楽な道なんてないって言うけど、精一杯楽して生きていたい――AT UTOPIA前半

 面倒くせぇなんてもんじゃねぇ!! 幾ら倒しても無限湧きしてきやがる!!


 盤帝の生家から走り続けて1時間、横っ腹が痛むとかそういうレベルじゃないくらいに、全身が活動の停止とメンテナンスを脳みそに要求している最中、そんなこと知りもしない狼やら虎やらみてぇな畜生たちに追い立てられる。大邑特有の生物、妖だ。


「はぁっ! はぁっ! は! も! むり!」


 声を出そうとすると喉が痛むし、油断していると妖どもに喉笛を食い千切られそうになる。くっそー! なんでこんな美形アバターを作っちまったんだ、そりゃおいしそうに見えるだろうって! 可愛いは正義のはずだったんだがな。


 ケダモノたちが追いすがるのを、毎回紙一重で交わす。普段ならこんな奴ら、飛行能力で回避して木の上から見下ろしてやるんだが、今回ばかりはそうもいかない。


 天啓が使えないんだ。いや、正しく言えば、道具に依存した天啓は全くと言っていいほど使い物にならなかった。こっちの世界を支配している魔法のような力、天啓は大邑を見下ろす巨大な岩山、盤石山に嫌われている。原理はよくわからんが、ようするに俺の背中についている翼や、おそらくはリトリヤの幽霊がつけている義手なんかも、盤石山のお膝元じゃあ役目を果たすことはないだろう。


 故に! 俺は己の足で走るしかないのである! 気に入らん! 武器もてんで役に立たん! 急に手足をもがれた気分だ! 真夏の炎天下、家でクーラーをガンガンにかけてアイスをかじりながらゲームをしていたら停電になってしまった時と同じ心境だ。


「いや、流石に、それほどじゃ、ないかっ、どわぁ!!」


 後方から熊のような妖に爪を立てられ、すんでのところで身をよじって回避した。俺の叫びで案じたのか、はるか前方を走る盤帝がこちらに向き直る。


「大丈夫か、トワ殿!」

「全然大丈夫じゃねぇよ!!」

「そうか、それだけ声が出るなら大丈夫そうだな」


 盤帝はくるりとそっぽを向いて、再び走り出した。


 再び走り出しやがった!!


「旧知の仲だったんじゃなかったのかよ!! 待て傾国の女帝この野郎!! 国を倒す前に、こっちの化け物倒してくれよ!」


 実際のところ、盤帝ならここらの妖くらい一撃でのしてしまうだろう。そのくらいの実力があることは先日、盤帝から初対面でみぞおちに喰らった拳で、身をもって分かっている。ただ、盤帝は、少なくとも今日のところは俺に手を貸しちゃくれないだろう。というのも、これは俺の修行を兼ねているからだ。


 盤帝曰く、これからいくつかの村を中継して首都である春京へと向かうのだが、次に行く村は牧歌的で美しく、夜を明かすにはこれ以上ない場所なのだそうだ。やや過酷な旅路になるだろうが、ぜひそれを楽しみに耐えてほしいと。また、道すがら森の中を歩くから、そこで盤石山の霊力や大邑特有の環境に慣れれば良いだろうということだった。


 いや、慣れるのにはあまりにもハードな道のりじゃないか!!??


 結局、道中で足をぐねって屈辱のお姫様抱っこをされながら森を踏破した以外は、どうにか自力で妖の出没しないところまで出てくることができた。


「ここまでくれば一安心だな、トワ殿、大儀であった」

「身も心もズタズタだ……」


 膝が『もうこれ以上歩けないよ、ぎゃっはっはっは』と笑っていた。盤帝はというと、人一人とGUIDE一匹を抱えて随分な距離を走ったというのに、余裕の表情である。あー、喉渇いた、でも水筒の中身はとっくのとうに空なんだよな。周囲に水辺がなかったわけではないのだが、衛生的に飲む気になれなかった。今も草むらに隠れるように沼があるが、あれを飲むわけにもいかんよなぁ。


「お、猫じゃん」


 沼の水をぺろぺろと舐める猫がいた。さっきまで化け物みたいな妖しかいなかったし、珍しい。やっぱ小動物に限るよな。人なれしているのか、猫は近づいても逃げていく気配はなかった。


「よーしよしよし、俺の次くらいに可愛いなぁ」


 猫のことを撫でようと近づくと、急に猫は姿を消した。なんだ、これもやはり妖の類なのか、そんなことを考えていたら辺りが突然暗くなる。目の前に突如として並んだ巨大な牙の数々が、日光を遮っていたのだ。


「トワ殿、危ない!」


 盤帝の声で危機を回避する前に、牙が襲い掛かってきた。そして本当に視界が真っ暗になって、何も聞こえなくなった。


「やば、呑まれた!?」


 全身が生温かくてねとねとした不愉快な感触に包み込まれる。気持ち悪い、息ができない!! どうにか抵抗するべく翼を起動しようとする。当然だが動かない。武器は? いや、天啓無しではなまくら刀だ。GUIDEは……、すんでのところで逃げたみたいだな。強かな奴。いや、やばいなこのままじゃ。息が、できない……。



 ドン!



 強烈な衝撃波が落ちかけていた意識を引きずり上げる。そして、俺の体もどうやら引きずり出されたみたいだった。柔らかい手が俺の左手を握りしめて、化け物の食道から娑婆の道へと救出してくれた。


「無事か!」


 俺の頭を膝の上に、半ば放心状態だった俺の頬面を盤帝はぺちぺちと叩いてきた。ほんの1分にも満たない時間だったのだろうが、久しぶりに日光を浴びた気分になった。


「痛い、痛いって、生きてっから!」


 これ以上ぶたれる前に慌てて立ち上がる。


「すまないな、予め注意喚起しておくべきであった。これはタイユウヌマネコモドキという妖だ。普段は猫の姿に擬態して、エサがかかるのを待ち、猫に触れた刹那に丸のみする恐ろしい怪魚だ」

「冷静に解説するな! 危うく消化されるところだったんだぞ!」

「? でも生きているじゃないか。それに、トワ殿であれば呑まれたところで腹を裂いて抜け出してくるだろう?」

「そそ、チーズみたいにね、って裂けるかぁ!! 俺に対する謎に高い信用はなんなの!?」

「はは、そうだな。天馬空を行くトワ殿であれば、わたしなんぞでは思いもよらぬ方法で解決するに違いない」

「今の俺は翼の折れたエンジェルなんですけど」


 粘膜でべとべとになった体を拭いながら、辺りを見る。盤帝の生家にも仕掛けられていた鳴子、小川にかけられた手作りの橋、何よりもぽつぽつと立ち並ぶ木造の家々が、集落に辿り着いたことを告げている。


「行きがけにも説明したが、この村は朔班の手が入っていない、小さな山村だ。女帝としてのわたしを知る者も居ない。のどかで美しく、天狗綿の栽培が盛んで人も優しい。長旅の疲れを癒すにこれほど最適な場所はない。もう日暮れも近いし、ここで休んでいこう」


 盤帝はそう言って、鳴子をまたいで村の中へと入っていった。俺も恐る恐るGUIDEを抱えて鳴子を通り越した。


 なんだか、やけに静かだ。綿の栽培が盛んだって言ってたな、まだ住民の大半は畑仕事中か? いや、それにしたって変だろ。いくら過疎ってるからって、子ども1人居ないなんてことあるか? 家を覗き込んでみても、生活していた痕跡はあれど、暮らしていくにはあまりに埃かぶっている。


「この村にくるのは1年ぶりだが……、1年で随分と変わってしまったな」


 盤帝の声はワントーン下がったように感じる。盤帝にとっては良い変わりぶりではなかったのだろう。


「まったく人の気配がねぇな」

「そうだね、しかしここはまだ村の外れだ。最近は妖も活発だし、森との境界付近は放棄して、中心部に寄り集まっているのかもしれない」


 そう言って、姿勢よく盤帝は歩く。時々、枯れ枝を踏んでパキパキと音を鳴らすたびに、日は陰り暗くなっていった。


 村の中心へと近づくにつれ、ほのかに、甘い香りが漂ってきた。バニラとも違う、飴とも違う、甘い匂い。もしかしたら、誰かが料理でも作っているのかもしれない! よく考えたらこの長い1日で飯を喰う隙なんてなかったしな、どうにかちょっと恵んでもらえないだろうか。


「なぁ、盤帝」

「しっ!」


 俺が呼びかけようとすると、盤帝は人差し指を唇の前にそっと突き出し、静かにするようにジェスチャーをする。


「な、なんだよ急に」


 俺は盤帝のもとによって、小声で応答する。


「トワ殿も気付いているかもしれないが」

「ああ、この匂いか? なんか料理してんのかもな、人の気配だ」

「匂い? 確かに甘い香りがほのかにするな。いや、それではなく、音だ」

「音?」


 盤帝に言われて、耳をそばだてる。


 パチ、パチパチ、パチ


 例えるなら焚火のような音。木の枝が火の粉を上げて燃えている様子が思い浮かぶ。


「本当だ、こりゃ焼き菓子でも作ってるのかもな!」

「だといいが……。とにかく行ってみよう」


 ようやく安心して休息が取れる。俺は音の鳴る方へと駆け出した。


 村の中心なのだろうか、広場に出てきた。相も変わらず寂れた雰囲気だったが、遠く、広場の中ほどにようやく発見することができた。人だ! 地べたにあぐらをかいている男のようだ。匂いも音もこの人からするような気がする。


「第一村人発見!」


 柄にもなく俺はその人間の方へと走った。空腹は人に勇気を与えてくれるのだ。しかし、だんだんと甘ったるい香りが鼻腔にこびりついてきて、そして、その男から煙が発せられていることに気が付き、ただならぬ雰囲気に急ブレーキ。男は木製の筒のようなものを手に持っていた。顔は伏せられていて、その相貌はうかがえない。


「お、おいおい、大丈夫か?」


 慎重に、それでも男に俺は近づいた。後ろからは旅の仲間である盤帝が駆け寄ってくる音が聴こえてきた。ただ、振り返ることができない。俺はなぜかその男の一挙手一投足にくぎ付けになってしまっていた。


 男は俺の方を見ることなく、しわの寄った腕で木筒を持ち上げて、その端を口元に近づける。禍々しい色の煙が反対側の端から零れ出ていた。


「トワ殿、危ない!」


 男に手を伸ばそうとしたところを、後ろに引っ張られる。それが盤帝によるものだと気付いた刹那だった。


 男は全身から火を放った。


 突如として夜を照らす邪悪な炎は、男を蝕み燃やしていく。突然のことで一瞬、思考が停止してしまったが、慌てて我に返る。


「早く、火を消さないと!」


 しかし、水を放とうと武器に手をかけようとしてもうまくいかない。


「おい! 盤帝、放せよ!!」


 盤帝に羽交い絞めにされているからだ。力で劣っている俺は、盤帝に引き寄せられてどんどんと男から遠ざけられていく。


「ダメだ、危険だ」

「でも、まだ生きてるし」

「ならぬ。こうなってしまっては―」

「早く消さねぇと、本当に死んじまうぞ!」

「もう無駄なんだ!!」


 盤帝の叫びが耳をつんざく。声も、その腕も震えていた。


「こうなってしまっては、もう助からないんだ……」


 悲鳴1つ上げず、目の前の男は炭の塊へと姿を変えていく。さっきまで、確実に先ほどまで生きていたそれに、ただ、せめてもの思いで手を合わせるしかなかった。


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