無力な自分

 無力感がエインを襲う。


「エイン様、あの」


 エインは自室で絵を描いている。しかし、その表情はぼんやりとしていていつもの集中力は見られない。


「ん? ああ、ごめん。なに?」

「いえ、あの、少し、顔色が優れないようですが」


 マリーナは心配そうにエインの顔を見ている。そんなマリーナを安心させるようにエインは笑顔を浮かべる。安心させようとエインは笑うが、その笑顔がマリーナをさらに不安にさせる。


「大丈夫だよ。ちょっと、いろいろと考えちゃってね」


 エインは明らかに落ち込んでいる。その原因はダイナであり、同時にエイン自身にもある。


 魔物の討伐から帰ってきたダイナには休暇が与えられ、今は騎士団から離れて自宅で療養している。しかし、療養が明けたからと言って騎士団に復帰できるかと言うと、それはわからない。


 王国騎士団。それは王国と王家を守るために存在する集団である。その構成員の中には貴族もいれば平民もいる。ただし、騎士団長や副騎士団長などの役職に就くには爵位が必要であり、上の立場になればなるほど爵位が高い上級貴族でないと選ばれることはない。加えて騎士団には男しかいない。おそらく現在の王国騎士団にいる女性はダイナひとりだ。


 この国では女性が爵位を継ぐこはなく、爵位はその家の家督と共にその家の長男が継ぐことになっている。つまりダイナは男爵の家に生まれながら爵位を持っていないのだ。


 そもそも男爵と言うのは爵位の中でも一番下の位だ。そんなダイナが騎士団の中で騎士として隊を率いていられるのも彼女の実力が群を抜いているからだ。


 ただし、ダイナが実力者であるという理由で納得する者ばかりではない。ダイナの家の格が低いこと、ダイナが女性であること、そのことでダイナを差別し、彼女を嫌い、彼女を疎ましく思っている貴族たちも多い。


 だがダイナは王国の民からは人気がある。彼女は美しい女性であり、女性でありながら勇敢な彼女を英雄視する者たちもいる。だから、無下にはできない。女性だから、下級貴族だからと言ってダイナを邪険に扱えば国民や彼女を支持している貴族たちからも批判されるだろう。


 その結果が『流星隊』だ。実力があり人気もあるダイナに部下を与えて活動させることで彼女を支持する者たちの批判をかわし、同時に彼女を騎士団の中枢から引き離すことで厄介払いして彼女を嫌う者たちの不満を抑えるためである。


 ダイナはそんな流星隊を率い国内各地を巡回し危険な戦いを繰り返していった。その姿はまさに流星。流星のように戦場に飛来し味方を勝利に導き、流星のようにまた別の戦場へと飛んでいく。それが流星隊であり、ダイナだった。


 そしていつか流星のように消え去ればいい。それがダイナを嫌う者たちの願いでもあった。


 複雑で微妙な位置にダイナはいる。それでも彼女は国のため民のために戦い続けた。


 けれど、それもここまでかもしれない。左腕と左目を失った彼女が騎士団に復帰できるかはわからない。


 おそらく騎士団の上層部は怪我を理由にダイナに退団を迫るだろう。もしかしたら無理矢理にでも追放するかもしれない。


 エインはそのことを知っていた。そして、同じだと思っていた。


 自分と同じ。周りから疎まれ、差別され、腫れ物として扱われる普通ではない存在。エインはダイナが自分と同じ立場に置かれているような、そんな気がしている。


 もちろんマリーナも同じだ。平民でありながら王宮で働き、しかも第三王子であるエインの世話係をしている。マリーナも普通ではない存在である。


「魔法、か」


 エインは絵を描く。それしかできないから描き続ける。


「魔法なら、よかったのに」


 魔法ならダイナの体を元に戻すことができるだろうか、とエインは考える。自分に魔法が使えたら彼女を助けられるのだろうか。


 わからない。上級魔法を使えば失った体の一部を再生させることもできるとウォレスは言っていたが、そんな魔法を使える魔法使いは滅多にいないらしい。


 ダイナは友人だ。エインにとっては本当に数少ない友人のひとりだ。友人、友達なのだ。


「ねえ、マリーナ。僕に、何ができると思う?」


 エインはマリーナに問いかける。だが、マリーナは困惑したような、どこか苦しそうな顔をするだけで答えてはくれない。


「ごめん」

「そんな、エイン様が謝ることでは」


 気まずい沈黙が室内に充満していく。互いに何も言えず、なんといったらいいのかわからず口を閉ざしたまま時間が過ぎていく。


「ごめん。ちょっとひとりにしてくれないかな……」

「……承知しました」


 マリーナが部屋を出ていく。部屋にはエインだけが残る。


 部屋にいるのはエインひとりだけ。そのエインの脇には絵筆などの道具が置かれたテーブルがあり、目の前にはカンバスが置かれている。


 今描いているのはエインから少し離れた場所に置かれた、小さなテーブルの上にあるガラスの花瓶とその花瓶に生けられた白いユリのような花だ。


 そこはエインのアトリエ。と言っても城の外にではなく、使われていなかった城の一室をアトリエとして使用しているだけである。そのアトリエには今までに描いたおびただしい数の絵が部屋の半分を埋め尽くすように置かれている。


 エインは今まで描いた絵の山を眺める。本当にたくさんの絵を描いてきたんだな、と絵の山を眺めながら改めて思う。その絵の中にはこちらの画家の描いた絵の模写や転生する前の日本で見た物を思い出して描いた絵もある。


 ゴッホやゴーギャン、フェルメールにクリムトにミシャにモネに葛飾北斎に小山田次郎。いろいろな絵を見て、それを模写してきた。ただ、実物を見たことがあるものは少なく、大体が両親の買ってきた画集で見たことがあるだけだ。


 それ以外にもいろいろなものを模写してきた。両親の買ってくる画集は大体が有名な画家の物だったけれど、どんな絵でも描けるようになるにはそれだけでは不十分だった。


 マンガやアニメの絵も描いた。イラスト集をたくさん買って模写した。テレビゲームは一切やったことはないがゲームの設定資料集は好きで、絵を模写するついでにいろいろ設定資料集をワクワクしながら読んだ。車や工場、電車や動物などの写真集を見て練習することもあった。


 こちらの世界に転生してからは前世で見たたくさんの物を思い出しながら絵を描くこともあった。こちらの世界の物や風景や人物だけでなく、前世の世界にあった物を記憶を頼りに描いた絵が、こちらの世界を写した絵と一緒に積み上げられている。


 どんな絵でも描けるようになりたかった。それが目標であり夢だった。


 だが、だからなんだというのだろう。そんなことに何の意味があるのだろう。


 確かに絵は上達した。この五年間、絵を描かない日は一日もなかった。毎日毎日ひたすらに絵を描き続け、今では王国内では並ぶ者のいないほどにまでなった。


 しかし、だからなんだというのだろう。


 エインの絵を見て弟子入りを志願する者もいた。エインよりも二十も三十も年上の大人が絵を教えてほしいと頼み込んでくることもあった。


 エインの絵を見て画家を辞めてしまう者もいた。何人もの弟子を抱える有名な画家が、エインの実力を知り自分の実力とのあまりの差に愕然として筆を折ったこともある。


 もう誰もエインに絵を教えてくれる人はいない。それほどにまでなってしまった。だが、だからなんだというのだろう。


 何の意味もない。絵が描けるだけでは何の意味もない。


「魔法が、使えたら……」


 もし魔法が使えたのなら、とエインは思う。もし自分に魔法が使えたらダイナの体をもとに戻すことができるだろうか、と考えてしまう。


 考えるだけ無駄だとわかっている。なぜならエインには魔法の才能がない。


 この五年間、健太がエインに転生してからの五年間、毎日絵を描いてきた。そしてその合間にいろいろなことを学んだ。


 この世界の文字の読み書き。この国の歴史。王族の人間として恥ずかしくないようにいろいろなことを学ばされた。その中に基礎的な魔法の訓練もあった。


 エインには魔法の才能がなかった。才能がない、とエインを担当した魔法使いがそう言っていった。


 魔法は才能だ。魔法を操るための才能はほぼ百パーセント生まれつきの物らしい。後天的に魔法の才を身に着けるのはほぼ不可能で、最初から才能を持っていなければ魔法使いには絶対になれない。


 魔法の才能があるかないかは魔法使いが見ればすぐにわかるらしい。それでもエインは魔法について興味があったので、魔法が使えないながらも魔法の知識だけは少しだけだが身に着けている。


 だが、それだけだ。エインは魔法が使えない。ただ絵が描けるだけだ。


「ほんと、役に立たないな、僕は……」


 誰かの手を借りなければ生きられない。自分の足で立つことさえできない、無能。前世でも体が弱く入退院を繰り返し、両親や周りの人々に迷惑ばかりかけてきた。


 記憶が次々と蘇ってくる。どんな言葉をかけられたのか、どんな目を向けられたのか、自分がどう思ったのか、どう感じたのか、様々な記憶と感情が自分の奥底から湧き上がってくる。


「違う、これは、父さんじゃない……」


 記憶が混ざる。エインは目を閉じて頭を振り、ふたりの父親の記憶を別ける。


 菱木健太だった頃の父親と今の父である国王の記憶。その二つをエインは切り離していく。


「父さんはあんな目で僕を見ない。あんな目で……」


 思い出す。父である国王から向けられたあの冷たい目。自分の息子であるエインを疎み、蔑み、ガラクタを見るような、何の温かみもないあの目だ。


 役立たずが。とあの目は言っていた。国王は言葉にはしないが、あの目はそう告げていた。


 だが、黙っていただけまだよかった。エインの兄である二人の王子は平気で口汚く罵ってきた。エインのことを真正面から「役立たずが」と罵った。


 そして、それは事実だ。実際、何の役にも立たない。絵が描けるだけでは、ダメなのだ。


「クソっ」


 エインは自分の太ももをこぶしで殴る。動かない脚を何度も殴りつける。


 頭の中がぐちゃぐちゃだ。転生前と転生後の記憶が混ざり合って、様々な感情が渦巻いて、これをどうしたらいいのかわからず暴れ出したくなる。エインは今にも暴れ出しそうな自分を抑え込むように自分の太ももを掴み、グッと歯を食いしばる。


 暴れても意味など無い。それに自分が暴れた後の片づけをするのはきっとマリーナとウォレスだ。エインはふたりのことを考え、近くにある道具や目の前にあるカンバスを投げ飛ばしたくなる衝動を抑え込む。


「今日は、終わりにしよう」


 エインはカンバスに描かれたガラスの花瓶の絵を眺める。もう少しで納得がいく描きあがりになりそうだが、今日は集中できそうにない。


「――いや、こんな時だからこそ、かな」


 エインは目をじっくりと自分の描いた絵を眺める。もう一筆か二筆で完成するだろう。それなら今日、これを完成させて別の絵を描こう。


 何かダイナが元気になる絵を、彼女を励ますことができる絵を描こう。そうすることしか、それしかできないから。


「よし。気合い入れて」


 ウジウジと悩んでいた自分に喝を入れるようにエインは自分の頬を両手ではたく。それから筆を取り、色を塗っていく。


「……完成、っと」


 じっくりと最後の一筆を描き終える。そして、自分の描いた絵と実際の花瓶とを見比べる。


「まだまだ、かな。でも、なかなか」


 大満足、という出来栄えではなかったが、それなりに満足のいく出来ではあった。それにこれ以上手を加えるとキリがなくなりそうだったので、エインはここで妥協することに決めた。


「おっと、サインしなきゃ」


 これで終わり、と締めくくるつもりだったエインだったが、最後にやることがあるのを思い出し、もう一度筆を取る。そして、その筆で絵の右下のほうに自分のサインを描き込む。この絵が自分が描いた絵である、と言う証明としてサインを描き込む。


「これで、よし。うん、よしよし」


 最後の仕上げも終わった。あとは絵具が乾けば完成である。


 今日は終わりにしよう。絵を描き上げたエインは部屋を出ようとドアの方に顔を向けマリーナの名を呼ぶ。


 その時、不思議なことが起こった。


 何かがガシャンと言う音を立てて床に落ちた。


「……え?」


 エインは音のしたほうに顔を向ける。自分の足元、そこから音がした。


「エイン様! 今の音はいったい」


 音を聞いたマリーナが部屋の中へと飛び込んでくる。しかし、エインは驚きと混乱のあまりマリーナが入ってきたことに気が付かなかった。気が付かないままエインは自分の足元にある物と今しがた描き上げた絵を驚きの表情で交互に見比べていた。


 エインの足元には割れたガラスの花瓶が転がっていた。そして、花瓶が描かれているはずのカンバスから花や水の部分を残し花瓶だけが消えていた。


「――まさか」

 

 花瓶の部分だけ消え去った絵。エインはその絵に手を当てる。手を当て、ゆっくりと撫で、それからもう一度足元にある割れた花瓶を見つめる。


「エイン、様?」


 様子のおかしいエインを困惑した表情でマリーナは見つめる。そんなマリーナに見つめられながら、エインはつぶやく。


「魔、法……」


 小さくそうつぶやいたエインは再び筆を取った。

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