大義には疑ってかかるべし——AT REAL 後半

「それって、指定校は諦めろってことですか?」


 思わず口をついて出てしまった言葉。面談中の俺と担任の小西先生以外誰も居ない教室。机の上には俺の模擬試験の結果と2年次までの成績表が並べられている。風でカーテンが揺れて、窓の外からは野球部の誰かが金属バットで硬球を跳ね返す、カキンという音が入って来た。


「いいえ、そういうわけではないのよ」


 俺の吐いたセリフに対して、目を若干泳がせる小西先生。分かりやすく動揺されると俺だって気まずい。


「ただ、このままの成績だと同じ学部を志望している子が他にもいるからちょっと厳しいかもしれないの。もちろん、相生くんの評定は決して悪くない、いえかなり良い方なんだけど」


 担任が去年度までの俺の成績表を片手に言った。大体が5で、4は片手で数えるほどだ。おそらく、校内で成績トップの連中と志望校が被っているんだろう。クソが、賢いんなら推薦なんかじゃなくて一般選抜受けろよ。


「そうね、例えば別の学部にするとか、あるいは同じ学部でも他にいい大学だってあるわ、例えば——」

「いや! あ、ごめんなさい。その、志望は変えたく、ないです」


 急に大声を上げてしまったことに恥ずかしくなって、段々しりすぼみに、声は情けなくも小さくなっていった。でも、志望を変えたくないのは事実だ。いや、変えられない、が正しいか。


「そっか。なるべく生徒一人ひとりの意向に沿いたいから、相生くんがそうしたいならそうするべきね」


 小西先生は月並みなきれいごとを言っている。テカテカした教室の机が反射する窓からの光くらいにはきれいだ。


「ただ、言っている通り、もしかしたら指定校推薦はしてあげられないかもしれない。だから、公募とか総合型とか、あるいは一般選抜とかを受けることも視野に入れておいて、ね。今は、色々な入試方式があるから、きっと相生くんなら大丈夫よ」


 そう言いながら小西先生は、模擬試験の結果通知の方をちらと見たようだった。


 正直、模試の成績は大丈夫と言えるものじゃなかった。志望している、姉の通う明応大学には背伸びしても入れないくらいには、偏差値に差があった。この差は高1の時に受けた模試から全く変わっちゃいない。どころか差は開いているみたいだった。


「大丈夫って、大丈夫じゃ、ないですよ」


 あーあ。ここで弱音吐いてもなんにもなんないのにな。小西先生に当たっても偏差値は上がらないのに。


 一瞬だけ目を丸くした小西先生が、すぐさま表情を変えて微笑む。


「確かにもう高校3年生だから、焦っちゃう気持ちは分かるけれどね。でも、まだ5月になったばかりよ? そりゃ、勉強せずにずっとゲームばっかりって言うんだったら話は変わってしまうけれど」


 ごめんなさい、週末はゲーム三昧です。


「真面目に勉強を続けていけば全然手の届く範囲内よ。相生くんに関してはその点、心配していないわ。それとね、もしも落ちたら、もしも推薦を受けられなかったら、そういうことを考えるよりも、どれだけ悔いの残らないように勉強できるかの方が、先生は大事だと思うの」


 中学の半ばくらいから、後悔しかしてない人生なんだが。


「だから、まずは指定校推薦を受けられるように今の成績を維持、いや、もっといい成績を取って、後は今まで通り日々勉強しましょう!」


 小西先生の鼓舞は、どうしてかすんなりと受け入れることはできなかった。結局のところ、この先生は俺の表面しかみえちゃいないんだ。


 面談を終えて、上履きを履き替えて校舎から出る。気付けば快晴だったはずの空にどんよりと雲がかかり始めていた。嫌な気分だ。爽やかな春とは言い難い、じっとりとした湿気がシャツに絡みつく。それでも学ランを脱ぐ気にはなれないのは、まだ衣替えの季節じゃないからだろうか。


 駐輪場へと向かう傍らで、頭の中で今日の出来事が逆再生される。模試の結果、先生の不器用な励まし、母親と姉、そして玲さん。なんなんだよ、俺はどうすりゃいいんだよ。ちょっとくらい俺のしたいようにしたっていいじゃねぇかよ。でも、反目する勇気もない。ただ、従順に勉強だけをする気にもなれない。こうして中途半端なまんまずるずるとこの町で生き続けるんだろうな。ああ、帰って勉強しなきゃか。んで、ノルマを達成したらゲームを起動して……。


 いや、玲さんだ。玲さんを探さなきゃ。


 スマホを起動して通知を確認する。まだ、玲さんからの返信はない。念のため、もう一度ゲーム内チャットを送信して、ボロい自転車に跨った。


「これは! 玲さんの安否確認のため! 下心もなけりゃ、まっすぐおうちに帰らない言い訳でもない!!」


 ささやかな反抗心はあったが。再び自転車を立ち漕ぎする。天気は悪いがさっきよりかは爽快な気分だ。帰りが遅かった言い訳どうしようっかな。図書館で勉強していたことにするか。


 全くもって当てがないわけではなかった。希望は薄いが、玲さんと行った場所を探しに行く。まずはやけに長い坂道を登る。俺の筋力的には問題ないはずなのだが、自転車が軋みを上げ出したので、自転車を押して歩く。


「遠いな、幽霊屋敷!」


 鬱蒼とした林を左手に丘を登っていく。よくこんな場所に居を構える気になるよな。いや、だからもう人は住んでいないのか。


 放棄するにはもったいないと思えるちょっとした邸宅は、相も変わらず庭には雑草が茂っていて、初めて訪れたあの時から佇まいを変えていなかった。ここは、町ではそこそこ有名な幽霊屋敷。あとで色々と噂を調べたが、ここに住んでいた家族の1人が死亡して、未だに地縛霊として1人ぼっち家族の帰りを待っているのだそうだ。家族以外の者が入ると何が起こるかはお察しの通りだ。ただ、実際に俺が入った時は呪い殺されるなんてことはなく、むしろ俺と玲さんの他に謎の不審者2人が侵入してきて、幽霊よか人間の方が怖いと思ったのが事実だ。それから不気味な光景が眼前に広がって、気付いたら眩しい光に目がくらんで、そういえばあの日の出来事の記憶は朧気だ。そもそも玲さんはこの幽霊屋敷に何をしにきていたんだろうか。


 柵を越えて、勇気を出して、幽霊屋敷のドアノブに手をかける。玄関に入ると、突如として2階からガタガタと物音が鳴った。


「びっくりした!」


 情けない声が誰も居ない家に響き渡る。また不審者が居るんだろうか。だとしたら今の悲鳴でバレたか?


 しかし、しばらく硬直していても一切の物音が発されることはなかった。本当に人っ子1人も居ないようだった。


——センサーが反応しないように、なるべく壁に張り付いて移動して——


 玲さんの言葉を思い出した。そういえばあの時は人が来るってことで慌てていて聞き流してしまったけど、よくよく考えたら変な発言だ。もしも俺が冗談で言ったように、この屋敷の幽霊の正体が玲さんだとしたら。


 玲さんのアドバイス通り壁伝いに屋敷内を探索する。どの部屋もうっすらと埃が積もっていて、薄暗くて、空き家然としていた。懸念の、2階の最奥にある部屋以外は。


 そこにはついさっきまで子どもが居たんじゃないかと思うような景色が広がっていた。勉強机、二段ベッド、本棚。そして物音の正体、独りでに動く椅子。普段の俺なら退散していたところだが、今回は玲さんを探すという使命がある。もしかしたら向こうで死んだことでこの家にスポーンしている可能性があるからな! 一気呵成に部屋に入る。


「どわぁ!」


 またも情けない悲鳴を上げてしまった。部屋に入った直後に本棚からばさばさと本が落ちてきたからだ。壁に張り付いて移動するのをすっかり忘れていた。


「はぁん、なるほどね」


 流石に2回目となると、この家のカラクリが分かって来た。椅子の下についたモーター、本棚の背にもなにやら機械で仕掛けがついている。つまりここは、街外れにある幽霊屋敷って言うよりかは寂れた遊園地にある演者の居ないお化け屋敷に近い。俺は律儀にも本棚に本を戻して、押入れの中を確認した。うん、誰も居ないな。


 幽霊の正体が分かったから不気味なわけではないのだが、いつまでも廃墟に居て不法侵入でお縄になるわけにも行かないので邸宅から出ることにした。幽霊の正体見たり春日玲ってとこか。しかし、どういう理由でこんなことを玲さんはしているんだろうか。普段は洒落た格好して、陽キャに混じってそうなツーブロック女子なのに、その実やっていることはどこか陰湿だ。どっちの”ユートピア”でも罠使いだしな。謎めいた女である。


「ここに居ないってなると、あそこしかないな!」


 幽霊屋敷を抜けて、どんどんと重く垂れこめてきている雲を上に、俺は月吉本町駅へと向かった。


 一縷の望みにかけて辿り着いた代官山に、玲さんの姿はなかった。まぁ、あの幽霊屋敷と比べりゃ可能性が低いことは分かり切っていたけどね! 都会の小洒落た街並み、そして休日の人混みで蕁麻疹が出そうだ。小雨で傘を差す人が増えてきて、通れる道幅が狭くなっていく。そもそもこの中に玲さんが居たとしても、見つけられる自信がない。それでも本屋に併設されたカフェは見に行ったし、一通り見て周りはした。この2か月弱、玲さんとはそれなりに会っていたような気がしたのだが、それもゲーム内での話であり、玲さんが行きそうな場所に思い当たる節はもうなかった。


 俺、玲さんのことなにも知らないんだな。


 ぶっきらぼうな喋り方と、いつも帽子をつけていることくらいしか。あとは俺より良い高校通っているくらい。もしかしたら俺より全然成績良いのかも知れないな。なのに普通に一般選抜で大学にすんなり入っちゃうのかもな。くそ、嫌なこと思い出しちまった。いいな、小泉高校。駅から近いし、設備も充実してるし、合格実績もそこそこ良いし。


「そうか、小泉高校!」


 もう1つ当てがあったじゃないか。玲さんが通っている高校。小泉高校の最寄り駅は確か、小泉学園駅か。今回ばかりは仕方がない、代官山から渋谷行きの電車に乗り込んだ。


 色とりどりの傘が透明な雫を床に垂らす電車内を、玲さんに対するチャット連打でやり過ごしつつ乗り換えを経て小泉学園駅に辿り着いた。


 正直、意固地になってしまっている節はあると思う。冷静になって考えれば、ピンポイントで色々な場所を巡ってもそのタイミングで玲さんがそこにいる可能性は低いのだから、会える確率はかなり下がるし、幽霊屋敷ならまだしも代官山や小泉学園駅周辺で見つかったのであれば、そもそも玲さんは往来を歩ける程度には無事ということになる。ということは別にそのうちゲーム内チャットから返信が来るに決まっているし。結局のところ、後に引けなくなってしまっただけだったのだ。


 ただ、それでも。玲さんを見つけられた時、本当にほっとしたんだ。


 改札を出て、すぐのことだった。券売機の前でぼんやりと天を仰ぐ、小柄な帽子の少女が居た。顔がほころびかけて、右手で頬をつねる。ここまで来て別人じゃ、ないよな?


「あの!」


 声をかける。返事はない。視線は乗換案内図を向いているようだった。


「あのー!」


 肩を叩く勇気はない。だから、前に回りこもうとしたその時、玲さんはこちらに振り返った。


「へ? 光輝くん!?」


 上ずった声は確かに玲さんのものだった。


「良かった、本物の玲さんですね」

「いや、影武者ができるほど立派な身分じゃないよ」


 頬をぽりぽりと掻いてこちらを見上げる玲さんは、どこか疲れていそうな表情だった。


「えっと、なんでこんなところに?」


 玲さんから問いかけられる。いや、その質問はごもっともなんだが。ここまで方々を探し回ったこちらとしては、ちょっとイラっと来る。


「だって、幾らチャットしても返事寄こさないじゃないですか! あんなことがあった後じゃ、無事か気にはなりますよ!」


 心配したんですよ、と言いかけて口を閉じる。


 玲さんはがさごそとポケットからスマホを取り出して、画面を確認していた。『UTOPIA』を起動しているようだ。


「ご、ごめん。でも、どうして小泉学園に?」


 じっとりとした目でこちらを見やる玲さん。確かに冷静に考えたらストーカーじみてて気持ち悪いな、俺。


「そ、それは、ほら! 前、通ってる高校の名前、い、言ってたじゃないですか!?」


 慌てて誤解を解く。いや、でも苦しい言い訳だ。玲さんの一言一句を全部暗記してるみたいじゃないか。


「心配かけちゃってごめんなさい。優しいね、光輝くんは」

「へ?」


 どう詰られるのかと構えていたところで、唐突に謝られて拍子抜けする。


「わざわざここまで探しに来てくれたんでしょ? ありがとう」

「ま、まあね! と、とにかく無事なら良かったです」


 謝られた上にさらに感謝までされるとは夢にも思わなかった。とにかく、本題に入ろう。


「それで、あっちの話ですけど——」

「えっと、その、ごめん」


 話始めた直後に、玲さんに遮られる。


「今、あんまり時間なくてさ」


 ばつが悪そうに玲さんはきょろきょろし始めた。正直、かなり憔悴しているように見える。夢の世界での自分なら、あるいは玲さんがここまで疲れていなかったら、無理やり話し始めたところだったのだが。


「あ、そうですか……」


 小泉学園駅の改札に人が吸い込まれて行く。もうすぐ電車が来るみたいだった。本当に追い込まれていそうな玲さんと、ちょっとした小旅行気分で二者面談での出来事から現実逃避をしている自分との対比に、その温度差に急に寒気がしてきた。


「じゃ、またチャットで確認してください。そっちにも書いたけど、向こうの僕は盤帝の生家? 昔の家に匿ってもらってて無事なんで!」


 用件だけ伝えて、とにかくこの場から立ち去ってしまいたかった。どれだけ玲さんを探すのに苦労したかは、また当人に余裕があるときにたっぷり行うことにして、ここは撤退しようと改札へと向かった。電車も来ていて、丁度いいしな!


「ちょっと待って!」


 しかし、勇気の撤退虚しく玲さんに呼び止められた。


「また今回みたいに気付けないと申し訳ないから、LIMEの交換しよう?」


 そう言って玲さんはスマホを差し出す。人と、それも女子とLIMEの交換をするなんていつぶりだ? 記憶にないってことは初めてか。


「へ? あ。そ、そうっすね! じゃあ、はい」


 よく考えたら、これだけ付き合いがあって連絡手段がゲームのチャットだけという方がおかしいのだ。これは、普通のこと。これは、普通のこと。そう言い聞かせて玲さんとの連絡先の交換を承諾する。慌ててQRコードの画面を見せて、玲さんに読み取ってもらった。ややお互いにもたついてしまったので、出来る男らしく間を埋める世間話を振る。


「何か、色々無理してそうですけど、大丈夫ですか?」


 正直、これは失敗である。なぜなら玲さんの顔がさらにひきつったからだ。


「ううん、大丈夫だよ。あの、この埋め合わせは絶対にするから」


 必死で訴えかける玲さんの表情は普段のそれとはまったく異なるものだった。表情の変化に乏しい玲さんが、いつもと違う眼差しでこちらを見つめて来るものだから、見ていられなくって目を逸らした。


「や。別にそういうのは良いです。僕が勝手に来ただけなんで」


 なんで自分が一番追い詰められているくせに、他人に気を遣うんだか。俺は自分の心配事から逃げるようにしてここまで来たっていうのに。


「キャパオーバーしたらいつでも言えよ」


 去り際に玲さんに投げつけた言葉は、自分自身に言っていたのかもしれない。情けない顔を玲さんに見せられず、そのまま背を向けて改札を潜り抜けた。結局先ほど来た電車には乗車することができず、雨の降るホームで次の電車をしばらく待つ羽目になったのだった。

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