父と兄たち

 父であるセレストール3世に呼び出されたエインはウォレスと一緒に指定された部屋に入る。


「よう、久しぶりだな」

「お久しぶりです、フリッツ兄様」


 部屋に入るとそこには父であるル・ルシール王国国王セレストール3世とその息子である王子二人がいた。


「相変わらず陰気臭いねぇ。絵なんか描いてねえで外で剣の稽古でもしたらどうだ? ああ、その体じゃあ、無理か」


 部屋に入ってきたエインに最初に声をかけたのは次男のフリッツである。フリッツはエインを馬鹿にしニヤニヤヘラヘラと笑っている。エインはそんな兄に対して何かを言い返すことなく一礼する。


「ケッ、何か言えってんだ。声まで出なくなったのか?」


 フリッツは苛立ったように顔をしかめるとエインをジロリと睨みつける。この態度を見てわかる通り、フリッツはエインのことが大嫌いだった。


「エインフェルト、席につきなさい」


 と言ったのは父である国王セレストール3世だ。彼はフリッツの言葉を遮るようにそう言うと、その言葉に従いエインは自分の席に着いた。


 席に着いたと言っても車椅子から降りて別の椅子に座りなおしたわけではない。エインは車椅子のまま部屋の一番奥の席に座るセレストール3世と向かい合うように彼とは反対側の席に着いた。


 部屋の中央には長いテーブルが置かれている。壁には歴代の国王たちの肖像画が飾られ、床には赤い絨毯が敷かれている。その長いテーブルの一番奥の席に父である国王セレストール3世が長い背もたれの椅子に座っている。


 テーブルの左側には部屋に入ってきたエインに声をかけてきた次男であり第二王子のフリッツ、テーブルの右側には長男で第一王子のアルバインが座っている。


 そこにはエインの家族が全員揃っていた。しかし、だからと言って嬉しいわけではない。むしろ気が重い。


「いいよなあ、お前は。いつも座って楽できてよぉ」 

「黙れ、フリッツ。いちいち無駄口をはさむな」

「チッ、うるせえお兄様だな。ハイハイ、黙りますよ」


 エインをからかっていたフリッツは兄であるアルバインに注意された頬杖をついて不機嫌そうに黙り込む。そんなやり取りが一通り終わったところを見計らい、今度は国王が口を開いた。


「エインフェルト」

「はい。何でしょうか父上」


 国王セレストール3世はまっすぐにエインを見据えている。その視線は冷たく、その顔には何の感情も浮かんでいない。


「お前はもうすぐ十歳になるな」

「いえ。もうなっていますよ、父上」


 エインもまっすぐに国王を見つめながらそう答える。


「僕の誕生日は六月です。もう、とっくに十歳になりましたよ」


 そう言ってエインは口を閉じる。そんなエインを前に国王は黙っていたが、しばらくすると「そうか」と呟いた。


「ならば以前から話をしていた通り」

「わかっていますよ、父上」


 以前からの話。エインはそれを覚えている。忘れるはずがない。


「おう、わかってんならさっさと出て行けよ。役立たず」


 フリッツはそう吐き捨てる。エインはそんなフリッツに対し言い返すことなく、それどころかフリッツに視線すら向けず、ふう、と小さくため息をついた。


 この話は以前から決まっていたことだ。エインが十歳になったらこの王宮から引っ越し、とある領地を治める領主になることが前々から決定ていた。


 どうやらここに呼ばれたのはその最終確認らしい。


(別に、嫌だとは言ってないのに)


 エインはもう一度ため息をつく。どうやらここにいる三人はエインがごねるとでも思っているのだろう。


(まあ、ちょっと前までは不安だったけど。今は都合がいいかな)


 すでにエインが引っ越す場所のことはウォレスに調べてもらっている。かつてとある貴族が治めていた土地だが、いろいろと訳があって今は誰も治めておらず、それどころか領民さえいない、そんな場所だ。


 土地は痩せておりロクな作物が育たない。そのうえ少々いわく付の訳アリ。そんな場所にエインは追い出される。


 十歳で領主になる、と言うのは普通では考えられない。緊急時であり跡継ぎが十歳の子供しかいないという場合ならば有り得るが、その場合も後見人を立てたり後ろ盾を用意して、幼い領主を支える体制を整えなければならない。


 そうでないならば少なくとも十五歳までは待つ。この国での成人年齢は十五歳であり、一応大人として見られるようにはなる。ただやはり十五歳でも早いぐらいで、普通ならばもう少し年齢を重ねてから代がわりを行うものである。


 さらに付け加えると今回エインが向かう場所は悪い噂のある場所だ。その領地はとある事件で領主を失い、領民までいなくなった『棄てられた地』と呼ばれる場所である。そんな場所へ父親が十歳のまだ幼さの残る息子を送り出そうとしている。


 そんなに僕が嫌いなのか、とエインは父であるセレストール3世に対して疑問を抱く。だが、悲しくはならない。


 悲しむだけ無駄だ、とエインはすでに理解していた。


 兄に対してもそうだ。彼らにも嫌われているが、心を痛めるだけ損だとエインは悟っている。エインはそうやって自分の心を守っているのかもしれない。


 傷つかなように、悲しむだけ無駄だ、と壁を作っているのかもしれない。


「すぐにでも出発したい、とは思いますが。僕にも準備がありますので」

「はあ? んなもん前からわかってたんだから準備ぐらいしとけよグズが」

「フリッツ。黙っていろ」


 暴言を吐くフリッツをアルバインが黙らせる。そんなアルバインをフリッツは鋭くにらみ、また不機嫌そうに黙り込む。


「マリーナが、僕の世話係がここを去るまで待ってはいただけないでしょうか?」


 エインの要望に対し国王はしばらく考えるような仕草する。それから静かに「わかった」と答え、それがいつのことなのかをエインに問いかける。


「それはいつだ?」

「九月です、父上」

「――そうか」


 国王は黙り込む。それからしばらく重苦しい沈黙が部屋に立ち込める。


 その沈黙を破ったのはエインだった。


「父上、一つ質問……。いえ、なんでもありません」


 エインはセレストール3世に何かを聞こうとして、やめた。聞いたところで無駄だろうな、とそう思ったからだ


 エインが聞きたかったこと。それはマリーナの結婚相手であるウルバンのことだ。


 ウルバンには疑惑がある。それを調査しないのか、もし彼が罪を犯していたのならそれを追求しないのか、とエインは問いかけたかった。


 だが、やめた。そんなことはもうとっくにわかっていることだろうから。


(国王なら知ってるだろうし。……いや、知ってても、この人にとってはどうでもいいことなんだろうな)


 貴族を罰することができるのは国王だけだ。しかも伯爵などの上級貴族となると国王であっても簡単に罪を追及することはできない。できるかもしれないが、いろいろと面倒なしがらみがある。


 派閥や権力闘争。この国は微妙なバランスで成り立っている、と言うことをエインはウォレスから聞いている。一応、あなたも王家の一員なのだから、と多少ではあるがエインもこの国の政治のことを学んではいた。


 確かウルバンの父であるホルベンは『国王派』の人間だったな、とエインは思い出していた。現国王であるセレストール3世と王位継承順位第一位であるアルバインを支持する派閥が国王派であり、ホルベンはその派閥に所属している。


 そうウルバンの父であるホルベン・ガングルッグ伯爵はセレストール3世の味方だ。ならば、自分の味方が不利になるようなことをいちいち追及することはないだろう。


 なら、聞くだけ無駄だ。とエインは黙った。


 再び部屋を沈黙が支配する。


 そして、その沈黙を破ったのは今度は今までほとんどしゃべっていなかったアルバインだった。


「何もないなら早く出ていけ。王家に無能は不要だ」


 そう言うとアルバインは再び口を閉ざした。そんなアルバインの言葉を聞いたフリッツは楽しそうに笑い出した。


「ヒハハッ、言うじゃねえか兄上様。まあ、事実っちゃ事実だしなぁ」


 フリッツはゲラゲラと腹を抱えて下品に笑っている。そして、笑いながらエインを罵る。


「てめえの居場所なんざここにはねえんだよ! さっさとくたばれゴミカスが!」


 フリッツは笑っている。けれど、エインは何も感じない。いや、何も感じないように心を殺している。


「気持ち悪いんだよ! 根暗芋虫!」


 フリッツがどうしてこんなにもエインに突っかかってくるのかエイン本人にもわからない。何か気に障るようなことをした覚えはないし、嫌われるようなことをした記憶もない。


 だから諦めていた。エインの記憶にあるフリッツは最初からこうだった。エインを見ると不機嫌そうに顔をしかめ、顔を合わせると罵声を浴びせてくる。フリッツはそう言う人間なのだとエインはすでに割り切っている。


「おい! 何とか言ってみろよ! ビビッて何も言えねえのか? ああ!?」

「フリッツ」


 声を荒げるフリッツをアルバインがジロリと睨む。フリッツは睨みつけてきたアルバインを睨み返す。


「なんだテメエ。こいつの肩持つのか?」

「違う。私は早く仕事に戻りたいだけだ。お前がいちいち無駄口をはさむから話が終わらん」


 アルバインにまたも注意されたフリッツは不機嫌に舌打ちをしてから口を閉ざす。


 そしてエインはフリッツが黙ったことを確認すると少し間をおいてから口を開いた。


「お話は以上でしょうか? いろいろと準備をしなくてはならないので」


 そう言ってからエインはセレストール3世の言葉を待つ。しかし、セレストール3世は黙ったまま、待て、とも、出て行け、とも言わなかった。


「父上。話が終わったのなら我々も」

「お前は、王の座を欲したことはあるか?」


 退室してもいいかとたずねようとしたアルバインの言葉を遮りセレストール3世はエインに問いかけた。


「お前も王位継承権を有している。王になりたいと思ったことはないか?」


 国王セレストール3世はエインにそんなことを問いかけた。


(何を言ってるんだ、この人)


 エインは質問の意味が分からず少しだけ身構える。何かこの問いかけに意味があるのかと考えたからだ。


 だが、考えても意味など無い。答えなど最初から決まっているのだ。


「ありません」


 エインはきっぱりと断言した。そして、それ以上は何も言わず、セレストール3世の言葉を待った。


「そうか。ならばお前はこれから『ランベルト』を名乗るがいい」


 ランベルト。その名を聞いたアルバインの表情が少しだけ動く。その名前を知らないフリッツは不思議そうに眉根を寄せ、その意図を理解したエインは表情を変えることもなく黙ってセレストール3世の言葉の続きに耳を傾けた。


「これからお前が治める領地の以前の領主の名だ。お前にはその名と『伯爵位』を与える。その代わり、お前から王位継承権をはく奪する」


 それを聞いたフリッツは驚いてガタリと椅子を鳴らしセレストール3世の方に体ごと顔を向けた。


「は、はは。ついにオヤジからも見捨てられたなあ!」


 フリッツは嬉しそうに声を上げ、これまた嬉しそうに笑い出す。そんなフリッツをセレストール3世は一言で黙らせる。


「黙れ」


 その一言とひと睨みでフリッツは青い顔をして震えあがり黙り込んだ。


 他者を威圧し畏怖させる王の迫力。エインは父であるセレストール3世をあまり好きではないが、『王』としては少しだけ尊敬している。父親としてではなく国と言う巨大な組織のトップに立ち人々を導く存在としてである。


 父として尊敬しているかと言うと、まったくしていないが。


「王の座を欲しないのなら継承権など不要だろう」

「それは僕を、王家から追放する、ということでよろしいでしょうか?」

「そうだな」


 それほど嫌いなんだろうか、とエインは思う。王家から追い出したいほどにセレストール3世はエインのことを嫌っているのだろうか。


(まあ、どっちでもいいか……)


 好かれていようが嫌われていようがそんなことはどうでもいい。どちらにしてももう追い出されることは決定しているのだし、今更騒いでも疲れるだけだ。


「わかりました。僕は今、この時から『エインフェルト・ランベルト』と名乗ります」


 そう言うとエインは車椅子に座ったまま深々と頭を下げる。そして、顔を上げ、まっすぐ父の顔を見た。


「以上でしょうか?」

「ああ。さがりなさい」


 これで話は終わり、と言うようにセレストール3世は目を閉じる。エインはそんな父に対し一礼し、ウォレスに車椅子を押されて退出する。その背中に向かってフリッツは忌々し気に吐き捨てる。


「じゃあな、クソ虫。二度と顔見せんじゃねえぞ」


 フリッツの罵声を背に受け、エインは部屋を出ていった。

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