目覚めた後
エインが目覚めたのは倒れてから一週間後のことだった。
「心配かけてごめんね」
目覚めた時、エインのそばにはマリーナがいた。どうやらウォレスたちと交代でエインの世話をしていたようで、ちょうどその時はマリーナの番だったようだ。
その交代要員の中にはダイナもいた。ダイナは騎士団の仕事を休み、マリーナやウォレスと三人でエインを見守っていたらしい。
本当に三人には迷惑をかけたと反省している。反省はしているが、後悔はまったくしていない。
まったく、と言うのはウソかもしれない。少しは後悔している。目覚めた時、マリーナはエインが心配するほど泣きじゃくっていた。ウォレスも表情には出さなかったが心の底から安堵しているようだった。ダイナも薄っすらと目に涙を浮かべていた。そんな三人を見て、心配をかけてしまったのだな、とそのことだけはエインも申し訳なく思い罪悪感を抱き反省もした。
そして、三日が過ぎた。その間に何度も医者の診察を受け、今は経過観察ということになっている。おそらくは何も心配いらないだろう、ということだが、念のため今は安静にしているがその必要もないだろう。
事実、エインはとても元気だった。深い深い眠りから目覚めたエインは以前にもまして元気いっぱい活力いっぱいで、今すぐにでも絵を描きたい気分だった。
けれども、そうはいかなかった。絵を描きたい気分だったが、今は止められている。また倒れられては困る、とマリーナたちから絵を描くことを禁止されてしまったからだ。
なので、やることがない。この二日ほどは毎日ベッドの上でボンヤリしているしかなかったが、今日は違う。
「ダイナ、手と目の調子はどう?」
エインが目覚めてから三日目。一旦帰宅していたダイナが改めてエインのところへ来ていた。
エインとダイナは向かい合って座っている。今のダイナは左手の包帯も左目を隠す眼帯もしていない。
エインは向かい合って座るダイナの左手を触ったり左目を覗き込んだりしてその状態を確かめる。その左腕の義手と左目の義眼にどこか悪いところはないかと目視で確認していく。
「はい、問題ありません。周りの者たちは少々驚いていたようですが」
まあ、当然だろうな、とエインは思う。失ったはずの手と目が元に戻っているのだから事情を知らない周りの人間は驚いて当然だろう。もしかしたら手と目がトカゲの尻尾のようにまた生えてきたと勘違いした者もいるかもしれない。
実際はそうではない。本当は義手と義眼なのだが、それを知らない人間には一見すると本物と見分けがつかず、作り物だとはまったくわからないだろう。
「本当に、なんとお礼を言ったらよいのか」
「いいよ、気にしなくて。ああ、でも、周りに言いふらすのはやめてね?」
幸いなことにダイナの手と目が作り物で、それを作ったのはエインであるという事情を知る人間はほとんどいない。エインが倒れたあと、そのままダイナもエインの看病を手伝っていたので、エインたち以外の誰かと会う機会がほとんどなかったからだ。
それにダイナも誤魔化してくれているらしい。本当は動くのに動かないふりをし、誰にその義手をもらったのかと聞かれても黙ってくれているようだ。
「まあ、今まで通り包帯でも巻いて隠しておきますよ」
「ありがとう。そうしてくれると、助かるよ」
エインの力。この力が世間に知れ渡ったらきっと大変なことになるだろう。もしそんなことになったら平穏な生活は終わってしまう。
それはエインの望むところではない。エインの願いは好きな絵を描いて好きな人たちと静かに暮らすことなのだ。
「ただ、そうすると騎士団への復帰はできなくなりそうですが」
そう言ってダイナは苦笑いを浮かべる。どうやらダイナは今回の怪我を理由に騎士団からの退団を迫られているようだ。
思った通りと言えば思った通り。ただ、エインが思っていたよりもダイナはショックを受けていないようで、エインはそこが少しばかり不思議だった。
「悔しくないの?」
「いえ、まったく」
ダイナは静かに笑みを浮かべる。その笑顔は爽やかで、その表情には何かを悔いているような気配は微塵もなかった。
「私のしたことは正しかった。そう自負しておりますので」
やっぱりすごいな、とエインは思う。ダイナのその堂々とした姿は彼女が誇り高い騎士であることを証明しているようだった。
「ただ、未練がないと言えばうそになります」
どうやらダイナは本当に騎士団を辞めるつもりのようだ。だとしたら、そのあとはどうするのだろう。
「さて、どうしますか」
ダイナはにっこり笑ってそう言った。どうしようと口では言っているが、その表情は不安も悩みも見当たらず晴れやかだ。
そんな風に笑うダイナを見てエインも笑顔になる。自分のしたことが間違いでないのだと、そんな気がして嬉しくなる。
ただ、エインは少しだけ残念でもある。エインは自分と向かいあって座るダイナの左手――エインが渡した義手――を触りながら残念に思う。
この義手にはいろいろな『能力』を詰め込んでいる。親指には『治癒魔法』、人差し指には『火属性魔法』、中指には『水属性魔法』、薬指には『風属性魔法』、小指には『地属性魔法』、手のひらには物理攻撃も魔法攻撃も防ぐ『光の盾』を発動する機能が備わっている。
義手だけではなく義眼にも能力を与えた。可視光線以外の赤外線や紫外線などの『不可視光線』を見る機能が備わっている。これにより光の少ない夜であっても物を見ることができるいわゆる『暗視』が可能だ。そして、この義眼には三秒後の世界を視ることのできる『未来視』の機能もある。
義手も義眼もダイナが騎士として戦場を生き抜けるようにと作った物だ。けれど、ダイナが騎士団を辞めてしまえばあまり意味がなくなるだろう。エインはそのことが少しだけ寂しかった。
(まあ、でも。命の危険がないのは、いいことだよね)
いろいろな機能を備えたが、そもそもそんな機能を使わない方がいいに決まっている。戦いから遠ざかり、ダイナが平和に暮らせるのならそのほうがいいのだ。
(それでも何か起きた時のために説明だけはしておこうかな)
説明はいずれゆっくりしよう、と決めたエインはとりあえず今日のところはダイナの様子を見るだけにとどめることにした。
エインはダイナにいろいろと質問しながら左手と左目を確認してゆく。使い心地はどうか、気分はどうか、痛いところや違和感はないか、といろいろと聞き出し、今のところ問題がないことを確かめる。
「もし何かあったらすぐに言ってね」
「はい。それにしても……」
ダイナは自分の左腕を眺める。不思議そうに興味深そうに眺めながら手や指を動かす。
「これは一体、どこで手に入れたのですか?」
ああ、そう言えば、エインは思い出す。そう言えばまだ義手と義眼のことを自分が造ったということを説明していなかったことを。
とりあえずエインはその義手と義眼を自分が造ったことを伝える。突然手に入れた魔法の力で造りだしたのだとそう伝える。
「秘密にしておいてね。まだ、ちょっといろいろと不安なところもあるし」
いろいろと不安。そう不安なのだ。
この能力が大勢の人たちに知れたらどうなるのかや、この能力が周りにどんな影響を与えるのかなどまだまだわからないことがたくさんあるからだ。
なのでこの能力のことを知る人間は少ないほうがいいだろう、とエインは考えていた。今のところこの能力のことを知っているのはダイナとマリーナとウォレスしかいない。しばらくはこれ以上この力のことを知られないように気を付けなければならない。
「お願いね?」
「はい」
ダイナは笑顔で了承する。エインはそれに笑顔で応える。二人は嬉しそうに笑い合う。
「それにしても殿下もお元気そうで何よりです。あの時は、もうダメかと思いましたから」
そう言うとダイナはエインのことを上から下まで眺める。エインは元気そうで死人のような顔はしていない。
「うん、元気だよ。むしろ倒れる前より元気になった気がする」
そう言うとエインは右腕に力を込めて力こぶを作って見せる。あまり肉のついていないエインの二の腕がわずかに盛り上がる。
「本当に信じられません……」
ダイナは倒れたときのエインを思い出しているのだろう。その時のエインと今を比べてエインの回復具合に驚いているようだった。
「心配してくれてありがとう。嬉しい」
嬉しい。これはエインの本心だ。ダイナが自分のことを心配してくれて本当に嬉しかった。
倒れたことを心配して、元気になったことを喜んでくれる。そんな人が本当に少ないから、嬉しかった。
「……夢を、見たんだ。寝てるときに、母上の夢を」
エインはうつむく。目を閉じて、眠っていた時に見た夢のことを思い出す。
それは母の夢。母親である王妃エルエリッサの夢。
「元気そうだった。僕のことを心配してたんだ、夢の中で」
夢の中に出てきたエルエリッサはエインのことを心配していた。元気そうで、健康そうで、生前と同じ姿をしていた。
そう、生前と同じように。
「――もう、三年か」
三年前、母が死んだ。エインの母であるエルエリッサがこの世を去った。
突然のことだった。朝、メイドが彼女を起こしに行ったときにはすでに死んでいた。苦しむことなく、眠るようにエルエリッサは息を引き取っていたらしい。
何か病気をしていたわけではない。ただ、亡くなる数日前から、頭が痛い、と言っていた。解剖して調べたわけではないからはっきりとはわからないが、もしかしたら脳梗塞か何かで亡くなったのかもしれない。
今はもう確かめる術はない。死んだのは三年前だ。とっくに埋葬はすんでいるし、すでに骨だけになっているだろう。
何もわからない。だが、王妃エルエリッサが死んだことは確かだ。それだけは確かな事実なのだ。
家族の中で唯一味方でいてくれた母親。エインは時折、ふと会いたくなることがある。
きっと、とエインは思う。きっと、今、母が生きていたら、ここにいて、話をきいてくれたのだろう、優しく抱きしめてくれただろう、と。
「殿下」
「エインでいいよ、ダイナさん」
エインは笑う。笑顔を作る。
ダイナは心配そうな顔でエインを見ている。
「無理はなさらないほうが」
「大丈夫だよ、大丈夫。うん」
大丈夫だ、とエインは自分に言い聞かせる。
母はいない。だが、味方はいる。
エインはダイナの手を握る。
「大丈夫」
味方は少ない。けれど、確かにいる。
今は、それだけでいい。いてくれるだけで心強い。
「これからも、友達でいてね」
エインが目を覚まして三日が過ぎていた。
いまだに父も二人の兄もエインに会いに来ていない。
「お願いだから……」
おそらくは様子を見に来てすらないないだろう。もしエインが眠っている間に父や兄の誰かが見舞いにでも来ていたのなら、ウォレスやマリーナがそのことを教えてくれたはずだ。彼らにお礼を言った方がいい、と忠告してくれただろう。
それがないということはそう言うことだ。
どれぐらい顔を見ていないんだろう、とエインは気が付く。父や兄たちの顔を最後に見たのはどれぐらい前だったか。
(まだ、期待してるのかな、僕は)
もしかしたら、と思う。もしかしたら、いつか、父や兄たちが自分のことを見てくれるかもしれない。家族として優しく迎え入れてくれるかもしれない。
馬鹿だな、と思う。自分は本当に、本当に馬鹿だなとエインは思う。
期待したところで無駄なのに、期待してしまう。もしかしたらと思ってしまう。
仕方のないことなのかもしれない。家族なのだから、血がつながっているのだから、とそんな『絆』なんてものに捕らわれているのかもしれない。
ただ、優しくしてほしいだけなのだ。家族なのだから、父と兄なのだから。
でも、きっと無駄だろう。
「僕を、見捨てないで……」
エインはダイナの両手で左手を強く握る。うつむくその目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
この寂しさは誰のものなのだろうか。こんなに胸が痛くて、こんなに辛く苦しいのはなぜなのだろうか。
今の、この心は一体だれなのか。
菱木健太なのか、エインフェルトなのか、もしくは二つの心が混ざり合った別の誰かなのか。
わからない。わからないが、胸が苦しい。
苦しい。
「見捨てたりしませんよ、エイン様」
ダイナは握られていない右手をそっとエインの頭に置く。エインはダイナに頭を撫でられながら静かに嗚咽を漏らしていた。
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