棄てられた領地
ウォレスが部屋の扉を閉めるとその扉の向こうから兄二人の会話が聞こえてくる。
「ケッ、愛想のねえ野郎だ。気持ちわりぃ。同じ血が流れてると思うと寒気がするぜ」
「いちいち突っかかるな。気に食わないなら無視すればいいだろう」
「うるせえ! 指図するんじゃねえよ! 兄貴ズラしやがって」
「お前が大人げないだけだ」
「ガキ扱いすんのかテメェ!!」
扉の向こうからそんな会話が聞こえてくる。エインはそれを聞いて大きなため息をつく。
「相変わらず仲が悪いなぁ、あの二人」
ウォレスはエインの座る車椅子を押してアトリエへと戻っていく。廊下を進み、時折窓の向こうの景色を見ながら、もうすぐこの景色ともお別れなのか、とエインは少しだけ感傷に浸っていた。
「そんなに王様になりたいのかな?」
とエインは後ろにいるウォレスに質問してみる。本当に心の底からエインは疑問だったのだ。
「王様になりたい、というより対抗しているだけなのではないですかな」
「ふーん」
そんなに張り合って何が楽しいんだろう、とエインは首をかしげる。父に言った通りエインは王位にも権力にもまったく興味などなく、ついでに誰かと張り合うような対抗意識も競争意識も薄いため、エインには二人の兄のことが理解できなかった。
ケンカなんかするより絵を描いていたい。と言うのがエインの考えだ。対抗意識や嫉妬心を燃やして相手を蹴落としたり嫌がらせをするより、相手の素晴らしさを認めて自分の未熟さを知り、そこから学び自分の実力をさらに向上させる方が建設的だ、とエインはそう考えている。
だから理解できない。特に次男であるフリッツのあの態度がさっぱりわからない。
どうしてフリッツが自分を嫌っているのか、とエインは不思議に思う。フリッツのことは好きではないが、だからと言って理由もなく理不尽に嫌われるというのは納得できない。
かといって仲良くしたいわけでもない。正直、馬鹿にされたり見下されるのはあまりいい気分ではないが、関りを持たなければいいだけの話である。
今までと同じように。互いに関りを持たず、いないものと考えていればいい。
その点、アルバインはわかりやすい。アルバインはエインと関りを持とうとはせず、エインを嫌っている理由も『無能だから』というとてもわかりやすい理由からだった。
アルバインはとても優秀だった。武道だけでなく様々な学問、政治や経済にも明るく、アルバインが次の王になればこの国は安泰だ、と誰もが思うような有能な男である。アルバインの表だけを見た人間は、彼こそ国王にふさわしい、と本気で考えている。
しかし、そんなアルバインにも欠点はあった。アルバインは確かに優秀な男ではあったが、人としての温か味に欠けていた。効率と合理性を重視するあまり自分の行動を邪魔したり彼を理解できない無能な者や頭の悪い者を嫌い、無能だと判断した相手を平気で切り捨てるような男だった。
だからエインが嫌いなのだ。エインは絵を描くことしかできない無能、とアルバインは考えているのだ。
アルバインも絵画や芸術という物の必要性は理解はしているが重要視はしていない。必要かもしれないが重要度は低いと考えている。
そんなアルバインから見るとエインは無駄の塊なのだろう。何の役にも立たない無能の象徴のように見えているのかもしれない。
見えているのかもしれないが、すでにどうでもいいことだ。この城を出ていけばアルバインと関わることもなくなるだろう。
フリッツとも関わらなくてよくなる。そう考えるとエインは少しだけ気が楽だった。
「それよりもさ。早く人形を完成させようよ」
関りを持たなくなる兄たちのことは後回し、というかどうでもいい。今はあの人形をマリーナが実家に帰るまでに完成させなくてはならないのだ。
「ねえ、どうやったら動き出すと思う?」
「さて、私にはまったく見当がつきませんなぁ」
楽しい。エインは心の底からそう思う。何かを描き、何かを作り出し、誰かと共にそれを楽しむ。
ウォレスやマリーナやダイナ。エインには友人と呼べる人間がいる。数は少ないが心を許せる大切な友人たちだ。確かに家族と仲は良くないが仲間はいる。その仲間たちを大切にすればいい。
仲間たちと一緒ならきっと大丈夫。
「しかし、本当にいいのですか?」
「ここを出ていくこと? まあ、いいんじゃない?」
心配そうなウォレスに対しエインはのん気にそう答えた。
「ちょっと前だったら不安だったし、多少は不満もあったけど。でも今はさ、たくさん実験できるじゃない?」
エインは王宮を出ていく。厄介払い、と言ってもいいだろう。
だが、今のエインに不安はなかった。むしろワクワクしていた。
「アトリエだとできない実験もできるようになる。ここだといろんな人が見てるから派手なことはできないしね」
実験。それは自分に現れた能力の実験のことだ。エインは絵を実体化させる能力がどれほどのものなのかその限界が知りたかった。
「いろいろと作りたい物があるんだ。だけどここだと狭いし人目もあるし、でも今度行くところならそんな心配しないでもいいでしょ?」
今度行く場所。エインに与えられた寂れた領地。少し前のエインだったら不安だったかもしれないが、今はそんなことはない。
誰にも邪魔されない。誰の目も気にしなくていい。文句を言われることなく好きなだけ絵を描くことができるし、陰口を叩かれることもない。
多少、いやかなり生活のことで心配もあるが、それはそれだ。きっと何とかなるだろう、とエインは楽観視していた。
「大丈夫、大丈夫。何とかなるよ」
何とかなる。そう言ってエインは笑う。その笑顔は心配することなどなにもないというように明るかった。
「何とかなる、ですか。まったく……」
そんなエインを見たウォレスは呆れた様子で小さくため息をつく。本当に困った人だなぁ、とそんなことを考えているのかもしれない。
「しかし、ランベルトとは……」
「何か気になるの?」
エインは振り返り車椅子を押すウォレスの顔を見上げる。ウォレスは何やら考え込んでいるようで、表情は険しく眉間にしわが寄っていた。
「ランベルト伯爵は、エイン様がこれから治めることとなる領地の元領主の名前でございます」
「ふーん、そうなんだ」
それの何が問題なんだろう。とエインは疑問に思う。
「当時に領主、ロウ・ランベルト伯爵はエイン様の母上であるエルエリッサ様のご兄妹なのです」
「……え?」
驚いた。そんな話は初めて聞いた。
「エイン様にとっては母方の伯父ということになります」
「伯父、さん……」
父方の親戚には会ったことがある。確かセレストール3世には二人の姉がいたはずだ。
(そう言えば、一度も母上の親戚には会ったことがなかったな)
今までまったく気にもしていなかったが、考えてみれば不思議だった。そして、その理由はウォレスの説明ですぐにわかった。
「ロウ・ランベルト様には一人娘がいたのですが、事故でお亡くなりに。それが原因でロウ様は、心を病んでしまい、あのようなことを」
あのようなこと。それが原因で伯父であるロウ・ランベルトとその家族や屋敷で働いていた使用人、さらには領民たちも犠牲になった。
「ロウ様は悲しみのあまり手を出してはいけない『邪法』に、怪しい魔法使いにそそのかされて手を出してしまい、自らの命だけでなく家族や領民の命までも犠牲にしてしまったのです」
邪法。それは禁断の魔法のことだ。
「愛する娘を生き返すため、何かの儀式を行ったらしいのですが。噂によると悪魔と契約を交わしたのでは、と」
この世界には魔法が存在する。しかし、魔王や魔族はいない。ゴブリンやオーク、エルフやドワーフなどいわゆる亜人種と呼ばれる者たちも存在していない。
いるのは人のかたちをしていない『魔物』と呼ばれる生き物だけだ。それもドラゴンやスライムなどではなく、一般的な動物が凶暴化しその動物が本来は持っていない特殊な力を獲得した存在が魔物だ。つまりは犬や猫、イノシシやクマなどの一般的な動物の延長線上にいるのがこの世界の魔物だ。
エインはこちらの世界に転生してしばらくしてから、ウォレスやまだ生きていたエルエリッサなどにエルフやドワーフなどのことを聞いてみたことがある。だが、二人ともエルフもドワーフも知らず、しかもそれが何なのかさえもわからなかった。
さらには魔物と言っても世界を滅ぼすような危険な魔物はいないらしい。伝説や神話の中で語られることはあっても、実際には存在していない。
こちらの世界には魔法がある。しかし、その魔法がものすごく発展しているというわけでもない。どちらかと言うとエインの感覚では転生する前の世界と――文明レベルや時代は全く違うが――変わらないような感じがしている。
ほかの国のことは知らない。この世界にはエインが暮らしているル・ルシール王国以外にも様々な国があることを勉強しているが、実際には行ったことがないのでもしかしたら思いもよらない発展をした国があるかもしれない。
この世界は普通の世界だ。魔法が存在はしているがゲームやマンガに出てくるような世界ではない。
そんな世界で母であるエルエリッサの兄、叔父であるロウ・ランベルトは悪魔召喚を行った。悪魔を召喚し、彼らと契約を交わし、事故で亡くなった娘を蘇らせようとした。
そして、失敗した。その代償として自分と家族とたくさんの領民の命が失われた。
「幸い、ロウ様以外の血縁者、お母上であるエルエリッサ様のご両親や親戚の方は犠牲にはなりませんでした。しかし、ロウ様の行いを恥じ責任を感じたのでしょう。エルエリッサ様のご両親やご親戚の方々は事件の後、一度も王宮を訪れたことはありません」
「だから、僕は会ったことがないのか」
王宮の外に生まれてから一度も出たことがないエインが知らないのも無理はなかった。エルエリッサの両親、つまりは母方の祖父母や母の親戚はエインが生まれる数年前からこの王宮に来ていないのだ。
「二十年ほど前のことです。事件が起きたのは」
二十年前。つまりはエインが生まれる十年も前のことだ。それ以後、ランベルト伯爵領だった場所には誰も住んでいない。
「エルエリッサ様は大そうお嘆きになりました。それに国王陛下も」
「父上も? どうして」
兄が死んでしまったのだからエルエリッサが悲しむのはわかる。けれどセレストール3世が悲しんだのはなぜなのか。妻の兄が死んだから悲しんだ、と言うことなのだろうか。
「陛下とロウ様は子供の頃からお知り合いで、親友と言えるほどに仲が良く、ロウ様が亡くなられたと知った時は本当に、陛下は本当に悲しんでおられました」
子供の頃からの知り合い、つまりは幼馴染だ。しかも親友と呼べるほど仲が良かったのなら悲しんでも当たり前だろう。
しかし、どういうことだろう。エインの心の中に大きな疑問が浮かんだ。
「父上は、何を考えてるんだろう。僕に、なんでこの名前を?」
ランベルト。その名は死んだ友人の名前だ。セレストール3世にとっては大切な名前のはずである。
それをエインに渡した。それもかつて親友が治めていた領地と一緒にだ。
理由がわからない。エインには理解できない。一体、父は何を考えているのだろう、とエインは混乱していた。
「もしかしたら陛下はエイン様にあの場所を……。いえ、私の考えすぎでしょうな」
ウォレスは自分の考えを振り払うように軽く頭を横に振る。その目はとても悲しそうで、もしかしたら昔のことを思い出しているのかもしれない。
いつ頃からウォレスが王宮で働いていたのかエインは詳しくは知らない。ただ、かなり昔からと言うのは聞いていたので、もしかしたらロウ・ランベルトとも顔見知りなのかもしれない。
わからないことだらけだ。しかし、もう決まったことなのだ。
父が何を考えているのかわからない。わからないが、考えても仕方がない。
ウォレスはエインの乗った車椅子を押して廊下を進む。
「私はあなた様の執事でございます。何があっても、あなたのお側に」
車椅子を押しながらウォレスはいつになく真剣な表情と声音でそう告げた。何かを覚悟するような、すでに覚悟が終わっているようなそんな雰囲気だ。
「うん、ありがとう、ウォレス。頼りにしてるよ」
エインは後ろを振り向きウォレスに笑顔を向ける。きっと大変なこともあるかもしれないが、乗り越えていけるだろう。
いや、乗り越えるしかない。頑張るしかないのだ。
前向きに、前向きに。
「それよりも、マリーナだよ。早く完成させないと」
ウォレスの方を向いていたエインは前を向き表情を改め真剣な顔になる。
「マリーナを守らなきゃ」
マリーナの結婚相手、ウルバン。その男がどんな男なのか会ったことがないエインにはわからない。けれど、噂が本当だとしたらマリーナの身が危うい。
何とかしなくてはならない。マリーナが実家に帰る前に対策を打たないと。
「お話は終わりましたか?」
廊下を進んでいると目の前にダイナが現れた。
「うん。ダイナさんは?」
「マリーナを手伝おうとしたのですが、ここは私がやるから、と追い出されてしまって」
ダイナは困った顔で苦笑いを浮かべている。
「そうですか。マリーナは私の仕事も奪おうとしていましたからなぁ。どうやらここを去るまでの仕事は一人ですべて行いたいのかもしれません」
とウォレスはそう言うと困った様子でため息をつく。どうやらマリーナはエインとお別れをしなくてはならない、ということで気合が入りまくっているようだ。
「寂しいのかもしれませんね」
「それを紛らわすために、ということですかな」
寂しい。その言葉を聞いたエインは自分の胸を押さえる。
エインは寂しかった。マリーナがいなくなることが寂しくて辛かった。けれど、彼女を心配させたくなくてエインは我慢していた。
マリーナも同じなんだな、とエインは思った。マリーナもここを去るのが寂しくて辛いのだ。
「……頑張らないと」
エインは気合を入れる。マリーナの門出を祝うため、マリーナの安全を守るためにも早く完成させないと、と改めて気合を入れた。
「お手伝いしますよ、殿下」
「私も微力ながら」
「ありがとう、二人とも」
エインは力強くうなずく。きっと、この二人と一緒ならできるはずだ、と。
そんな風に改めて気合を入れた三人はアトリエに向かう。いろいろと相談しながら、どうやったら人形が動き出すのか考えながらアトリエへ向かった。
しばらく廊下を歩いていくとアトリエの前へと辿り着く。そして、周りに誰もいないことを確認するとダイナはウォレスから鍵を受け取りアトリエのドアを開けた
「……え?」
ない。いない。
アトリエのドアを開けると二体の人形がいなくなっていた。
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