彼女に姿を消したサファイアとルビーを探しに行くように頼んだ。
その返答がこうだった。
「必要ありません。すぐに帰還するでしょう」
とサレナは断言した。その答えを信用できなかったわけではないが、エインはサレナに理由を聞いた。
その返答がこれだ。
「統括者ですので」
以上。それだけ言うとサレナは口を閉ざした。どうやらサレナには他二体の居場所がわかっているのか、それともどうやってか知らないが連絡を取っているようだ。少なくともエインはそう判断し、それ以上の追及を止めた。
それにしても、とエインは思う。
どうして自分はサレナを作ったのだろうと不思議に思う。
(いなくなった二人の代わりで、いなくなった二人を探すためで……。でも、なんだかそれ以外にも)
何かあるような気がするし、ないような気もする。
それに、迷いもなかった。いつもなら何を描こうか悩むこともあれば、何度も描き直したり最初からやり直すこともあった。
しかし、今回はそれがなかった。全く迷いなく、淀みなくサレナを描き上げた。自画像や他人の似顔絵であっても描き直すことがあるのに、今回はそれがなかった。
まるで自分ではない何かに描かされているような、そんな気がしている。
(まあ、いいか。だからどうした、って話だし)
そう、だからどうした、である。
もし、サレナと言う存在が危険だとして、それを処分してしまおうという気はまったくない。エインはサレナを受け入れるつもりである。意思を持つ存在を、そうなるように自分が造った彼女を自分の勝手で処分するなど無責任すぎる、とエインは考えているからだ。
だから、責任をもってサレナを迎え入れる。それ以外に、ない。
それがエインが目覚めてすぐのことだ。エインはサレナの言うことを信じ、サファイアとルビーが戻ってくるのを期待して待つことにした。
そして、サレナの言う通りエインが目覚めた翌日にサファイアとルビーは帰ってきた。
「どこに行ってたの! 心配したんだよ!」
エインは戻ってきた二人を𠮟りつけた。エインには珍しく怒りをあらわにし、サファイアとルビーを問い詰めた。
「どうして出てったりしたの?」
「それは……」
「ええ、っと……」
「なにか不満があるなら言って?」
不満。そんなものあるはずがない。そもそも生み出されてすぐだったのだから不満を抱く時間もなかった。
「そ、そんな不満などは」
「そうです! 不満なんてありません!」
「じゃあ、なんで出てったの?」
はっきりと答えない二人。まさか世界をぶっ壊すために出ていったなどとは言えるはずもなく、かと言って『仕事』をしてきたとも言えなかった。
そう、二人はしっかりと仕事をこなしてきた。マリーナの婚約者であるウルバンを徹底的に叩き潰してきたのである。物理的にも精神的にも。
おそらくウルバンは再起不能だろう。彼の住んでいた屋敷は焼き払われ、ウルバン自身も命は無事だが精神が壊れてしまうほどの拷問を受けてほぼ廃人になっている。おそらく結婚の話は破談になるだろう。
本当に二人はきっちりとマリーナを守るため先手を打って脅威を排除したのだ。したのだが、やり過ぎた。
ウルバンの命は取っていないが、かなり過激にぶっ壊してしまったので、そのことをエインに報告できないでいた。やり過ぎたことでエインに嫌われてしまわないか、と二人は不安だったのだ。
エインに嫌われないか、というのがサファイアとルビーの一番大事なことなのだ。エインに嫌われたら死んでしまうしかない、とさえ二人は思っている。
なので、言えない。仕事をしたが、それを報告できない。
というわけで二人は仕方なく嘘をつくしかない。
「ちょっと、外を見たくて」
「そうです。あの、外の景色を見たくて、散歩に出たら、迷子になってしまって……」
苦しい。あまりに苦しい言い訳である。
であるが、エインはそれを信じた。
「まったく。もう勝手に出てかないでよ? 外に出るときはちゃんとひと言頼むね」
「え?」
「あ、はい……」
あっけなく。あまりにもあっけなかったので、サファイアとルビーの二人はしばらく困惑していたが、自分たちが許されたということに気が付くと二人はそろって安堵の息をついた。
「それじゃあ、みんな揃ったしマリーナに紹介しようか」
みんな揃った。そう言うエインはとても嬉しそうだった。本当に嬉しそうで、その笑顔がサファイアとルビーの心に突き刺さる。
「マリーナ、紹介するね。サファイアさんとルビーさん」
「は、初めまして。マリーナ・ゴールドウィンです……」
エインは知らない。サファイアとルビーが何をしてきたかなどまったく知りもしない。もちろんウォレスやダイナも知るわけがない。
「二人がキミを守ってくれるから。離れても元気でね……」
と、エインは寂しそうに言った。これからマリーナと、大切な人と別れなければならないという哀愁が漂っていた。
そんなエインを見てサファイアとルビーは顔を引きつらせる。
「あ、あの、エインフェルト様」
「エインでいいよ。……二人とも、マリーナを頼むね」
エインは心配そうな顔でサファイアとルビーの手を握った。そんな顔をされ、そんなことを頼まれたら、はい、と言うしかないだろう。
「お任せください」
「ボクにドーンと任せてよ!」
と、言うしかない。嘘でも言うしかないのだ。
そんな風にマリーナを守ることを二人のメイド人形が誓ってから三日後、ある報せが届いた。というか、噂が王宮に伝えられた。
ガングルッグ伯爵家襲撃の報せである。
「そんな。一体だれが……」
「う……」
「ぐ……」
日が経つごとにいろいろな情報がもたらされ、そして最初の一報が伝えられてから一週間後、マリーナのもとに手紙が届いた。
その手紙を確認するため、エインはウォレスやダイナをアトリエに集めた。
「あの、えっと、今回の話は、なかったことに、ということに……」
それはマリーナの父親からの手紙で、内容はウルバン・ガングルッグとの結婚を中止するという物だった。
「そっか、よかっ、じゃなくて、残念だったね」
エインはマリーナを慰めながらもなんだかホッとしているようだった。
ただし、安心してもいられない。
手紙には続きがあったのだ。
「とりあえず、一度戻ってくるように、と……」
結婚はなくなったが家には戻ってこい、とマリーナの父からの命令である。
「……戻るの?」
「……それは」
マリーナがエインの使用人として働いている理由はマリーナの父親の影響が大きい。マリーナの家、つまりはゴールドウィン家と王家とのパイプを作るためだ。
今回のウルバンとの結婚もそうだ。ゴールドウィン家とガングルッグ伯爵家とのつながりを作るためだ。マリーナは彼女の父にとっては政略結婚の道具でしかないのである。
しかし、もうどちらもなくなってしまった。ガングルッグ伯爵家は結婚どころの話ではなく、エインももうすぐ王家の人間ではなくなる。となればマリーナがエインのところで働く理由もなくなる。
「戻る、つもりなの?」
マリーナは彼女の父親にとって道具でしかない。ゴールドウィン家の繁栄とル・ルシール王国での権力拡大のための道具なのだ。
マリーナは迷っているようだった。このまま家に戻ってもいいことはないだろう。またどこかに行かされ、もしかしたら別の誰かと無理矢理結婚させられるかもしれない。
「……私は、愛人の子なんです」
突然、マリーナは自分の身の上を語り出した。彼女は迷い、悩み、激しく揺れる感情を整理するために語り出した。
「私は母の顔をあまり覚えていません。三歳ぐらいの頃にはもう、今の家で暮らしていて、そこで、いろいろと教え込まれて――」
身の上を語るマリーナは本当に辛そうで、苦しそうだった。小さい頃に母親から引き離され、厳しく教育されていたらしい。
その厳しい教育も親としての愛からではない。ただ、マリーナが将来結婚した時、ゴールドウィン家の恥にならぬようにという理由からだ。
「父に優しくされたことなんて、一度もありません。あの家で、楽しかったことなんて、なにもありません。ただ、どこにも行く当てがなかったから、だから……」
逆らうことなど許されず、褒められることもなく、誰かと遊んだ記憶も喜び合ったことも笑い合ったこともない。
「あそこは、地獄です。私にとっては、地獄でした」
マリーナは自分の実家を地獄と言い切った。それほど辛い生活を強いられてきたのだろう。
そして、このままではまたその地獄に戻ることになる。
「楽しいことなんて一つもありませんでした。でも、ここで、ここへきて、私は、私は……」
マリーナはそう言って笑顔を浮かべた。
「エイン様、ありがとうございます。本当に、本当に楽しかった」
体が弱く足の不自由な少年の身の回りの世話をする。マリーナはそれが楽しかったという。
キレイなことばかりではない。一人で生活できないエインの世話をするのだ、それがキレイなはずがない。
それでもマリーナにとっては楽しかった。嬉しかった。幸せだった。
だって、優しかったから。エインもウォレスもダイナも、エインの周りにいる人々はみんな優しかったから。
「本当に、本当に、幸せで……」
笑顔のままマリーナは泣き出した。その笑顔がだんだんと崩れ、苦しみに歪み始める。
「今まで、今まで……」
マリーナはその場に膝をつき顔を覆って嗚咽を漏らす。エインのもとを去り、あの地獄へ戻ることを思い、涙する。
そんなマリーナを前にして、もう、我慢できなかった。
エインは我慢するのをやめた。
「マリーナ、僕と一緒に行こう」
エインは決めた。
「でも」
「でももだってもないよ。行くんだ」
それは命令だった。エインがマリーナにした初めての命令だ。
「大丈夫、僕が、僕たちが守るから」
そう言ってエインはマリーナに手を差し伸べた。そして、その差し伸べられた手を迷いながらもマリーナは握った。
エインは覚悟を決めていた。ならば、のんびりしているヒマなど無い。
「すぐに、ここを出よう」
エインは気が付いた。自分の気持ちにやっと気づくことができた。
マリーナと離れたくない。いなくなってほしくない。それは我儘で、自分勝手で、独りよがりな願望かもしれない。
でも、嫌な物は嫌なのだ。泣いているマリーナなんて見たくない。
マリーナだけではない。ウォレスもダイナも、誰にもいなくなってほしくない。離れたくない。一緒にいたい。
だって、家族なのだから。エインにとっては血がつながっていなくともマリーナたちは家族なのだ。
そう、血は繋がっていなくても。
「で、出て行くって。そんないきなり」
「大丈夫。追い出されるのは前からわかってたから、準備はしてあるよ」
エインはマリーナたちの顔を見渡す。そして、力強くうなずく。
「さ、準備、始めよっか」
その日、王宮から一人の王子が忽然と姿を消した。まるで最初から存在しなかったように。
そしてこの日から、ル・ルシール王国の滅亡が始まった。
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