友人の女騎士
青みがかった灰色の髪、紫水晶のような美しい瞳、すらりと背が高く凛々しくも美しい顔立ちの女性。それがダイナ・ルミリアナ・ハンデストロである。彼女はハンデストロ男爵の長女であり、王国騎士団で流星隊と言う隊の隊長を任されている女性である。
エインはダイナとテーブルを挟んで向かい合って座っている。ダイナはエインに親し気に話しかけ、エインはその話を楽しそうに聞いている。話を聞きながらエインは紙にインクを付けたペンを走らせている。
今日の話は王国の北に位置する『黒い森』という場所に現れた魔物の話だ。ダイナは作戦の途中で見た『フェンリル』という魔物の話をエインに聞かせていた。
「任務の途中で見ただけでしたが、さすが『賢狼』と呼ばれているだけのことはありました。あの魔獣からは威厳と確かな知性が感じられましたから」
黒い毛並みと青い瞳をした牛よりも大きな狼。それがフェンリルだ。通常、この国にはいない魔物のはずなのだが、どこからか迷い込んできたのだろう。
「それで、倒したの?」
「いえ。しばらく対峙していましたが、あちらの方から去っていきました。それ以来、その地域でフェンリルを見なくなったそうです」
一通り話を終えたダイナは出された紅茶を飲む。すでに冷めてしまっていたが、ダイナは気にせずお紅茶を飲み干す。
「えっと、そのフェンリルってこんな感じ?」
話を聞きながら動かしていた手を止めたエインは、紙に書いたフェンリルの絵をダイナに見せる。その絵を見たダイナは目を大きく見開き、それからエインに尊敬の眼差しを向ける。
「話を聞いただけでここまで正確に描けるとは。まるで魔法ですね、殿下」
「魔法だなんて。まだまだだよ、僕は」
謙遜しなくてもいいのに、と言うようにダイナは小さくため息をついて肩をすくめる。ダイナにしたらエインの絵の実力は本当に魔法のように思えるのだが、エインは全く満足していない。
もっと上手くなりたい。なんでも描けるようになりたい。それがエインの願いであり目標だ。自分の見た物、考えた物、感じた物、そのすべてを自分の思い通りに自由自在に描く。それがエインの願望である。
望みをかなえるにはまだまだ遠い。エインはエインとして転生してからの五年間毎日毎日絵を描き続け、研鑽を積み、身の回りにあるものや話で聞いた物、そして自分の頭の中にある空想や妄想を絵に描き続けてきた。
それでも満足できない。まだまだ満足できない。もっと、もっと、自由自在に、魔法のように何でも描けるようになりたい。
「僕なんかよりもすごい人はたくさんいるからね。うん」
「そのような方が、いるとは思えませんが……」
どこか呆れているような若干引ているような、ダイナはそんな顔をしている。と言うのも本当にダイナにはエインよりも絵が上手い人間と言うものが想像できなかったからだ。
まだまだ足りない、と言っているエインはおそらく王国で一番の画家だ。それはお世辞はなく事実だ。
エインは王家の人間である。エインの命令を断れる人間は王国内ではほとんどいないだろう。
だから、呼びよせた。エインは自分の権力を使い、王国内にいる画家を片っ端から城に招き、彼らに絵の手ほどきを受けた。しかし、今は誰もいない。王国内ではエインに絵を教えようとする人間は誰もいなくなってしまった。
「お教えできることは何もありません……」と言い残し抜け殻のようになって去っていった者もいれば、エインの描いた絵を見てショックを受けて絵を描くことを辞めてしまった者もいる。そして、「王子! ぜひわたくしを弟子にしていただきたい!」と弟子入りを志願する者もいた。
つまりすでにエインは王国内では本当に一番の、トップオブトップの実力を持った画家なのである。それなのにエインはまだまだまったく満足せずにいる。
「絵描きは慢心したら終わりだからね。現状維持は衰退と一緒だよ」
「そう、ですか……」
十歳の少年とは思えない言葉を発するエインに、ダイナは少しだ恐怖を覚える。そんなダイナの目はどこか気味の悪いものを見ているような、そんな目だ。
ダイナはエインのことを十歳の少年だと思っている。だが実際は菱木健太として十五年、エインとして五年を生きた人間だ。肉体は十歳だが精神年齢は二十歳を超えている。
「とにかく、僕は上手くなりたいんだ。ねえ、ダイナ。この絵、ダイナが見たフェンリルとどこか違ってる? 変なところはない?」
「え、えっと、そうですね」
「なんでもいいよ。どんな小さなことでもいいから。細かな描き込みがその絵全体の完成度を高めるからね。神は細部に宿るんだ」
さあ、何か言ってくれ、とエインは力強く、ものすごい圧と熱を持った視線をダイナに向ける。その圧を感じたダイナは、騎士でありながら十歳の体の不自由な少年の威圧感に気圧されてしまう。
絵を描いているとき、絵が関わっているときのエインは人が変わったようになる。いつもは優しく朗らかでおおらかなのだが、絵のこととなると王国内でも屈指の実力を持つダイナでさえも圧倒されるときがあるほどだ。
「ああ、でもイラスト的なものだとあんまり描き込んだらおかしいか。いや、今は写実的な、実物と同じぐらいリアリティのあるもののほうが」
エインはフェンリルの絵を睨みながらブツブツと独り言を始める。絵と自分の思考に集中しすぎて周りが見えなくなってきたのだ。
「で、殿下。あの、それほど時間がありませんので、何か聞きたいことがあれば」
「……」
「殿下」
「……」
「殿下!」
「!!」
エインはダイナの声に驚き勢いよく顔を上げると、ああ、またやってしまった、と言うような申し訳なさそうな顔でエインは頭をかく。
「ご、ごめん」
「いえ。いつものことですので」
やれやれ仕方ない人だな、という様にダイナは肩をすくめる。その顔はどこか困ったような、そして愛情と親しみがこもったそんな表情をしていた。
それからしばらく二人は談笑し、日が暮れる頃に楽しい時間は終わりとなった。
「これから私は任務のため王都を立たなくてはなりません。その準備がありますので、今日はこれで」
「うん、ありがとう、ダイナ」
ダイナは椅子から立ち上がるとエインに対して深く一礼し顔を上げる。その姿を車椅子に座ったままエインが見上げる。ダイナのその姿は若いながらも威厳と風格のある歴戦の戦士のようだった。しかし、その顔立ちと胸のふくらみがダイナが年頃の女性であることを示していた。
「しばらくお会いできなくなるとは思います。その間、お元気でお過ごしください」
「ありがとう。ダイナも元気で、無理はしないように。帰ってきたらまた話を聞かせてね」
「はい、必ず」
ダイナは再び深く一礼するとエインに背を向けドアの方へと歩いていく。そして、ドアから部屋の外へ出る前にもエインたちに一礼し、それから部屋を出ていった。
「――えっと、今回の仕事って」
エインはダイナが出て行ってから、ダイナがこれからどこに行くのかを聞き忘れていたことを思い出す。どこで何をするのか、どんなものを相手にするのかを考えるのもエインの楽しみのひとつなのに、だ。
「今回は西の国境付近に現れたポイズンバジリスクの討伐、だと聞いております」
そう答えたのはウォレスだ。エインとダイナが話をしている間、ウォレスはいつでもエインたちの要望に応えられるようにエインの近くで待機していた。もちろん部屋にはマリーナもいたが、彼女はふたりが話をしている間、茶を淹れたり、ふたりが眩しくないように部屋のカーテンを調節したりと、陰ながらふたりの世話を黙ってこなしていた。
「それってどんな魔物なの?」
「トカゲのような姿をした魔物でございます。大きさは大型犬ほどのですが、毒液を吐き強力な毒を持ったトゲを飛ばして攻撃し、単独ではなく群れを成して行動するのが特徴だったかと」
魔物のことに詳しいウォレスに感心しながらもエインは少し不安になっていた。ダイナは確かに強いのだが、もしかしたら、と考えてしまったのだ。
確かにダイナは強い。王国騎士団の中でも五本の指に入る実力者で、剣では負けナシ、その他の武器の扱いにも長けており、さらには徒手格闘も得意で自分よりも大きな男性を一撃で殴り倒したという話もあるぐらいの猛者である。
それでもエインは心配だった。ウォレスの話によるとポイズンバジリスクの解毒薬は無いらしい。というのもポイズンバジリスクの毒は生息している土地で性質が異なり、食べる物や個体によっても違いがある。だから解毒薬を用意しようとすれば細かな調節が必要で、事実上は不可能なのだという。
エインはダイナの無事を祈りながら彼女が出ていったドアに視線を向ける。
(無事に帰ってきてくださいね……)
きっと大丈夫だ、と自分に言い聞かせながらエインはダイナの話を聞いて描いたフェンリルの絵に目を落とす。絵を眺めながら悪い考えを振り払う。
それから数日後、ダイナは目的地へと旅立った。ポイズンバジリスクの出現するという王国西側の国境付近へと隊を率いて向かった。
三か月。三か月後にはエインの住む城がある王都へ戻ってくるという話だった。
だが、そうはならなかった。
一か月後、ダイナは王都へ戻ってきた。
「ダイナ!」
ダイナは生きて戻ってきた。だが、その姿は痛々しかった。
「申し訳ありません。こんな情けない姿を」
出発してから一か月後にダイナは王都へ戻ってきた。だが、すぐにエインはダイナに会うことはできなかった。彼女が怪我をしていたからだ。
ダイナはポイズンバジリスクとの戦闘で大怪我をしていた。左腕を毒に侵され、左目には毒針が刺さり失明。しかも、毒が回らないようにとダイナの左腕は切り落とされ、左目は抉り取られていた。
そんな痛々しい姿をエインが見たのはダイナが王都へ帰還してから一週間後のことだった。彼女が今回の戦果を報告するため城へ来たときやっと会うことができた。
「まあ、バジリスクは討伐できたので、問題ありませんよ」
城へとやってきたダイナは左腕に包帯を巻き、左目を隠すように頭にも包帯を巻いていた。包帯のまかれた左腕は肘から先が無くなっていた。
「少し油断したら、この様ですよ。笑ってください、殿下」
「笑えるわけないよ!」
エインはウォレスからいろいろと話を聞いていた。ダイナが怪我をしたのは仲間を守るためであり、けして油断したからではないことを。
笑えるわけがない。自分の部下のために負傷した人間を笑えるわけがない。
「笑ってください。この間抜けを」
そう言うとダイナは笑った。力なく、どこか悲しそうに笑っていた。
「笑ってください。殿下」
エインは泣いていた。友人が怪我をして帰ってきたのだ。
「戦いとはこういう物ですよ」
戦士。ダイナは戦士なのだ。こうなることも覚悟していただろう。ダイナは誇り高き王国騎士なのだ。
だからダイナは泣かない。涙を流さない。
けれど、ダイナはどこか悲しそうだった。当たり前だ。悲しくないはずがない。ダイナは騎士である前に女性であり、女性でなくても自分の目と手がダメになってしまえば悲しいに決まっている。
「まあ、これで余計に嫁の貰い手がなくなってしまいましたよ」
笑えない、笑えない冗談だ。エインはそんな冗談を言うダイナを涙目で見上げ、ダイナは涙を流すエインの顔を右手に持ったハンカチで優しく拭った。
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