25. 少女は覚醒する。

 馬たちは仰向けに横たわった黒曜の身体を、弄ぶように前脚で何度か踏みつけ始めた。命に関わるほど体重を掛けることはせず、あくまで踏んだときの感触を確かめている程度だ。橙色の和服が土にまみれていく。


 その光景を目の当たりにしたとき、わたしは怒り心頭に発した。

 人の身体をおもちゃのように扱う馬たちに対する怒りと、何もせず眼前の光景を見てただショックを受けているだけの自分に対する怒りだった。


 胸の中で轟々と音を立てて燃える怒りの炎が、心臓を突き破った感覚が全身に走る。身体の中心が焼けただれたように痛み、息が出来ない。


「う、ぐ……っ!」


 炎が身体から抜け出たのと、息がすうっと肺に入ってきたのは同時だった。


 炎に酸素が注がれて、身体の外で爆発的に燃え上がった。

 刹那、目が潰れそうなほど光り輝いて、わたしの胸から馬の化け物に向かって光が放たれた。白色の一筋の光は、まるでレーザーのように馬を貫く。

 馬は頭のてっぺんと蹄の先から崩れてちりになり、綿毛のように容易く風に飛ばされた。視界を取り戻したときにはもう、そこに馬の姿はなかった。痛みに悶えるいななきだけが静かな道に響き渡る。


 わたしは悲痛な鳴き声を呆然と聞いていた。

 ほぼすべてが不確かだが、わたしが馬を消滅させたことだけは確かだ。じわりとその実感が湧いてきて、なぜ、どうして、の疑問が次第に強まっていく。

 身体の中で今も渦巻く炎の気配に吐き気がする。


 心臓のあたりを右手で押さえたわたしに、三つの影が落ちた。

 はっと見上げると、わたしを取り囲むようにして三頭のユニコーン型の化け物が飛んでいる。

 親的な存在であった馬をわたしが奪ったことで、怒りや憎しみがすべてこちらに向いているらしい。黒曜に対するよりも目が鋭く、羽音がうるさい。


 一斉に物凄い速さで近寄ってきた化け物は、わたしの腕めがけて大きく口を開けた。

 食いちぎられる、という恐怖に満ちて拳をぎゅっと握った瞬間、また真っ白な光が放たれた。今度は手のひらに太陽を載せてそのまま握り締めたように、指の間から光が漏れている。

 光とともに化け物のうめきが聞こえ、正面にいた一頭が身体の中心から焼けるように消えてしまった。化け物の焼けた破片が、近くの二頭の皮膚に触れた途端、その二頭の身体も焼けて跡形もなくなった。


 呆気に取られて間抜けな顔を晒すわたしの腕にも、焼けた破片がひとつ落ちた。続けて頭、頬、首へと破片は降り注ぐ。

 しかしわたしは焼けるどころか痛みを感じることさえない。


 なにが起こったのか考える時間も持てないまま、地面に仰向けになって動かない黒曜に駆け寄る。


「黒曜! 黒曜ってば!」


 返事はない。

 ウェーブの掛かった黒髪が、彼の顔を囲んでいる。ぴくりとも反応しない彼の顔はやけに涼やかで、不安を掻き立てられる。

 すっと鼻筋が通った鼻と、結ばれた薄い唇とに耳を近付けた。すると穏やかな息が聞こえてきて、胸を撫で下ろす。


 とは言え、早急に医者に診てもらったほうがいいだろう。

 後先考えず体躯の良い彼を肩に担ごうとした。しかし自分の首に彼の腕を乗せたは良いが、立ち上がることさえ出来ない。


 困っていると、遠くから聞き慣れた声が飛んできた。


「きよのちゃん、やっと見つけた……!」

「紫水! 黒曜が大変なの、空から出てきた化け物に襲われて意識を失っちゃって」


 紫水は声が少々掠れていて、さらりとした白髪も、いつもと違って乱れている。必死でわたしを探してくれていたのだろうと感じる。


 彼は黒曜に駆け寄って身体を観察していたが、


「話は後だ。濁りから生まれた化け物と一定時間以上対峙すると、生命力を持っていかれる。寝ているように見えるけど、案外危険かもしれない」


 と言って彼を易々と担ぎ上げた。瞳孔が開いた様子から、一刻を争う事態だということが分かる。


「河津さんのところへ急ごう」


 和服の裾と袖をはためかせて軽やかに疾走する紫水の後ろを、わたしはどうにかついて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る