第2章
不安と生人形
二体の人形がある。等身大の女性の人形だ。
「魂は、どう描けばいいんだろう」
体は完成している。腕や脚、胴体など各パーツごとに丁寧に描き上げて実体化させ、各パーツを組み立てて人形本体を完成させることができた。
衣装であるメイド服も描き上げて実体化済みで、すでに人形に着せている。
二体の人形の背格好や顔立ちはよく似ている。違うのはその髪の長さと色だ。エインから見て左側の人形の髪は光の加減でサファイアブルーに輝く深い藍色のショートカット、右側の人形はルビーのような美しい赤色をした柔らかくウェーブのかかった赤毛のセミロングヘア―である。
目を閉じた美しい顔立ちの人形。あとはこの人形に魂を吹き込むことができれば完成する。
だが、どうやって魂を吹き込めばいいのかさっぱりわからない。エインはメイド服を着てきちんとした姿勢で椅子に座っている二体の等身大人形を前に腕組みをしながら難しい顔をしていた。
「しかし、よくできていますなぁ。まるで本物の人間のようです」
椅子に座る二体の人形を眺めながら感心したようにウォレスが白い髭が生えたアゴを撫でている。その出来栄えはウォレスが言うように生きている人間に見えるほど素晴らしかった。
「まあ、顔はね」
顔。一番人目につくであろう顔の部分は本当に念入りに作り込んだ。肌や髪の質感、目の輝き、どれをとっても本物の人間に見えるように丁寧に作り込んだ。
体だって手を抜いたわけではない。ただ、やはり誰がどう見ても人形にしか見えない。メイド服を脱がし、その下にある球体関節を見れば誰だってそれが人間ではないことがわかってしまう。
そのため球体関節が目立たないように衣服で隠している。エインが制作したメイド服は長袖ロングスカート、袖で手首の関節まで隠し、長いスカートで足首まで見えなくしている。ついでに襟も長く人形の首をすっぽりと覆い隠している。加えてさらに念入りに手は手袋で隠し、スカートが捲れてもいいように脚はつま先まですっぽりと黒いタイツが覆っている。
目に見える部分は徹底的に人間に近く、見えない部分は服で覆い隠し、一目見ただけでは彼女たちが人形とはわからないようにしている。人形だとバレたらきっといろいろと面倒なことになる、と思ったからだ。
しかし、なぜ等身大のメイド人形を作ろうとしたのかと言うと理由はいくつかある。
一つ目の理由は人手不足解消。自分の身の回りの世話をしてくれる人が欲しいな、と思ったから人形を作ることにした。
そしてもう一つ。マリーナのためである。
もうすぐマリーナが嫁ぐ。十月の半ばに輿入れなのだが、その準備をするために九月の頭には実家に帰るらしい。
現在は八月。夏も真っ盛りで暑い日が続いている。
「しかし、暑いですね。窓でも開けましょうか」
そう言うとダイナがアトリエの窓を開ける。大きな窓からは爽やかな風が吹き込んでくる。
暑い、とダイナは言ったがエインにすればこれぐらいの暑さはどうと言うことはなかった。前世で経験した日本の夏のあの蒸し暑さに比べたらル・ルシール王国の夏は湿気が少なくとても過ごしやすかった。
反対に冬はとても寒い。雪はそれほど降らないが、内陸の乾燥した冷たい空気が肌を刺し、昼間でも気温が氷点下になることもよくある。
エインが不思議な力に目覚めてから数か月が経過した。その間、エインは自分の能力を知るためにいろいろな実験や検証を行っていた。
その実験にはダイナも協力してくれた。騎士団を辞めたダイナはエインに恩返しがしたいということで、今はエインの助手のようなことをしている。助手と言うかエインの三人目の世話係と言った方がいいだろう。
ダイナは執事が着るようなスーツ姿でエインの世話をしている。本来なら女性であるダイナはメイドが着るエプロンドレスを着るはずなのだが、スカートは動きにくいからと男装をしていた。けれど、どうやってもその胸の部分を隠すことはできず、ジャケットの胸もとが大きく膨らんでいる。
そんなダイナとウォレスも手伝い人形制作を行っている。ただ、今回の人形制作にはマリーナは関わっていない。というかマリーナには秘密にしている。
人形は二体制作している。そのうち一体はマリーナにプレゼントするつもりだ。すでに描き上げたマリーナの肖像画と一緒に人形もプレゼントするという計画なのだ。
マリーナの身を守るために、である。
「でも、本当なのかな」
「わかりません。ただ、私が調べた限りでは、あまりよい噂はありませんでしたな」
なぜマリーナの身を守らなければならないのか。それは彼女の結婚相手が問題だった。
ウルバン・ガングルッグ。ル・ルシール王国の貴族の中でもかなりの大貴族であるガングルッグ家の現当主であるホルベン・ガングルッグの息子ウルバン・ガングルッグがマリーナの結婚相手である。
ウルバンは来年で四十歳になる。そして、すでにウルバンは五回も結婚している。だが彼は一度も離婚していない。
ウルバンの最初の結婚相手は病死だ。死別したので離婚したわけではない。
その次、二人目の結婚相手も病死した。
三人目も病死した。
四人目も五人目も病死した。
そう、ウルバンの妻たちは全員病気で亡くなっているのである。
「私も噂では聞いたことはありますが……」
ダイナは険しい顔で黙り込む。どうやら彼女もこのウルバンと言う男の噂は聞いたことがあるらしい。
ウルバンと言う男はかなり暴力的な男だという話がある。加えてただ暴力的なのではなく、他人を傷つけて楽しむという悪趣味な男であり、彼の住む城には専用の拷問部屋まであるという噂だ。
そんな男の妻たちが次々と病死している。
「偶然、なのかな」
何かある。とエインは感じていた。そして、その嫌な予感がもし当たっていたらと思うと不安で仕方がなかった。
この結婚はマリーナの父が持ってきた話だ。マリーナの実家はかなりの豪商で、どうやら貴族とのパイプ作りにマリーナは利用されたようだ。つまりは政略結婚である。
一度、エインはマリーナの実家のことを聞いたことがある。だが、マリーナはその話をあまりしたくない様子だった。
結婚とは本来は良いことのはずだ。嬉しいこと、幸せなことのはずだ。しかし、結婚の話をするときのマリーナの表情はいつも暗かった。顔も知らない相手と結婚することが不安なのかもしれない、とエインはそう思っていたがこれはそう言う問題ではないのかもしれない。
エインはマリーナを心配していた。だが、エインにこの結婚を止めさせる権利はない。本音を言えば今すぐに破談にしてもらいたいが、他人である自分が口を出していいものなのかとエインは悩んでいた。
ならば、とエインはマリーナのために護衛を『作る』ことにした。
とにかく強いヤツを、とエインは頑張った。実験の成果を生かしとにかく頑張った。
何度も気を失いながらもマリーナのためにと力を振り絞った。
「もう少し、もう少しだと思うんだけど……」
何かが足りない。しかし、それが何なのかわからない。
今、エインが完成させようとしている物は『
「神は細部に宿る、か」
悩んでいても仕方ないとエインは思いなおしペンを取る。
とにかく作り込もうとエインは決めた。人形本体もその『設定』も。
「ねえ、二人はどんな人と一緒に仕事がしたい?」
エインは一緒にいるウォレスとダイナにそんな質問を投げかける。その質問に二人は少し考えてから各々の要望を伝えた。
「真面目に仕事をしてほしいですな」
「そうですね。ウォレスが言う通り真面目で誠実が一番ですね。ああ、でも頭が固いのは勘弁してもらいたい。いろいろと苦労したので」
頑固者には苦労しました、とダイナは苦笑いを浮かべる。王国騎士団初の女性騎士だったダイナはその『頑固者たち』にいろいろと苦労させられたのだろう。
「そうだね。やっぱりちゃんと仕事してもらわないと困るよね」
そう言うとエインは一冊の文庫本サイズの本に二人の要望を書き込んでいく。もちろんそれはただの本ではないしメモ帳でもない。
この数か月の間にエインはいろいろなものを生み出した。今手にしているその本もその一つで『マジカル設定集』という本である。この本に専用のペンで『設定』を書き込むとエインが具現化したアイテムに新たな能力を付け加えることができるというアイテムである。
マジカル設定集のページの左側には人形の絵が描かれている。エインは絵が描かれている隣のページに文字を書き込んでいく。するとその文字がうっすらと光を放ち、人形の一体も文字の発光に合わせて一瞬淡い光を放つ。
「あとは、どんなのがいいかな」
エインはウォレスたちと相談しながら様々な設定を加えていく。
「やはり護衛と言うからには戦闘力は高いほうがいいでしょうね」
「そうだね」
「身体能力も高いほうがいいでしょう」
「うーん、どれぐらい?」
「風よりも速く走り、コブシで巨岩を簡単に粉砕する程度には」
「……程度?」
ダイナは次々と人形の戦闘力についての意見を述べていく。
「それはちょっと、過剰なんじゃないかな……」
「そんなことはありません! 強ければ強いほどいいに決まっています!」
まあ、確かに強いに越したことはないのだが、とエインも思う。しかし、ダイナの言う『強い』はかなり大げさだった。
風よりも速く走る脚力、分厚い鉄板を貫き巨岩を軽々持ち上げる腕力、ドラゴンに嚙みつかれても傷つかない頑丈な体等々、ダイナは次々とエインに要望を伝えていく。
「魔法も使えたらいいですね。こう、神話に出てくるような大魔法をドーンと!」
「えっと、ダイナさん。ちょっと落ち着こう?」
こんな性格だったかな? と思いながらエインはなんだかノリノリなダイナを制止する。
「いや、しかし。マリーナを守るにはこれぐらい」
(何から守るつもりなんだろう……)
本当にダイナは何と戦うつもりなのだろうか。もしかしたら魔王や邪悪な神々とでも戦争をするつもりなのかもしれない。
「ま、まあ、でも魔法が使えたほうがいいかもね。うん」
大魔法、とはいかないまでも多少は魔法が使えた方がいいかもしれない。とエインはダイナの言葉を取り入れ設定に付け加える。
(うーん、でも、どんな魔法にしようか……)
二体の人形を見ながらエインは考える。
(赤が炎、青が氷。じゃ、ありきたりすぎてつまらないか)
エインは二体の人形の髪の色を眺める。二体にはそれぞれ違いを持たせるためにイメージカラーを設定した。左の人形は青、右の人形は赤だ。
人形の名前もすでに決めてある。というより髪色そのままに『サファイア』と『ルビー』だ。何か凝った名前をつけるよりもわかりやすいほうがいいだろう、とそう考えて名付けた。
それ以外にもエインは様々な名前を考えたのだが、ウォレスやダイナに相談すると全部却下された。エインにはその理由がさっぱりわからなかったが、無理矢理押し通す理由もなかったので二人に大人しく従い、最終的にサファイアとルビーと言う名前に落ち着いた。
「サファイアの方は火、ルビーの方は氷。うん、そうしよう」
考えを巡らせた結論に達したエインは設定を書き加えていく。サファイアは魂まで灰にする青い炎を操り、ルビーは血のように赤い氷を操ることができるという二つの設定を加えて、二人の戦闘能力については一旦ここで終わりにしておくことにする。
「次は、性格かな」
と言うか戦闘力よりも性格のほうが先だったのではないか、とエインは思ったが今更なので考えないことにしておく。
「一応、双子って言う設定だけど。やっぱり性格は違った方が面白いかな?」
エインはウォレスとダイナに相談し、二人の人形たちの性格を考えていく。
「悪戯好きで子供好き――」
「落ち着きがあって穏やかだけれど怒ると――」
三人は彼女たちの性格についていろいろと意見を交わす。そして設定を書き加えていく。
もしかしたらしっかりと性格や能力の設定をすれば魂が宿るかもしれない。そんな期待を込めてエインはサファイアとルビーの内面を整えていく。
人間には長所と短所がある。性格にだっていいところと悪いところがある。そう考えたエインたちは彼女たちの性格を設定していく。
そんな設定を考えている最中、ダイナがこんなことを言い出した。
「――もしこの人形たちが命令を無視してこちらを襲ってきたらどうするつもりなのですか?」
その質問にエインは手を止めるしかなかった。確かにその通りだ、と思ったからだ。
改めて自分たちが描き込んだ人形たちの設定を確認してみる。
(これは、無理じゃないかな……)
かなり設定を盛りに盛ってしまった。明らかに自分たちの手に負えない相手にしてしまった。
さて、どうしよう。とエインたちは考える。
「主人に絶対服従、という設定を付け加えてみるのはどうですかな?」
「でも、それじゃあ、なんだか可哀そうだし……」
うーん、とエインは頭を悩ませる。ウォレスの言う通り自分たちに逆らわないように絶対服従という設定は加えてもいいかもしれない。
けれど、それはなんだか嫌だった。まるでこの人形たちを奴隷か家畜のように扱っているような気がしてエインは嫌だった。
かといってもしものことを考えておかないと、とも思う。さて、どうしたものか。
「では、こうしましょう」
そう言うとダイナは悩んでいるエインからペンを受け取り設定集にこう書き加えた。
『エインのことが大好き』。とダイナはそう書き込んだのである。
「大好きな人間を裏切ったりしないでしょう」
そう言ってダイナは笑っていた。まあ、確かにそうかもしれないな、とエインも思った。
思ったが、なんだか恥ずかしかった。恥ずかしいがこれが落としどころだろう。
そうやって相談し、悩み、いろいろな設定を人形たちに行っていった。
のだが、そううまくはいかないらしい。
「……起きないね」
設定を終えエインは改めて二体の人形を観察するが全く動き出す様子はない。
一応、魂の宿った生きた人形、という設定はしてある。というか一番最初にそう設定した。けれども設定したからと言って実際に魂が宿るわけではないのかもしれない。
「うーん。どうしたらいいんだろう……」
エインは頭を悩ませウォレスとダイナも思考を巡らせる。
そんな時だった。
「……父上が」
エインのアトリエに一人のメイドがやってきた。そして、あることをエインに伝えた。
父がお前を呼んでいる、とエインにそう伝えたのだった。
「ちょっと行ってくるね。ウォレス」
エインは持っていた設定集を近くのテーブルの上に置くとウォレスに車椅子を押してくれるように頼む。
「ダイナさんは?」
「私もマリーナの手伝いに。ここでボンヤリしていても仕方がないので」
と言うことでダイナもエインと一緒にアトリエから出ていく。退出する際ウォレスは部屋の鍵をきっちりと閉め、三人はそれぞれの目的場所へと向かった。
部屋に残されたのは二体の人形だけ。
「ニヒヒヒ……」
誰もいなくなったアトリエにかすかに笑い声が響いた。
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