24. 戦い。
首を噛もうと飛びつくが、馬は前脚を軸に回って胴体で黒曜を跳ね飛ばす。空中で一回転した黒曜は、長い爪の生えた手で踏ん張り、アスファルトを少し滑ってから止まる。
止まってすぐに体勢を立て直し、再び走って向かっていく。先ほどと同じように首を狙っているように見えたが、今度は馬が振り回してきた胴体をかわし、背後を取った。
少々反応が遅れた馬に、黒曜は容赦なく噛み付いた。痛みで暴れる馬に必死にしがみついている。
ようやく黒曜を振り払った馬の首からは、血が流れ出していた。身体はヴィヴィットピンクだが、血はわたしたちと同じ赤色だった。生々しい出血に、ぞくりとする。
出血の影響か、馬はふらふらとおぼつかない足取りだ。
多少緊張が解けたとともに、黒曜に隠れていろと言われたことを思い出し、二つの家の隙間へと身体を滑り込ませる。そういえば黒曜と出会ったとき彼が道端にいて、わたしと彼の立ち位置は反対だったな、とふと思い出す。
反撃をする力が残っていないように見え、黒曜は警戒をほとんど解いた。悠然と歩み寄り、馬の首や尻尾での緩やかな攻撃を軽々と避ける。
「もう俺に勝てる見込みはねえだろ。大人しくしてりゃ楽に殺してやるぜ?」
おちょくるように馬の周囲をぐるぐる回り、にやにやしている。
馬は前脚で地面を何度も叩く。怒りのあまり地団駄を踏んでいる、のかと思っていたが、なにやら様子が変だ。
タッタカタッタカタ……リズミカルな地団駄を続けるうちに、なんと、前脚で叩いた地面がピンク色に変わり始めた。ぼんやりとした色から鮮明な色に、次第にはっきりしていく。
ペンキを零したようにヴィヴィットピンクに染まったアスファルトが、ぐつぐつと煮立っていた。
煮立ったところは非常に高温で、黒曜が何歩か後退りする。その間に蒸気を上げるアスファルトから、馬の化け物と同等の大きさのなにかが三つ生えてきたではないか。
まっさらなヴィヴィットピンク色の概形に、皮膚の質感や切れ長の目が浮かび上がってくる。
そうして生まれた化け物の顔は、初めに現れた馬とまったく同じだった。けれども馬と違い、いくつもの分岐を持つ角が生えていた。まるで鹿のような角である。
さらに目を凝らして見ると、背中には羽が生えているのがわかった。ユニコーンとでも呼ぶのだろうか。絵に描いた天使についているような羽は、大きな身体にしては小さい。しかしゆっくりとはためかせた途端、化け物の脚は地面から離れた。
「おい、飛べるなんて卑怯じゃねえか」
三頭の化け物を見上げる黒曜は、口元を歪め、一見すると笑っているようだ。だが声が少々強ばっていて、彼も戦況が厳しいと考えていることが窺える。
飛んでいる三頭のうち一頭が、一気に黒曜との距離を詰めた。黒曜は身を翻して攻撃を避け、尻尾に噛みついて地面に叩き落とす。
そうしている間にも背後からもう一頭が蹴りかかろうとするが、彼は広い範囲に神経を尖らせており、ひらりと脚をかわす。かわした脚に尻尾を巻き付けて、三六〇度振り回し、まだ攻撃を仕掛けて来ていない最後の一頭に向かって化け物を投げた。二頭は思いきりぶつかり、羽が絡んでしばし身動きが取れないでいる。
「濁りから生まれたバケモンなんて伝説上の存在だと思ってたぜ。だからこそ、どれだけ強いんだと警戒していたんだが……案外弱いな」
今度は声にも余裕があり、にやりとした笑みを浮かべている。
ゆっくりとした動作で右手を空に向け、手にぐっと力を込める。すると一気に爪が伸びた。長い爪と黒い毛に覆われた手は、狐というよりも獣のそれだ。
手のひらの上に黒と紫が混ざった色の煙が渦巻き始めた。不穏な色をした煙は、中心部がほとんど黒一色に見えてきている。
わたしが黒曜に初めて会った日、追っ手に放とうとしていたものと同じものだろう。
「おらよっ!」
手のひらを化け物に向けて押し出すようにして、黒い塊を放とうとした。しかし、塊はふっと空気に溶けてしまった。
「おま、え……まだ動けたのかよ……」
黒曜の首に、長い毛が巻き付いていた。首から血をどくどく流す、ヴィヴィットピンクの馬が、彼の後ろに立っている。
ふらついていたはずの馬が虎視眈々と隙を狙っていたのだ。
彼は背後を振り向くことも出来ないまま意識を失った。力なく
小さくなったことで、首を絞めていた尻尾からするりと抜け出て、重たい音を立てて地面に落ちた。
どうしよう、と思った。
わたしを守ってくれていた黒曜を、今度はわたしが守らなければならない。しかしわたしには戦う術がない。
助けを呼ぼうにも馬のいる場所を避けて大通りに出ることは不可能だ。
わたしが結論を出せないでいる間、馬は黒曜の周りをふらふら歩いていた。羽が生えた三頭もすぐそばで飛んだり着地したりを繰り返している。
しかし彼が完全に意識を失っていることを確認すると、仰向けに横たわった彼の身体を、弄ぶように前脚で何度か踏みつけ始めた。命に関わるほど体重を掛けることはせず、あくまで踏んだときの感触を確かめている程度だ。橙色の和服が土にまみれていく。
その光景を目の当たりにしたとき、わたしは怒り心頭に発した。
人の身体をおもちゃのように扱う馬たちに対する怒りと、何もせず眼前の光景を見てただショックを受けているだけの自分に対する怒りだった。
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